2 魂の宿った人形 弐
扉の向こうから見詰めている気配は、扉を開けた瞬間に消えた。
脱衣室を覗き込んだが誰もいなかった。
莉奈はやはり気のせいだったのだと思い、再び浴室の扉を閉めた。
シャワーヘッドから温かなお湯が勢いよく流れ出た。
髪に残っているトリートメントをシャワーで洗い流した。
そして湯気の立ち上る温かな湯で満たされたバスタブに肩まで浸かる。
浴室内はローズの香りに包まれた。
どうかしてると自分の気の弱さにため息をついた。
あれからずっと昌也とも連絡がとれないまま、数日が過ぎていることも気になっていた。
ここのところ、莉奈自身も夏休みの不規則な日々で生活リズムを完全に崩していたため気が滅入っていた。
今夜は早く寝て、この憂鬱なな気持ちを早く払拭しようと考えていた。
入浴を終えて、自分の部屋でくつろいでいた。
スマートフォンでゲームをしていると、またもや何かの視線を感じた。部屋の中を何度も繰り返し見渡してみた。
だが、いつもと同じで何も変わった様子はなかった。
暫くすると部屋の中で乾燥した小枝が折れたような聞き慣れない音がした。
莉奈はスマートフォンをベッドの上に置き先程の音に耳を澄ました。
再び小枝が折れる乾いた音がした。
家の建材である木材が、乾燥して鳴る音だと思うことにして不安を払拭した。
暫くすると今度は窓ガラスに小石が当たったような音がした。
「な、何なのよ……」
莉奈は苛立ちながらベッドの上から身をお越し、窓際へ行って耳を澄ました。
莉奈はスマートフォンのカメラ機能を起動させた。
悪戯をする犯人を携帯電話のカメラで撮影し、証拠写真として写してやるつもりだった。
再び窓際から窓ガラスに小石が当たった音がした。
莉奈は勢いよく厚手の布の遮光カーテンを開けた。
そして窓に向かってカメラを向ける。その瞬間、目にしてはならないものを目にしてしまった。
そこには目を疑うようなおぞましい光景が携帯電話の液晶画面に映し出されていたのだ。
それは窓の外から逆さまの状態で宙吊りの女性の顔が窓の上からこちらを覗き込んでいるものだった。
この世に恨みある形相で歪んだ顔を見たときには恐怖のあまり心臓が止まるほどの衝撃を受けたのだ。
莉奈はカメラのシャッターを押すこともできないまま、液晶画面に映し出されている女性の目が自分を見詰めているのに絶叫した。
悲鳴をあげて携帯電話から手を離すと、それは床の絨毯の上に音もなく落ちた。
肉眼で、窓に視線を戻すと、窓の外には先程の女性の姿はもういなかった。
莉奈は隔絶するために慌てカーテンを閉めて外部と遮断した。
「何なのよ!」
恐怖感の大きさのあまり感情が混乱して制御できなくなった。
確認のためにカーテンにもう一度、手を伸ばしてみた。
この布を隔てた向こう側を確認して、先程目にした異常な出来事は錯覚なのだという保証が欲しかった。
しかし、このカーテンを引いた時に、先程見たものがまた見え場合には、どうしたらいいのか対処の方法が分からない。
この手に握られたカーテンをどうするべきかの葛藤の渦に呑み込まれ、時間だけが無情に流れていく。
結局、莉奈はカーテンの向こう側を確認することをしなかった。
恐怖心が極限まで達しており、これ以上は自分の理性を正常に維持できない。
気持ちを落ち着かせるために、ベッドの上に再び体を預けた。
突然、部屋の明かりが消えた。
「停電?」
誰も答えるはずはないが、恐怖のあまり口から自然と言葉が出てしまった。
カーテンを開けて外の様子を見たかったが、その勇気が出ない。周りの家も停電しているのかさえも確認ができなかった。
莉奈はスマートフォンに手を伸ばし液晶画面の明かりを頼りにベッドから足を下ろした。
何かがつま先に辺り驚きのあまり悲鳴をあげて足を引っ込めた。
携帯電話の液晶画面の明かりでその正体を確認すると、一階の玄関にあるシューズクローゼットの棚の上に置いてあるはずの日本人形がそこにあった。
「何でここにあるの!?」
莉奈はその日本人形を掴み、先程のコンビニエンスストアで買い物をした時に使用したビニール袋にその忌々しい人形を入れて、二階の自分の部屋から階段を駆け降りて、外へと飛び出した。
裸足で外にある物置の扉を開けて、手にしていた袋を物置の中へと放り込んだ。
気づいた時には先程まで漆黒の闇のような家の中には明かりが灯っており、近隣の住宅も温かな灯りに満たされていた。
安堵して、自分の足元を見ると裸足だということに気づく。莉奈はつい笑ってしまった。こんなに取り乱したことは生まれて初めてではないだろうか。
莉奈は夜風に震えながら玄関に戻った。
自分の目を疑いたくなるような光景がそこにはあった。
確かに、物置へ放り込んだはずの日本人形が玄関のところにいるのである。
莉奈の帰りを待っているかのように、屈託のない微笑を湛えている。莉奈を見詰める日本人形の目はまるで生きている人間の眼球のように生々しかった。
その目を見たとき背筋が凍る思いがした。
莉奈は言葉を失ったかのように声すら出なかった。




