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上巻

パリ空港のその日は、見事なまでに快晴だった。


マリアンヌは空が青いとそれだけでとても気分がいい。


世界がいつもよりも明るく平和に見えるからだ。


その澄んだ空の下、客室乗務員の彼女はいつものように出社をし、いつものように航空機に乗り込んだ。


しかし彼女のさわやかなまでに晴れた心は、乗客が搭乗した時に、完全に曇ってしまった。


いや曇りどころの騒ぎではない。


大嵐と言っても過言ではなかった。


その顔つきやあるいはファッションなどで、見るからに普通でない客や、そして一見普通の人間に見えるがフライト中になんだかのトラブルを起こす客などは、それほどは珍しくはない。


マリアンヌはそのての客の扱いには慣れているつもりだ。


しかし今日飛行機に乗ってきた客は、彼女の十年以上にわたる客室乗務員の経験からしても、今まで一度も見たことのない客であった。


それは団体客である。そのうちの一人だけを一瞥したのであれば、それほど悪い印象は持たなかったであろう。


むしろ好印象をいだいたかもしれない。十二人いることが、一番の問題だった。


十二人は全員が、見るからに値段のはりそうなブランド物のスーツで身をつつんでいる。それはみな同じスーツだった。


そしてその十二人は、全員身長が同じくらいであった。


目測ではあるが、おそらく2メートルを少し超えているように見える。長身である。


そしてその十二人の年齢は、全員二十五歳くらいに見えた。


そしてその十二人は全員の顔が、ほとんど同じであった。


マリアンヌも今までの人生において、一卵性双生児、いわゆる双子と呼ばれる人達は、何度か見たことがある。


学生時代の同級生にも一組いたし、今住んでいるアパートの一階下の階にも、十二歳の双子の男の子がいる。


だから彼女はその十二人を見たときに、一瞬十二ッ子かと思った。


しかし一卵性双生児と比べれば、そこまでは似ていない。


かといって一般的な兄弟と比べれば、かなりにている部類にはいるだろう。


そういう微妙というか中途半端な似かただ。


おまけに全員が同い年に見える。


そんな十二人が、飛行機の座席の一角に、集まって座っているのである。


金髪のその髪は長くもなく短くもなく、きれいにカットされている。


そしてその顔といえば、かなり整った顔をしている。美男子といってもさしつかえはないだろう。


マリアンヌは、ハリウッドスターのブラット・ピットに少し似ていると思った。


おまけにその十二人は、十時間以上にわたるフライトの間、まるで蝋人形のように固まった表情のままで、ずっと前方の一点を凝視し続けていたのだ。


どう見ても血族の集まりとしか思えないにもかかわらず、会話と言うものが一切なく、全員が沈黙の行を守り通した。


トイレにも一度も行かず、食事も飲み物もひとつも取らず、客室乗務員が何度話しかけても完全に無反応である。


膝の上に両手をきちんとそろえておいたままで、小指の一本すら動かさない。


シートベルトも最初から最後まで、しめたままだった。


歩いて自分の席に行く姿を見ていなければ、きっと人間の変わりに人形が置いてあると思っただろう。


そしてその十二人全員から、人間が本来持っている生気というものを、全く感じることができなかった。


マリアンヌは子供の頃から人一倍感受性が強かった。


いわゆる善人とは言えない部類の人達から、悪い波動を感じてしまうことが多々あった。


しかしその十二人の波動はそんなマリアンヌでも、今までに感じたことのない波動だった。


それは何か人間ではない、別のものの波動のような気がする。


とにかく普通の人間とはかなり違う感じだが、良くない波動には違いなかった。


しかしその波動は、よくない波動にはちがいないが、その量は極めて少なかった。


しかし量ではなく、質のほうが問題だ。


その波動は少ないながらも極めて濃密で、異常なほど強力だ。


例えるならば、たった一滴で千人もの人間の命をうばうことの出来る猛毒のような、そんな波動である。


彼女にはその波動は、黒く深いもやに感じられた。


マリアンヌはフライトの間どんどん気分が悪くなり、そのうちに頭痛や吐き気までもよおすようになっていた。


そしてもう限界と思われた頃、飛行機がようやく日本に着いた。


その十二人は、他の乗客達の視線をいっせいに浴びながら、機を降りていった。


「やっと降りたわね。いったいなんなのよ、あの気味の悪い団体は。あんなの今まで見たことがないわ」


そう毒づく同僚の横で、マリアンヌはその場に崩れるように倒れた。





九龍龍夜と九龍ゆづきの二人の住む神社の前で、ただひたすら日本刀を振っている男がいる。


新米もののけ狩り師の二階堂進である。


振っているのは魍魎丸であった。


その昔に土地神と妖怪が合体し、そのまま日本刀に封印されたもので、生きている日本刀である。


二階堂は休むことなく魍魎丸を振り続けている。


その時神社の前にある石段を、一人の少年が登って来た。


九龍龍夜である。長い黒髪の目の大きな少年であった。


龍夜が二階堂に言った。


「よお、おっさん。頑張ってるね」


二階堂は答えなかった。一心不乱に魍魎丸を振っている。


二階堂が、本来は龍夜が使用すべき魍魎丸を使って剣の修行にはげんでいるのには、訳があった。


それは前回のドラゴンの子との戦いに置いて、龍夜が右手を火龍に、左手を水龍に変化(へんげ)させ、九龍一族の秘術である龍変化の術を習得したからに他ならない。


両手を龍に変化させてしまえば、逆に魍魎丸は扱えなくなる。


もしそうなってしまえば、魍魎丸を使う人間がいなくなってしまう。


魍魎丸は自ら動くことが出来き、前回の戦いにおいてもその能力が役に立ったこともあるが、やはり剣術に優れた人間が使うほうが、その戦闘能力は高い。


したがって並の敵の場合は龍夜が魍魎丸を使うが、敵が強くて龍夜が龍変化の術を使う時は、二階堂が魍魎丸を扱うことになったのである。


そういった訳で、二階堂が魍魎丸を振って修行にはげんでいるのだ。


魍魎丸は普通の日本刀と比べれば、桁違いに強力な武器である。


それは魍魎丸が生きているからに、他ならない。


ただ生きているがために、魍魎丸とそれを扱う者との呼吸がぴたりと合わなければ、逆に普通の日本刀の方が使い勝手が言いということになり、結局宝の持ちぐされになってしまうおそれがある。


今二階堂は、なんとか魍魎丸の癖と言うか生きたリズムをつかみ、それに合わせようとけん命だった。


そして魍魎丸はといえば、普段はかなりマイペースな性格であるが、本来は生真面目な心の持ち主でもあるので、二階堂のリズムを習得しようと、これまた真剣に取り組んでいた。


龍夜もそのへんのところは、ちゃんとわかっている。


だから二階堂がまるで彼の言ったことを無視するかのように返事をしなかったにもかかわらず、いつもなら間違いなく入れているであろう派手なツッコミをしなかった。


ただ一人と一匹を黙って見ていた。


やがて二階堂が“ふうっ”と大きな息を一つつく。そしてようやく龍夜の存在に気がついた。


「おう、来てたのか。いつのまに。全然気がつかなかったな」


龍夜が笑いながら答えた。


「来てたのか、じゃねえだろ。さっきちゃんとこの俺様自ら、有り難くお声おかけてやったぜ。


それなのに無視するなんて。おっさん、いつからそんなに偉くなったんだい」


「いや、すまんな。さっきも言ったが、練習に夢中で全然気がつかなかったんだ」


「それはわかってるぜ。だからその後は、黙ってご静観していたところだぜ」


「そうか、それで何の用だ」


「おいおい、おっさん。何の用だ、はねえだろう。ここは俺の家だぜ。おうちに帰って来ただけじゃねえか。


全く、何言ってんだよ。まさかその年で、もうボケが始まったんじゃあないだろうな」


「いやいや、ボケてるわけじゃあないんだが……」


その時、神社にある左側の小さな引き戸が開いて、中から十歳くらいの少女が出てきた。


その少女の服は、巫女が着るような服に少し似ているが、それに比べると少々派手な服装であった。


そして驚くほど美しい少女だ。


九龍ゆづきである。ゆづきが言った。


「龍夜様、おかえりなさいませ。二階堂様、ごせいが出ますね。ご苦労様です」


「おい、ゆづきよ、わしもこのへたくそにずっと振り回されて、十分に疲れておるんじゃがのう」


「あら、魍魎丸。それは気がつきませんでした。どうもお疲れ様です」


二階堂が少し口をとがらせる。


「おいおい魍魎丸、へたくそはないだろう、へたくそは。これでも昔は、剣道の全国大会に県の代表で出て、いいところまでいったんだぞ」


「そんな大会がなんじゃ。何であろうと、へたくそはへたくそじゃ」


龍夜が便乗してきた。


「そうそう、へたくそはへたくそだぜ。それ以外のなにものでもないぜ、へたくそおじさんよ」


ゆづきが先ほどよりも強い口調で言った。


「龍夜様、魍魎丸。もうそれくらいにしなさい」


「……」


「……」


二階堂が笑い出した。


「相変わらず龍夜も魍魎丸も、ものの見事にゆづきの尻に引かれてるなあ」


「おい、おっさん、うるぜえぞ」


「そうじゃ、うるさいわい」


ゆづきがさらに強い口調で言った。


「龍夜様、魍魎丸、もういいかげんにしなさい」


「……」


「……」


二階堂はおかしくてたまらなかった。





市の中心から少し離れた所、高い山のふもとにあたる所に大きな集合団地がある。


そこに住む松田かおりは、赤ん坊をあやしていた。


周囲の反対をものともせず、夫と駆け落ちまでして、ようやく手に入れた家庭であり我が子である。


そんな大恋愛の末に結婚した彼女は、今十分に幸せだった。


二人の愛の結晶である我が子は、まだ四ヶ月だ。その小さな女の子が、彼女は愛しくて愛しくてたまらなかった。その愛娘は、今は小さな寝息をたてている。


――ふうっ、やっと寝たわ。あら、もうお昼だわ。どうりでお腹がすくわけね。お昼ごはんのしたくしなくちゃ。


彼女は台所に行くと、自分の昼食の準備を始めた。


とは言っても、夫は会社に行っており、彼女一人が食べる分だけを作ればよかった。


だからいつものように、少し多めに作っておいた朝ごはんを、電子レンジで暖めなおすだけである。


彼女が赤ん坊のそばを離れたのは、ほんの四、五分のことだっただろう。


愛娘の様子を見ながら食事をしようと、お盆に乗せた昼食を持って、赤ちゃんの所へと戻ってきた。


最初の数秒間は、彼女にはそれが何を意味しているのか、いったい何が起こったのか、理解できていなかった。


あまりにも思いがけないことが起こったからだ。


ただじっとベビーベッドを見ていた。


そしてベビーベッドの中には、赤ん坊はいなかったのである。


彼女はようやく事の重大さに気がつき、小さな叫び声をあげた。


彼女の手から昼食が落ちた。





その日の夜、各局のテレビのトップニュースは、全て同じ事件を扱っていた。


とある市の郊外にある大きな集合団地において、そこに住んでいた赤ちゃんや幼い子供たちが、何人も同時にその姿を忽然と消した事件である。


その事件は、まるで雲をつかむような話であった。


その子供達の家族の、とは言っても全員母親一人であったが、いるアパートの部屋の中において、十二人もの子供達が、文字どおり煙のように消えてしまったのである。


母親達はみな同じ証言をしていた。


自分が子供達から目を離したのはほんの数分のことであるし、怪しい人影など誰一人見なかった、と。


誰か人が侵入した形跡がいっさい見当たらない状況の中で、下は二ヶ月の男の子から上は四歳の女の子まで、十二人もの子供達が泣き声をあげる暇もなく、いきなり忽然と消えてしまったのである。


事件からまだ半日も経っていないとはいえ、その時点で警察は、何一つわからず何一つ発見できず、まさにお手上げと言う状態になっていた。


日中のことではあるが、最近このアパートで空き巣の被害が出たために、用心のため鍵がかかっていた部屋が多いという中で、犯人は赤ん坊を連れ去った。


部屋の鍵を開けることもなく、家人に目撃されることもなく、一切の証拠を残していない。


いったいどんな奴が、いったいどんな方法を用いて、子供達をさらっていったと言うのか。


警察は皆目検討がつかずにいた。





龍夜は、いつもゆづきが座っている部屋のさらに奥にある部屋で、ゆづきといっしょに夕食をとりながら、テレビのニュース番組を見ていた。


その部屋は元々は日本間の六畳間の部屋であったが、龍夜が「畳の部屋は、いろいろと不便で使いづらい」と言い張ったので、畳の上にわざわざホームセンターで買って来たフローリングの板を、部屋全体に敷き詰めている部屋である。


普段は龍夜が自分の部屋として使い、彼が寝るのもその部屋だが、食事だけは朝、昼、夜と、そこでゆづきと二人でとるのが習慣になっていた。


それはゆづきがいつも据わっている広い日本間は、ゆづきの部屋であると同時に客間でもあるがために、食べ物などで汚さないようと考えられたものである。


龍夜がテレビを見ながら、ついでに言えば口の中にまだ食べ物をほおばったままで、ゆづきに言った。


「もぐもぐ、ゆづき、この事件、どう思う」


しばらく考えた後で、ゆづきが答える。


「おそらく、人間の仕業ではございませんね」


「やっぱりおまえもそう思うか。俺もそう思う。で、もぐもぐ、何か感じるか」


「いえ、今のところは、何も感じませぬ」


「そうか。まだ始まったばかりのようだしな。まあ無理もないか。で、何か感じた時は、いつものように頼むぜ」


「はい、わかりました、龍夜様」


「それにしても、ど派手なもののけだぜ。あいつら普通は、人間に自分の存在を知られないように気を使うものだが。全国ニュースのトップで取り上げられているぜ。もぐもぐ、それでいいのかほんとに」


「……」


テレビでは、ニュースはすでに次の話題へと写っていた。


しかし二人は何も言わずに、そのままテレビの画面に見入っていた。





翌日、龍夜達のところに、二階堂がやって来た。


「おーい、いるのか」


その声を聞いて、神社の左側の小さな戸を開けて、龍夜が顔を出してきた。


「えーと、あのう、どちら様でしょうか。今はおとうさんがいないんで、僕、何にもわかりません」


「……とにかく、今回の件について話をしに来た。中に入るぞ。……で、おまえ、平日の昼間からしっかり家にいるけど、学校にはちゃんと行っているのか」


「学校?おじちゃん、何それ。食べられるの? おいしいの?」


「まあ、とにかく入るぞ」


「はーい、ようこそいらっしゃいました。ウエルカム・マイハウス。ダンディなおじ様一名様ご案内」


二階堂はそれ以上の返事はせずに、そのまま中に入った。


返事をしていたのでは、いつまでたっても終わらないと思ったからである。


中にはいるといつものようにゆづきが座っていた。


「ようこそおいでくださいました、二階堂様。どうぞお上がりください」


日本間に上がると、すでに紫色の座布団が二枚用意されていた。


二階堂はその右側の座布団に座った。


「さすがだな。不意に訪ねてきたというのに。俺が来ることが、わかっていたみたいだな」


「はい、わかっておりました」


龍夜が左側の座布団に座った。


二階堂が最初に来たときに、右側の座布団に座ったのはたまたまであったが、それ以来二階堂が右の座布団、龍夜が左の座布団を使うという、暗黙の了解ができていた。


二階堂が言った。


「時間がない。仕事の途中だ。早速本題に入るとしよう。今回の件、子供達が一度に何人も煙のように消えてしまった事件だが。俺はこれには、なにかあやかしの物がかかわっていると思うんだが。ゆづきはどう思う」


ゆづきが二階堂の顔をしっかりと見ながら答える。


「はい、おそらくあやかしの物がかかわっていると思われます」


「で、何かわかったのか」


「はい、とは言ってもほんのわずかでございますが」


龍夜が口をはさんできた。


「ゆづきは少し前に、まだ何もわからない、と言っていたが」


ゆづきがそれに答える。


「はい、おっしゃるとおりです、龍夜様。それはあの時は、本当になにもわかっておりませんでした。ただあの後でございますが、ほんのわずかばかりではありますが、視えたものがございます。


そして今日、二階堂様がお見えになることがわかりましたので、二人の視たものを会わせまして、龍夜様に報告したほうがよろしいかと思いまして、あえて申さずにおりました」


「ふーん、二人の視たものね」


「はい、二階堂様も何か視えたものがあるようでございます。そして二階堂様と私の視たものでは、少しばかり違っているようでございます」


二階堂がゆづきに言った。


「俺とゆづきの視たものは、違っているのか」


「はい、違っております」


「そこまでわかるのか。さすがだな。ではここは先輩もののけ狩り師の顔を立てることにしようか。ゆづきの視たものを、先に言ってくれ」


「はい、わかりました、二階堂様。お言葉に甘えまして、先に申し上げます。私の視たものは、ただ一つです。それは“上に十二人”でございます」


龍夜が少し慌てる。


「上に十二人? 十二人というのは、今回の敵の数のような気がするが、上に、と言うのは、いったいどういう意味だ?」


「龍夜様、残念ながらそれはわかりませぬ。言えるのは、私が見たものは、上に十二人。ただそれだけでございます」


二階堂が二人の顔を見比べた。


「俺が視たものは、真ん中に一人、そして下に十数匹、あるいは数十匹、というのを視たが」


龍夜がしばらく考えた後に再び口をはさむ。


「二人の話を合わせると、上に十二人、真ん中に一人、下に十数匹、あるいは数十匹ということになるな」


二階堂は考えた。


「いったいどういうことだろう」


ゆづきがゆっくりと言う。


「私は、上に十二人、ということが視えておりましたが、その、上、と言う意味が、その時はよくはわかりませんでした。しかし今二階堂様が、真ん中に一人、下に十数匹、あるいは数十匹と言われたのを聞きました。この二つを合わせますと、私が考えるにはおそらく、ある種の組織図ではないかとおもわれますが」


龍夜が言った。


「組織図というと、それは会社とか、あるいはなにかの団体とかに、よくあるようなやつか」


「はいそうでございます、龍夜様。まだ推測の段階ではありますが、おそらく前の戦いにおけるドラゴンの子のような存在が十二人いて、そしてその下に一匹、さらにその下に多くのもののけ達が、十二人の下僕として存在しているのではないかと思われます」


二階堂がそれまでよりも少し大きな声をだした。


「そうか、わかった。おそらくゆづきの言うとおりだろうな。真ん中とか下とか、俺もここに来るまではゆづきと同じで、その意味がよくわからなかったんだが、ようやくわかった。もののけどもの組織図だったんだな」


龍夜がゆづきの顔を見ながら確認するように言う。


「そうだとすると、上、中、下全て合わせると、その力はよくわからないが、とにかく数は多いな。多分これは忙しくなるぜ。ゆづき、ご苦労だがまた探ってくれ。で、おっさんも、ついでにな」


「俺はついでかい」


「まあまあ二人とも、それくらいにしてくださいませ。龍夜様、何かわかりましたら真っ先にお知らせいたします」


「はーい、よろしくな」


「俺も署に戻って、仲間から情報を集めてくる。はっきり言って、あまりあてにはならんが」


「おっさんは調査してないのかい」


「俺は殺人課の刑事だ。先のことはともかく、今は管轄外だ」


「またあ、管轄外だなんて。これだから公務員はいやなんだよなあ」


「おい、民間だってどこだって、管轄くらいはあるだろう」


「もう二人とも、おやめなさいと言っていますのに」


「はーいかわいいゆづきちゃん、わかりましたー」


「もうほんとに、こいつだけは。で、話は変わるが、龍夜、ゆづきもだが、気になることがあるんだが。お前たち、特にゆづきだけど、学校へは行ってるのか?」


「学校? それどこの名産品?今度持ってきてね」


「聞いた俺がバカだった」


ゆづきが少し恥らいながら答える。


「二階堂様、すでに龍夜様からお聞きになっているかもしれませんが、私達二人は、住民登録をしておりません。法律上は日本国民ではないのです。したがって学校へも行っておりません」


二階堂が半ばあきらめたかのような顔をした。


「まあ本来ならそんな奴は、ちょっと署まで来てもらうんだが、お前たちなら仕方がないかな」


龍夜がにやにやしながらつっこむ。


「おーい、ゆづき。おえらい刑事さんから、ご公認をいただいたぞ。ありがたくちょうだいしとこうぜ。これで大手を振って、不法滞在できるぜ」


「こら、別に公認したわけではないぞ。


見なかったことにするだけだ」


「まあまあ龍夜様も二階堂様も、どうかそれくらいでお願いします」


「わかってるよ、ゆづき。それじゃあ今日はこのへんでな。相棒が首を長くして待ってるからな」


「ああ、あの愛しい愛しい美少年の笹本君ね」


「……じゃあゆづき、またな」


「はい二階堂様、またのおこしをお待ちしております」


「おいおっさん、この俺にはお別れの挨拶は、なしかい」


二階堂は龍夜を無視して、軽く笑いながら部屋を出て行った。


後には龍夜とゆづきが残された。龍夜が言った。


「なあゆづき、相手がどんな奴か、今はよくわからないが。とにかく今回は忙しくなりそうだな」


「はい龍夜様、本当に忙しくなると思います」


「わかった。まあ、とりあえずがんばってみるか」


「はい、龍夜様。ご活躍を期待しております」


二人は顔を見合わせた。そして二人とも微笑んだ。


このとき二人は、今回の相手がどれほどやっかいな相手であるのか、全くわかっていなかったのである。





はるか人里を離れた山奥。そこに高い崖がある。


そこに突然大勢の人間が、何の前触れもなくおしかけて来た。


全員背の高い白人の男性で、ブランド物のスーツを着ている、ほとんど同じ顔をした集団である。


そしてその数は十二人であった。


全員まるで蝋人形のように硬い表情で一言もしゃべらず、それでいてみんなでまわりを探るかのように見わたしていたが、やがて何かに納得をしたのか、お互いに顔を見合わせた後、にたりと笑った。


その笑いは、仮に人間だとしたらとても不自然、と言うよりありえない笑い顔であった。


笑った途端にそれに伴って、それまでそれほど大きくなかった口が、耳の近くまで裂けた。


それと同時に両の目が、大きく左右に動いた。


どちらかと言えば寄り目であったその目が、逆にその間隔が大きく開いたのだ。


鼻の穴も大きく広がり、何倍もの大きさになった。


その顔の動きは、人間の筋肉はおろか骨格さえも無視した動きであり、顔全体がナメクジのような軟体動物のように動き、とても人間業とは思えない動きである。


その十二人はしばらくお互いの顔を見ながら、声を一切発することなく笑っていたかと思うと、やがて先頭にいた一人が、その顔のままで崖にぽっかりと開いた穴の中に入っていった。


残りの十一人が後に続く。全員が入ってしばらくした頃、中から淡く白い光が漏れてきた。





市の郊外にある住宅団地。


少し前に十二人もの子供達が忽然と消えた住宅団地とは、市の中心から見れば反対の方向にある団地である。


そこに住む稲葉幸子は、一息ついていた。


 ぞっとぐずっていたまだ三ヶ月の我が子が、ようやく寝息をたててくれたからだ。


――ふう、やっと寝たわ。それにしてものどが渇いたわね。


彼女は台所へと向かった。そして冷蔵庫の扉を開けようとした時である。


バン


玄関で大きな音がした。


その音は彼女には、玄関の戸が勢いよく開けられた時の音のように聞こえた。


――えっ、なに? いや、そんなはずはないわ。


そんなことはありえないはずだった。


このアパートと同じ市内のアパートで、子供が十二人も煙のように消えるという事件があったばかりだ。


その上この界隈はスーツを着た訪問販売員のサラリーマンが、何人もうろうろしている。


だから稲葉幸子は玄関には二重に鍵を掛け、その上にチェーンまでかけていた。


だからその扉が思いっきり開かれることなど、考えられないことである。


――まさか、強盗。


彼女はおそるおそる玄関に近づいて行った。


その時、彼女の前を誰かが、とてつもない速さで駆け抜けて行った。


そして一瞬立ち止まった後、同じスピードで赤ん坊の寝ている部屋へと入って行く。


一瞬見えたその姿は、全身黒づくめの若い男だ。


――まさか、うちの子を!


彼女は走った。そして男の後を追って部屋に入った。


そして見た。六畳ほどの部屋の入り口に、男が彼女に背を向けて立っている。


そしてその先に赤子の寝ているベビーベッドがあるのだが、そこにも誰か、いや何かがいた。


その何かはベビーベッドの上で、赤ん坊を両手で抱えていた。その身長は一メートルくらいだろうか。


姿かたちは一応人型ではあるが、小さな子供のような体つきの上に、その体の割りには異様に大きな頭が乗っていた。


身長の三分の一以上が頭で占められている。


そしてその顔と言えば、人間と同じように目と鼻と口はあったが、明らかに人間の顔ではなかった。


その目はテレビのミステリー特集などに出てくる、グレイと呼ばれる宇宙人のアーモンド形の目に、そっくりな形をしていた。


ただ宇宙人のように目の中全体が真っ黒ではなく、白目の部分が多くて中に濃い緑色の瞳がある。


鼻は童話に出てくる年おいた魔女のように大きく曲がった鉤鼻で、口は耳まで裂けており、その両端に一本ずつ大きな牙が生えていた。


稲葉幸子はあまりのことに声もでなかった。


その時男が動いた。


赤ん坊を抱いている人間のようで明らかに人間でない何かに、すうっと近づいて行く。


そるとその怪物が抱えている赤ん坊といっしょに、一瞬で目の前から消えた。


すくなくとも彼女にはそう見えた。


ところが次の瞬間彼女が見たものは、男が左手を高々とさしあげているところだった。


男の左手の先に、赤ん坊と怪物がいた。


男がその手で赤ん坊の産着をつかんでいたのだ。


その怪物も赤ん坊の産着を両手で抱えていたが、彼女の見ている前で赤ん坊を離したかと思うと、再び彼女の視界からあっと言うまに消えた


その時彼女は、男が右手に日本刀を持っていることに気がついた。


男がその日本刀を手から離す。


するとその日本刀は、下に落ちるどころか信じられないことに、あっと言う間もなく上に向かって飛んでいった。


「キャン!」


次の瞬間、まるで子犬を踏んづけたかのような小さく高い声が聞こえてきた。


彼女が顔を上げて声のした方を見ると、そこには先ほどの怪物が背中から天井に張り付いており、その怪物の胸のあたりを飛んでいった日本刀が貫いていた。


彼女が見ている前で、怪物の体が淡く白く光始めた。


するとその光はいくつもの小さな弱い光の集まりになり、そして煙のようなものになったかと思うと、その煙もだんだんと薄くなっていき、やがて完全に消えてしまった。


そして小さな怪物も、消えていた。


男は手でつかんでいた赤ん坊を両手で抱くと、ゆっくりと優しくベビーベッドに戻した。


そして天井に刺さっていた日本刀を抜くと、彼女のほうへと振り返った。


稲葉幸子はずっと背中を向けていたその男の顔を、その時初めて見た。


やはり若い男である。年齢は十五、六歳といったところか。


まだ少年と言っていい男だ。


長い黒髪に大きく黒い瞳の目。


そのややつりあがった力強い目を除けば、どちらかと言えば女性、それも西洋人に近い顔立ちをしている。


そしてその体はかなり細身だった。九龍龍夜である。


稲葉幸子は、その突然現れて不思議な日本刀でわけのわからない怪物を倒したその少年を、全く怖いと思わなかった。


少年の全身から発する力強くて暖かいオーラを感じていた。


そして彼女は、自分の大事な我が子の命をこの少年が助けてくれたことを、その目撃した状況からではなく、全て本能で理解していた。


――この人にお礼を言わないと。


彼女は龍夜に歩み寄った。


その時龍夜が左手を上げた。その指は何かをつかもうとしているかのように大きく開かれ、彼女のほうに向けられていた。


彼女は立ち止まり、この手を見ていた。


すると龍夜がその手を彼女の額に当てた。そして言った。


「あなたは何も見なかった。あなたは何も聞かなかった」


そういった後、手を彼女の額から手を離した。


そして何かを確認するかのように彼女の瞳をじっと見た後、納得したのかそのまま部屋を出て行った。





稲葉幸子はふと我に返った。


――あらっ、私、いったい何をしていたのかしら?


彼女は考えた。しかし何も思い出せなかった。


そして彼女は何かに惹かれるように、とても大事なものがそこにあるかのように、ゆっくりと天井を見上げた。


そこには細長くて小さな穴が一つ開いていた。


――あらっ、なんであんなところに、あんな穴が開いているのかしら?


彼女は考えた。懸命に考えた。


しかし何ひとつ思い出すことは出来なかった。





高い崖に黒くあいた洞窟の前を、一人の男が歩いている。


スーツを着た背の高い白人男性である。


手には大きな紙袋を持っている。その紙袋の表面はいびつに膨らんでいた。


男は洞窟の中に入って行った。


どうやら天然の洞窟のようだ。


穴の高さは2メートルはないだろう。


男は身をかがめながら洞窟の中を進んだ。


しばらく洞窟を進むと、穴の大きさが入り口のところよりも大きくなっていった。


その男が身をかがめることもなく、ゆっくりと歩けるくらいの大きさだ。


そしてその先にかなり広い空間があった。


その形は長方形に近い楕円形で、広さは小さな体育館くらいはある空間である。


その空間のほぼ真ん中に垂直な竪穴があった。


その直径は5メートルくらいであろうか。


その底は暗くてよく見えず、深さは計り知れない。


男はその穴の中に、紙袋の中身をぶちまけた。


それはばらばらになった小さな人骨だ。


その人骨は穴の一番底まで落ちていった。


男は穴を覗きこんだ。そのまましばらく見ていると、男の目がぼんやりと光った。


男は何かに満足したかのように、やがてその場を立ち去った。





二十畳以上ある日本間の奥の真ん中に、巫女が着る服に似た着物を着た少女が座っている。


九龍ゆづきである。


その前の障子を開けて、一人の少年が部屋に入ってきた。九龍龍夜である。


龍夜がゆづきの前に座るとゆづきが言った。


「おかえりなさいませ龍夜様。お疲れ様でございます」


「ただいまー、ゆづき。いやーほんとに疲れたぜ。なにせ数が多いからな。昨日は三匹、今日も三匹。合計六匹やっつけたぜ。でもまだまだいるんだろう」


「はい、正確な数字はわかりかねますが、おそらくまだ軽く十匹以上はいると、思われます」


「やれやれかんべんしてほしいぜ。一匹一匹はたいして強くないいんで助かっているが、それにしても多いよなあ。だいたいもののけどもは普通はあまりつるんだりしないから、団体戦になることはないんだが。


一回のもののけ狩りにおいてこんなにも数が多いのは、おれの経験からすればいままでで断トツだろうな。……ところで、ちょっとゆづきに聞きたいことがあるんだが」


「はいなんでしょう、龍夜様」


「最初に奴らが子供をさらった時は、十二人もいっぺんにさらっていった。しかし昨日も今日も、奴らがさらおうとした子供はたった三人づつだ。おかげで一人の子供もさらわれることなく、奴らをみんな倒すことが出来た。


十二人もいっぺんにさらわれたら、いくらなんでも間に合わなかっただろうからな。俺は体が一つしかないからな。でもなんで三人づつなんだろう。最初のときのように、いっぺんにたくさんさらおうとしないんだろうか」


ゆづきは考えた。そして言った。


「それは……おそらく」


「おそらく……なんだ」


「まだよくはわかりませんが。でもある種の意図、なにか明確な思惑のようなものが感じられます」


「意図……思惑か」


「はい、龍夜様。少なくとも奴らは、自分達仲間が殺されていることは、もうすでに知っているはずです。龍夜様が今倒しているもの達は、おそらく二階堂様の言われた、下に十数匹あるいは数十匹のことだと思われます。


それほどの数がいるにもかかわらず、数で畳みかけるようなせずに、三匹づつで子供達をさらおうとしているのは、何か考えがあるに違いありません。それは多分こちらの出方を、特に龍夜様の正体をさぐっているのだと思われます」


「俺の、正体ね」


「はい、そう考えるのが自然かと思われます」


「なるほど、様子を見ていると。俺がいったいどんなやつかを、見極めようとしていると」


「はい、そうでございます」


龍夜はしばらく考えていた。そしてゆづきに言った。


「それじゃあゆづき、俺は今後いったいどうすればよいと思う」


椿が再び考える。そして龍夜に言った。


「龍夜様はいままでどうりでよいと思われます。あいつらの思惑がどうであれ、私達はもののけ狩り師でございます。あやかしの者達から子供達を救うのが、一番重要ではないかと思います。


いずれむこうからなにかを仕掛けてくることは、十分に考えられます。何かを仕掛けてきたなら、当然奴らのなんらかの情報がわかると思います。その情報を元に動いたほうが、先に闇雲に動くよりもよろしいかと思われます」


「わかった、ゆづきの言うとおりにしよう。今回の敵はその数はともかく、ドラゴンの子みたいに厄介な敵ではなさそうだからな。その話はとりあえず置いといて、今直接子供達をさらっている奴ら、下の十数匹あるいは数十匹の奴らだが、あいつらいったい、何者なんだ」


「龍夜様は直接ごらんになられましたね」


「ああ見たさ。見たけどじぇんじぇんわからないな。お友達でも近所の人でもないし。西洋のもののけであることは間違いないとは思うが」


「私も“視る”ことができました。同時に感じることもできました。下の者達はそれほど邪悪な存在ではないように思われます。推測ですがおそらく、上の十二人に使われているだけのようです。


私が見たことと感じたことを併せて考えますと、あの者たちは“悪鬼”あるいは“いたずら小鬼”と呼ばれている存在ではないかと思われます」


「いたずら小鬼?」


「はい、ヨーロッパで言われている名前はゴブリンでございます」


「ゴブリンかあ。子供の頃絵本で読んだな」


「はい、ゴブリンです。そのゴブリンですが、もともとは妖精に近い存在でございました。実体があってないような、そんな存在でした。しかし長い年月の間に、より実体をもつようになり、今では幻獣と呼ばれる存在になっております。


そして元々は邪悪なものではなく、どちらかと言えば善なる存在でしたが、これも長い年月の間に変化してしまい、今ではどちらかと言えば悪なる存在になっています。それでもそれほど悪しき存在ではございません。人間の子供をさらうような明確な悪行はいたしません。


ただのいたずら好きと言ったほうが、よろしいかと思われます。ですから上の十二人に使われていると思ったのでございます」


「そうか。それでは上の十二人についてだが、何かわかったことはあるのか」


「まだよくはわかりませぬ。極めて邪悪な存在であることは間違いのないようですが。いわゆるただのもののけとは、少しばかりちがうようでございます」


「どう違うんだい」


「おそらくゴブリンと同じく、もともとは妖精、あるいはそれに近い存在だったのではないかと思われます」


「そうか、元々は妖精、そして今は幻獣。確かに今まで相手してきたもののけどもとは、少しばかり違うようだな。それでゴブリンどもは、飛ぶことができるんだ」


「飛ぶ……と言いますと?」


「わかりやすく言えば瞬間移動かな。その距離は短いが。めいいっぱいがんばってみても、十メートルくらいしか飛べないようだが」


「そうですか。飛びますか。申しわけありません。龍夜様が気がつかれているのに、この私が気がつかないなんて」


龍夜が優しい口調で言った。


「いやいやゆづきが悪いんじゃない。相手は元が妖精だ。視えにくいのはあたりまえだ。なにせ元々は実体のはっきりしない存在だったんだからな。それに俺が気がついたと言うのは、間違ってるぞ。


俺はこの目で見たんだからな。あれなら子供でもわかるさ。あやまらなくてもいいぜ。俺だって出来ないことは、山ほどあるさ。ゆづきのように視ることは全然出来ないし。お互い人間なんだから。神様じゃないんだから」


「はい龍夜様、お気遣いありがとうございます」


「もうその話は終わりにしような。それにしても腹がへったなあ。ゆづき、飯にしてくれないか」


「はい、わかりました、龍夜様」


ゆづきは立ち上がり、いそいそと台所にむかう。


龍夜はその後姿を黙って見ていた。





広い洞窟の中に、十二人の白人男が集まっている。


最初十二人はなにも言わなかったが、そのうちに一人の男が隣にいた男に話かけた。


しかしその男は口も開かず声も発せずに、直接相手の脳の中に話しかけていった。


“もう六匹もやられちゃったみたいね”


それは一種のテレパシーのようだ。話しかけられた男が答えた。


“ああ、おそらく例の奴だな”


別の男が会話に加わってくる。


“ドラゴンの子をやっつけたやつだな”


また別の男が会話に加わった。


“とにかくはやく何とかしないとね”


ほぼ全員が会話に参加し始めた。


“とりあえず、やっつけちゃおうよ”


“やるのはいいけど、とりあえずどうする?”


“とりあえずだったら、あいつにやらせてみたら、どうかな?”


“あいつならなんとかするんじゃない?”


“たぶんなんとかするような気がするけど”


“じゃあ、とりあえずやらせようよ。これ以上ゴブリンどもやられたら、僕おなかがすいちゃうよ”


“それ、僕困るなあ。お腹すくのはやだなあ”


“それ、僕も困るぞ”


一人の男が会話の輪の中心に歩み寄って言った。


“いいよ、あいつにやらせちゃおうよ”


“うん、いいよ”


“やらせちゃおうよ”


“さんせい、さんせい”


全員がお互いの顔を見合わせた。


そして前と同じく軟体動物の顔で笑った。





広い日本間にゆづきが座っている。


そこに龍夜がやってきた。


「ゆづき、呼んだか」


「はい龍夜様、少し気になることがございまして。先ほど龍夜様はゴブリンが飛ぶ、つまり瞬間移動ができるとおっしゃいましたね。その点がやけに気がかりなのでございますが」


「ああ、確かに飛ぶぜ。あれはあれで便利な術には違いないな。でも前にも言ったように、そんなに気にするほどの術ではないような気がするが。


仮にこっちにむかって十メートルずつ飛んできたとしても、それで俺たちの不意をつこうとしても、その前にゆづきが気がつくだろう。子供を襲おうとしている俺たちから離れた場所にいるゴブリンの居場所を、襲う前にわかるくらいだからな」


「はい、そうではございますが。しかしそれでもやはり気になります。何かこの私が気がついていないことがあるような、なにかとても大事なことを見落としているような、そんな気がしてならないのです」


龍夜がゆづきに近づいた。そして彼女の頭を優しくなでた。


「ゆづき、そう思い悩むな。だいたいおまえはまじめすぎるぞ。俺はお前のおかげで、十分に助かっている。だいたいお前がもののけを視なければ、この俺がもののけと戦いたいと思っても、いつ何処で何と戦えばいいのかさえわからないんだ。いろいろと感謝してるぞ」


「はい、わかりました、龍夜様」


「わかってくれたか。やっぱりゆづきはいい子だなあ。いい子には飴ちゃんをあげようかな」


龍夜はゆづきの前に開いた右手を出してきた。


そしてその拳を握ると、すぐにまた開いた。


するとその手の中に、赤い飴玉がのっていた。


「はいどうぞ、お姫様」


「もう龍夜様ったら」


ゆづきは飴玉を手に取ると、笑いながら口に含んだ。





どこかのあまりきれいとは言えない町並み。


細い道がいくつも交差し、その両脇のビルにはあざやか、と言うよりけばけばしいお店の看板が、まるで雨後に生えたキノコのようににょきにょきとビルの横から飛び出している。


とある繁華街の一角である。


その町は全て夜仕様に造られていた。


そのため夜は鮮やかなネオン街に変身するであろう町並みも、昼間は小汚く雑然としているだけである。


その町を歩く二人の男がいる。


二階堂と笹本である。


二人はこの町で起きた殺人事件の聞き込みをやっていた。


クラブマドンナと言うバーで常連客が、初めて店に現れた客とけんかをして、その一見の客にナイフで刺し殺された事件だ。


目撃者は何人かいたが、全員が犯人が誰であるかを知らなかった。


それで犯人の目撃証言をもとに作られた似顔絵を手に、二人で聞き込みを続けているのである。


笹本が悔しそうに言った。


「これだけ聞いたのに、誰も犯人のことを知りませんね」


二階堂が無責任に答える。


「そうだな。ひょっとしたら、たまたまここにやって来た県外人かもしれんな」


笹本が二階堂のその言葉に食いついてきた。


「二階堂さん、それは例のカンですか」


「いやカンじゃない。この件に関して、なんのカンも働いていない。ただの憶測だ。なんの根拠もないけどな」


その時突然、二階堂は感じた。ある強い予感だ。


それははっきりとゆづきの危険を告げている。


二階堂は笹本に強い口調で言った。


「おい、俺は別件がある。とりあえず一人で聞き込みを続けろ」


「えっ、またですか。署長になんて言えばいいんですか」


「ずっと二人でいたことにすればいいだろう」


「そんなことできませんよ。規則に反しますよ」


「……」


二階堂はあきらめた。


いつものことながら笹本は、どんな小さなことであれ、理由がどうであれ、嘘が大嫌いなのだ。


――こいつ刑事には向いてないかもしれんな。


二階堂はそう思ったが、もちろん口から出た言葉は別だった。


「それじゃあな」


二階堂はそれだけ言うとその場を去った。


背中に向けて笹本が何か言っていたが、それを無視して歩き続ける。


そしていつの間にか走り出していた。





外観は白人男性の十二人が話し合っている。


ただ声帯は使わずに、直接脳に話かけていた。


“何匹集まったの?”


“三十匹くらいかな”


“もう十分じゃないの?”


“十分かな?”


“やってみたらわかるんじゃない?”


“そうかな”


“やってみなきゃ、わからないと思うよ”


“そうだそうだ、やってみなきゃ、わかんないよ”


“じゃ、やってみようか”


“うん、やってみようよ”


“はやく、はやく”


“わかった、それじゃ命令出すね”


“だして、だして”


“それじゃ、言うよ”


“おーいお前ら、集まって来い。これから僕の言うことを、よく聞くんだぞ。わかったか。このうすのろども”


ゴブリン達が集まってきた。その表情は明らかに怯えていた。





二階堂は走った。そして停めてあった車に乗り込むと、龍夜達の住処へと猛スピードで車を走らせた。


サイレンを車の屋根に取り付けて、鳴らしっぱなしで車を飛ばした。


サイレンを鳴らしているとは言え、それでも緊急車両の制限スピードをも上回っていた。しかしゆづきの身に危険が迫っているのだ。それどころではない。


“ゆづきが危ない”


その一心で車を走らせていた。





広い日本間に座っている二人。


龍夜とゆづきである。二人は食事を取っていた。


口の中に食べ物を残したままで、龍夜が言った。


「いやーっ、ほんとに、もぐもぐ、ゆづきの作ってくれるご飯は、いつもおいしいなあ」


「もう、龍夜様ったらぁ。そのようにおほめになっても、なにもでませんわよ」


「いやいや、これだけ料理が出来たら、もぐもぐ、いつでもお嫁にいけるな」


「もう、こんな私を、いったい誰がもらってくれると言うのですか」


「誰がって……いや、その、あの……」


「……」


二人お互いの顔を見つめた後、そのままうつむいてしまった。


その時である。日本間の障子が荒々しく開けられた。


二階堂である。二階堂が叫んだ。


「おい二人とも、今すぐこの神社から逃げろ!」


龍夜とゆづきは思わず顔を見合わせた。


次の瞬間、龍夜がゆづきをお姫様抱っこで抱えて走った。


そして二階堂を突き飛ばすような形で、外へ出て行った。


二階堂は一瞬よろけたが、そぐに体勢を立て直して、二人に続いて神社をでる。


そして龍夜に追いついて言った。


「おい、助けに来た奴を突き飛ばして逃げることはないだろう」


「いや、おっさん、すまねえな。なんせうちのローカルルールで、逃げる順番は、ゆづきが絶対に一番ってことになってるんだよ」


ゆづきが龍夜に抱きかかえながら言った。


「龍夜様、もう下ろしてください。二階堂様が見ております」


ゆづきの頬は少し赤く染まっていた。


「ああゆづき、ごめんな。この続きはこんなおっさんのいない、二人っきりの時にな」


「もう、龍夜様ったら」


その時神社の中から、抜き身の日本刀が飛び出してきた。


 魍魎丸である。魍魎丸が言った。


「こら龍夜。わしを置いて逃げるとは、なんと言うことじゃ。逃げるならちゃんと、連れて行かんかい」


「だからご覧のとおり、俺の両手はゆづきでふさがっているんだ。じじいは自分で逃げられるだろう。ちっちゃい子供みたいなことを、言うなよな」


ゆづきがか細い声で言う。


「龍夜様、お願いです。早くおろしてくださいませ」


「おおゆづき、わるかった。いますぐおろしてやるからな」


龍夜がゆづきを優しく下ろした。


「ところでおっさん。この神社から逃げろと言われたんで、とりあえず逃げたが、いったい何がどうしたんだ」


「わからん。とにかくゆづきの身に危険を感じたもんでな。

 そう言ったまでだ。それにしても、逃げろと言った途端、何も聞かずに速攻でゆづきをかかえて逃げ出すとは、ある意味たいしたもんだな」


「あたりまえだろう。逃げろと言われれば、何をおいてもとにかく逃げるのが先だろうが。訳を聞くにしても、何をするにしても、後からいくらでもできるぜ」


「そうだな。生き残る秘訣だな」


その時神社から、バリバリバリと大きな音が聞こえてきた。


見れば、神社の一部が大きく崩れている。


それは神社のむかって左側に当たる部分で、さっきまで龍夜達のいたあたりである。


そして神社の横に、男が立っていた。


その男は上半身は裸で、下半身も何種類かの動物の皮をつなぎ合わせた腰巻を一つ身につけているだけである。


全体的な印象としては、ほぼ人間だ。


ヒゲはぼうぼうで髪もぼさぼさであり、おまけに目つきを中心にいかついと言うか野性的な風貌であるが、基本的には白人男性の姿だった。


ただ一つだけ普通の人間と大きく違っているところがあった。


それは身長だ。


その男の背の高さは、平屋でそれほど豪華に建てられたわけではないとは言え、古い造りで大屋根のある神社として建てられたその建物よりも、かなり高かった。


その身長は目測だが十メートル近くはありそうだ。


その大男が、龍夜達の住んでいた由緒はあるが永いこと誰も訪れることのなくなった築四百年にもなる神社を、叩き壊しているのだ。


龍夜が言った。


「ああ、あれは、ギガースとかジャイアントとかギガントとか、言うたぐいの奴だな。まあそのうちのどれかはよくわからねえが。どっちにしてもあいつも、ゴブリンと同じく幻獣には違いないが」


「龍夜様、あれはギガントでございます」


「おおっ、あれがかの有名なギガントか。はじめて見たぜ。前から一度は見てみたいと思っていたんだ」


「わたくしも初めてでございます。噂はかねがね聞いておりましたが、本当に大きいですね」


「ほんとだな。これはすごいぜ。見れてラッキーだぜ」


二階堂が慌てて言った。


「おいおい、のんびり話をしている場合じゃないだろう。このままじゃああの神社、全部壊されてしまうぞ」


現にギガントは、それ以外のことは何も出来ないかのように、ただひたすら神社を両手で上から叩き続けていた。


おそらく本来の目的であったであろう龍夜達が、すでに神社から出てすぐ目の前でがん首そろえて見物していると言うのに全く気がついておらず、自分の目の前にある神社しか目に入っていないようだ。


両腕を上から下ろして神社を壊すその姿は、まるで幼い子供が積み木の家を壊している姿を連想させる。


そこからは知性とか知恵とか教養といったものは、微塵も感じられなかった。龍夜が言う。


「あわてるな、おっさん。最初に気がついた時点であの神社は、少なくとも人が住む建物としては、もう終わっていた。こうなったらあいつに、残りも全部きれいさっぱり壊してもらったほうが、あと片付けが楽になると言うもんだぜ」


「その通りでございます、龍夜様。そのほうが人員的にも経済的にも、なにかと都合がよろしいかと思われます」


「さすがゆづき、しっかりしてるぜ。やっぱりいいお嫁さんになれるな。俺が直径十メートルの、太鼓判押してやるぜ」


「もう龍夜様ったらあ。そんなことおっしゃって。恥ずかしいじゃありませんか。ゆづきはもう知りませぬ」


とかなんとか言って、二人でほのぼのとのろけているうちに、由緒だけはある神社はきれいさっぱりと潰されてしまった。


ギガントは何かを成し遂げたかのような満足げな表情で、倒れた神社をじっと見ていたが、やがて何かを思い出したかのようにあたりをきょろきょろと見回すと、やがて龍夜達のほうに目を向けた。


「あのバカ、やっと気がついたみたいだぜ。来るぜ」


「わしが一番手じゃな」


魍魎丸が飛んだ。


巨人の顔をめがけて、矢より速く飛んでいった。


ところが巨人の顔に届く直前で、巨人の右腕によって下に叩き落されてしまった。


その動きは、それまで神社を壊していた時の動きとは、比べ物にならないほどに速かった。


「ぎゃあっ!」


地面に落ちた魍魎丸を、巨人が上から全体重を乗せて踏みつけた。


その勢いで魍魎丸は、地面に埋まってしまった。


「……」


「あっちゃーっ、魍魎丸の野郎、何もしないうちに、もうやられちまったぜ。あいつこの前のドラゴンの子以来、いいとこなしだな」


二階堂がギガントに向かって拳銃を構えた。


ゆづきがそれを制する。


「二階堂様、残念ですがそんな武器では、あのギガントをいたずらに怒らせるだけです。どうかおやめください」


「じゃあ、どうすれば」


龍夜が言った。


「俺が武器を造る」


二階堂はおもわず龍夜を見た。


あのドラゴンの子を倒したと言う、九龍一族に代々伝わる秘術である、龍変化の術。


二階堂はあの時気を失っていて、それを見ることが出来なかった。


それが今思ったよりも早く、この目で直接見る機会が訪れようとは。


二階堂の胸は高まった。


ふと気がつけば、ゆづきもその大きな目をさらに大きく見開いて、龍夜をまさに凝視している。


ゆづきもあの時気を失っていたので、龍夜の秘術を見ることが出来ないでいた。


一度この目で見てみたいという想いは、おそらく二階堂とは比べ物にならないであろう。


二人の熱狂的なファンの熱い視線を浴びながら、龍夜は右腕に力を集中した。


そしてそれはものの数秒で成し遂げられた。


龍夜の肩の周りから肘、そして本来は指先にあたる部分までが、まるで燃え上がる炎のような淡く赤い光に包まれている。


そして肘から先が龍の体、手首から先が龍の頭となっていた。


細く長い龍の頭は、龍夜の顔くらいの大きさがあった。


――これが九龍一族の秘術、一頭龍(いっとうりゅう)の術、火龍(ひりゅう)!


ゆづきはとてつもない感動を持って、その火龍を見ていた。


二階堂もゆづきに比べれば単純ではあるが、大きな驚きでもってその火龍を見ていた。


――こいつが九龍一族の秘術なのか。実際にこの目で見てみると、なんともすさまじいものだな。


「それじゃあゆづき、あいつをぎっちょんぎっちょんにしてくるぜ」


龍夜は二階堂にはあいさつなしで、ギガントに向かって行った。


するとギガントも龍夜にむかって来た。


ギガントは上から両手で龍夜に掴みかかってきた。


それは巨体のわりに素早い動きであったが、龍夜が難なくそれをかわす。


そしてギガントのむこう脛のところに、火龍と化した右腕を叩き込んだ。


「グワーッ!」


低くてよく響く大声を上げて、ギガントが思わず片膝をついた。


次に龍夜は軽く2メートルほどジャンプすると、ギガントのみぞおちあたりに、火龍を思いっきり突き刺した。


「グワーッ!」


先ほどと全く同じ叫び声をあげて、巨人が前のめりに倒れた。


地震のような地響きが起こる。


龍夜は巨人の大きな頭の横に立つと、火龍を構えて言った。


「これで終わりだ!化け物め」


その時である。倒れた巨人の体の上に、いくつもの淡く白い光が現れた。


そしてその光はやがてその姿をあらわにした。


それは身長1メートルくらいで、アーモンド形の目を持つものである。


ゴブリンたちでだ。


二十匹はいると思われるゴブリンたちは、お互いに手をつなぎあっていた。


そして全員がいっせいにつないでいた手を離すと、そのまま巨人の体にしがみついた。


するとギガントとゴブリンたちが淡く白い光に包まれ、その次の瞬間その光が激しく輝いた。


そして急に光が消えたかと思うと、ギガントとゴブリンたちは光とともにその姿を消していた。


後には地面の上に、巨人が倒れた跡が残っているだけとなった。


龍夜がぽつりと言った。


「逃げられたか」





大きな暗く湿った洞窟の中で、十二人の白人男性の姿をしたものが、お互いにテレパシーで話し合っている。


“だめだったよう”


“そうだね”


“残念だなあ”


“まったくだよ”


“あいつ、つよいなあ”


“ほんとに強かったね”


“なんせ、ドラゴンの子をやっつけた奴だからね”


“でも、なんとかしないと”


“うん、何とかしないとね”


“で、どうやって”


“うーん、どうしよう”


十二人は文字どうり頭を抱えていた。


そのまま全員頭を抱え込んでいたが、ふと一人の人間もどきが言った。


“やった!いいこと思いついちゃった”


“えっ、なになに”


“聞かせて、聞かせて”


“僕にも僕にも”


その人間もどきの周りに、残りの十一人が集まってきた。





「おいおっさん、見てみろよ」


龍夜はギガントに踏みつけられて地面に埋まっている魍魎丸を指さしていた。


二階堂が覗き込む。


「おい、こいつ折れてるんじゃないのか」


「ピンポン。正解。小豆島自費旅行が当たりました。おめでとうございます。そう、折れてるぜ」


「折れてるぜ、じゃないだろう。おい、もしかして死んだんじゃあないのか」


「それは心配ないぜ。まだ気は少し残ってる。死んではいないぜ。死んではいないが、死にかけてるな、これは」


「死にかけてるな、じゃあないだろう。早くなんとかしないと」


「あれ、おっさんロリコンじゃなくて、こんな金属の塊のじじいが好みなのかい」


「なにをバカなことを言ってる!」


ゆづきが二人の間に割って入ってきた。


「まあまあ二階堂様、どうか落ち着いてくださいませ。ご心配にはおよびませぬ。確かに無事とは言えませぬが、死ぬようなことはございません。魍魎丸はもともと刀に封じ込められているだけで、刀自体が本体と言うわけではありません。


刀は仮の体、魍魎丸の心の器とでも言ったほうが、よいかと思われます。刀を直してしばらく養生すれば、またもとの元気な魍魎丸に戻ることでしょう」


「そうか、それはよかった。龍夜が変なことを言うから。おい龍夜、おまえわかってて、俺をからかったな」


龍夜は両手の手のひらを頬に当てて言った。


「えーっ、何のこと? おじさま怖い」


「ほんとに、こいつだけは」


「もう龍夜様もそのくらいにして。それより魍魎丸を、刀匠のところに届けるのが先でございます」


「えーっ、俺が届けるの」


「当たり前でございましょう」


「うーん、気が向いたら届けるわ」


「いつ気がむくのですか」


「十年後くらいかな」


「龍夜様!」


「はい!」


二階堂は腹を抱えて笑った。


龍夜が睨みつけたが、二階堂は全然気にはしていない。


そして好きなだけ笑った後で、あらたまって言った。


「ところでおまえたち。携帯電話は持っているのか」


「なにそれ?食べ物なの。おいしいの?」


「もういい。ゆづきに聞く。持ってるのか」


「いいえ二階堂様。携帯どころか固定電話も持ってはおりませぬ」


「そうか、それなら俺が携帯買ってやってもいいぞ」


龍夜が無理から割ってはいる。


「えっ、携帯くれるってか」


「ああ、もちろん名義は俺でな。おまえたちは日本国籍もないようだから」


「じゃあ電話料金も、支払いはおっさんかい」


「当然そうなるな」


「いやー、ありがとありがと。ロリコンのブルマフェチにしちゃあ、気前がいいぜ」


「……とにかく、そうしよう」


「二階堂様、いくらなんでもそれでは」


「いやいい。ゆづき、遠慮なんかすることないぞ。おい、龍夜。お前はもう少しは遠慮というものを覚えろ」


「私の辞書に、遠慮と言う言葉はございません」


「今度書き加えてやる」


「すぐ消しちゃうもんね」


「まあまあ二階堂様も龍夜様も、それくらいでお願いします」


「わかっているよゆづき。じゃあ話は決まったな。これから町に買いに行くぞ」


「はーい、わかった。ありがとな、平公務員のおっさん」


「二階堂様、ほんとうにありがとうございます」


「ゆづきはどんなデザインが好きかな」


「俺はデザインよりも、値段の一番高いやつがいいな」


「お前には聞いてない!」





買った携帯電話を奪い取ろうとする龍夜を押しのけて、二階堂はゆづきに携帯電話を渡した。


そしてその足で、一旦仕事へ戻った。


今のところゆづきの危機も去ったようだし、残っていてもすることがないからである。


当然笹本君からぐちぐち文句を言われたが、何も言い返すことができなかった。


そのなかでも二階堂は意識を集中するのを怠らなかった。


一つは本業である殺人事件の解決のため、とにかく何かを感じて掴むこと。


もう一つは言わずと知れたゆづきのことである。


自分は何故だか知らないが、他の誰よりも、もちろん龍夜や魍魎丸よりも、ゆづきの危機を敏感に感じ取ることができる。


殺人事件の解決が数日、いやたとえ数十日遅れたとしても、そうたいした問題ではない。


しかしゆづきの危機を感じるのが遅れたら、場合によってはゆづきが死んでしまっても不思議ではない。


今日だってあと一分神社から逃げるのが遅れたならば、ゆづきはおそらく生きてはいなかっただろう。


――あんないい子を死なすわけにはいかない。


二階堂はさらに意識を集中させた。


そしてようやく感じることができた。少なくともあと数日は、ゆづきの身は安泰だと。



長内和人は思っていた。


こんなにもつまらない仕事はないと。


それは見回りである。


訓練や天災などによる出動がない場合、夜の基地の見回りをするのが彼の仕事であった。


この仕事についてから、もう二年余りにもなる。


話し相手もなく、同じところを何回もぐるぐる回り続けているだけだ。


おまけに深夜の見回りの最中に不審者を見かけたり、その他何か問題があったということが、これまでただの一度もなかった。


大事な仕事であると理屈ではわかっていたが、感情の面からすれば、こんなにも気の乗らないやる気の起こらない仕事は、世界中探しても他にないのではないかと思いはじめていた。


何の危機意識ももたず緊張感もないままに、ただ懐中電灯を片手にうろうろしているだけである。


――もうそろそろ誰か変わってくれないかな。


最近はずっとそればっかり考えていた。


そして見回りのルート上にある一つの倉庫にたどり着いた。


いわゆる爆薬類を保管している倉庫である。


何かあれば大変なことになるところではあるが、長内は何かあるわけがないと考えていた。


そしてそう考えながら、その扉を開けて中に入った。


そしていつものように懐中電灯をてらした。


それはただの習慣でしかなく、あいもかわらず何の変化もないと決め付けていた。ところが弾薬類以外何もないはずの部屋に、何かがいた。


――えっ?


それは最初、最初は子供のように見えた。


人数は七人ほどだ。


そして懐中電灯の光を浴びてそれらが振り返った時、それらが人間でないことがわかった。


アーモンド型の大きな緑色の目、耳まで裂けた牙のある口。


長内の目から見れば、わけのわからない怪物以外の何者でもなかった。


それらは懐中電灯の光に一瞬動揺の色を見せたが、真ん中辺りにいたリーダーらしき一匹が慌てて手を上げると、全員が一斉にそばにあった木箱に取り付いた。


そして淡く白い光を放った後激しく輝き、その後一瞬でその姿を消した。


長内はそのまま呆然と見ていたが、ふと我に返って慌ててその場に駆け寄った。


その怪物の姿は煙のように消えていた。


さして広くない倉庫を何度も見わたしたが、どこにも見当たらない。


そして信じたくないことだが、弾薬を収めた箱が二つほどなくなっていた。





二階堂はアパートに帰った。


クラブマドンナの殺人事件のほうはたいして進展はない。


明日は一日笹本といっしょにいなければならないだろう。


おもしろくない一日になりそうだ。


――まあゆづきはしばらくは安泰みたいだから、一日ぐらいは大丈夫だろう。


そう考えながら玄関のドアを開けようとした。


そこで二階堂の動きが止まった。


――鍵があいている。という事は。


中に入って明かりをつけると、居間のソファーに誰かが座っていた。


「よお」


龍夜であった。ソファーにまるで家主のように堂々と腰掛けている龍夜の横に、ゆづきがちょこんと正座していた。


「おじゃましております、二階堂様」


二階堂は何事もなかったかのように、近くの食事用の椅子に腰掛けた。


「やはりな」


「あれっ、おっさん、あまり驚いていないようだけど、俺たちが来るのがわかっていたのか」


「はっきりとわかっていたわけではないが、なんとなくそんな気がしてた」


「それも例のカンかい」


「そうだと言いたいところだが、違うな。玄関の鍵が開いていたし、それ以外の状況から判断すれば、特にお前の性格を考えたなら、結論は一つしかないな」


「あれっ、俺の性格から考えたら、そうなるのかい。おかしいなあ。こんなにもシャイで遠慮深く、慎みが服を着て歩いているみたいな俺の性格から判断すれば、絶対にそうはならないはずなんだがなあ」


「もう、なんも言わん」


するとゆづきが小さな声で、おまけにもともと小さな体さらにめいいっぱい小さくして、つぶやく様に言った。


「本当にご迷惑をおかけします、二階堂様。申しわけございません」


ゆづきが頭を下げる隣で龍夜が、大きな声でなんの遠慮の欠けらもなく言った。


「わりいな、おっさん。俺たち住むところがなくなっちまったもんでね。しばらくやっかいになるぜ」


二階堂が、まるで他人事のように言った。


「まあ、いいだろう。すきにすればいいさ。ここ数日はあいつらも襲ってこないようだからな」


「そのようでございますね、二階堂様。あの後さらに意識を集中させましたが、龍夜様も二階堂様も、なにひとつ危険を感じられませんでした。しばらくは大丈夫のようでございますね」


「こっちもゆづきの危険は感じられなかった」


「じゃあむこうはもう諦めたのかな。なんせあのギガントが真ん中のひとつだろう。やつらの切り札じゃねえのか。それがあんなにもあっさりやられたもんで、もう逃げ出したんじゃないのかい」


ゆづきが一言一言かみしめるように言う。


「それはございません、龍夜様。私はこの度はなぜかわかりませんが、上の十二人のことがよくわかるようですが、奴らの執拗と言うか執念深さと言うか、そういったものを強く感じております。奴らが諦めるということは、決してありえませぬ。間違いなく再び、何かを仕掛けてくると思われます」


「そうか、わかった。それで上の十二人の正体はわかったのか」


「申しわけございませぬ、龍夜様。それがまだわからないのでございます」


「別に謝らなくてもいいぜ。ゆづきのせいじゃないぜ。ところでおっさん。おっさんは真ん中の一人と下の数十匹のことがよくわかるようだが、あれから何かわかったかい?」


「それがまだよくはわからんのだ。ただ真ん中の一人と下の十数匹には、はっきり言うと、悪意と言うものが全く感じられないんだ。と言うよりも、それとは逆になんだかの悲しみ、あるいは恐怖といったものがが感じられる。自分の意思で悪いことをしているとは、とても思えんな」


ゆづきが二階堂の言葉を受ける。


「やはり上の十二人にいいように使われているのでしょうか」


「そのようだな。真ん中の一人は、純粋で無垢な子供のような存在に思えるな。何も考えていないような。それでいていろんなことを感じることだけは、できているような。下の数十匹はそれよりは賢いようだな。ほんのわずかに悪意のようなものを感じるが、たいした悪意ではなさそうだ。


それゆえに真ん中の一人よりも、強く悲しみ、強く恐怖を感じているようだ。それだけ自分達のやっていることや置かれている立場を、真ん中の一人よりよくわかっているように思えるな」


「下の数十匹はいたずら小鬼でございますから、わずかばかりの悪意は持ちあわせているかと思われます。しかししょせんいたずら程度です。人間の子供をさらったり、ギガントに中に人がいるかもしれない家を壊させるなどと言った悪意は、とても持ってはいないでしょう。なんだかの理由で、上の十二人に使われているだけだと思われます」


龍夜がゆづきに言った。


「今度の敵は、俺が最初に思ってたよりも、ずっとやっかいかもしれないな。とにかく相手の正体お見極めないと。ご苦労だが頼むぞゆづき」


「はい、わかりました、龍夜様」


「それではもうおそいし、そろそろ寝ようか」


「はい、龍夜様」


二階堂が少し声を荒げる。


「おいおい、俺は今帰ってきたばっかりだぞ。まだ食事もしていないし、風呂にも入ってない」


「そうかい。まあ大家様だから、それくらいは待つぜ」


「全く。それじゃあ先に晩飯を買って来る」


「買って来るって、何処に?」


「すぐ近くにコンビニがある」


「おいおいいい年こいてちゃんとしたもん食べないと、大きくなれないぜ」


「いまさら大きくなって、どうする」


「まあまあおっさんはゆっくり風呂にでも入ってきたらいいさ。そのあいだにゆづきがちゃんとおいしい家庭料理を作ってくれるからさ。なあゆづき」


「はい、まかせてください。二階堂様のために、腕によりをかけて作らされていただきます。それでよろしいでしょうか、二階堂様」


「そうか。それならお言葉に甘えさせてもらおうか。たしか冷蔵庫に残りものがあったはずだが」


「よーし決まった。じゃあおっさん、先に風呂に入ってきな」


「そうするか」


二階堂は風呂場へと向かった。


それを見届けてから、ゆづきが台所へと足を運んだ。





二階堂が風呂から上がると、もう食卓には夕食の用意がされてあった。


それは二街道の寂しい冷蔵庫の中を最大限に生かしたものに、彼には見えた。


「思ったより豪勢なものだな」


「まあ、食べてみな。ゆづきの料理は日本一だぜ」


「龍夜様、いくらなんでもそれはちょっと褒めすぎでございます」


「いやいや本当だよ。俺は自慢じゃないが、お世辞と地上げは趣味じゃないんだ」


「とにかく食べてみようか」


二階堂は小皿にきれいに盛り付けられた野菜の煮つけを口に運んだ。


それは見た目だけでも、この部屋の冷蔵庫の中にあった姿からは想像できないものになっていたが、実際に食べてみると、見た目以上の味だった。


「うまい」


「ほら、お世辞なんか殺されても言わないおっさんも、うまいって言ってるぜ。ゆづきはやっぱり料理がうまいなあ」


「もう龍夜様ったら。もう勘弁してください」


「いや、本当にうまいぞ、これは」


二階堂は次々と料理を口に運んでいった。


それを見て龍夜が慌てる。


「おい、おっさん。俺たちの分まで食べる気かい。ゆづき、早く食べないと、おっさんにみんな食われてしまうぜ」


「龍夜様、さっき食べたばかりじゃありませんか」


「えっ、そうだったかなあ」


龍夜はそう言うと、一瞬動きを止めた。


しかしすぐさま二階堂に負けじとばかりの勢いで、ゆづきの手料理を食べ始めた。


ゆづきが思いっきり呆れた顔で、それを見ている。





料理はあっと言う間になくなった。


二階堂は満足げな表情を浮かべている。


「ゆづき、本当においしかったぞ。その年でよくここまで、覚えたもんだな」


「もう二階堂様まで。ゆづきは恥ずかしいです」


ゆづきはその頬を薄いピンク色に染めていた。


それを見て二階堂は思った。


―-俺もこんな可愛い娘が欲しかったなあ。


ゆづきを見つめる二階堂を見て、龍夜が口をはさむ。


「おい、ロリコンおやじ。なににやけてゆづきを見てるんだ。見世物なんかじゃねえぞ。金取るぞ」


「まあまあ龍夜様、それくらいいいじゃありませんか」


「いやでもなあ」


二階堂は軽く笑った。


「お前たち二人の会話は、へたな漫才よりもおもしろいぞ」


「ふん、言ってくれるぜ」


その龍夜の言葉を聞いた後、二階堂は真剣な顔つきになった。


そしてしばらく龍夜とゆづきの顔を見た後で、言った。


「ところでお前たち。当面はこのままでよいとしても、いつまででもここに居るわけにはいかないだろう。いったいどうするつもりだ」


ゆづきが本当に申しわけなさそうな顔になる。


「まことにご迷惑をおかけいたします、二階堂様」


「いや迷惑と言うわけではない。ここは一人住まい用の部屋だ。三人で住むには狭すぎるんだ。俺もそうだが、お前たちも窮屈な思いをすることになるぞ。特にゆづきは女の子だしな」


「おっさんそれは心配ないぜ。いても二、三日だろうな」


「その後はどうする」


「二、三日後には、おそらくプレハブだが、もと神社があったところに仮の住まいができる。それと同時に、神社のほうも新しく立てられるしだろうし。まあ神社が出来るには、数ヶ月かかるけどな」


二階堂が少し考えてから言った。


「下世話な話で申し訳ないが、そんなお金は何処から出ているんだ」


「別に下世話でもなんでもないぜ。お金の話は大事な話さ。実は俺たちがもののけから助けた人の中には、お金持ちの人もいる。で、お金持ちの中には、誠実で義理堅い人もいるんだ。そんな人は俺たちが困っていたら、いくらでも喜んでお金を出してくれるんだ。俺たちは贅沢は言わないから無駄に吹っかけたりはしないが、誠実なお金持ちは、本当に気持ちよくお金を出してくれるぜ。


俺が助けた人の中にも、そんな人が一人いる。親父が助けた人の中にも、じいさんが助けた人の中にも、そんな人がいる。古い人の中には死んだ人もいるけど、まだ生きてる人も何人かいるんだ。だから俺たちはお金には困らないのさ」


「本来ならもののけを見た人やそれを狩るのを見た人の記憶は、きれいに消してしまうのです。しかし依頼主のほうからお話があった場合は、その限りではございません。そんな人の中に、さきほど龍夜様が言われたような方が、おられるのです」


「おっさんにも少し回そうか」


「いや、俺は国から十分な給料をもらっているから、それはいい。二人で使えばいいだろう」


「さすが、太っ腹だぜ。公務員にしとくにはもったいないな」


「おい、何かあれば、公務員、公務員と言うが、公務員に何か恨みでもあるのか」


「じぇんじぇんないよ」


「……そうか。ところでさっき記憶を消すとか言っていたが、それはいったいどういうことだ」


「実は龍夜様には、人の記憶を消す力がございます。手を相手の額に近づけたりあてたりして、記憶が消えるように念じるのでございます。すると相手の記憶の中から、私達ともののけに関する記憶だけを消すことができるのです」


「九龍一族にはそういう人間がたまにいるんだ。もののけを見た、なんて騒がれたらやっかいだからな。できるだけ消すことにしてるんだぜ」


「ふーん、便利もんだな」


二人の会話がしばし途切れた時、ゆづきが口を開いた。


「その話はさておきまして二階堂様、少しお聞きしたいことがございますが」


「なんだゆづき、言ってみろ」


「二階堂様には、中の一人と下の数十匹がよくお視えになるようですが、私はそれとは逆に、上の十二匹のほうがよく、視えます。それはどうしてだと、思われますか」


「そうだな。おそらく視えやすいものが、俺とゆづきでは違うんだろうな」


「それはどのように違うと、思われますか」


「まあそれは能力と言うより、多分これまでの経験からくるものだろうな。つまりゆづきはあいつらの悪意を感じ取るのだと思うな。あいつらの悪意は、上の十二人にこそあるようだ。中の一人と下の十数匹には、ほとんど悪意はないと見るべきだな。ところが実際に子供たちをさらったり、俺たちに攻撃を仕掛けてくるのは、中と下のやつらだ。俺は意思や悪意ではなく、行動そのものの方に気がいっているからだと思う。


殺人課の刑事の仕事は甘くはない。実際に犯人や事件の関係者から狙われるということは、それほど珍しいことではないんだ。俺は自分自身の危険を感じることはできないが、仲間や親しい人の危機は、今までに何度も感じてきた。そんな人達に危害を加えるのは、黒幕が誰であれ、命令を受けて実際に行動しているやつらだ。だから俺は、中や下の連中の方がよくわかるのだろうな」


「そうでございましょうね。私は意識、二階堂様は実際の行動のほうをより強く感じるようでございますね」


「もう聞くまでもなく、そんなことはとうの昔に、わかっていたんだろう」


「はい、わかっておりました」


「全く、ゆづきも案外、人が悪いなあ」


ゆづきはそれには答えず、軽く微笑んだだけである。





結局話し合い、と言うか龍夜の一方的な提案の結果、ゆづきはベッドで、二階堂はソファーで、龍夜は床の上で寝ることになった。


ゆづきはかなり遠慮していたが、龍夜が強引に押し切った。


二階堂は特に異論はない。


女の子であるゆづきがベッドを使うのは当然だと思ったからだ。


それに自分はソファーで、言いだしっぺの龍夜が床の上で寝ると言っているのだ。


なんの不満があろうか。


「それでは龍夜様、二階堂様、おやすみなさいませ」


遠慮の塊になっているゆづきは小さな声でそう言うと、まるで空き巣にでも入るかのような動きで、ベッドのある寝室へと入っていった。


後には龍夜と二階堂が残された。龍夜が言った。


「まだ早いけど、とりあえずもう寝るか」


「そうだな。俺もここのところ十分に睡眠を取っているとはいえないからな。もう寝るとしようか」


「それじゃあ、おやすみ。できたら若くてきれいなねーちゃんといっしょならよかったんだが、しかたがないぜ。ロリコンのおやじで我慢するか」


「とにかくもう電気消すぞ」


部屋の照明が落とされた。するとものの数秒もたたないうちに、龍夜が軽いいびきをかきはじめた。


――まったくおめでたい奴だ。


そういう二階堂も、ここ最近の疲れからか、いつしか眠りについた。





二階堂が目覚めた時、龍夜はすでに起きていて、床の上に胡坐をかいて座っていた。


台所のほうから物音が聞こえてくる。


どうやらゆづきが朝食を作っているようだ。


龍夜が二階堂に言った。


「おはよう、おっさん。ゆっくりと眠れたみたいだな。もうすぐ朝飯ができるぜ。もちろんゆづきの手料理だぜ」


龍夜が言い終わらないうちに、ゆづきがお盆に朝食をのせて運んできた。


「二階堂様、おはようございます。朝食の用意が出来ました。どうぞお食べになってくださいませ」


テーブルの上に朝食が置かれた途端、龍夜が手づかみでふかしたにんじんを口に運んだ。


「龍夜様、お行儀が悪いですよ」


ゆづきにそう言われると龍夜は、いたずらが見つかった子供のような顔をした後で、お箸を取って使い始めた。


二階堂は笑いをこらえながら、同じく箸を手に取った。


朝食は夕食に比べるとさずがにシンプルなものだったが、それでも十分すぎるくらいに、おいしいものだった。


「こんなにうまいご飯が食べられるのなら、龍夜を追い出して、ゆづきだけずっとここに居てもらおうかな」


「おっさん、なに言ってる。ロリコンでブルマフェチの中年男のところに、大事なゆづきをおいていけるもんかい」


「まあ龍夜様、もうそれくらいにしてくださいませ」


「ところでおっさん、もう朝のニュースをやってる時間だ。テレビつけていいか」


「ニュースなんか、見るのか」


「まあ、もののけに関するニュースなんて、めったにないが。たとえあっても、テレビ局はそれとは気付かずに流しているけど。少しは情報の足しになるからな。だから朝と昼と夕方のニュースは毎日見ているぜ」


「お前たち学校に行ってないからな。毎日朝と昼と夕方のニュースを見ている子供なんて、日本中探してもどこにもいないぞ。とにかくテレビはつけてもいいぞ。リモコンはそこにある」


「はーい、優しくてダンディなおじさま、ありがとう」


龍夜がリモコンを手に取り、テレビをつける。


そこではちょうど朝のニュースが始まったばかりだった。


そしてその日のトップニュースは、自衛隊の武器庫から大量の爆薬が盗まれたことだった。


おそらく自衛隊が発表を抑えたのだろう。


爆薬がなくなったことは告げられたが、その細かい経緯については一切報道されなかった。


龍夜がぽつりと言った。


「おそらくあいつら……ゴブリンどもの仕業だな」


ゆづきもぽつりと呟く。


「そのようでございますね」


二階堂も同じくぽつりと言った。


「そうだとしたら盗んだ爆薬、いったい何に使うんだろうか」


龍夜が少し大きな声で言った。


「そんなの決まってるだろう。


俺たちを殺すために使うのさ」


「そうでございますね」


「危険が増したと言うわけだな」


「ああ、そのようだぜ」


「私も十分に注意をはらって、視ていきたいと思います」


「俺も気を抜かないで、視るようにしよう」


「ああ、そうしてくれると助かる」


その後は三人とも黙ったまま、テレビの画面を見つめていた。





夕方になり、二階堂が仕事を早々に切り上げてアパートに帰ってみると、龍夜たちはもうそこにはおらず、代わりに置手紙が置いてあった。


そこには荒々しく力強い字でこう書かれていた。


“おっさん、俺たちは一旦帰るぜ。仮住まいが出来るのは明日の予定だが、俺たちのスポンサーが一生懸命に慌ててくれて、もう出来上がるかもしれないんでね。もし出来ていなかったら、またそちらにやっかいになるぜ。出来たら電話だけするわな。それじゃ。すてきな一夜をありがとうな”


二階堂は待った。もし仮住まいができなかったら、楽しい龍夜と優しいゆづきと三人で、もう一晩過ごすことができる。


おまけにゆづきのおいしい手料理も食べられる。


ゆうべはずっと一人住まいの二階堂にとっては、ある意味至福の時間をすごすことができた。


だからそのスポンサーとやらが、ぐずぐずしてくれることを願っていた。


そんなことを考えていると、二階堂の携帯が鳴った。


「もしもし」


それは龍夜からだった。


「おっさん、俺たちのスポンサーがマジで働いてくれたおかげで、なんとたった今、仮住まいができたぜ。プレハブだけどな。おまけに明日からは、神社も新しく立て直すそうだ。今晩も素敵な殿方と甘い一夜をすごしたかったけど、残念だぜ。とにかく昨夜はありがとな。なんだ。……ゆづきが変わりたいと言っている」


「二階堂様、昨夜は大変おせわになりました。


本当にありがとうございました」


「そう言う訳でおっさん、じゃあまたな」


そう言って電話は切れた。


二階堂は携帯を見つめながら考えた。


――スポンサーとやらが、恩義のある龍夜たちのために、一生懸命にやったんだろうが、こっちはいい迷惑だぜ。


全く。まあ仕方がないか。文句は言えんな。


二階堂は携帯電話をポケットにしまうと、部屋を出た。


そして近くのコンビニへと足を向けた。





数日間は何事もなく過ぎ去った。


二階堂はあいも変わらず笹本君のお守り、いや殺人事件の捜査をしている。笹本が言った。


「全然進展がないですね」


「そうだな」


やる気は十分にあるが、実力や経験のない笹本と、その全く逆である二階堂とのコンビは、ものの見事にかみ合っていなかった。


さすがの笹本も最近そこに気付き、たいそう気にしていたが、笹本が気付くずっと前から笹本以上に感じ続けていた二階堂は、なんとも思っていない。


「もう一度最初から聞き込みしましょうか。何か新たな証言が出てくるかもしれませんから」


「そうだな」


笹本が住宅地図を見ながら歩き始める。


ついた先は殺人事件が起こったバーのクラブマドンナだ。


笹本のようなタイプにはありがちな行動だ。


初心に帰る、初心忘れべからず、とでも言うのだろうか。


――バカ正直と言うか、バカそのものと言うか。本当にご苦労なことだ。


二階堂は半ば呆れて笹本を見ていた。


その時である。突然何かが降りてきたように彼の頭の中に強烈ないイメージがわいてきた。


――何っ!


彼は笹本を呼び止めて言った。


「おい、ここはおまえにまかしたぞ」


「またですか。署長にどう言えば」


「つべこべ言うな」


そう言うと、そのまま反対方向へ走り出す。


「あっ、ちょっと二階堂さん」


もちろん二階堂は振り向きもせず返事もせず、そのまま走った。


走りながら携帯を手にして龍夜と椿にかけたが、“電源が切られているか、電波の届かない場所におります”と言うアナウンスが流れただけだった。


――せっかく携帯買ってやったのに、これではなんにもならんじゃないか。


二階堂はそのまま走り続けた。





もと神社のあった場所の横に、簡易のプレハブが建っている。


そして神社のあった跡地は、もうほとんど片付けられていた。


今は工事の人は見当たらない。


おそれく今日は休日なのだろう。


プレハブの中では、龍夜が暇にまかせてごろごろしていた。


そのそばではゆづきが正座をして両手で印を結び、目を閉じている。龍夜が言った。


「ああっ、退屈だ、退屈だ。退屈だったら、退屈だ」


ゆづきは何も言わなかった。


「なあ、ゆづき、何かわかったか」


ゆづきはやはり何も答えない。


微動だにしないゆづきを見た後、龍夜は寝転がったままプレハブの低い天井に目をむけた。


その時である。ゆづきが叫んだ。


「龍夜様、何かが来ます!」


「何だ」


「早くここを出てください」


ゆづきがそういい終わるか終わらないうちに、龍夜はゆづきをお姫様抱っこでかかえ上げて、外に向かって走った。


龍夜が外に出ると、ちょうど石段を登り終えた二階堂と目があった。


「おい、龍夜。ここは危ないぞ」


「わかってる。俺もたった今ゆづきにそう聞いた」


「ゆづきも気がついたか」


「ああ、また何かやって来るみたいだな」


「そのようだな」


「龍夜様、お願いです。降ろしてください」


「で、おっさん。何が来るんだ」


「そこまでは、わからん。でも間違いなく、何かが来るぞ」


「龍夜様、早く降ろしてください」


「ここ数日おとなしくしていたと思ったら、突然これかい。あんにゃろう、来るならとっとと来やがれ」


「龍夜、油断するなよ。相手は何をしてくるかわからんぞ」


「もう龍夜様、早くしてくださいませ」


「そう言えば、自衛隊から爆弾がいっぱい盗まれたはずだ」


「そうだ。それを使うつもりなのかもしれんな」


「龍夜様!龍夜様!龍夜様!」


「うん? ゆづきどうした。今大事な話をしているところなんで、いい子にしてちょっと待っててくれないか」


「ですからその前に降ろしてください! ゆづきは恥ずかしいです」


「おおっ、ゆづき、悪かった。今降ろしてやるからな」


龍夜がゆづきを降ろす。


と同時に、龍夜達の目の前の空間が、大きく淡く光り始めた。


「龍夜、来るぞ」


「ああ、来るぜ」


その淡い光はやがて実体化していった。


それは多くのゴブリンたちがしがみついているギガントであった。


そこまでは前回と同じだったが、ひとつ大きく違っているところがある。


そのギガントは、導火線に火のついたダイナマイトを、何十本と体中に巻きつけていたのだ。


龍夜が叫んだ。


「おっさん、ゆづきをつれて、逃げろ!」


「わかった」


二階堂はゆづきをお姫様抱っこでかかえ上げると、石段に向かって走った。


「ふうっ!」


龍夜は左手に力を込めた。


その左手が、瞬時に水龍へと変化する。


龍夜は水龍をギガントに向けて構えた。


「行けえっ!」


すると水龍の口から、大量の水が吐き出された。


その水量は、とてもその小さな口から出ているとは思えないほどの量で、消防車の放水に勝るとも劣らない水量だ。


そして大量の水は、あっと言う間にギガントにつけられたダイナマイトの導火線の火を、全て消し止めた。


「どうだ、まだやるか」


龍夜はギガントを見た。


そのギガントの目は、とても悲しいものを瞳の奥に宿していた。


龍夜はギガントに張り付いているゴブリンたちの目も見た。


その数十匹もいるゴブリンたちの目も、みんな一様に悲しいものに龍夜には写った。


そのまま動かずにお互いを見ていたが、やがてギガントの頭の上にいた一匹のゴブリンが、さっと右手を上げると、ギガントとゴブリンたちが淡い光に包まれ始めた。


そしてその光はだんだんと強くなり、一瞬大きく輝いた後、消えた。


そこにはもうギガントもゴブリンもいなかった。


龍夜は石段のところに行くと、下に向かって言った。


「おーい、おっさん。もう大丈夫だぜ」


「わかった」


二階堂はゆづきをお姫様抱っこでかかえたまま、石段を登って来た。


石段を登りきると、龍夜が強い口調で言った。


「おい、おっさん。なんでゆづきをお姫様抱っこしてるんだ」


「なんで、だと。お前がゆづきを連れて逃げろと、言ったんじゃないか」


「二階堂様、お願いです。降ろしてください」


「確かにそうは言ったが、抱っこしてもいいとは言ってないぜ」


「何を言う。小さな女の子をつれて逃げるんなら、こうなるのが当然だろう」


「二階堂様、早くおろしてください」


「おっさんこそ、何を言ってる。ゆづきを抱っこしていいのは、世界中でこの俺一人だけだぜ」


「そうならそうと、先に言えばいいだろう。せっかくお前の言うとおりにゆづきを助けたのに、それで文句を言われたのでは、かなわん」


「あのう、二階堂様。早くしてください」


「そんなことわざわざ言わなくても、わかってるだろう。まったく、カンの鈍いおっさんだぜ」


「鈍いとは何だ、鈍いとは。これでもこの俺は、子供の頃からカンは鋭いと言われ続けてきたんだぞ」


ゆづきが大きく息を吸い込んだ。


「もう、二階堂様も龍夜様も、いいかげんにしてください!」





暗くて深い洞窟の奥。そこに十二人の白人男性がいた。


しかしその顔は、全員いびつに歪んでいた。


中には蝋人形が溶けたかのようになっている者もいる。


もうもはや人間の顔とは言えなくなっていた。


みんなだまってお互いの顔を見ていたが、顔の右半分だけがだらりと下に下がっている男が言った。


“また失敗しちゃった”


それに周りの男達が答える。


“うん、また失敗しちゃったね”


“ほんとに強いなあ、あいつ”


“まさか水をいっぱい出してくるとは、思わなかったなあ”


“あの手はいろんなことができるんだなあ。ちょっぴり羨ましいかも”


“そんなこと言ってる場合じゃないよ。このままじゃあ、ものすごくやばいよ”


“そうだね、ご飯も食べられないし”


“おまけにドラゴンの子の仇も討てないし”


“何とかしないと”


“うん、何とかしないとね。で、どうしよう”


“そんなこと、おまえが考えろよな”


“何言ってんだよ。考えるのは、おまえの役だろう”


“そんなの初めて聞いたよ”


“前にちゃんと、言っただろう”


“聞いてないよ”


“いや、間違いなく言ったぞ”


“だから聞いてないって、言ってるだろう”


“自分が忘れただけじゃないか。このバカ”


“バカとはなんだ、バカとは。もういっぺん言ってみろ”


“バカにバカと言って、何が悪いんだい。何度でも言ってやるよ、このバカバカバカバカバカ”


“なんだって。バカはお前だろうが、このバーカ”


“バーカとはなんだ、バーカとは。僕はバカとしか言ってないだろう。それなのにバーカだって。おまえ、もう許さないからな”


“許さない、だって。ふーん、許さないんだったら、いったいどうするんだ”


“こうするんだ”


一人の男が目の前の男につかみかかった。


“おい、おい”


“なにやってる”


“バカ、やめろ”


周りの男達がよってたかって、その二人を押さえる。


それに参加しなかった唯一の男が言った。


“もううるさいぞ。ケンカしてる暇があったら、何か考えろ”


その時、つかみかかった男をふりだけ、というか申しわけ程度に抑えている男が言った。


“僕、今、いいこと思いついちゃった”


“えっ”


“なに、なに”


“なんなの”


“教えて、教えて”


その男の周りに、他の男達が集まってきた。





ゆづきを降ろした後二階堂が言った。


「せっかく携帯買ってやったのに、つながらなかったぞ」


「あれっ、おかしいなあ。なんでだろう」


「龍夜様、おそらくここが山の中だからでございます」


「そうか。山の中は繋がりにくいからなあ」


「この前はお前から電話がかかってきたぞ」


「あれは多分夜だからだな。夜より昼間のほうが繋がりにくいという話を、聞いたことがあるぜ」


「それではなんにもならんな」


「そうでございますね」


龍夜が何か考えている。


「いやいい考えがあるぞ」


「なんだ」


「例のスポンサーに、携帯のアンテナを立ててもらうんだ。二階堂のおっさんの話をして、いざと言う時電話が繋がらないと命にかかわると言えば、必ず立ててくれるさ」


「それがいいいな。そうしてもらえ」


「よっしゃあ、そうするか」


「ご面倒ですが、そうしていただきましょう、龍夜様」


「そうしてもらうと、俺も今よりは安心できるな」





二階堂がいやいや仕事に戻った後、龍夜はやはりプレハブの中で、ごろごろしていた。


台所の端にいたゆづきが、龍夜の所にやって来る。


「龍夜様、お茶がはいりましたよ」


「おおっ、ありがとうゆづき」


龍夜は茶碗を手に取ると、お茶をずるずる飲みだした。


そして一気に飲み終えると言った。


「あーっ、おいしかった。やっぱりゆづきの入れてくれるお茶は、いつもうまいなあ」


「もう、龍夜様ったら」


「いやいや、ほんとにうまいぜ。ところでゆづき、話は全然かわるけど、あいつら、ギガントやゴブリンどものことだけど」


「はい、なんでございましょう」


「俺は今日、あいつらの目をじっくり見た。人間じゃないからはっきりとはわからんが、なんと言うか、とても悲しそうな目をしてたんだ。もともとそんなに凶暴な目でもなかったけど。やっぱり上の十二人に使われているのか。だいたい、あのままダイナマイトが爆発したら、あいつら全員お陀仏だったしな」


「ギガントとゴブリンたちのことは、二階堂様のほうがより強く感じるようでございます。しかしここのところ、ようやく私にも感じられるようになりました。おそらくこの目で直接見たからでございましょう。私がギガントやゴブリンたちから感じることは、恐怖、不安、悲しみ、そして一番強く感じるのは怒り憎しみ、でございます。その感情は、上の十二人に向けられているようでございます」


「やはりな。上の十二人に無理やり使われているというわけだな」


「はい、龍夜様の言われるとおりでございます。私の感じるところによりますと、残念ながら何かはわかりませんが、上の十二人に何か弱みを握られていて、そのためにやりたくないことを、無理強いされているようでございます」


「うーん、なるほどな。すると完全に敵だと言うわけでもなさそうだな。これは、何かはよくわからねえが、いいことのような気がするぜ」


「と、おっしゃいますと」


「うーん、具体的にはなにも。ただふとそんな気がしただけだ」


「左様でございますか」


「まあ、そのうちに何かわかるかもしれんな。あわてない、あわてない。で、ゆづき、そろそろニュースの時間だぜ」


龍夜がリモコンのスイッチを押す。


するとちょうど夕方のニュースが始まったところだった。


そしてその日のトップニュースは、あるアパートから二人の子供が、忽然と消えたことだった。


消えたのは、共に四歳の男の子と女の子だということである。


子供の消えたアパートは、前に十二人の子供が消えたアパートの、すぐ近くにあるアパートだった。


現場にいる若いレポーターが、住民の不安を大げさな口調で伝える映像を見ながら、龍夜が吐き出すように言った。


「やられたな」


椿は何も答えなかった。ただ小さくなってうつむいている。


「こっちがあいつらが攻めてくることに気を取られている隙をつかれたぜ。おまけに二人だけときたもんだ。子供をさらったゴブリンも二匹、いやひょっとしたら一匹だけかもしれないぜ。一匹のゴブリンが、二度にわたって子供をさらったのかも。動いたゴブリンの数が少なかったんで、ゆづきも気がつかなかったんだ」


ゆづきが泣きそうな声で言った。


「でも、気がついてあげるべきでした。私がちゃんと視ていれば、消えた二人の子供達が、助かっていたと言うのに。私の力が足らないばかりに……」


「そう気がつけばよかったんだ。気がつくことが出来れば、それに越したことはないんだ。でもこの間も言っただろう。俺たちは神様じゃないんだ。全知全能じゃないんだぜ。ゆづきのおかげで助かった子供も何人もいるんだ。俺たちがやれることは、全部やってるんだ」


「でも龍夜様」


龍夜はゆづきを優しく抱きしめて言った。


「もう一度言う。そんなに自分を責めるな。それにギガントやゴブリンたちが自分の意思で子供をさらったり、俺たちを襲ったりしてないことが、わかったじゃないか。それなら本当の敵はただ一つ。上の十二人だぜ」


「はい、龍夜様のおっしゃるとおりでございます」


「そこで俺はゆづきに命令する。上の十二人が何者か、そしてどこに潜んでいるかを集中して探れ。あいつらがやってくるのを待ってるだけじゃ、いつまでたってもやられっぱなしだぜ。きりがないぜ。それにやってくるのは、無理矢理働かされているギガントとゴブリンたちだけだ。それなら上の十二人を探り出して、こちらから仕掛けてやるしかないぜ。わかったな、ゆづき」


「はい、わかりました、龍夜様」


ゆづきは龍夜に抱きしめられながら、両手で印を結び、目を閉じた。





成田空港に一台のオートバイが停まった。


前に全身黒づくめの男、後ろに巫女の衣装に似て、それより少し派手な格好の小さな少女が乗っていた。


龍夜とゆづきである。


二人はオートバイを降りた。龍夜がゆづきに言った。


「ここにいるのか」


「はい、ここでございます」


「そうか、誰かももうわかっているんだな」


「はい、ちゃんと視えました。上の十二人の姿を直接その目で見て、なおかつその本質に気がついたただ一人の人間が、ここにまちがいなくおります」


「じゃあ、その人に会いに行くか」


「はい、龍夜様」


二人は空港の中に入っていった。





マリアンヌは従業員用の通路を歩いていた。


彼女はあの日以来、異様な十二人を目撃して以来、頭の中にずっと黒いもやのようなものを宿していた。


それは空港に近づくとより大きくなり、飛行機に乗るとさらに濃くなっていく。


――もう限界だわ。


マリアンヌは子供の頃から客室乗務員の仕事にあこがれていた。


そうしてようやく夢がかなった。


毎日が楽しくてしかたがなかった。


時に嫌な乗客の相手をしなければならないこともあるが、そんなことは彼女にとっては、至極些細なことであった。


しかしあの日見た十二人は全く違っていた。


その日の気分はもちろんのこと、あの日以来マリアンヌの頭の中の嫌な黒いものが、日に日に大きくなっていった。


彼女はもう耐えられないと思った。


明日こそは会社に辞表を提出しようと考えていた。


そう決めた夕べの夜、彼女は一晩中泣き明かした。


――他にやりがいのある仕事が見つかればいいのだけれど。


そんなことを考えながら歩いていた彼女の前に、何の前触れもなく二人の人間が現れた。


一人は全身黒づくめで長髪で目の大きな東洋人の少年、そしてもう一人はその少年に負けないくらい大きな目をした、同じく東洋人の十歳くらいの少女である。


その少女は、マリアンヌにはよくわからなかったが、日本の古い時代の服装に見える衣装を着ていた。


少女がマリアンヌに近づいてきて言った。


それは完璧なフランス語だった。


「突然失礼します。マリアンヌさんですね。私は九龍ゆづきと言うものです。そしてこちらが九龍龍夜です。実はあなたに折り入ってお聞きしたいことがあります。それはあなたが少し前に見た、十二人の奇妙な乗客のことです」


マリアンヌは驚いた。この少女は何者なのかしら。


なんであの十二人のことを知っているのかしら。


あのことは思い出したくないのに。


それなのに毎日思い出していると言うのに。


そんなことを口に出さなくてはならないなんて、とんでもないことだわ。


マリアンヌが少女を見ていると、少女がにっこりと笑った。


子供の笑顔は可愛いものだ。


しかしマリアンヌは今までに、これほどまでに完全無欠な少女の笑顔と言うものは、見たことがなかった。


その不思議なまでに完成された笑顔を見ていると、マリアンヌはつい口を開いてしまった。


「あの十二人について、いったい何が知りたいと言うの」


少女はゆっくりと、そして柔らかく言った。


「あの十二人を見て、なにを感じたかです。あの十二人を見て、あなたがいったい何を感じたのか、それを教えてください」


その言葉を聞いた途端、マリアンヌの中でつまっていたものが、せきを切ったように流れ出した。


マリアンヌは少女に言った。


あの十二人がどれほど気持ち悪かったのか。


そしてどれほど暗くて黒くて嫌なものを、その奥に感じたのか。


全て目の前の少女に向けて吐き出した。


聞き終わると少女の目の中に、哀れみの色が浮かんでいた。


そしてその目でマリアンヌを見たまま言った。


「そうですか、わかりました。おかわいそうに。あなたも犠牲者の一人だったんですね。感じる力がたまたま人よりも強かったために、こんなことになってしまって。でも約束します。この悪夢もやがて近いうちに必ず終わることでしょう。つらいでしょうが、それまでなんとか頑張ってくださいね」


少女は手を伸ばすとマリアンヌの額に触れた。


暖かかった。単純に体温のことではない。


それ以外の何か、よくはわからないが神秘的な暖かさとでも言うのだろうか、癒しの暖かさとでも言うのだろうか。


そんな暖かさを少女の手から感じていた。


少女はゆっくりと手を離すと、深々と頭を下げて言った。


「本当にありがとうございました。いろいろとお手数をおかけしました。私達はこれで失礼します」


そしてマリアンヌに背を向けて、歩き出した。


横にいた少年が、軽く頭を下げると、少女の後を追った。


マリアンヌは二人の後姿を見ていた。


その時彼女は、ずっと頭の中に居座っていた黒く重たいもやが、少しばかり軽くなっていることに気がついた。


これをもし病気だと言うならば、完治にはまだ遠いだろう。


しかし毎日確実に重たくなっていたものが、少しとは言え初めて軽くなったのだ。


マリアンヌは思った。


――もう少しだけ、もう少しだけあの娘の言うように、がんばってみよう。





龍夜とゆづきが歩いている。


二人はオートバイを停めた場所に向かっていた。


龍夜がゆづきに言った。


「今ので何かわかったのか。俺にはあいつらが邪悪と言うこと以外、何もわからなかったが」


「はい、わかりました、龍夜様。


少し前からうすうすは感じてはおりましたが、あの女性の証言で、はっきりと上の十二人の正体をつかむ事ができました」


「そうか。で、あいつらいったい何者なんだ」


「あいつらは、子取り鬼でございます」





二階堂が龍夜たちの仮住まいに行くと、プレハブの横に見たことがないような奇妙な形のアンテナが立っている。


――これが携帯のアンテナか。


二階堂がそれをしげしげとながめていると、プレハブの中から龍夜が顔を出した。


「よお、来たな」


「これが携帯のアンテナだな」


「そうさ」


「ずいぶんと大きいもんだな」


「ああ、大きいほど性能がいいらしいぜ」


「これで一安心だな」


「でも家の中の線に、ずっと繋いどかないといけないんだぜ。せっかくの携帯が、固定電話みたいになってるぜ」


「それは仕方ないだろう」


「まあそうなんだけどさあ」


ゆづきが顔を出す。


「二階堂様、いらっしゃいませ」


「おう、ゆづき来たぞ。アンテナ出来て、よかったな」


「はい、簡易のアンテナの中では、一番性能が良いとのことです。一日でたててくださいました」


「ほんとにいいスポンサーだな」


「はい、ほんとにいいスポンサーでございます」


「おっさん、ゆづき、その話はそれくらいで。もう本題に入ろうぜ」


「ああそうするか」


二階堂は中に入った。





プレハブのさして広くない部屋で、三人が座っている。


中央にゆづき、向かい合うように右に二階堂、そして左に龍夜である。


いつもの場所である。


二階堂がゆづきに言った。


「上の十二人の正体がわかったそうだが」


「はい、わかりました、二階堂様。あいつらは、子取り鬼でございます」


「子取り鬼? 鬼ということは、日本のもののけなのか」


「いいえ違います、二階堂様。子取り鬼というのは日本での呼び名、つまり日本語に訳した名前でございます。その昔、西洋の幻獣やもののけを日本語に訳した時、人型のもののけのいくつかは、なになに鬼と訳したのでございます。やつらもその例にもれず、子取り鬼と訳されました。子供を取って食べるからでございます」


「そうか。で、向こうでの呼び名は、何と言うんだ」


「西洋での呼び名は、オーガでございます」


「オーガ? なんか聞いたことがあるような気がするが」


龍夜が会話に入ってくる。


「まあ、伝説や童話なんかに、たびたび出てくるからな。有名なところでは、長靴をはいた猫に出てくるオグル、英雄ベオウルフに片腕を取られたグレンデル、ジャックと豆の木にでてくる巨人なんかが、オーガだ」


「長靴をはいた猫は子供の頃に読んだことがある。けっこう好きだった童話だ。たしかあそこに出てくるオグルは、ぺロに変身能力をおだてられて、それで豆になったとたん、ぺロに食われたんじゃなかったかな」


「そのとおりだぜ、おっさん。その年でよく覚えているな」


「その年では、よけいだろう。だとすると猫に騙されるなんて、あんまり賢いとは言えないんじゃないのか」


「とは言っても、ペロはケット・シーだぜ」


「ケット・シーとは何だ」


「ケット・シーとは、まあ幻獣と呼ばれてるものだ。日本流に言えば、化け猫かな。とにかくケット・シーは、人間より頭が良くて口が達者だと言う話だから、騙されてもしょうがないんじゃないのか」


「そうかな」


今度はゆづきが会話に加わる。


「確かに子取り鬼、オーガはあまり賢い幻獣とは言えません。でも、決して愚かであると言うわけでも、ないのです。それに一人だとそれほど気を使う必要はないと言えますが、十二人もいるということが、一番問題なのでございます」


二階堂がゆづきに聞く。


「なんで十二人いることが、問題なんだ」


「先ほど申しましたように、奴らは愚かではありませんが、決して賢くもないのです。しかし、その理由はわかりかねますが、やつらオーガは、その人数が増えれば増えるほど、悪知恵がより働くようでございます。人間も一人で考えるより何人かで集まった方が、よりよい案が浮かぶと言われていますが、子取り鬼たちはもとの知能から考えれば、人間以上にその差が大きいように思われます。


それに人間は多く集まれば、意見が二つになったり三つに分かれたりしますが、子取り鬼たちは、全くそんなことがないのです。多人数で話をしているうちに、そのうちに一人が何かを思いつきます。すると全員がそれにしたがう。そんな不思議な特性を持っております」


今度は龍夜がゆづきに聞いた。


「そうすると、常に何らかの悪知恵を思いつくという訳かい」


「はい、そのとおりでございます。そして悪知恵と言いましたが、その悪知恵こそが、やつらの最大の武器だといえましょう」


「悪知恵が最大の武器だって?」


「はい、左様でございます。それは前に戦ったドラゴンの子とその部下達との戦いを思い起こしていただければ、よくわかることと思われます。ドラゴンの子とその仲間は、邪悪で強力な存在ではありましたが、悪知恵にたけているとは言えませんでした。むしろその逆と言ってもよいかと思われます。奴らは私達と戦った時、いつも正面から肉弾戦を挑んできました。


それは私を自らの屋敷に拉致した時でさえ、変わりませんでした。龍夜様も二階堂様もご存知のとおり、私を人質として盾として戦うようなまねは、一切しなかったのでございます。ところが子取り鬼、オーガは全く違います。あやつらは正面きって正々堂々と戦うことなど、考えたこともありません。


あやつらは相手を騙し、不意打ちを仕掛け、汚い手を使って倒すことのほうに、生きがいを感じるのでございます。その手段が汚く卑怯であれば卑怯であるほど、達成した時に満足感を得られるのでございます。これまでの戦いにおいても私達の前に現れたのは、あやつらに無理強いされているギガントとゴブリンたちだけでした。


おまけに自衛隊から盗んだ爆弾まで使っています。今後どんな汚い手段を使ってくるのか、今のところ予想もつきませぬ。まさにあやつらは、悪いことならなんでもありなのでございます」


「卑怯な手段を使って喜んでいるってか。まるで性格の悪いガキだぜ」


「はい、龍夜様、そのとおりでございます。あやつらは子供なのでございます。しかも悪い意味で子供なのです。あやつらは残酷で、悪知恵が働き、ひたすら卑怯です。おまけに幼稚でわがままで、見栄っ張りで自己中心的なのでございます」


二階堂が呆れたように言った。


「なるほどな。それで奴隷のように使っているとは言え、一応仲間であるギガントにダイナマイトを巻きつけて、送り込んできたんだな」


「いいえ、二階堂様、オーガたちはギガントやゴブリンたちを仲間だとは、露ほども思ってはおりませぬ。全ては道具、消耗品としか考えていません」


「……」


「しかしあやつらがオーガと判明しましたおかげで、奴らが何故日本に着たのかが、わかりました」


「ゆづき、それはどうしてなんだい」


「はい、龍夜様、それはあやつらの見栄っ張りな性格を考えれば、おのずとわかることでございます。それは龍夜様が、ドラゴンの子を倒したからでございます」


「俺がドラゴンの子を倒したから、だって?」


「はい、そうでございます。ドラゴンの子の名は、ヨーロッパの幻獣やもののけたちの間では、かなり有名であったようです。そして彼らから、一目置かれる存在でございました。そのドラゴンの子を倒した龍夜様を殺すことができれば、自分達の名が上がる、今まで以上にヨーロッパのもののけどもの中で横柄に振舞うことが出来る。オーガたちはそのように考えているようでございます」


二階堂がさらに呆れる。


「なんてやつらなんだ。まさに性根の曲がったガキだな。で、奴らはヨーロッパの何処から来たんだ」


「はい、それもわかりました。あやつらは生まれ故郷であるフランスの深い森の中から、やってきたのです。おまけに同じくフランスからゴブリンたちを、ギリシャからギガントを引き連れて、この日本に来たのでございます。龍夜様を殺すために、そしてそのついでに、日本の子供達を食うために」


龍夜が聞いた。


「でもどうやって日本に来たんだ。さっき会ったフランスのねーちゃんの話によれば、オーガどもは人間に変身して来たみたいだが。でもゴブリンたちはどうやったんだ。まさか人間の子供に化けたわけでもあるまいし。ましてやギガントは、見た目は人間だがあのでかさだ。飛行機に乗るなんて芸当、とてもじゃないができないぜ」


「それは飛んできたのでございます」


「飛ぶって? 鳥みたいに」


「いいえ、そうではありません。龍夜様は、確かゴブリンが飛ぶところをご覧になりましたね」


「ああ、見たぜ。瞬間移動と言うやつだな。でも飛ぶと言っても、せいぜい十メートルくらいだぜ」


「それは一匹のゴブリンだからでございます。ゴブリンたちは、その数が集まれば集まるほど、より遠くまで飛ぶことができるようでございます。そしてたくさん集まれば、地球を半周するくらいは飛べるようでございます。その能力を使ってギガントと自分達の体を、日本まで飛ばしてきたのでございます」


しばらく黙っていた二階堂が口を開く。


「でもさっきの話だと、オーガたちは人間に化けて飛行機で日本にきたようだが。なんでゴブリンに運んでもらわなかったんだ」


「それもオーガたちの性格を考えれば、おのずとわかることでございます。あやつらは、自分の変身能力に自信を持っております。おまけに人間に化けて他の国に行くには、衣服はもちろんのこと、旅行者らしい荷物や必ず必要なパスポートも用意しなければなりません。オーガたちは変身能力以外に、私も詳しくはまだわかりませんが、ある種の魔法のようなものを使えるようでございます。


それを使って衣類やパスポートなどを作ったのです。自分の力を誇示したいがためということでもありますが、それ以前にそんなことをするのが、おそらく面白かったのでしょう。子供がプラモデルを作って楽しんでいる。その感覚に近いと思われます。一言で言えば、ただ単に遊んでいるのでございます」


「そうか、子供の遊びか」


「はい、二階堂様。あやつらにとっては、全てはただの遊びなのでございます。ゴブリンたちやギガントを使うのももちろんのこと、龍夜様を殺すのもそうでございます。なにもかも、単なる子供の遊びにすぎませぬ」


「全くなんてやつらだ。遊びで殺されたんじゃ、かなわないぜ」


「はい、そのとおりです。でも龍夜様、あやつらは遊びですが、こちらは真剣にことを構えないと、遊びで殺されてしまいます。十分にお気をつけ下さい。あやつらの目的は、龍夜様なのですから」


「わかったゆづき。ありがとう、十分に気をつけるぜ」


「俺ももう一度じっくりと、視てみるか」


「私も、二階堂様にならいたいと思います」


「ああ、ぜひそうしてくれ」





深い洞窟の奥に、オーガたちが輪になって立っている。


“ふうっ、やっとできたね”


“そうだね”


“でも、思ったより細工が難しかったなあ”


“むずかしかったね”


“時間かかったね”


“生きもんだからね”


“しょうがないよ”


“で、できたんなら、もう送りこもうか”


“うん、それがいいね”


“早いほうがいいね”


“それがいい、それがいい”


“そうしよう、そうしよう”


そう言って騒いでいる十二人の輪の中に、二人の子供が寝かされている。


それはこの度行方不明となった、男の子と女の子である。





ゆづきの話は終わった。


二階堂がゆっくりと腰を上げる。


そのまま入り口に行き、プレハブの粗末な戸に手を掛けると言った。


「それじゃあ、お邪魔したな、ゆづき。また来るからな」


「はい、いつでもおいでください。お待ちしております二階堂様」


二階堂が出て行くと、龍夜がゆづきの顔を横目で見た。


「なあ、ゆづき。あのおっさん最近帰る時、いつもこの俺にご挨拶なしだぜ」


「気になりますか、龍夜様」


「じぇんじぇん。別にあんなロリコンおっさんにあいさつされなくても、なんとも思わないぜ」


龍夜はそう言うとゆづきから目線をそらして、何もない空間を見上げて、鼻の頭を人差し指でぼりぼりかいた。


それを見てゆづきが小さく笑った。





二階堂は車に乗り込んだ。やがて車は走り出した。



ゆづきが龍夜に言った。


「もうすぐ昼食のお時間ですね、龍夜様。ただいまご用意いたします」


「おう、ありがとう。何度も言うけど、ゆづきの作ってくれるご飯は、ほんとうまいからなあ」


「もう、龍夜様ったら」





二階堂の車が山道を走っている。


車を運転しながら考えていた。


――もうすぐ昼食の時間だったな。失敗した。ゆづきの作ったご飯食べてから、出て行けばよかった。


これから笹本君と仲良く仕事だ。


乗り気のしない目で前方を見ていた二階堂の目が、突然大きく開いた。


――こいつは、いけない。


二階堂はUターンをしようとした。


しかしずっと続く細い山道に、Uターンの出来そうな場所は、何処にも見当たらない。


二階堂はとにかくUターンの出来そうな場所を見つけようと、アクセルを踏み込んだ。


そうしながら二階堂は携帯電話に手をかけた。


電話は繋がらなかった。圏外となっていた。


――でかいアンテナも建てたのに。昨日かけた時はちゃんと繋がったのに。いったいなんでなんだ!


二階堂は携帯を助手席に投げすてた。





ゆづきは台所に立っていた。


とは言っても簡易プレハブの家である。


部屋の隅に小さな流し台とガスコンロがあるだけだ。


そこでゆづきは料理をしていた。


台所に立つゆづきのすぐ横で、龍夜がごろごろしていた。


そのままゆづきの後姿と天井を、ゆっくりと交互に見ていたが、思い出したように大きなあくびを一つした。





“あったぞ、やっとあったぞ”


二階堂はようやくUターンの出来そうな場所を見つけた。


今まで嫌になるほど曲がってきたカーブと大きくは変わらないが、カーブの内側がわずかに広くなっている。


二階堂は急ブレーキをかけ、急ハンドルを切った。


しかしそれほど広くない場所で、一回の切り返しでUターンをするのは、物理的に不可能だ。


二階堂はハンドルを切りながらバックした。


そして再び前進させ、もう一度バックした。


が、Uターンが完了するには、まだまだ車を前後させる必要がある。


車は再びバックした。


ガードレールのない山道の深い崖すれすれのところで、車の後輪が止まった。


 崖の端の土の一部が、深い谷底に落ちていった。





ゆづきが流し台で大根を切っている。


龍夜は畳の上をごろごろ転がっている。


不意に止まると、半分以上閉じた目で天井を見つめた。


ゆづきは大根を切り終えるとまな板を持ち上げて、包丁を使ってまな板の上の大根を鍋の中に入れた。





二階堂の車はバックした。


そして前進し、再びバックをする。


そして数え切れないくらい切り替えしたところで、ようやくUターンをすることが出来た。


――間にあえば、いいが。


二階堂は、この先急なカーブの続く細い山道にもかかわらず、アクセルを思いっきり踏み込んだ。





ゆづきは鍋の中におたまを入れて、汁を少しすくって飲んだ。


――うん、これならいいかな。


ゆづきは龍夜に目をやった。


龍夜は目を閉じて、小さな寝息をたてている。


それを見てゆづきは軽く微笑んだ。





二階堂の車は、細い山道を信じられないスピードで走っていた。


再び携帯を手にしたが、やはり繋がらない。


――くそっ、あのバカ、あんな辺ぴな所に住んでいるからだ。


車は相変わらず猛スピードで走っている。


並の運転技術の持ち主なら、とっくの昔に崖に激突するか、はたまた反対側の深い谷底におちてしまうと思えるほどのスピードだ。


しかし二階堂はそうはならなかった。


自殺行為と思えるほどのスピードを保ったまま、走り続けていた。





ゆづきがお盆にのせた昼食を、ちゃぶ台の上に置いた。


龍夜はあいかわらず夢の中だ。


ゆづきは龍夜の体をゆっくりと揺らしながら、顔を龍夜の耳元へ近づけて言った。


「龍夜様、お食事の用意が出きました。起きてくださいませ」


「うーーん……いつの間にか寝てしまったようだな」


「はい、ご飯ですよ」


「おうっ、いつもながらうまそうだ。いただきまーす」


龍夜がものすごい勢いで食べはじめる。


「もう、龍夜様ったらあ。もう少しゆっくりと、おあがりください」





二階堂の車が相変わらず激しく走り続けている。


車の崖側のボディに、いくつもの傷やへこみが出来ていた。


途中で何回か崖に軽くぶつけたからだ。


しかし二階堂は、そのことに気付いてさえいなかった。





龍夜に続いてゆづきが食事をはじめた。


そして十分に煮えた大根を口に含もうとした時、その手が止まった。


反射的に龍夜を見る。


「龍夜様、来ます」


龍夜が反応した。何も言わずにゆづきを抱え上げると、入り口の戸を蹴り開けて外に出た。


外には何もいなかった。


龍夜はゆづきを抱き上げたまま、待った。


ゆづきも龍夜に抱えられたまま、おとなしく待っていた。


いつのまにかゆづきは、神社の敷地の中央付近を見つめていた。


龍夜がそれに気がつき、同じところを見つめた。


二人で何もない空間を見ていると、やがてその空間に淡い光が現れた。


現れた光はふたつである。


やがて光が実態を現した。


その二つの影は、子供とゴブリンだった。


真ん中に子供、そしてその左右の手を二匹のゴブリンが握っていた。それが二組いる。


実体化したかと思うと、四匹のゴブリンは子供の手を離し、お互いに手をつなぎあった。


そして再び淡い光に包まれたかと思うと強く輝き、やがて消えた。


あとには二人の子供が残された。


青白くまるで生気のない顔をした四歳くらいの男の子と女の子だ。


なにか薬でもかがされているのだろうか。


薄目をあけてはいるが、意識はほとんどないように思える。


龍夜がゆづきを下に降ろして言った。


「あいつら子供を残して行ったぞ。どういうつもりだ」


「……」


ゆづきは答えなかった。何かに意識を集中しているようだったが、やがてぽつりと言った。


「何か聞こえませぬか、龍夜様」


「何か聞こえる、だって?」


龍夜も意識を集中した。


最初は鳥の泣く声と風の音しか聞こえなかったが、やがてかすかではあるが、何かの音が聞こえてきた。


カッチ、カッチ、カッチ


その音は、そう聞こえた。


龍夜が何かを感じて走り出し、子供達の背後に回る。


そして見た。人形のように立っている子供達の背中に、時計とそれに連動したダイナマイトが取り付けてあった。


そしてその秒針は、あと数秒でダイナマイトが爆発することを告げている。


龍夜は叫んだ。


「ゆづき、逃げろ!」


ゆづきは一瞬とまどいの表情を浮かべたが、素直に従い、石段に向けて走った。


自分がとどまれば、龍夜のお荷物になると考えたからだ。


「ふんッ!」


龍夜は両の手に力を込めた。


瞬時にして右手は火龍、左手は水龍となった。


左右同時の龍変化(りゅうへんげ)。誰が名づけたか二頭龍(にとうりゅう)の術。


そして火龍と水龍のあごが、時限爆弾を子供達の背中から引きはがし、そのまま二つの爆弾を飲み込んだ。


ボンッ


ボンッ


火龍と水龍の口の中で、重く鈍い音がした。


二匹の龍はその口を開けた。


そこから大量の黒煙が吐き出された。


「さすが、火龍と水龍だぜ。口の中で爆弾が爆発しても、一応無傷みたいだな。とは言っても、俺は手がけっこう痛いけど。


龍夜は自分の右手と左手、火龍と水龍を交互に見つめた。


――火龍と水龍が傷つけば俺の手も傷つくわけか。本当に俺の両手が龍になっているんだな。


龍夜は石段のほうに顔を向けると言った。


「おーい、ゆづき、もう大丈夫だぜ」


ゆづきの小さな顔が、そして体がその姿を現した。


ゆづきが龍夜のところに歩いてくる。


「おーい、ゆづきよ。オーガのやろうはとんでもないやろうだぜ。今度はこんな子供の背中に爆弾つけて、送り込んできたぜ。なんてやろうだ。でもそれも火龍と水龍のおかげで、なんとかなったけどな」


「それはよかったですね、龍夜様」


そう言いながら、ゆづきは龍夜にさらに近づいてきた。


そして二人の子供の顔を見比べた後、二人の子供の間を通ってその後ろにいる龍夜のところへ行こうとした時、ふと立ち止まった。


ゆづきは自分の右にいる男の子と、左にいる女の子を見た。


「どうした、ゆづき」


ゆづきは龍夜を見た。そして言った。


「危ない! 龍夜様」


ゆづきは飛んだ。ものすごい勢いで。


そしてそのまま龍夜の胸に飛び込んできた。


龍夜はゆづきをしっかりと受け止めた。


次の瞬間、龍夜の目の前で激しい閃光が光った。


それと同時に、とてつもない爆音が聞こえてきた。


しかしそれは一瞬のことだった。


龍夜は何も見えなくなり、何も聞こえなくなった。





二階堂の車がようやく神社の下についた。


あわててドアを開けて車を降りようとした時、神社から地響きのような爆音が聞こえてきた。


見上げれば大量の土煙があがっている。


――しまった、間に合わなかったか。


二階堂は石段を駆け上がった。


そこには土煙しか見当たらなかった。


その煙幕のような土ぼこりの中、二階堂は龍夜たちの姿をさがした。


そのうちプレハブに突き当たった。


プレハブのガラスは全て割れていた。


中をのぞいたが、狭い部屋の中に龍夜もゆづきもいなかった。


視界の悪い中二階堂は二人を探した。


そうしているうちに、山からの吹き降ろしの風が、土ぼこりを徐々に払っていった。


そしてようやく二階堂は二人を見つけた。


何かが爆発したと思える二つの穴のずっと奥、木々が茂る森の一本の大木の下に、二人は倒れていた。


「龍夜!ゆづき!」


二階堂は二人のもとに駆け寄った。


龍夜は仰向けに倒れて、気を失っている。


そして龍夜に抱きかかえられるように、ゆづきが龍夜の上でうつ伏せに倒れていた。


ゆづきも気を失っていたが、ただ気を失っているだけではなかった。


ゆづきのその小さな背中は、真っ赤に染まっていた。





車が狭い山道を猛スピードで走っている。


二階堂の車だ。知らない人が見れば、運転手は気がふれていると思うだろう。


そんな走りだった。


神社に引き返した時、車の右側を崖に何回もこすっていたが、今度は左側がそれ以上に傷ついていた。


それでも車は全くスピードを落とさなかった。


そのうちに車は、ようやく細い山道を抜けた。


二階堂はサイレンを取り出すと、それを車の屋根につけた。


車はサイレンをけたたましく鳴らせながら、すさまじい勢いで走り続けた。





車は一軒の建物の前で急ブレーキをかけた。


そこは病院である。総合病院ではない。


建物はわりと大きいが、個人の病院のようだ。


二階堂は車から降りると入り口に向かって走り、荒々しく玄関の戸を押して中に入ると、受付につくなり叫んだ。


「透を呼んでくれ!」





    下巻に続く





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― 新着の感想 ―
[良い点] 二階堂が良い味で、龍夜とゆづきとの絡み合い、一見ミスマッチでありながら巧く調和しているのが良いです。魍魎丸とも相性良く、二階堂は多方面で実力ある奴だと思いました。 ゆづきと龍夜が、まるで…
2020/05/28 07:18 退会済み
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