第拾漆話 元服と婚約
明日から仕事が忙しいので、更新が遅れる可能性大なので、書ける限り書いておきました。
弘治二年一月一日(1556)
■相模國足柄下郡小田原城
小田原城では今年も新年の宴が始まっていたが、多くの家臣がソワソワしていた。何故なら他国衆三田家の四男余四郎の元服と当主氏康三女妙姫の婚姻が発表されるからだ。本来ならば宿老以外には秘密であった物が、松田親子のせいで家臣団にばれてしまったために、幻庵老などは苦虫を噛んだような顔であった。
氏康と氏政の新年の挨拶と家臣団の返礼が済むと、氏康自身が余四郎の元服を一月十五日に三島大社で行う事を告げた。そして三女妙姫との婚姻も告げた。
「皆、来る一月十五日に三島大社にて藤菊丸と三田余四郎の元服を執り行う。元服後に余四郎には妙を嫁がせる」
その言葉に、多くの家臣が目出度いという中、松田一門や松田の被官連中は喜んでいないことが判る。しかし肝心の松田憲秀の姿が見えないので、多くの家臣は不思議がりながら、ヒソヒソと噂話をし始めていた。
曰く、松田憲秀は妙姫の婿を狙っていたが、断られたので抗議で来ない。曰く重い病気だ。曰くふて寝。どれも違い実際には、大晦日から下痢が止まらないで厠から出られない状態になっていた。
弘治二年一月二日
■相模國足柄下郡小田原城 三田余四郎
去年の十月過ぎに改元があって弘治になりました。いやー、遂に発表されました。これで完全に北條家からは逃げられません。とは言っても太田康資(氏康養女)、足利晴氏(氏綱娘)、武田勝頼(氏康娘)、正木頼忠(氏堯娘)は、婿でも裏切ってます。けどそんな事したら確実な死亡フラグ満載なので、怖くて裏切りなんか出来ませんよ。
しかしこの発表で確実に実家にも知られますね。実家では騒ぎになること間違いないですね。刑部の考えで内緒にしていた金次郎達も目を白黒させるでしょう。しかし元服か。内示はあったので、取りあえず氏康殿と幻庵爺さんから偏諱を貰う事に成っています。
それにしても、松田の馬鹿(憲秀)が下痢で動けないとは。氏康殿か幻庵爺さんか、小太郎辺りが何か盛ったかな?こっちはヒマシ油天ぷらの効能を教えただけですから、知りませんよ。手は下してませんから。それに死なない程度の下痢ですからね。
婚約発表で、いきなり時の人状態。宴の最中にも俺の所に来るわ来るわ、色んな方々が挨拶に来ますよ。酔っぱらった大道寺のオッさんが孫の孫九郎(政繁)連れて最初に来ました。オッさん豪快に笑いながら、『小童、精通は終わったか?』『初夜はガッツクと性交せんぞ』とかの、恥ずかしい話や親父ギャグを大声で言うから、恥ずかしいですよー。そんでいて孫自慢じゃなく孫弄り。
『孫九郎は十二になるまで寝小便が』『河越では儂や息子に隠れて御陣女郎の元へ行こうとして、ばれて捕まった』とか言うんで、孫九郎と二人で強い焼酎飲ませて潰しました。
孫九郎、曰く『爺!!永遠に寝てろー!!』だった。
その後、色んな方々と挨拶三昧。この頃は越後の虎や坂東太郎が未だ来ない頃だから、小競り合いはあるけど平和で結構人が来てる。夕方までかかってやっと終わりましたけど、いやはや疲れる宴でした。
それで屋敷に帰れば、話を聞いた金次郎を筆頭に『おめでとうございます』の嵐だが、何故黙っていたんかの抗議も多数。仕方ないだろう、機密なんだから。金次郎なんかは『それほど、私が信用できませんか』って泪ながら訴えてくるし。仕方ないから、刑部の親父殿が仕込んだってばらしたら、刑部に文句を言いに行って、コテンパンに論破されていた。
それで翌日は、北條一門にご挨拶。氏康殿一家、氏堯殿一家、幻庵爺さん一家、綱成殿一家が勢揃い。だけど数人は任地にいるので来られないと。この時史実では後の上杉景虎になる西堂丸三才にご対面。東国一の美丈夫と言われたのが判るほどの綺麗さです。此なら謙信や信玄なら気に入りそうなの判るわ。史実通りに上杉に人質兼養子として行くのかは此からの戦略次第だ。
それと氏堯殿ご一家を紹介されましたが、男子二名女子一名の子持ちでした。上から天文十五生まれの六郎(氏忠)十一才、天文二十年生まれの竹王丸(氏光)六才、天文二十四年生まれで正木頼忠室になる篠姫二才です。
良く言われていたのは、氏忠、氏光は氏康殿の子供で有るって言う話だったが、実際は氏堯殿の子供で氏堯殿が永禄五年頃に死去した為に、氏康殿の養子になったのが真相らしいと言われていたが、此で氷解した。
幻庵爺さんの嫡男三郎時長殿は大酒飲みで今日も大酒飲んでるけど、幻庵爺さん、氏康殿、氏堯殿達に大酒は程々にしろって怒られてる。まあ確かに大酒で死んだ武将も結構いるし、正月の宴会で酔っぱらって城落とされた小田氏治とかもいるから忠告は判るんだが、三郎殿は酒が好きだから、話を聞くかどうかは判らないぞ。あれで小机城主なんだから、城中水瓶ならぬ酒樽だらけだったりして。
それはそうと、氏康殿次女麻姫も北條康成(氏繁)の後室として去年輿入れして今日は北條綱成一家側に居ますので、姫で一番前は妙姫なんですよね。挨拶しても凄くぎこちない感じで、顔を赤らめながらチラチラこっちを見てくるし、氏康殿も見てくるし。
けど、氏康殿、俺が貴方の娘を誑かしたんじゃなく、あんた等が俺を嵌めたんだろうが!とか言えたら最高なんだろうが、TPOを知ってますから、そんな真似は致しません。絶対にね。
弘治二年一月二日
■相模國足柄下郡小田原城下 松田屋敷
小田原城では正月の宴が行われている中、城下の松田屋敷では松田家嫡男憲秀が大晦日以来の下痢に悩まされていた。
「ふう、やっと収まった」
「若、大丈夫でございますか」
「何とかな。流石に喉が乾いた。白湯を持て」
やっと落ち着いた憲秀が近習に白湯を所望する。
「はっ」
暫くすると近習が白湯を持参した。
「白湯にございます」
受け取りゆっくり飲み始めるが、暫くすると又腹痛がぶり返してくる。
「ぐわー!!また腹が!!」
「若、大丈夫でございますか」
「大丈夫な訳があるか!!」
「うっ!紙ー!!」
尻を押さえながら慌てて厠へ又飛び込んでいく。
「うをーーーーーー!!!」
この悲鳴は正月二日の夜間まで延々と続いた。
弘治二年一月十五日
■伊豆國三嶋大社 三田余四郎
いよいよ元服です。氏康殿始め北條一門のお歴々方が集まってます。良いのか小田原城空っぽじゃ?今、武田晴信が攻めてきたら小田原城落ちるぞ。それとも忍者集団の奇襲で一族全滅とか。武田晴信なら普通にありそうで怖い。
しかし北條家の氏神様の神前元服式なんて、北條家の世継ぎとかじゃなきゃ出来ないんじゃないのか?まあ今回は藤菊丸の元服と一緒に開催というから、それで俺もついでに元服ってパターンだ。それじゃなきゃこんなに北條一門が集まらないって。
元服自体は、まあ腹を決めて居るから、最早じたばたしないけど、此を忘れてた!!嫌じゃー!!大人の服に改め、子供の髪型を改めて大人の髪を結って、烏帽子親により烏帽子をつけるのは知っていた。それまでの幼名を廃して諱を新たに付け、烏帽子親の偏諱を受けるのも知っていた。しかし厚化粧、引眉にお歯黒を付けるのは知らなかったぞー!!!
麻呂じゃないんだよー!!平家系の武将はそうするんだって、今言われたって知らないよー。兄貴達は物心ついた頃には既に元服してたし、氏時殿や氏政の時には参加してない!志○けんの馬鹿殿状態じゃ!!けど、結局は厚化粧されて引眉にお歯黒までして元服ですOrz。
あーたらこーたら神主が言ってるが、よく判らない状態じゃー!!
先に藤菊丸に対して、幻庵爺さんが烏帽子を持って頭に乗せます。
それで、名前を付けたんだが。
「藤菊丸、お主の名前は、北條平三郎氏照をなのるがよい」
「ありがたき幸せ。謹んでお受け致します」
えっ、史実と違う。源三氏照だった名前が、平三郎氏照って何故だ?
三郎は幻庵爺さん家の当主に付く名前だけど。考えてみたら、あー!!時期だ。未だ早いんだ。本来の元服が大石家の養子に入った時点で行われたのに、俺とダブルでやったから、未だ養子じゃないんだ。だから平が付いたんだ。
そうこうしていると俺の番が来て、氏康殿が烏帽子を持って頭に乗せてくれます。
此で元服と言う訳でして、そして名前を付けて貰います。
「三田余四郎、お主に儂の名を与え、三田長四郎康秀を名乗るがよい」
「ありがたき幸せ。謹んでお受け致します」
んで、幻庵爺さんと、氏康殿の偏諱を受けて、幻庵爺さんの俗名長綱から長、氏康殿から康、それぞれ貰って余四郎改め、長四郎康秀になった訳だ。駿河大納言の遺児か、どっかの梨みたいな名前だが、未だ此でも良い方だ。最初幻庵爺さんの幻を入れて幻四郎だから、なんか時代劇で変な剣法使いそうな名前だから全力で拒否、その結果今の名前に決定。秀は親父綱秀から取った訳です。
最初は余四郎で良いんじゃって話だったが、幼名のままだと余り良くないって事で、余を捨てることになったが、世は捨てない状態という。そうか、幻庵爺さん嫌に笑ってると思ったが、トンチで決めやがった。食えない爺さんだ。まあ良い爺さんだけどね。
爺さんと言えば、諜報部門の長だが、最近は風魔も新規に歩き巫女の教育という仕事をしているために、今までは殆ど禄も与えていなかったのを、正式に禄を与え始めました。そしたら彼方此方で乱暴狼藉や略奪する事が減ってきたようで、氏康殿もその事が判ったみたいで良いことです。それでか、風魔小太郎が最近やけに幻庵爺さんの所へ来ていたが、その辺の話だったのか。
風魔を優遇することは、武田晴信君が大好きな、孫子でも言ってるように、“敵を知り、己を知れば、百戦危うからず”って言うからと、それを実践するための諜報部門に金かけないでどうする。正面装備だけで戦争できる訳がない!そんな感じで、以前幻庵爺さんに風魔の待遇改善の話もしたんだが、それが花開いた訳だ。俺も少しだが銭座の上がりの半分を孤児院に寄付しているが、その予算も其処で教員している風魔の待遇改善にもなってるんだってさ。
そう言えば、一週間前に聞いたが、松田憲秀の下痢は小太郎が仕込んだとの事。小太郎が『フッフッフ』と笑いながら『新たな仕事用武器の実験材料として丁度良かったですぞ』って。おい小太郎、幾らあんな奴でも宿老の跡継ぎを実験材料にするなよ。まあ、ヒマシ油は二十世紀でも下剤として使っていたから、効くんだけどなー。何か風魔の敵が可哀想になって来た。
小太郎に何故やったって聞いたら、余りに最近の態度が悪かったので、氏康殿も頭を抱えていたようで、それならと、俺が開発したヒマシ油を使ってみようって幻庵爺さんと共に氏康殿の許可受けて仕込んだらしい。それも最近俺のせいで始まった年越し蕎麦の海老天をヒマシ油で揚げたんだと。
海老天とはどうしてと聞いたら、小太郎が言いやがった。以前余四郎様が仰っていたではありませんかと。『憲秀の野郎!余りしつこいと、ひまし油で作った天ぷら喰わすぞ!!』口まねで言いやがった。怖いよ風魔。敵には回したくないです。
そして松田側には完全にばれないようにしたそうで。それに松田家は風魔を馬鹿にしているそうだから、風魔がどんな物使っているかも知らないので、家中不和には成らないらしいが。ただヒマシ油の効果が知れたら、制作した俺が疑われかねないんですけど。そう言うと小太郎がスゲー楽しそうに、『フッフッフ』と笑いながら『余四郎様の身は風魔がお守りしますぞ』と言って消えやがった!!
本当に守る気有るのかと、その時は思ったが、実際に風魔の腕利きがチラホラ俺に態と見えるように動いているんで、本気度が判る。これなら小太郎に頼んで上方のスカウト予定者の居場所を探らせようかな。
弘治二年一月五日
■武蔵國多西郡勝沼城
勝沼城では、人質に出した余四郎が北條氏康が烏帽子親になり、更に氏康の三女を娶ること、北條一門に連なる事が伝わり、大騒ぎに成っていた。
「「大殿、殿。余四郎様の事、おめでとうございます」」
宿老を代表して三田三河守綱房と谷合阿波守久信、両名が挨拶する。
「うむ、余四郎も氏康様に気に入られたようで重畳だ」
「本当に。此で三田家も安泰となろう」
「「ははー」」
全体的に多くの家臣はこの婚姻に喜んでいるが、次男喜蔵綱行と三男五郎太郎は内心では、非常に憤っていた。
宴の後で何時ものように、二人で飲みながら悪口を言っていた。
「氏康も存外人を見る目がないわ」
「全くだ。本来なら俺こそ人質に行って北條一門に連なるはずであった物を」
「確かにそうだな。最初は五郎太郎と言う事で親父達は話していたからな」
「くっそう、余四郎のやつめ!」
「こうなると、北條が兄貴の後釜に余四郎を送ってくる可能性があるぞ」
「確かにそうだな。血筋を入れようとしてくるか」
「そうはいくか!」
「おう!」
二人が愚痴を言っていると、塚田又八が現れた。
「喜蔵様、塚田又八で御座います」
「おお、又八か何用じゃ?」
「はっ、新たな酒と肴を用意して参りました」
「おお、気が利くの」
「儂も又八が欲しかったのだが、兄者に取られたからな」
「俺自慢の宿老だ」
「勿体ないお言葉です」
喜蔵の言葉に恐縮した風に見せるが、相変わらず目は笑っていない。
「そうじゃ、又八。今回の余四郎の件、どう思う?」
「私の浅い考えですが、氏康殿は三田家の乗っ取りを企んでいるのでは」
「やはりそう思うか」
「又八、何故そう思う?」
「はい、態々四男を婿として取り立てる、それ自体あり得ません。弾正様は既に奥方が居りますから対象に成りませんが、家同士の繋がりを考えれば、喜蔵様か五郎太郎様に嫁がせるのが普通でございましょう」
「そうよ、それよ」
「やはりか」
「家を乗っ取られるぐらいなら、越後に居られる管領様に繋ぎを入れて置くのも良いかも知れんな」
「喜蔵様、誠に良きお考えかと」
「よし、又八。お主にこの事を任せる」
「はっ」




