私が殺された理由についての幾つかの出来事
aと私は大学のミステリ研究会で出会った。弱小研究会ではあったが、わりと過激なマニアやオタクが揃うことで有名な不名誉とも言える研究会ではあったが、私はその場所が嫌いではなかった。何者にもなれず、何者かになろうと足掻く人間達が集うそこは、言わば掃き溜めと呼ばれていたが、その掃き溜め構成員として私も同じく殆ど暴言のような感想を日々撒き散らしていた。その中でaは酷く浮いていた。掃き溜めに鶴とは言うが、まさしく彼女は見た目だけで言えば間違いなく鶴であったし、実際今で言うオタサーの姫扱いを受けていた。
ただ、彼女は顧問である恩師が彼女の目の前で『君は何がしたいのか分からんから、俺は君を好きじゃない』と言うくらい本を読んでいなかった。ミステリは勿論彼女は小説というものを殆ど知らなかった。太宰と言えば走れメロス、芥川と言えば賞の名前程度の知識と言えば、分かってもらえるだろうか。後にも先にも彼女が本の話をしたのは、研究会入会時の自己紹介で『雨宮塔子が大好きです!将来はパリに住んでエッセイを書くことが夢です!』位である。それはその場にいた、人の悪口を言わせれば天下一品の猛者30人と恩師を黙らせるには十分だった。
彼女の玉の輿願望はむしろ浅ましさとか醜さというものではなく、それはいっそ清々しく、私は嫌いではなかった。好きかと言われれば、週に一回彼女の家で婚カツや合コンの愚痴を聞く程度には彼女に興味があった。しかしそれは純粋な友情ではなく下世話なゴシップを楽しむだけの歪な関係であり、彼女も壁に向かって話すよりはマシ、程度にしか思っていなかったのだろう。研究会でも彼女の話はブランドやアイドルや映画やゴシップや誰かの彼氏の話がメインで、一部の人間を激怒させ、一部の信者を熱狂的に魅了させた。蛇足ではあるが、彼女は美人だった
美人というよりも、キャラクター的な可愛さがその見た目にはあった。AKBのまゆゆを幼くして、もっと垂れ目にしたような、アニメキャラクターのような風貌とその声はどんな猛者でも攻撃を躊躇うものだった。彼女が横に座ると悪い気はしない、ただ中身が全くないと恩師が私に愚痴った時に『確かにそうだろうな』と私も納得せざるを得なかった。ちやほやされる事が好きで、自分を好いていてくれる人が好きで、お金が好き。ただそれ以上の広がりはそこにはなく、彼女自身もそれ以上の広がりや関係性を求めることはなかった。彼女はそういった意味で
常に取り巻きはいるが、孤独であり、同姓の友人は私以外にいないといった有り様だった。『なんでそんな玉の輿に憧れるの?』と昔私が聞いたとき、aは不思議そうな顔で『皆目標はそこでしょ?良い会社に入るために小学生から受験するのと一緒でしょ?』と当たり前のように言った。『私の家はお金持ちだから、お金に困る生活は考えられないの』という一言は、背中を這い上がってくる寒さと、反対に彼女の家は成金なのかもしれないと私に想像させた。aは外で飲むことはせず、いつも自分の部屋に私を呼び、スーパで買った惣菜と酒を並べて宴会をする
事を好んだ。ただそこに男がいれば『うち散らかってるから、外がいいな』と嘘をつき、メニューの一番高い物から順番にオーダーするという嫌がらせとも思えるような所業を顔色一つ変えずにやってみせた。それに耐えかねた男が『もうさ、キャバクラで働いたら?』と嫌みを言うと困ったような顔をして『……ごめんなさい……』とほろほろ泣き出し、男はあわててご機嫌をとる、というがうちのサークルの形式美だった。私は今でも覚えているが、aが他の女の彼氏を寝とった時、
逆上した元カノが学生食堂でaに水を被せた事があった。暫く食堂が沈黙に包まれた後、aは冷静に周囲を見渡して、私が食べていたカレーにその元カノの顔を突っ込ませその上からaの飲んでいた豚汁をぶちまけた。それは鮮やかとも言える動作で私は勿論、元カノも何が起こったのか直ぐには分からなかった。その後aは丁寧に元カノの顔にカレーを塗りたくり汚れた自分の手を元カノの服でふいて、その場を無言で去っていった。彼女が泣くときは、彼女が狙っている男性がいるときか、自分をまもってくれる
取り巻きがいるときの二つの状態にのみであり、私は彼女が純粋に感情を動かされて泣く姿を見たことがなかった。女の涙はアクセサリーと言うが、彼女ほどその言葉を忠実に再現することは難しいと思う。私はカレーと豚汁まみれの元カノに若干同情しながら、コンビニで食べ損ねた昼食の代わりにゼリーを購入した。これが、私と彼女の数少ない思い出の全てである。彼女はそれから暫くして『学生より社会人』という名言を残して海外に婚カツに旅立った。私は最寄り駅までaを見送ったのだが、その時の彼女はピカピカに輝いていて幸せそうだった
そして話はそこから6年たち、aと私は駅のホームに立っていた。aは相変わらず可愛かったが、その可愛さは学生時代の可愛さではなく、明らかに違う種類の物で。私は呆然と彼女の顔を見つめて、そして『誰か分からなかった』その言葉はざわついたホームで頼りなく風に消えた。aは私の戸惑い等なんのそのと、にこにことしながら『よんちゃん全然変わってないね!』とハキハキした声で私に告げた。加害者と被害者の珍妙に唐突な出会いである。『ねぇ、お腹すいてない?飲もう!』加害者、もといaはなんの屈託もなく私の手を取り歩き出した。
それは断られるとは思っていない自信に満ちた歩みであり、私の手を握りながら彼女は鼻唄さえ歌ってみせた。手を振りほどこうかと一瞬悩んだが、振りほどいた所で好奇心がおさまらないことは分かっていて、たちの悪いことに私は、私と彼女を巡る誰も死んでいない殺人事件の終着点を知りたかった。aの顔は当時と変わっていた。歳月による緩やかな風化ではなく、彼女は彼女の意思で顔を変えたのだろう。aはもうまゆゆでも垂れ目でもなく、立派に成長した、どこの繁華街に出しても恥ずかしくはないキャバ嬢になっていた。
てっきりどこかの居酒屋にでも行くのかと思ったら、彼女はするすると地下迷路のような駅を抜け、某有名高級スーパーで足をとめた。『ワインにしよう!学生時代はチューハイだったけどね。よんちゃんはマカロニサラダが好きでしょ。まだ好き?私はね、大好き。よんちゃんの作ったのには負けるけど、ここのは美味しいと思う』aはバンバンカートにワインやら惣菜を放り込みにこにこと、楽しそうだった。『作ろうか?』私は思わずそういった。そういえばこの子はこういったしゃべり方をする女の子だったなと、唐突に哀愁とも寂しさともつかない感情が
込み上げてきて爆発しそうだった。私は彼女の頭の良くない女の子特有の話し方とか、そのわりに物凄く無邪気な所とか、そんな所が好きだったのだ。多分彼女に翻弄された他の男達と同じく、その恐ろしく不透明でプラトニックな素直さを私は好ましく思っていた事を初めて思い出した。『ほんと!?』aはまさに私の好きだった素直さで瞳を輝かせ、じゃあこれいらないやと先程までカートに入れていた惣菜をそこら辺の棚にぼんぼん捨て置いた。それはまるで幼児が動かなくなった生き物を砂場に放り投げるような残酷さで、私は彼女が彼女のままでいることを
悲しくおもった。aはウキウキとした様子でおもむろにワインの瓶の上に高そうなフライパンを投げ込んだ。『え、なんでよ、家にないの』と私が慌ててフライパンを手に取ると彼女はあの素敵な笑顔で私の度肝を抜かせる発言を口にした。『うん、捨てたの。明日には引っ越すから今部屋空っぽなの。けど冷蔵庫はあるからお酒は冷やせるよ』目眩がした。『え、引っ越すの?』『うん、東京に。元々行ったり来たりしてたんだけどね』『え、じゃあそれなら惣菜買おうよ』aは途端に玩具を取られた子供のような顔になり不満の声をロングトーンで出してみせた。
『いやだよ、やだ』彼女のそれは昔となにも変わっていなかったが、若干目元が引き付けを起こしたようにひくひくと動いたのを見て、やはり彼女が整形をしている事を認めなくてはいけなかった。『わかった、じゃぁ外で飲もう』そっちの方が安いよと私がいうとaはふと何かが堕ちたように真顔で少しの間沈黙し、お水の女性特有の静けさと深刻さを含んだ声で『私外で飲めないの。見られたら嫌なことされるから』私はその時、なんとなく恐ろしい予感がした。それが、彼女が私を殺した理由と繋がっているとは、私はその時まだ知らなかった。
結局私達はその後、キャンプ用品店により、鍋焼うどんを作るような簡易のアルミ鍋を買った。『これなら捨てられるし、安いから』と私が言うとaは『キャンプみたい!』とはしゃいだ声を出してその場でスキップをして見せた。私は彼女のその動作を見ながら、彼女もまたどこかで自分を殺して来たのかもしれないとうすらぼんやり恐ろしさを感じた。その後私と彼女はタクシーに乗り、彼女のマンションへと向かった。それは高級住宅地へと続いており、aのマンションはその中でもとびきり高そうなマンションだった。
aの言った通り、彼女の部屋は冷蔵庫を残して何もなかった。4LDKという一人で住むには広すぎるその部屋は限りない沈黙と不吉さが広がっていて、まるでお墓のなかにいるようだと感じた。バシュっ、と弾けるような音がして後ろを振り向くと、aは鍋や食材の入ったビニール袋を持ったまま冷蔵庫から取り出したビールのプルトップを開けていた。『あのさ』aは乾杯も言わずにごくごくとそれを飲み干して私に言った。『よんちゃんは死んだんだと思ってた』加害者はそこから物語を語り始めた。それは私の御話ではなく、彼女を巡る数奇な物語の始まり。