第肆拾捌話 西國日誌
大変お待たせしました。
今回は、西國へ行った綱重達の話です。
現在、大腸の調子が悪い為下痢気味で通院しておりますので遅れ気味です。ご了承ください。
弘治三年(1557)八月一日
■肥前國松浦郡平戸 北條綱重
ふう、平戸に着いたは良いが、王直殿へ会うことが出来るかどうかが問題だな。一応、王直殿は近日中にも豊後から到着するとのことだし、孫八郎(渡邉孫八郎昌長)が同族であったお陰で、領主松浦隆信殿にも快く滞在を許して頂けたのだからな。
此処で王直殿を説得すれば、後は甑島へ行けば殆どは終わる。博多との関係は航海中に神屋紹策との話で、殆ど心配は要るまい。
「新三郎殿、如何致したかな。肩に力が入っておりますぞ」
「これは、忠貞殿」
島津忠貞殿は、にこやかな顔で私に助言を下さる有り難い方だ。
「今の内からその様な不景気顔ではどうしようも無いぞ。その顔では都に帰った後で、西園寺の姫御前に愛想尽かされるぞ」
「いや、月子殿とはその様な間柄では有りませんので」
うむ、月子殿とは確かに文を遣り取りしてはいるが、公家らしい和歌での文だが、親父(幻庵)直伝の和歌の教養で、月子殿の恋慕の心情が判るんだがなー。月子殿は西園寺家の跡取り娘だし、身分的にも合わないから返事の仕方に迷うんだよな。
「これ、新三郎殿。幾ら不景気顔が悪いと言っても、惚けても駄目じゃぞ」
この御仁は、私の鬱積とした心を和ませてくれるんだな。
「はい、判りました」
「その意気じゃよ、康秀殿も言っておったであろう、“当たるも八卦当たらぬも八卦”とな」
「アハハハ」
その言葉で、思わず笑ってしまった。そうだ、そうだよな、頑張ろう。
弘治三年(1557)九月一日
■肥前國松浦郡平戸
綱重が博多商人神屋紹策の紹介で領主松浦隆信と会い、その伝手で王直に会うことが出来たのは、平戸に来て四十日程経ってからであった。この時王直は豊後から帰港していたのであるが、明への帰國のために動いており、中々時間が取れなかった為に、この時期の会談と成った。
王直の平戸の屋敷へ案内され、二十畳程の座敷へ通され待つこと四半時(30分)程で、王直らしき四十代後半の海賊とは思えない程の知的な何処ぞの豪商の様な男が、一人の男を連れて入ってきた。
「王直と申す」
「北條左京大夫が臣、北條綱重と申します。本日はお忙しい中、お時間を作って頂き真に忝なく存じます」
王直の挨拶に綱重が丁重に返礼を行う。
王直と共に来た、海の男らしく赤銅色に焼け筋肉隆々の二十代後半の男が名を名乗る。
「俺は、頭領の義息の毛烈だ。最近は王滶と名乗っているが」
「此は我が主君北條左京大夫が名代、北條左衛門佐が書した物にございます」
綱重は挨拶の後、持参した手紙を王直へ差し出す。それを毛烈が受け取り、封を開けた後、危険な物がないか無いか調べた後、王直へ渡す。
受け取った手紙を王直は読み始めるが、次第に不機嫌な顔になっていく。そして最後まで読み終わると綱重をジロリと見ながら、その手紙に興味を持っている義息の毛烈に渡す。
「ん、此は……」
受け取った書状を読む毛烈の顔も次第に厳しくなっていく。
「御使者殿、此はいかなる仕儀ですかな?」
明人とは思えない流暢な日本語で王直が尋ねてくるが、目は完全に綱重を値踏みするかのようである。
「はっ、不躾ながら、明へ向かうのは危険にございます」
「使者殿、此には今回の朝廷(明朝廷)の招諭は罠だと有るが、馬鹿も休み休み言え!」
義父の王直ほど日本語が流暢では無い毛烈が憤慨しながら、綱重に詰め寄る。
「しかし、諸事情を考えれば、そうならざる得ないとの左衛門佐の考えにございます」
「義父上、遙か東の者の戯れ言など聞いても仕方が有りませんぞ」
毛烈が王直に聞くだけ無駄だと話しかける。
「御使者殿、我は今回、同郷徽州出身で顔見知りでもある胡宗憲殿からの話であるが故に、罠ではないと思っておる」
王直の言葉に毛烈が頷きながら説明を足す。
「それに胡宗憲は態々腹心の蒋洲を五嶋はおろか平戸まで寄越して義父上に約束したんだ。それにより俺や葉宗満が寧波へ直接行って、胡宗憲に会って確かめたんだからな」
目的語のない話に綱重が考え込むと、王直が話を纏めてくれる。
「御使者殿、胡宗憲殿は我が妻や子息を丁重に扱ってくれているのだよ、それに海禁を緩和し貿易の容認と帰国後は我に海上の治安維持を任せるという事まで譲歩してきてくれている」
「それで俺達が他の倭寇共の説得と覆滅を買って出た訳だ」
「その通りだ、蒋洲殿と共に九州にいる殆どの倭寇の説得がつい最近終わったのだよ」
王直、毛烈二人して綱重に言い、お前さんの親方の手紙は役にも立たないという顔をする。
「此は、余り言えない事だが、態々平戸まで来た勇気に免じて教えて遣わそう。今回の帰國は豊後の大友様(大友宗麟)が六年前に滅んだ周防の大内様に代わり勘合貿易をする為に、形式上は豊後王の朝貢船の形を取り、大友様の御使者も載せ、朝廷に勘合貿易復活を請う上奏文まで用意しているのだよ」
王直が綱重に丁寧に裏事情を教え心配無用だと話す。
「それだからこそ、帰國に関しては何の心配も無用だ」
毛烈がドヤ顔で話す。
しかし、綱重としても、評定で決まったこと故、其処で引き下がる訳にもいかずに、頭を下げ再度説得に当たる。
「王大人、世の中には贈り物を送り腕一杯になった所で、刀を突きつけることもございます。今までの事を考えても、明政府は海禁を緩和せず、私貿易商人を倭寇として弾圧してきました。先年徐海殿が倒された今、最後の海上の大頭目は王大人のみ、官軍が誘き出そうと考えても可怪しくありません」
「ハハハハ、御使者殿は予程の心配性らしいですな。我の様な商人と違い徐海は海賊行為を行い、更に我を殺害しようとした事も有る大罪人、その様な者と一緒に考えられるとは失敬な事ですぞ」
王直は笑いながら綱重に話しかけるが、綱重を冷めた目で見ている。
「そう言う事だ、第一中華では古来より同郷殺しは最も恥ずべき言と言われているんだ」
「左様、三國誌における晋の創始者、司馬仲達は同郷の知り合いを一族皆殺しにした為に未だに尊敬されておらん、その事を知る誇り高き胡宗憲がその様な事をする訳が無いのだよ」
毛烈も王直もとりつく島もない状態で、綱重の話を右から左へ聞き流す。
綱重もこれ以上の説得は無理かと諦め始めた為に無言の状態が続いた為か、隣の部屋から誰かが王直に声を掛けてきた。
「王大人、そろそろ終わりで宜しいのでは有りませんかな」
その声に気が付いた王直が声を掛ける。
「徳陽殿、善妙殿」
王直の言葉に応えるように襖が開き、二人の四十代程と五十代程の僧が現れる。
「話は隣で聞かせて貰いましたが、いやはや何と面白きことか」
「全くじゃ、左京大夫と左衛門佐には妄想の気が有るようじゃな」
二人の僧は笑いながら、北條氏康と氏堯の官途を呼び捨てにする。
此には綱重もムッとして二人の僧を睨み付ける。
「我が主君を愚弄致すか」
綱重が言った言葉を聞いて二人の僧は口々に話す。
「おお怖、流石は東夷よ」
「全くじゃ、坂東の草深き田舎者らしい物言いよ」
王直も毛烈もその話に付いていけないらしく唖然としている。
「王大人、彼等は何者なのですか?」
此処で怒ってしまえば、氏康の名誉に関わると思い、怒りをぐっと我慢して王直に二人の正体を尋ねる。
「うむ、御二方は、大友様の御使者、徳陽殿、善妙殿だ」
「そうよ、大友様は、お二人を正使として朝廷に勘合貿易の許可を受けることに成ってるんだ」
王直が冷静に毛烈が自慢げに説明する。
その話をすました表情で徳陽、善妙は聞いている。
「先ほどから聞いておれば、我が殿の壮大なる快挙を馬鹿にし邪魔する言動は聞き捨てなりませんな」
四十代の僧が嫌みったらしい目で綱重を見ながら話す。
「左様じゃな、北條が如き輩にあれこれ言われる筋は無いのじゃがな」
五十代の僧が不機嫌そうに吐き捨てる。
「それに、我が大友家は初代大友 能直様が武皇嘯厚大禅門様(源頼朝)の庶子であり、それ以来今日に至るまで豊後守護とし勤めてきたのだ。それを高々家臣筋に過ぎぬ北條の輩が意見するとは憤慨物だ」
「左様じゃ、豊後守様(大友宗麟)は、公方様をお助けし何れは九州探題にも成られる御方」
「そうよ、高々左京大夫如きの北條に何する事ぞ」
二人の悪態に切れそうな綱重だったが、ひたすら我慢し続ける。
「御二方とも、その辺で宜しかろう、そう言う事で御使者殿のお話を聞く訳にはいかんのだよ」
王直が徳陽、善妙の話を止めて、綱重に会談の終了を告げる。
流石に此処まで言われては、綱重も帰るしか無く、最後の挨拶を行う。
「王大人、お忙しき所、真に忝なく存じました。何がございましたら小田原を訪ねて頂きたく」
「さっさと帰るが良かろう、東夷は匂いがきついのでな」
「善妙殿、その辺で」
四十代の僧が悪口を言うのを王直が止めた。
「小田原ですか、何れ貿易にでも伺うやも知れませんな」
「是非に」
綱重は深々とお辞儀して、その場を離れた。
結果的に、康秀の考えた王直引き抜き作戦は失敗に終わった。この後、王直は大友家の使者と共に九月二十三日に平戸を発った。しかし勢いよく明に帰った王直は康秀の指摘の様に胡宗憲に騙された挙げ句、十一月に捕縛されたのであった。
無論大友家の勘合貿易復活を請う上奏文も、正式な勘合符が無い為に門前払いになったのである。
弘治三年(1557)九月一日
■肥前國松浦郡平戸 北條綱重
暗澹たる気持ちで屋敷を出た私の前に、忠貞殿が現れた。私としては、この様な不始末をどの様にお詫びすればいいか考えていた中での事であった。
「その様子じゃと、上手く行かなかったか」
「はい」
折角の九州行きを無駄にした私の脳裏には、切腹してお詫びをと言う事が過ぎっていたが、忠貞殿がまずは皆の所へ行こうと、世話になっている寺へ向かった。
寺に着くと、忠貞殿が懐から手紙を出し、私に読めと渡してきたが、それを読んで驚いてしまった。
“新三郎殿は真面目すぎる故、失敗を悔やんで死を選ぶかも知れません。忠貞殿がそれを止めることを期待していますが、いざとなったら、以前、綾姉様に渡した恥ずかしい恋文を墓前で大声で読み上げると脅して死なないようにして下さい。尚、恋文は小太郎が忍び込んで手に入れました。
新三郎殿、今回の王直の件は普通であれば信じない類でしょうから、断られても気にすることは有りません。それよりも甑島の事は確実に伝手をお願いします。康秀、氏政より”
この手紙を読んで、康秀、氏政の奴!!と思ったが、其処まで心配してくれているのかと嬉しくも成った。
「ハハハ、此は大変じゃな、無事帰らんと、後の世まで笑いものじゃ」
「それを言わないで下さいな」
「さて甑島へ行くとしようぞ」
「そうですね」
弘治三年(1557)九月二十日
■薩摩國甑島郡
甑島に着いた我々は、神屋殿の伝手でその嶋主小川越中守季輝殿と面会することが出来た。やはり海に囲まれているからか浅黒い三十代後半の日焼けした人物であった。
「小川越中守です。遠路遙々お越し頂いた。島故に碌な物はござらんが、今宵は緩りとお楽しみ下され」
「此は此はご丁寧に、拙者関東の北條左京大夫が臣、北条新三郎綱重と申します。我等の為にこのような宴を開いて頂き、真に忝なく存じます」
「いやいや、神屋殿のお話と有れば、断る事などありませんからな。それに鎌倉以来分かれたままの御本家が無事だったのは嬉しい事ですから」
そう言い、綱重達と共に来た小川次郎左衛門直高を見ながら話す。
関東の小川一族が来島したと聞きつけた甑島小川一族が、ヤンヤヤンヤと関東の話を聞いている。
「和田義盛の乱以来、音信が途絶えた御本家が生き残っていたとは」
「そうよ、とっくの昔に消え果てたかと思っていたわ」
皆に囲まれている直高がしどろもどろに成りながら答える。
「はい、左衛門太郎景綱が滅んで以来、本貫を失い、猪方へ逃れ細々と暮らしてきました。しかし、今回はこうして大任を得る事が出来ました」
酒が入ってるのか感動したのか直高が泣きながら喋っているのを、一族総出で囃し立てる。
結局一晩中飲み明かした皆は、屋敷で倒れて大鼾で寝込んでいた。
星明かりが消えつつある東側の海岸に一人の男が佇んでいた。
「此方に来ていらっしゃったんですか」
「新三郎殿か」
「忠貞殿、海を渡れば薩摩の大地ですな」
忠貞は感傷気味に頭を垂れる。
「そうじゃな。二度と帰れぬ故郷の星空と思っておったが、こうして又見る事が出来るとはな」
「向かいましょうか?」
綱重が密かに上陸する事を勧めるが、忠貞は頸を振り否定する。
「いや、儂が今帰れば、要らぬ混乱を巻き起こすだけじゃ。薩摩の民の為にも儂一人の我が儘を通す訳にはいかんのだよ」
「忠貞殿……」
「それに、この甑島も薩摩の内じゃ、久々の薩摩の食に満足したと言えば、良いかの」
忠貞は、片目を瞑りながらにこやかに笑う。
その後、季輝との交渉も旨く行き、何れ甑島の港を使用して中間貿易を行う約束が為された。
因みに、小川直高はこの地で歓迎された挙げ句に、妻がいるというのに無理矢理甑島小川一族の娘を宛がわれ、連れて帰る羽目になった。
小田原帰還後に奥方の長い長いOHANASHIが有ったことは、記録には残っていないが、風魔の話から康秀達は知って笑ったそうだ。
王直は史実でも捕まり、1559年に斬首されています。
王傲ですが、本当の字は(傲-イ+氵)なんですけど、字が出ないので傲で代用しています。
一応胡宗憲は助けるつもりだった様ですが、朝廷がそれを許さなかったと。けど結果的には同郷を殺したと言う事に成った訳です。
官警の言う事なんか真に受けるからそんな目に合うと言う訳ですね。




