第睦話 救荒作物と煙硝
現実逃避でUP、引越準備が終わらない。
天文二十年七月五日(1551)
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷
今日は図らずも天正十八年に北條家が猿に降伏した日じゃ無いか。まあ関係無いけど。幻庵爺さんに引き取られて早くも半年経った。しかし何だこの爺さん。年寄りだから朝早いのは判るが、日の出と共に起きて、俺も起こされ本殿の掃除に薪割り。それが終われば今度は朝練だ!それが終わって朝食だけど、玄米に野草の入った糠味噌汁(大豆味噌は主に戦時中用)里芋、梅干しと精々鰯や鰺が付く程度。まあ庶民に比べれば贅沢だが。爺さん、馬術、弓の名手だし、元々北條家は作法伝奏を業とした伊勢家出身だから、その後継者として文化の知識も多彩で、和歌、連歌、茶道、庭園、一節切などに通じている。しかも手先も器用で、鞍鐙作りの名人で「鞍打幻庵」とも呼ばれたそうで、時折作ってるのを見せて貰っている。
しかし、仕込みが厳しいわ。爺さんの子供の時長殿、綱重殿、長順殿も苦笑いしながら『俺達もこの扱きに耐えたんだから頑張れ』と応援してくれるけど、手は出せないそうで。ドンだけ強いんだこの爺。しかもだ、この年で六歳になる娘までいるとは。確かこの子は世田谷吉良氏の氏朝に嫁ぐはず。その他本来の歴史で行けば上杉三郎景虎になるはずの氏康の息子の妻になる姫までいるはずだが、未だ生まれてないって事はこれ以降に生まれるって事だよな。すげーお盛ん!まあ毛利元就も九男小早川秀包を作ったのは七十歳の時だったはず。まあこの爺ならあり得るわ。
さてさて、勉強も作法も武術も必要だが、此方もこの期に来る関東地方の災厄を知っている以上は座して目する事も出来ないから、所謂“義を見てせざるは勇無き成り”だからね。まずは凶作と干ばつなどによる飢饉対策だが、救荒作物を大々的に耕作放棄地に植えさせてそれを保管させるシステムが必要だ。
救荒作物として有力なのはジャガイモだが、この時代未だヨーロッパにも入ってきたか来ないか状態でアジアまで届いてないから駄目。トウモロコシも同じだ。サツマイモも同じで、この時代はフィリピンから中国に伝来したのが1594年である事を考えるともしかしたら東南アジアになら有るかも知れない。確実なのは十世紀に南米から流入したらしいニュージーランドになら有るんだが、そこまで行けないので駄目だが。ポルトガルかスペイン人商人から手に入れられるかも知れないから、国府津湊や品川湊や江戸湊の商人へ頼むのも手だがな。こう考えるとこの時代が一番やり辛い事が判ってくる。
そうなるとサツマイモには期待だが、それが駄目なら旧来からの救荒作物の粟、稗、黍、モロコシ、蕎麦を植えるしかないな。後は里芋の生産で芋茎を大量生産し保管しておくしかないか。塩も大量に製造しないとだから最初は入り浜式塩田の試験を行って、その後流下式塩田にして竹に海水ぶっかけて蒸発させる方式で行けばかなりの成果が出るはずだ。
あとは、四公六民の税制から四公五民一義に出来たら良いのだが、年貢の一割を義倉に蓄えそれを飢饉の時に放出すれば救荒は可能なはず。日本や中国でも昔は行っていたし江戸期に入ると七部積み金や社倉として復活しているから、この北条家の税制体系なら可能なことだと思うんだが。何せ悪徳代官とかは目安箱による訴えで処罰されているのだから、よほど江戸幕府より進んだ施政だ。敵ながら天晴れとしか言いようがない。
武蔵野の開墾だって各地から流れてくる流民を屯田兵として開墾させれば実質そんなに費用も懸からずに最終的にペイできる。多摩川用水を作るとしたら完全コンクリート作りで船運や筏流しが出来る様な水深と幅を持たせて作れば、北からの来る脅威に関しての大堀に流用するのも一興だ。
用水の南側に村を作ってズラッと砦状態にすれば、襲われる前に避難が可能になるし、コンクリート製の壁も作ろうと思えば作れるし、鉄筋はないけど太平洋戦時中に作った國鉄戸井線のコンクリート陸橋は鉄筋ならぬ竹筋コンクリートで有りながら戦後六十年経ってもビクともしない状態なので、その頑強さが判るという物だ。
それにコンクリート自体は作ることが可能だ。青梅や奥多摩や日の出から石灰石を産出すれば、北條氏とて三田家を冷遇する事も無いだろうと思うんだが、如何せん自分の領土にした方が手っ取り早いと動く可能性もあるんだよな。公共の幸せを取るか家族の幸せを取るかって難しいよ。
本来であれば対北條戦用に考えていた作戦が、此処にいる状態じゃ全く手がつけられないしな。宝の持ち腐れも嫌だし、幻庵爺さん厳しいけど基本的に良い爺ちゃんだし。氏康殿も資料で読んだ通りの民政に気を配る良い殿様だった。
長男新九郎殿もお優しい御方だし、けど早死にしちゃうんだよな。原因がなんだか判らないから動きようが無いんだよ。次男松千代丸(氏政)殿は、俺のことを見下す態度が在り在りだったんだよな。流石北條家を滅ぼした四代目と言えるか。まあ今は次男だから良いんだけど、あれ世継ぎになったらどうなるやら不安だ。
意外だったのは三男藤菊丸(氏照)殿。三田家最大のライバルで怨敵なんだけど、スゲー良い奴だ。氏政が『精々殺されぬように大人しくしているのだな』と言ったのに、『齢九で親元を離れて寂しかろうが、幻庵老の優しさはよう知っておる。それに時々遊びに来るが良い』だからね。人格的に出来た人物だよ。敵じゃなければ良い友人に成れそうな人だ。
四男乙千代丸(氏邦)殿は、あの年齢で腹黒い。凄まじいぐらい腹黒い。今は九歳だが前の人生を合わせれば優に幻庵爺さんに匹敵する年代生きてきたんだから、あの程度の擬態じゃ騙されないですよ。流石に養父が死んだ後に義弟用土重連を暗殺しただけのことはある。
五男の竹千代丸(氏規)殿は無邪気な子供だったけど、此から暫くすると今川の人質に成って松平竹千代(徳川家康)とお隣に成るんだよな。それで仲良くなったはず、もしかして幼名が同じだからかも知れないな。
長女の綾姫はその時に今川氏真に嫁いで早川殿と呼ばれるんだけど、今川義元戦死後はまるでどさまわりの芸人の様にあっちこっちをたらい回しだし、実家からも武田に遠慮するために追い出されるし気の毒なお人だ。美人なだけに薄幸の美女の名がピッタリ合うんだよ。
次女の麻姫はあの黄八幡で有名な北條綱成の子北条氏繁に嫁いで新光院殿と呼ばれる。彼女は子宝にも恵まれたんだよ。
三女の妙姫は気の毒なお人だ。俺より一つ下の数え八歳だが、下総の千葉氏第二十五代当主千葉親胤に嫁ぐんだ。けど旦那が弘治三年(1557)に十七歳で暗殺されて未亡人になるんだよ。それ以来歴史に出てこないから、どうなったかは不明だけど、その時一緒に死んだ可能性もある。しかし弘治三年って数えで十四歳かよ。実質中学生。まあこの時代結婚は早いから、実際徳川家康の両親も十五歳と十三歳だったからまあ普通か。それにしても可哀想な気はするね。
まあ此も戦国の世の習いとして俺がどうこう出来る事じゃ無いし、出来る限り頑張れと応援するしか無いんだよ。それにしては不思議なことで、時たま幻庵爺さんと一緒に小田原城へ行くと、新九郎殿、藤菊丸殿、竹千代丸殿のもろ奇数組とはウマが合うんだが、偶数組は殆ど顔もあわせやしない。
それに姫様達はお優しいし、怨敵北條って気持ちがぐらつくね。特に妙姫が健気にも甲斐甲斐しくお世話しようと頑張ってくれて、スゲー心が和むわ。ロリじゃないですよロリじゃ、父性愛と言う物ですから。決してロリじゃありません!!
氏政、氏邦コンビは会う度に嫌みを言ってくるし、新九郎殿、藤菊丸殿、竹千代丸殿とは戦争はしたくないが、氏政、氏邦ならかかってこいと捨て台詞を残して戦いたい心境に成ることが多々ある。
それに老臣の松田盛秀の息子憲秀も嫌な奴だ。筆頭老臣の息子ってだけで、見下した態度を取りやがる。こちとらテメーが三十九年後に猿に内応を約束している事も知っているから、胡散臭く見たのが原因かね。それなら自分のせいでもあるけど、氏政と一緒に成って愚弄してくるから、何かむかつく。
まあ頭に来ることは置いといて、科学技術の進歩をさせなきゃ。
硝石作りについては、箱根の地熱を利用して硝石穴を恒久的に温める方法を作成し、囲炉裏端に穴掘って温める方式との検証実験中。此も爺さんとの話の中で聞き出された物だから。しっかし爺さん凄く聞き上手だ。それに日本最初の人工硝石作りの名誉を取りたいという研究者の好奇心が機密に勝ったと言うか何と言うか。
まあ、馬小屋とか古い民家の床下やトイレから硝石が取れると聞いた時の爺さんの驚き振りは傑作だったね。
「さて、余四郎、おぬしの言う硝石の作成法じゃが、本当に出来る物なのかな?」
「出来ます、蚕の糞、黍殻、尿などを混ぜ合わせれば、五年ほどで床が出来ます」
「ふむ、五年か儂は生きておらんかもしれんな」
いえ、とんでもありません。貴方は九十七まで生きますよ。
「最低五年で翌年からは毎年生産が可能になります」
「ではやってみるが良いが、困ったことに御本城様に煙硝の見本を渡さねば成らん。何か良い手はないか?」
んーあの手を教えるか。人工硝石作成には氏康殿と爺さんの協力が必要だからな。実家じゃこうはいかんから。
「それならば、馬小屋、民家の床下、厠の下から土を取り、加工することで煙硝が出来るそうです」
「ほう、真か」
「教わりました」
「余四郎はそれを覚えているのか?」
「覚えております」
「良し、明日からでも作ってみると良い」
「はい」
あああ。又、のせれらた!!
爺さん旨すぎるぜ。俺が間抜けなのかも知れないけど。
そんな訳で、まず下男や厩番などを動員して、厩屋や古い家の床下の表面の黒土を大量に集め、大桶に入れ、水を加え、含まれている硝酸カルシウムを水溶液として抽出。この水溶液を大鍋で加熱し、これを木灰を入れた桶に注ぐ事により、高濃度の硝酸カリ水溶液となり、これを濾過し煮詰めて乾燥すると粗製の硝酸カリウムが出来ると言う訳で、作業工程見た氏康殿と爺さんも盛んに頷いていたな。
爺さんは盛んに『うむー、此は凄い。しかし一度取ったらどの程度で又取れるのだ』って鋭い質問をしてくるし、氏康殿は『煙硝を国産化出来れば、此程よいことはない』って言って居たが、俺を見る目が獲物を狙う鷹のような目なんだよな。此は秘密を守るために消されるパターンなのかと思ったが、此処数か月何の危険もないから平気なんだろうけど、不安だ!!
天文二十年五月二十日
■相模國足柄下郡 小田原城
余四郎が煙硝を作成したその日、小田原城内では北條氏康、北條氏尭、北條幻庵の三者が会談を行っていた。
「幻庵老、三田の小童は噂に違わぬ麒麟児よ」
酒を飲みながら北條氏尭が話かける。
「確かに、一度聞いただけの事を実践出来るのは凄いが、それだけではない気がするの」
「未だ未だ才能を隠して居るという訳か」
「何れにせよ、今日の煙硝だけを見ても、余四郎を他所へ送ることも、ましてや勝沼へ返すことも適わん」
幻庵、氏尭の言葉に氏康が返す。
「そうさな、俺が見ても才気がある。あれを逃がせば北條の為にならん」
「それよ、やはり妙の婿に強引にでも迎え入れるしかない」
「三田は何時裏切るか判らんが、それでも残すか?」
「家を潰すより、残すほうを選択するで有ろうよ」
「幻庵老には引き続き頼みますぞ」
「左京殿お任せあれ」