第拾捌話 それぞれの日々
お待たせしました。あと数話で京都編が始まるはずです。
弘治二年三月二日(1556)
■相模國足柄下郡小田原城下 三田長四郎康秀屋敷
小田原城下の三田長四郎康秀屋敷の裏庭で、長四郎と平三郎達が集まり、何かを始めていた。
「長四郎、今日は何かと思えば、又変な物を作ったな」
「平三郎(北條氏照)、あのな、此は画期的な物だぞ」
「単なる鋤じゃないか」
「違う、これは円匙と言って、こうやって穴を掘る事に特化した物だ」
そう、余四郎改め、長四郎が持っているのは、現代人なら知っているシャベルだった。野口刑部と共に酒勾村へ移り住んだ鍛冶に鍛造を頼み、制作したのである。
これは、鍬や鋤より穴を掘ることに特化した物と言えばシャベル、という発想からである。
「と言う訳で、平三郎」
「なんだ?」
「穴掘ってみて」
「俺かよ」
「使い勝手がわかった方が良いだろう」
「判ったよ」
何だかんだ言っても、シャベルを手に穴を掘り始める平三郎である。この辺の付き合いは非常に良い。暫く掘り続けて行くと、平三郎の顔が真剣になった。
「おい、長四郎、此凄いじゃないか。堅いところでもサクサク掘れるぞ」
「無論だよ。何たって鋤と違って全体が鍛鉄製だし先端を磨いであるから武器にもなるぞ」
「おいおい物騒な物を作るなよ」
「いや、戦場で黒鍬(工兵)達に使わせて、非常時には逆手に持って刃を前面にすれば武器になるんだよ」
長四郎にしてみれば、第一次世界大戦の西部戦線における塹壕戦時に大活躍したのがシャベルとサブマシンガンという事実から、シャベルに刃を付けるという物騒なことを思いついたのである。
言われた平三郎は早速シャベルを逆手に持ってそこいら辺の立木を突くと、細い立木はバッサリと切断される。
「ほう、意外に威力もあるな」
「だろう。鍬じゃこうはいかないからね。それに縦にして殴れば兜被っていても気絶するぐらいの衝撃はいけるぞ」
「ほー」
平三郎はシャベルを気に入ったのか、振り回している。
「さらに、鋤と違って湾曲しているから、土砂が零れにくいし、綺麗にすればその中で焼き物や汁物を温めたり出来るぞ」
「そういや、そうだな。今まで何で考えつかなかったのかな」
「必要としなかった、或いは鋤は刃以外は木製だから出来なかったのかも」
「全て鉄で作るとは、発想の転換という奴だな。長四郎はたいしたもんだ」
平三郎が感心する中、長四郎は更に道具を持ち出してきた。
「今度は何だ?」
「畚に変わる運搬道具だよ」
長四郎が持って来たのは、大人が一抱えするぐらいの上の開いた箱に二本の持ち手が付き、更に箱の先端部分に一輪の車輪が付いた物である。現代で言うなら、工事現場でよく見る一輪車、通称猫車であった。
「なんだこれ?車輪があって箱か、んで取っ手」
「そう、此は一輪車だ」
「確かに車輪があるけど、こんなのが畚の代わりになるのかい?」
「此の原型は、三国時代、蜀の諸葛亮が開発した“木牛流馬”という物だよ。それを俺なりに改良してみたんだ。この箱に物を入れて、こうして取っ手を両手でそれぞれ持って、進むんだ」
そう言いながら、長四郎は土砂を入れた一輪車を押し歩く。
「おっ、凄いな。畚なら二人で運ぶような量を一人で運べるのか」
「そう言う事、まあ欠点もあるけど」
「なんだい?」
「畚なら通る事の出来る、余りに酷い凸凹や階段とかを上がれない事かな」
「なるほど、けど作事とか田畑、道とかなら充分使えるんじゃないか?」
「そうなるね」
平三郎は頻りに関心している。
「しかし、千年以上も前にこんな物を発明した諸葛亮はやはり凄かったんだな」
「そうそう」
「てことは、その後にある荷車も何かあるのか?」
長四郎の後にある二輪車を目聡く見つけた平三郎は質問する。
「よくぞ聞いてくれました。此は今までの荷車の欠点を改良した物だよ」
「ほうほう、どう改良を?」
「今までの荷車は、車輪の心棒が繋がっていたから、曲がるときに凄く力がいった。更に荷台の下を心棒が通っている関係で荷台が非常に高い位置に有って、荷物の積み卸しや、荷物を積んだときに重心が上になってフラフラしたりしていた。更に荷台部分が平坦なので、荷物の積載量が限られている」
「まあ、確かに小荷駄とかは大変な苦労しているよな」
「其処で、本来なら心棒は型枠の下を通っているけど、それを切断し型枠の上に心棒を抜けないように鉄の箍で押さえて左右の車輪が荷台の上に来るようにしたんだ。それに荷台に囲いを付けた。此により曲がるときは、曲がりやすくなり、重心も低くなり、荷物も多く積めるようになる」
「ほー、此も又、使えそうだな。けど欠点が有るんだろう?」
「まあね、荷車共通の欠点として、振動が凄い、それに重心が低いから泥濘地とかだと腹がつかえる」
「なるほど。けど一輪車と同じで、使い道さえ間違えなければ良いんじゃないか」
「流石平三郎、そう言ってくれると思ってた」
「現金な奴だな、で名前は?」
「一輪は、木牛流馬そのままだと変だから、猫車でどうだ?」
「なぜ、猫?」
「猫の様に狭いところまで入り込めるから」
「なるほどね、それで良いかもな」
「で2輪は里矢加とかはどうだ?」
「意味は?」
「一里を矢のよう加速する」
「又、こじつけか。けど良いんじゃないか」
「んじゃあ、早速幻庵爺さんに見せようぜ」
「そうだな」
その後、長四郎と平三郎は、久野屋敷に居た幻庵を呼んで、開発した三点を見せ、幻庵も使用した後、幻庵から氏康に試作品が見せられ、小荷駄隊や黒鍬衆に試験的に使われた結果高評価を得て、翌年から北條家で正式採用が決定した。更に民間にも販売されることになり、小田原は元より関東の北條領一円へ広がっていくのである。
弘治二年三月三日
■相模國足柄下郡小田原城 武田梅姫
天文二十三年に甲斐から嫁いで二年目が過ぎたけど、氏政様はお優しい。去年の十一月八日に折角出来た赤子を亡くしてしまった私を責めるどころか凄く優しく労って頂いた。最初は氏政様のお兄様氏時様と私は婚姻するはずが、氏時様がお亡くなりになり、急遽氏政様との婚姻に変わったとき、いきなりで氏政様は嫌なお顔を為さるのではないかと心配しましたが、杞憂で済んで幸いです。
氏政様は、人からは尊大だとか言われていますけど、私には良い旦那様です。けど、家臣との間で旨く行かない方もいらっしゃるようです。その様な家臣は父上なら粛正しますのに、お優しさが滲み出ています。私には氏政様が無理を為さっているようにしか見えないのですが、本当はどうなのでしょうか?
一緒に来た乳母の姉小路は、殊更氏政様の虚けぶりや尊大さに眉を顰めています。元々姉小路は、母上と共に都から下向してきたので、甲斐の皆を田舎者と言ってましたが、小田原へ来ても、北條の方々も田舎くさく雅さが無いと言ってますけど、呵ろうにも私ではやり込められてしまいます。
氏政様もお優しいですが、義父上や義母上や皆も大変お優しくて嬉しい事です。小田原へ来て驚いたことは、古府中と比べて町が綺麗で人の多いことです。海も生まれて初めて見ましたが、遙か先まで水が満々と蓄えられているのですが、富士の湖の何個分になるのでしょうか?
食事も唯々驚くばかりです。古府中では見たこともない、魚や貝類が食膳に並びます。昨日などは、鮑、鯛、イナダなどが並びましたが、全て生け簀と言う物で保管されて、直ぐに専用のお船で生きたまま運ばれてくるので、新鮮な状態で非常に美味です。
御母上が、小田原での生活を散々心配なさいましたが、古府中より遙かに暖かく過ごしやすいです。それに田舎田舎と仰いましたが、湊には沢山のお船が彼方此方からやって来ては、古府中では見たこともない大変珍しい物を沢山持って来ます。
先だっても、お城に献上された唐渡りの見事な青磁の茶器や、南蛮渡来の透明な美しい器などを見せて頂きましたが、とても都などでもお目にかかれない品だとの事です。やはり甲斐と違い海が有ることは素晴らしい事なのでしょう。
今夜も、お優しい氏政様と閨を共に致しますが、今度こそ丈夫なやや子を授かりたいです。
弘治二年三月三日
■相模國足柄下郡小田原城 北條妙姫
お父様から、余四郎様、あっもう長四郎様でした、との婚姻を命じられてから、三月が経ちました。私も既に十二になり初潮も来ており、何時でも嫁ぐ準備も整っておりました。
最近、氏堯叔父様から聞いたお話では、最初私は下総千葉家の御曹司に嫁ぐ話が有ったそうですが、長四郎様が当家に人質として来た際に、幻庵大叔父様が長四郎様の才気を見つけ、父上達とのお話し合いで私との婚姻を密かに決めていたそうです。
今に思えば、最初にお会いした時、氏政兄上が言っていたように、人質に一族全員で会う事自体可笑しいと言えましたが、あの時点で既に私との婚姻が決まっていたのでしょう。あの時のことを思い出すと頬が赤くなってしまいますが、麻姉様の言った言葉が正鵠を得ていたのですね。
私も、武家の娘として、親の命じた顔も知らない相手との婚姻を覚悟してきましたが、長四郎様に嫁げるとは望外の幸せです。長四郎様は、色々なお菓子や食べ物の研究開発に尽力してます。それの殆どが初めて聞いたり見たりする物で、驚きの連続です。
今、小田原では酢飯に魚の切り身を乗せた寿司なる物が流行っていますが、それも長四郎様がお作りになった物です。私も食べましたが、酢飯が程よい甘さでお魚が美味しくいただけます。その他に溜まり醤油を改良して醤油を作ったり、餡蜜や天麩羅、蕎麦なども小田原では流行しています。
それの全てが長四郎様のお考えだそうですが、一族以外には内緒にするようにと父上達からも命じられています。梅姉様にも絶対に秘密だとのこと。その辺も武家の娘として判ります。長四郎様の特異性はこの私でもよく判りますが、些かご本人がその事を余り意識していらっしゃらない様です。
その為に、私が早く長四郎様に嫁ぎ、確りと長四郎様を御護りできるようにしなければ成りませんね。父上は元より大叔父上や叔父上が長四郎様を大変かっている以上は、綱成殿に嫁いだ光叔母様や康成殿に嫁いだ麻姉様と同じ様に、北條家を盛り立てるために、長四郎様も盛り立てましょう。
長四郎様が当家に来ずに、最初のお話のまま千葉なんかの遠いところへ嫁がされていたら、どれだけ不安だったでしょうか。しかも千葉家は内紛気味とのことですから、益々不安になりますね。綾姉様も遠い駿河へ嫁ぎましたが、お婆様がいらっしゃるし、竹千代丸も居ますから、そんなに不安では無いでしょう。
本当に長四郎様のお陰です。早く嫁いで閨を共にしたい物です。




