私が殺された理由についての幾つかの出来事
一から十まで説明すると本当に長い。できれば省略して説明した方が良いのだと思うが、どこかを省略すれば多分この話その物の意味がなくなってしまう、と思う。ではこの話その物にどんな意味はあるのかと問われればそれはそれで困るのだが、これは私の大学から今に至る大体9年間を巡る一つの友情に別れを告げた3日間であり、一人の女性が夢をあきらめるまでの大冒険の話である。怪談かと聞かれたら、違うのかもしれない。始まりは3日前にかかってきた一本の電話だった。『…………お前生きてたのか』
『……どちら様ですか』年明けから禁酒という名前のダイエットをしていた私の朝はわりと早い。そのせいでというか、そのおかげでというか、うっかりナンバーも確かめずに電話に出てしまったのは幸なのか不幸なのか。電話の相手は大学時代所属していたミステリ研究会の顧問で、私のゼミの教授でもある恩師だった。『10年ぶりか』『いえ……9年ぶりですね……どうかされましたか、まだ朝の6時ですよ……』『お前○○だよな』恩師はその当時、私が恩師の授業でのみ使用していたペンネームを告げた。これは恩師と私の一つの暗号のような物だ。
久しぶりに聞く、恩師のわりと本気なトーンに若干不安になりながら『そうですよ』と告げた。恩師がその名前を呼ぶときは、酒を飲んでいる時か文学批評の時か滅茶苦茶怒っている時かのどれかであり、恩師の声はそのどれでもなく、それが妙に恐ろしく、私は狭い部屋で電話を握りしめ一人きりで静かに鳥肌をたてた。『なんかありましたか』爽やかな朝の部屋に、私の不吉な声が響いた。恩師は私が私であると確信したのか、電話越しに小さくため息をついた後『…………お前、5年前から死んだことになってるぞ』
私は言われるままにほうじ茶を買い、フォークを食堂から借り、恩師に渡した。『で、どういった経緯で私は死んだことになったんですか』恩師は嬉しそうに、そこそこの金額がするカステラにフォークを突き立てて語った。それは実に奇妙で、そして偶然が無数にも絡み合った話だった。私はあまり神様とか、まぁそう呼ばれるようなもろもろの存在をあまり信じてはいなかったが、この偶然はさすがに何か人の世の中を超越した意志が働いたとしか思えない話で。ここからは自分語りになるのだが、私は大学卒業後、数人の連絡先を残して携帯を解約した。
私はその当時作家か、或いは物書きのような何かになりたかったのだが、大学生活の数年ですっかりやる気をなくしてしまった。溢れんばかりの才能や文才に長けた猛者どもが、私の苦悩をはるかに越える輝きで毎年どんどん投入されていく様にすっかりやられてしまったのだ。その際少々ダウナーにもなり『こいつ死ぬんじゃないだろうか』と友人にも恩師にも心配をかけた。そして、私は大学を卒業すると同時に筆を折る覚悟を決め『今まで関わった文学者を含むすべての人間関係、また私の書いてきた作品全てをリセットする』事を目的に【不在者】となった。
元々『死ぬんじゃないか』という人間が携帯を解約し、一切の連絡を取らなければ、当たり前ではあるが『死んだ?』と周囲に思われても当たり前で、正直私はそれはそれで良かった。『……経緯は分かったんですが……』『いや、そうじゃなくて』もぐもぐとカステラを租借しながら恩師は私の言葉を遮った。『さすがに俺もそれだけでお前が死んだとは思ってなかったわ、物的証拠が少ねぇし、じゃなくてな』私が全ての連絡を絶ち卒業した3か月後、恩師の前に私の友人でもあり、恩師が顧問をつとめていたミステリサークルの女が恩師を訪ねてきたのだ。
そこから話は前後するのだが、昨日、雨宮塔子のエッセイの感想を書いた女と出会った、とつぶやきに投下した話とリンクする。恩師を訪ねてきたのは『もう、そこまで頑張らなきゃいけないんだったら、結婚しなくて良いや』と周囲に思わせるほどに学生時代から婚カツに非常に熱心で、所謂玉の輿を狙い、単独【バリ開催!年収2000万円以上男性のみ、婚カツ】に乗り込んで音信不通となった友人だった。彼女は大学3年の時にその婚カツに夏休みを利用して行き、それから消息を絶った。大学にも来ず、実家に連絡しても誰も出ないという凄まじい状況で
それこそ私を含む友人や教授が連日新聞で彼女の片鱗がないか探すほどの消滅っぷりだった。しかも実家にも連絡は取れず(学生課が何らかの処理をしているので、もしかしたら実家とは連絡がとれたのかもしれない、ただ学生だった私たちには、その事実までは分からなかった)、本当に『もしかしたら……』と誰もが思い、その事実を色濃く残し、彼女が失踪してから1年が過ぎた状態で彼女は恩師の前に現れた。『あれは驚いたな』恩師は私の買ってきたほうじ茶を飲み下しながらぼんやりとつぶやいた。彼女は大学を除名となっており、中退扱いとなっていた
彼女は恩師の前で急に居なくなった非礼を詫びて『結婚は出来ませんでしたし、大学を卒業は出来ませんでしたが、これから私は私の道を歩こうと思います』と告げたそうだ。恩師も恩師で聞きたい事はあったが、あまり聞かない方がもしかしたら良いのかと何も尋ねなかったそうだ。ただ、彼女が恩師の前に現れたとき、彼女はスーツを着ていたので最後彼女が去る際に『就活か?』と問うと『いえ、お線香をあげに』『はぁ、誰のかな』『……よんのさんです、一人で何も言わず、絶たれたそうです』恩師はそのまま何も言わず、彼女を見送ったそうだ。
『あの後俺は死ぬほど飲んだぞ。俺の生徒が死んだんだからな、多分6万位飲んだな。他の先生も泣いたぞ。なんせお前は問題児だったからな』と物凄く嬉しそうにカステラを食べる、もういっそ無邪気とも言える笑顔で恩師は言った。『だからお前この後俺と○○先生の所に行こうな。あいつも泣いてたぞ。驚くだろうなぁー、あいつ4万円位泣きながら飲んでたからなぁ』私はほとんど椅子からずっこけながら『ああそうですか』とだけ言った。ああそうですか、位しか言うことが見つからなかったのだ。『…………なんで今更私が生きてると思ったんですか』
それに対する恩師の発言は衝撃的だった。『お前読書メーターやってんだろ』冗談でも比喩でもなく、本当に意識が途切れそうにった。嫌な汗がどんどんと背中に沸いてくる。普段私の感想やらつぶやきやらを見ている人は分かるだろうが、本当にろくでもないことしか書いていないからだ。【シラを切ってこのままアカウント削除してやろうか】とすら思ったし、実際そうする気でいたのだが、それを押し止めたのは、悲しいことに好奇心だった。『してないですよぅ』と言えばこの話は間違いなくここで終わるが、真実を知らないままに私の珍妙な一日が終わる
それは嫌だった。卒業してから【二度と訪れる事もなければ書くことも最早なかろう】と、それこそ少ない貯金を崩して酒に溺れた卒業式のあの日の私に、それはとても申し訳ない。そして、何よりこの好好爺を騙せる自信が私にはなかったのだ。『……はい』私は殆ど倒れそうになりながら二文字の言葉を絞り出すと、恩師は『読んだよ』とだけ短く言った。それは、私が今回と同じく、長文テロのようだと揶揄した怪談紛いのつぶやきだった。『あれな、お前があのつぶやきのせた日にな、○○から連絡があってな』○○とは私のサークルの先輩である。
過去に実話怪談作家志望だった先輩は(今はサラリーマンらしい)、過去に私が書いた作品を何作か読んだ事がある。彼自信は読書メーターに登録はしていないのだが、彼の嫁だが彼女だかセフレだか(女遊びは昔と同じく健全のようだ)が私のつぶやきの内容を彼に話したか見せたかした時に『……なんか……聞いた事のある話だな……』と思い、恩師に『これこれこういった事があったので、盗作の可能性もあるので感想を伺いたい』とスクリーンショットを送り、連絡をしたそうだ。『お前だと思ったよ、あの自己陶酔気味の文章とか、雑な話の作りとか』
あれほどSNSの恐ろしさを思い知ったのは初めてだった、それと同時に【ああ……変わってねぇなぁ、私は】と思ったのも初めてだった。『そんで』と恩師は半分くらいなくなったカステラを前にげっぷをし『カレーとか食いたいな』とつぶやいた後に、こともなにげに恐ろしい言葉を言い放った。『お前の家に連絡した』二回目の絶叫である。暫く私の絶叫を堪能した恩師は『お前声量あるなぁ』とはす向かいの感想をよこした後『死んでるってのも結局人から聞いた話だしな、後お前一回も来てないけど同窓会が今年もあっから、その確認を学生課に
してもらったんだよ。実家の住所も変わってたから諦めたんだけど、お前の親父と知り合いだって編集者が○○先生の知り合いでな。名字が同じだからまさかとは思ったんだが、お前んちの実家引っ越したって聞いて紹介してもらったらビンゴだったな』恩師は『人の縁ってのはすごいな』と頭をかきながら言ったが、それこそ【なんてこったい】と私も思った。おいおい、親父からそんな話は聞いてないぞと思ったが、うちの親父は職業柄人と会うことが多く、よく考えればこの学校の教授と繋がりがあってもおかしくはない
『そんでお前の番号聞いた。しかしお前んちの親も適当だな。酒の強さとあの適当さ加減は完全に遺伝だな』私は殆ど倒れながら『そうですね』ともう放送されていない昼番組の合いの手のようにつぶやいた。その後の事は割愛する。色んな学科の教授の研究室を好好爺と二人で練り歩き怒られたり泣かれたり笑われたりしながらその日の午後は過ぎていった『また飲みに行くか』と言った恩師の笑顔に疲れはてた私は、それでもこれだけはと聞いた。『彼女の連絡先知ってますか?』私を死者とした彼女である。彼女の事はここでAとする。
『知らんな、というか聞けなかった。お前が死んだって聞いて呆然としてたし、そもそもあいつは本好きでもミステリ好きでもなかったし、中退した生徒だったしな』忘れろと恩師は短く言った。『忘れた方が良い。お前は友達だと思ってたかもしれんが、どんな理由であれ、友人を死んだなんていうやつはろくでもないからな』私は何も言わなかった。私の方こそ彼女を友人として愛していたかと問われると、多分そうではなかったからだ。婚カツに一生懸命で玉の輿に乗ることしか考えず、男と見れば年収は幾らかを探る彼女を、私は漫画を見るように楽しんでいたからだ。友人では、きっとなかった。『こいつ面白いからネタになるかな』という私の浅はかな面白さのみで、私は彼女を手元に置いたのだ。だから、私が実質上の自分を消した時、彼女の番号も消した。私達はそのくらいのもろい関係性でしかなかった。
散々私を見世物にして笑いや涙を誘った恩師は私を校門まで見送ってくれた。本当は飲めりゃ良いんだがなと、残念そうに笑った後に『ただな、あの時、お前が死んだと聞いた時は【やっぱりな】と思ったんだよ。お前はお前が変な分だけ変な人間を捕まえるんだよ。お前の親父と会った時は、こう、スコンと抜けた突出した変な人だったから、ああ確かにこの一族はその変な血縁を受け継いで苦しむかも知らんなぁ、と思ったわ。だけどお前は不器用で馬鹿なんだから、今後物を書くとしても死ぬんじゃないぞ』その時私は少しだけ泣いた。
少しだけ泣いて、私は帰りの電車に乗った。学生時代、物を書いていて泣いたり叫んだり吐いたり笑ったりしたあの瞬間は嘘でもお芝居でもなかったんだと、少しだけ楽になった気がした。あの時の自分にもしも会えたとしても、私はきっと通りすぎるだけで何も言わないと思うが、卒業してからの5年間、一度死んだ事になっていた私は、もう一度書こうと思った。それが自己満足でも趣味でも、誰にも読まれなかったとしても。私は、それでも良いと思えた。という非常に自分に酔った事を考えながら、私は若干浮わつき疲れた思考で電車をおりた。
アルコールが暫くの間入っていないにも関わらず、酩酊状態にも似た私はホームで暫くの間、私の家に繋がる路線を眺めて電車を待っていた。『……○……さ…………○○さん?』耳なりにもにたようなざわつきと駅名を繰り返すアナウンスが煩い。だから、私は私の名前を呼ばれている事に気がつかなかった。『よんのさん?』耳元に近い場所で私の名前を呼ばれ、私はばっと耳を押さえて振り向いた。『あ、やっぱりよんのさんだ』とにこにこと、声をかけた持ち主は手を顔の近くでふった。私は耳を押さえたまま数秒間息をとめてその手を見つめていた。
『Aだよ』彼女は手をふりつつけながら言った。揺れる指を見ながら私は神に祈った。私が生きて駅のホームに立ち呼吸をしている事が間違いでないのであれば、或いは5年前にもしも私が本当に死んでいるのでなければ、これは作られた事実であり、奇跡と人は呼ぶのだろう。グロテスクな偶然に怯えながら、私は彼女の名前を呼ぶために唾を飲んだ。これは私が過去に友人と呼んだ女にさよならを告げるまでの話であり、名前ばかりの友人が私を仮想事実の中で殺さなければいけなかった理由の供述であり、恋とか愛とか夢を巡る大冒険の最終話でもある。