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虚飾の舞踏会  作者: 猫柳
第一章  魔王の言い分
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森の少女 1

伸ばした手の先すら闇にのまれるような、暗い新月の夜だった。


絡まり合う木の枝と葉に僅かな光さえも遮られた森の中は、まさに深淵の闇と呼ぶにふさわしい。しかし、そんな森の中を進む、一つの人影があった。

りんごほどの大きさの光だけを頼りに、人影は躊躇いもなく、歩を進める。


「……シミオンも、性格が悪いわね。こんな時間までかかること、きっと知っていて押し付けたのよ。あぁもうまったく……」


少女の呟きに、数歩先を這っていた火蜥蜴サラマンダーは苦笑した。


「主の性格がひねくれるのはいわば宿命でさぁ。主の師もひねくれていらしたから。ひねくれ者に育てられたせいで蔦のようにひねくれて、そのまま固まったんでさぁ」


「それじゃ、その弟子である私もひねくれる宿命なのかしら。あらいやだ。ひねくれる前に頑張ってあそこから出る準備をしなくちゃ」


無秩序に伸びる枝を避けながら、少女は軽やかな足取りで火蜥蜴の後を追う。火蜥蜴も細い獣道から外れないよう、背中の炎を躍らせ、慎重な足取りで進んでいた。

少女の名を、エセルという。この森の奥に引きこもりの魔術師と共に住む、見習い魔術師だ。

まだ幼さを残した顔立ちながら、光神エリヤにも引けを取らない美しさを持つ少女だった。炎に照らされた髪は銅色の光を放ち、太陽の下であればより透き通った金の輝きを見せただろう。長い睫毛に彩られた瞳は暁を思わせる青灰色に染まっている。


ふと、エセルは風の変化を感じ、足を止めた。


「……エセルさん、血の匂いでっせ。風精霊シルフ達が血に騒いでいるんでさぁ」


確かに、右手から流れてくる風は落ち着き無くざわざわと木の葉を揺らしていた。

エセルはすっと顔を引き締めると、風の声に耳を傾ける。

エセルは、特に精霊の声に耳を傾ける精霊魔術を得意としていた。もっとも言葉を返せば、それ以外はからきしであるのだが。


《教えて頂戴、おしゃべりな瞬足の旅人さん。貴方が風上で見たものはなぁに?》


少女の問いかけに、一瞬風が止まった。直ぐに少女を中心に渦巻いた風が、早口に捲し立てる。


《乱闘だよ、森のお嬢さん。人間たちが斬り合っているのさ》

《あぁ臭い臭い。この先は血の臭いがひどいよ。早く森の掃除屋が片付けてくれないと、しばらくあそこには近づけやしない》

森の掃除屋オオカミだって近づきたくはないだろうよ。なんせひどい殺気を吹き出している男がいたからねぇ。叫んでいたから力を貸したけれど、代わりに血の臭いが染み付いちまったよ》

《避けて通りなさい、お嬢さん。悪いことは言わないよ》


言いたいことだけを口々に呟くと、再び風精霊達は軽やかな足取りで森の中を吹き抜けていった。エセルは彼らの残していった情報をまとめると、風上につま先を向ける。


「行くわよ、レグ。生存者がいるかもしれないわ」

「えぇ!?行くんですかい?」


紅玉のような両目をせわしなく動かし、レグと呼ばれた火蜥蜴は慌ててエセルの足を這い登り、肩に飛び乗った。


「当たり前じゃない。助けられるかもしれない人を助けないなんて、寝覚めが悪いもの」


助けなければならない。やけに強い使命感がエセルの中に現れ、それにエセル自身、小さく首を傾げた。何故そう感じるのだろう。分からなかったが、迷いを振り切って暗闇の中へと足を踏み出す。

やがて強情なエセルの様子に折れたのか、レグは肩から降りると、再びエセルの数歩前に立ち、道案内を始めた。

小さい案内人に連れられて、塗り込められた闇の中を歩く。だんだんときつくなる金属臭にエセルが顔をしかめたのと、レグの足元に血の池が現れたのは、ほぼ同時だった。

ぴりぴりと、闇に潜む気配をエセルは肌で感じていた。近くでごうん、と音がして、レグの背中から火柱が立ち上がり、やや開けたその場所を照らす。

それは、思わず目を背けたくなるような光景だった。

エセルのすぐ足元に、血だまりを作った本人が転がっていた。木綿の青いマントは血を吸い、赤黒い輝きを放つ。力なく地面に放り出された四肢。本来頭があるべき場所は赤き水の源泉となっており、エセルは静かに目を逸らした。

他にも、辺りには四つばかしの塊が転がっている。その一つに近づこうとした時、不意にレグの叫び声が耳に突き刺さった。


「下がりなせぇ!」

「――――っ!!」


どん、と足にレグが飛びついてきて、一瞬バランスが崩れ、地面に倒れこむ。倒れ込む刹那、眼前を何かが駆け抜けたのを、エセルは感じた。

倒れた拍子に、エセルはもろに赤い水をかぶった。むっとするような悪臭が鼻をついたが、エセルはそれには気を止めず、さっきまで自分がいた場所に目を凝らす。

そこには、黒い塊がいた。


「去れ……さもなくば斬る」


掠れた低い声だった。汗と血で髪が張り付いた顔は血の気がなく、片手で体を支えながら、剣先をこちらへと突きつけている。肩は呼吸に合わせて大きく揺れ、余裕がないことは一目瞭然だった。

エセルが唖然としていたのはほんの僅かだった。すぐに血を払いながら立ち上がると、剣を恐れることもなく、男に近づく。


「私はこの辺りに住む見習い魔術師です。その怪我、放っておけば死にますよ。治療をするため、剣を下ろしてください」


エセルから見て、まるで男は手負いの獣のようだった。まともな思考などもうほとんど残っていないだろう。ただ、『生きたい』という生物の欲求が、彼を突き動かしているように見えたのだ。

真っ直ぐに、エセルは男の瞳を見下ろした。彼女の心が届くように、まっすぐと。

ふ、と一瞬、男の瞳に理性の光が戻る。


「―――――――……」


男は小さく何かを呟いたように聞こえた。しかし、その声はエセルの耳には届かず、空に溶けて消える。

そのまま、男は剣を手放すと上体を崩し、糸が切れたように地面に倒れこんだ。エセルは慌てて男を支えると、まだ脈があることを確認し、唇に指を当てる。


ピィ―――――……と指笛の音が森の中に響いて木霊した。エセルはそれを確認してから男を背負い込むような形にして持ち上げる。


「エセルさん、流石に連れて帰るのは無理でっせ」


今にも潰されそうなエセルの姿を、レグは傍でハラハラと見守る。


「分かってるわよ、私一人じゃ無理なことぐらい」


エセルは拗ねたようにツン、と口を尖らせた。しかし、直ぐに聞こえてきた蹄の音に、さっと口をつぐむ。

駆け込んできたのは、栗毛の裸馬だった。馬具ひとつ取り付けられていないその馬は、しかしエセルの傍に駆け寄るとさっと膝を折り、地面に頭を垂れる。


「リオ、夜にわざわざ呼び出してごめんね。運ぶのを手伝って欲しいの」


了承を求めるように顔を覗き込むと、リオと呼ばれた馬は小さく鼻を鳴らす。それに満足したエセルは、どうにかこうにかリオの背中に男を押し上げた。


「さ、行きましょうか」


リオの首筋を軽く叩いて、エセルはリオの背中に飛び乗る。レグも這い上がったのを確認すると、リオは怪我人をいたわりながら、ゆっくりと走り出した。

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