第捌話 食生活を豊かにしよう
氏康夫人の名前を戒名から想像し、瑞姫にしました。
天文二十一年四月十日(1552)
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷付近の山
「兵庫介、満五郎、そっちじゃ!」
森の中をガサガサと凄い早さで猪が走りまくる。それを数名の男衆が追い立てる。
「若、金次郎、行きましたぞ!」
加治兵庫介の言葉に野口金次郎は銃床付きの鉄砲を構えて火蓋を切り狙いを定める。
「今じゃ!!」
ズドンと言う音と共に金次郎の手により鉄砲が放たれ、見事猪に命中しドサッと言う音を残して猪は崩れ落ちた。
「見事、金次郎」
「若」
追い込んでいた者達も次々に集まってくる。
「兵庫介、満五郎、皆、御苦労じゃった」
余四郎の言葉に、皆が恐縮する。
「若、ありがとうございます」
「しかし、一発で命中とは金次郎も名射手になったな」
「いえいえ、頬撃ちではここまで行きません。やはり肩撃ちで安定しているからですね」
「猟には最適な種子島じゃが、戦には未だ未だつかえんな」
「鎧の形に合いませんから」
「まあ良いわ。でかい猪じゃから、今夜は創作料理を作るぞ」
「若の料理で有れば、楽しみですな」
「この前の衣揚げも美味しかったですから」
「そうですな、あの胡麻油の風味と衣のサクサク感がたまりませんでしたな」
「と言う訳で、猪を持って帰るぞ」
「はっ」
天文二十一年四月十日
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷 三田余四郎
帰る途中で畑に寄り野菜の収穫をしてから、屋敷に帰り台所の外の土間で猪の解体作業を開始。皮を剥いでいると猪の皮からダニやら寄生虫が次々と逃げていく。体温が無くなり宿主の死を知って寄生先から逃げていくようだ。
解体が終わってそれぞれの部位に分けたら料理の準備。まあ自分は料理には参加出来ないので、指示するだけだけど、現代食を少しでも作るためなら手間暇惜しみません。料理を作るのは幻庵爺さん所の料理番の志摩おばさん達がやってくれます。
「志摩さん、小麦粉で塩を入れない太い平麺をうって。寝かせないでいいから」
「寝かせないと、腰がでないですよ?」
「煮込むんで、そのままで良いんだ」
「判りましたよ」
流石、お志摩さん、テキパキと下女達に指示して麺を作っていく。
「汁は煮干しと椎茸で出汁取った後に、豆味噌を溶かして、それに南瓜を切って入れて」
「南瓜ですね。余四郎さんが最近作ったんですよね」
「そうそう、南蛮から来た野菜だからね」
「煮物には良い甘みでしたね」
「汁に甘みが出るんだよ」
「判りました」
「煮えたら、野菜を入れて」
「大根、アブラナ、里芋、蕪の葉、金時人参、牛蒡ですか?」
「そうそう、煮えにくい物から順次煮て、麺も入れてとろみを出して、猪肉を入れて煮えたら灰汁を取る。最後にネギを刻んで入れれば完成だよ」
乾燥野菜や室に入れていた野菜もあるけど、カボチャは真っ先に江戸湊の商人に頼んで手に入れたから、まあ東洋カボチャだけど、人参も金時人参だし、白菜がないから代わりに菜の花を使う。
椎茸はこの時代は栽培できないので大変高価だが、以前作った寒天で椎茸の胞子を育て、それを大鋸屑と米糠と貝殻粉とかを混ぜた菌床で育成中。何れ養殖椎茸が出来るかも知れない。
「判りました。調理しますんで、お部屋でお待ちくださいね」
「はい」
部屋に帰れば、金次郎達だけじゃなく、何故か藤菊丸と竹千代丸まで来ているんだよな。
「よっ、余四郎」
「余四郎さん」
「此は此は、藤菊丸様、竹千代丸様」
「ああ、堅苦しい挨拶は無しだ」
「はぁ」
「猪を討ち取ったって聞いたから、食べに来たぞ」
「私は兄上に、連れられて・・・・・」
藤菊丸はさも当然という感じで、竹千代丸はあつかましい兄ですみませんと言う顔をして。
「まあ、どうせ又変な料理を作るんだろう。味見役だ、味見」
料理に期待しているという顔が在り在りですよ。
「判りました。今作らせているので、暫しお待ちを」
最近、氏康殿幻庵爺さん達が上野へ遠征中なのを良いことに、二人はしょっちゅう飯をたかりに来る様に成って居るんだよな。
「この前の蒲鉾は旨かったぞ。刺身に向かないイシモチやサメ、膠の材料のニベの身を磨り潰して蒲鉾の材料に使うとは考えた物だと、城下じゃ評判だぞ。今じゃ蒲鉾屋が出来たぐらいだ」
そうなんだよな。小田原と言えば蒲鉾と提灯じゃないかと言う訳で、探したが無い。聞いてみたら蒲鉾はこの当時は非常に高い物だった。何せ鯛の代わりに進物に使うぐらいだったから。それならとサメとかのあまり喰わない魚の白身を使って作ったのが大当たり。幻庵爺さんや氏康殿にも認められて、あれよあれよと蒲鉾のライセンス生産が決定。城下の店に作らせたら安価で美味しいと大ヒット。僅か半年程度で小田原名物になりつつあるわけです。
「そうですか、食は文化と言いますからね」
「なんだか判らんが、旨い物を庶民が食べられるのは良い事だとは思う」
「ですね」
「んで、今日は何を作ってるんだ?」
興味津々で聞いてきますね。
「麺料理ですけど」
「麺か、ウトムか蕎麦切りか?」
ウトムって饂飩の事なんだよな。未だ饂飩と呼ばれてないから。因みに蕎麦も先取りで考案してしまったので、信州蕎麦が蕎麦第一号の栄冠から転げ落ちました。
「ウトムに近いですけど、腰がない麺を味噌で煮た物です」
「煮ウトムか、どんなもので有ろうか、楽しみだ」
竹千代丸が手持ちぶたさに見えたので、遊び道具を出して遊んでやる事にした。
「竹千代丸様、何かで遊びますか?」
「いや、余四郎さんの御手を煩わすわけにはいきませんので」
見てこの礼儀正しさを。藤菊丸にも竹千代丸の爪の垢を煎じて飲んで欲しいものだ。
「余四郎、それじゃ俺と遊ぼう。又新しい遊具を作ったんだろう」
此だ、この人なんなんだかなー。
仕方が無いので、某傑作ゲームを出してきましたよ。
「此は?囲碁とも違う、背中合わせに黒と白の石が貼り合わせてあるのか」
そうです、あの日本生まれのゲーム、オ○ロですよ。子供の遊びとしては囲碁より良いですからね。
「こうやって、置いて挟まれたら引っ繰り返る訳です」
「なるほど、陣取りか」
「そんな感じです」
「武将将棋、投げ矢、花札、数字札とかよく考えつくよな。俺は無理だな」
武将将棋は軍人将棋、投げ矢はダーツ、数字札はトランプなんだよ。
いえいえ、真似しただけですから。
「何となくですよ」
「その、何となくが凄いんだよ」
「恐縮です」
「さて、それ名前有るのか?」
「未だに」
流石にオ○ロは不味いでしょう。
「なら、碁反でいいんじゃないか?」
「碁反ですか?」
「そうだ、碁石の様な石を反転させる。単純明快でいいじゃないか」
「そうですね、碁反にしますか」
「決まりだ。じゃあ、俺が烏帽子親だから、売り上げの一部は寄こせよ」
ニヤニヤしながら、さらっと分け前を要求してくるとは流石。北條家の血を引いてるよ。
「判りましたよ。売れたら払いますからね」
「以前の品も皆売れているから、大丈夫だろう。二割で良いぞ」
「重ね重ね兄がすみません」
竹千代丸がペコペコと頭を下げてくるが、苦労性だね。もう藤菊丸の行動に対しては諦めてるんで気にするなと言いたい。
「竹千代、何を言うか、正当なる報酬を受ける事も必要ぞ」
「兄上のは、正当と言えるかと言えば、かなり疑問ですよ」
「言うようになったな」
兄弟喧嘩じゃなく、犬の兄弟のじゃれ合いみたいなものだね。
「まあまあ、此でも食べて、落ち着いてくださいな」
そう言って、毎度試作品の数々を食べさせているんだよ。
「ん、これは?」
「此方が、梅の蜂蜜漬け。こっちが小魚やアラメをたまり醤油で煮染めた物。でこっちが、寒天とエンドウ豆と求肥に黒蜜かけた物」
小魚の醤油煮は佃煮だし、寒天はあんみつ擬きだ。
「贅沢だな」
「余四郎さん、食べて良いのですか?」
「どうぞ」
藤菊丸は梅の蜂蜜漬けを試食、竹千代丸はあんみつを試食だ。
「旨いな、これは良い」
「美味しいです。姉上達にも食べて貰いたいです」
「そんなに、旨いか」
今度は藤菊丸が、あんみつを食べる。
「おっ、良い喉越しだ。此は確かに旨いな」
「でしょ。兄上」
「うむ。余四郎今度姉上達にも馳走してやってくれ」
「無論です」
“重畳重畳”と頷く藤菊丸。
「さて、此はどうかな?」
そう言いながら佃煮を食べる。
「んー、此は又、コクがあって旨いが、飯が欲しくなるな」
「そうですね、此だと湯漬けと一緒に食べれば更に美味しいと思いますよ」
「そうだな。今は無理だが、後で湯漬けと共に喰ってみよう」
もう持って帰る気、満々ですね。
「お土産に持って帰りますか?」
「ああ、頼む」
そうこうしていると、夕餉の支度が出来たと、お志摩さん達が運んできてくれた。
「此で宜しいでしょうか?」
おっ完璧なほうとうですよ。流石お志摩さん。
「お志摩さん、此こそ求めていた物です。御苦労様です」
「宜しゅう御座いました」
「余四郎、此が煮ウトムか、何とも食欲をそそる臭いじゃな」
お志摩さんがみんなにそれぞれ分けてくれる。
「熱いですから、お気を付けてくださいませ」
散々食べに来ているので、今では普通に藤菊丸達と接しているから良いんだよ。最初の頃は恐れ多くてとかで大変だったから。
「さて、此をかけると更に味が引き立つぞ」
出したのは、七味唐辛子、此も江戸湊から唐辛子の種を仕入れて畑で試作した物。未だ日本に入ってきて僅か10年足らずなので探させるのに苦労したけど手に入れられました。それで唐辛子、麻の実、陳皮、黒胡麻、白胡麻、生姜、山椒を入れたから。取りあえずは七味が完成。流石に芥子の実は手に入らないですからね。
「ほう、此は?」
「唐辛子」
「真っ赤だな」
「辛い物だから、入れすぎるなよ」
「判った」
少しかけて見せて、早速試食開始。皆食べ始めると、一様に黙々と食べ続ける。幻庵爺さんの家族は今小田原城に行っているから、下働きの人達とか留守番しか居ないんだよな。無論監視は居るけど。
「旨い。旨いぞ」
「美味しいですね」
「美味ですな」
皆一様に旨いの連発。やった、此でほうとうが完成です。
自分も食べたけど、化学調味料が無い分、自然の味がして何とも言えない旨味がでるね。
「余四郎、此は体が温まるな。冬の戦陣食には良いかもしれない」
「此は美味ですな。余四郎殿の考案なさった物は非常に面白い物が多いですからな」
いつの間にやら、藤菊丸の守り役の近藤出羽守が来てるし。しかも確り食べてるし。
「出羽、いつの間に来たのだ?」
「藤菊丸様がお城を抜け出して直ぐに気がつきましたよ」
「いやその、父上には内緒にして欲しいのだが・・・・」
威圧感有るな。流石歴戦の武者っていう感じがする。けど近藤出羽守って八王子城で戦死するんだよ。
「一言、言って下されば良いのですのに。何故に何時もこうするのですか?」
「いや、行くと判れば、余四郎に余計な心配をかけるかも」
「それは、却って余四郎殿に迷惑ですぞ」
うひゃ、出羽守のお小言で藤菊丸がタジタジだ。
「そうか、では次回からは先触れを出せば良いのだな」
「仕方がありませんな。必ずお知らせ下さいませ」
「判ったのだ」
「余四郎、悪かった」
「いえいえ、その様な事は御座いません」
一応人質だし、出羽守が居るから、下手に出ておかないと。
「余四郎殿、余り藤菊丸様を甘やかさないで頂けたらと」
「判りました」
「出羽、余四郎の作る物は皆、面白く役に立つ物ばかりだ。此処へ来るのも学問の一環としてなら良かろう?」
仕方が無いという感じで、出羽守が答える。
「判りました。先ほども言いましたが、私の許可を受けてから一緒に出かける事にして頂きますぞ」
「出羽、判った」
「さて、それでは、藤菊丸様、竹千代丸様、お城へ戻りますぞ」
「判った。余四郎、ご馳走様、お土産貰っていくから」
「余四郎さん、今日は大変ご迷惑をおかけしました。そして大変美味しゅう御座いました」
「では、余四郎殿、忝ない」
「藤菊丸様、竹千代丸様、近藤殿、お気を付けて」
嵐のような二人組+数名が帰って行って、この日はお開きになった。
屋敷の留守番組にもほうとうは絶賛を持って受け入れられた。
後で話を聞いたら、藤菊丸が持って行った佃煮を湯漬けで食べたら絶賛で、氏康様の奥さん瑞姫様も絶賛したとか。