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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第貳章 小田原編
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第拾睦話 あの臭いはラッパのマーク

この時代でも、材料がありました。

天文二十四年一月二十六日(1555)


■相模國足柄下郡 小田原城下 野口刑部少輔屋敷


「お久しぶりでございます余四郎様」

「刑部、一別以来だな」

「はっ、この度は御婚姻おめでとうございます。刑部は嬉しゅうございますぞ。あの小さかった余四郎様が北條家の婿に成られるとは、夢のようなことです」


野口刑部が感動の余り男泣きしながら余四郎に挨拶をし続けるが、余四郎にしてみればどん引き状態で有った。


「刑部、良く来てくれた。親父殿達は壮健かい?」

「はい。大殿、殿、皆お元気でございます」

「それは良かった」


「刑部は俺の宿老として仕えてくれるんだよね?」

「はっ、大殿、殿から、その様に。更に北條氏康様からもでございます」

「それはそれは、刑部、此から苦労かけるが、宜しく頼む」


「何の、余四郎様の為にこの老骨に鞭を打ってもお仕え致しますぞ」

「ありがたい刑部。此で経営も軌道に乗る」

「領地経営でございますな」


「あ、それもあるが、産物の店も出していてな」

「ほう、それはそれは、流石余四郎様です」

「まあ、色々と開発できたので」


「それは楽しみですな」

「追々、説明するよ」

「はっ」


「そう言えば、所領だけど」

「それならば、既に氏康様より百貫も頂きましたので、無用ですぞ」

「なるほど、それならば金次郎達に所領を与えれば良い訳か」


「その様に成りますが、金次郎達は未だ未だ未熟でございます」

「では幾ら与えれば?」

「そうですな、皆一応は騎馬武者ですので、軍役から行けば五十貫で騎馬一騎、旗一幕、弓一張、鑓二本ですから、騎馬武者だけですので、今は十貫で宜しいでしょう」


「判った。じゃあ金次郎達にそれぞれ所領十貫を与えよう」

「はっ」







天文二十四年十月一日


■相模國足柄下郡 小田原城下 三田余四郎屋敷 三田余四郎


今日、天文二十四年十月一日には、遙か西では、毛利元就さんが陶晴賢さんと厳島で戦いの真っ最中。


そんなこんなで領主生活が始まって、頃の良い端午の節句に妙姫との婚約が宿老連中に発表されると大騒ぎ。三派に分かれて喧々諤々、反対派と賛成派、中立派も居るが少ない。結局小田原評定で宿老の大道寺盛昌、松田盛秀、遠山綱景、笠原綱信、清水康英、石巻家貞が代表して意見を述べた訳でして。


松田盛秀、石巻家貞は反対派。大道寺盛昌、笠原綱信、清水康英は賛成派、んで遠山綱景が中立派だった。


反対派の理由は、松田盛秀は息子憲秀の関係で元々俺を嫌いになっているらしい。石巻家貞は単に他国衆の四男に姫を嫁がすことが果たして良いことなのかと言う理由。


賛成派の理由は、大道寺のオッさんと俺が仲が良いからって事と、孫の政繁が内政上手で俺と話が合うんでよく藤菊丸と一緒に論戦していたから、それで俺の能力を知った事も賛成の理由だそうだ。曰く『三田余四郎殿なら、我が家の愚孫より遙かに優れた内政能力を持っている。この儂が保証する』って言ってくれましたよ。大道寺のオッさんありがとう。


伊豆郡代笠原綱信は、金山開発で金山発見の功労者として偽装した大久保長安を推挙したのが俺と密かに知らされたため。清水康英は伊豆衆だけあって、水軍強化作戦の提案を出したのが俺だという事を密かに知らされたため。二人は能力を知って、それならば大丈夫だと言う事。


遠山綱景は接点が全く無いから、判断しかねるそうだ。


結局、氏康殿、氏堯殿、幻庵爺さん、更にビックリなのが絶対反対すると思った氏政が賛成に回った。んー次期当主になって、多少は考えるようになったかな?氏政が賛成に回った瞬間、松田盛秀がビックリ顔をしていたから、きっと反対すると思ったんだろう。俺もそう思ったから、松田盛秀の驚きは相当な物だっただろう。


そんなこんなで、当主一家全員が賛成した以上は、石巻家貞、遠山綱景も賛成に回ったので、孤立無援の松田盛秀は、『どうなっても知りませんぞ』って言って棄権したので、賛成多数で妙姫と俺の婚姻が決定された訳で、完全に人生決まりました。松田家との確執もできましたけどね。あー憂鬱だ!


その日から扱いは既に人質じゃなく婿殿状態。貰った屋敷が小田原城の本丸から僅か五町(545m)って言うだけでも相当な物です。場所的には今の小田原駅西口ロータリーの辺りか?至れり尽くせりですが、宿老達以外には未だ箝口令が敷かれてますので。理由は氏政の側近にするんで城の近くに屋敷を下賜したと言っているそうですが、直ぐに広まりそうな気がする。


何故なら、あの評定の後、小田原を地震が襲いまして。それ見たことかと松田憲秀辺りが突っかかって来る様になったから。奴はどうやら妙姫を狙っていたっぽい。母親が北條綱成の妹だから、既に側室がいるくせに、自分は氏康殿の娘を嫁にと思っていたようだ。だから親子揃って反対した訳だ。こりゃ修羅場になりそうな気がするが、俺とて好きで北條家の婿になる訳じゃ無いのに、一方的に怨まれるのは不幸です。


しかも地震なんて祟りとかじゃないって言っても、メカニズム知らないからな。史実だとこの地震本来なら天文二十三年に伊豆で殺害された上杉憲政嫡子龍若丸の祟りだと恐れられた地震ですから。今回は早雲様氏綱様が妙姫を下賤の輩に嫁がせるのを怒っていると、松田憲秀が言ってきてます。


それを聞いた藤菊丸も切れ気味で、うざい松田憲秀を絞めるかって相談してくるわ、珍しく乙千代丸が、クックックと笑いながら、絞めるなら手伝うぞって言うわ。それはそれで内乱に成りかねないので、止めてますが。けど憲秀の野郎!余りしつこいと、ひまし油で作った天ぷら喰わすぞ!!


まあ其処はおいといて。所領の方は刑部が主に仕切っていて、牛、馬、鶏と捕獲した猪の飼育を行いながら、その糞で堆肥を作る様にしている。馬の堆肥は既にあったんだが、鶏を大量に飼って鶏糞を利用するのは、実家の農家の知識です。


他にも、健康食品としてアシタバを育てたり、あることをするためにレンリソウ、イタチササゲ、ハマエンドウを育てて、豆を保管したりしてますよ。本当はスイトピーが欲しいんだが、未だ日本に入ってきてないんだよ。それにトウゴマも手に入れて栽培開始。此もトウゴマを備蓄するためです。念には念を入れないとですからね。


他に国府津に入ってくる商人達に、南蛮人や中国人から甘草カンゾウ肉桂シナモンの生きているのを手に入れるように頼んでいます。加工したカンゾウとシナモンは手に入りやすいから買う度に保管してますけどね。あとは、トマト、タマネギ、キャベツが欲しいので、頼んでますが果たしていつ来るか。


最近、丹沢山地や山北からブナの木を切りだして酒匂川に流して貰い、回収した後炭にしてます。炭は小田原で売ってます。その際に出る木酢酸を集めているんですよ。ある物を作るために。既にシナモン、カンゾウとかの必要な生薬は集まっているので、あとは集まった木酢酸を精製すればOK。


グリセリンが無いのが問題だが、石鹸作って廃液から精製する手もあるらいしが、作り方を知らない。オリーブ油加水分解物でも出来るらしいが、オリーブオイル自体が無い。まあ蜂蜜でも良いようなのでそれで我慢。


その為に最近は某番組のアイデアから養蜂も始めてみましたけど、結構大変なのが判りました。何十個も作っても入ったのが数個とかだったし、まあ少しずつ増やしていけばいいやと考えている訳です。


木クレオソート4、阿仙薬アセンヤク2、黄柏オウバク3,甘草カンゾウ1.5、陳皮チンピ1の割合で、それに桂皮ケイヒ、蜂蜜にデンプンを少々入れて混ぜると、独特の黒いあの臭いが出来ると。まさかこの時代に此が出来るとは思わなかった。そして半年一寸で出来るとは、流石だラッパのマークの正○丸擬き。


取りあえず、人体実験は腹痛の孤児とかでやってみた結果、確かに正○丸でした。此を量産して軍用及び庶民の常備薬として配給する計画です。更に外国へも売りまくりますよ。取りあえず、原料が自給できるまでは秘密にしますけどね。


何と言っても家の領地は小田原の外港たる国府津の真横にあるので、東海道の改修もし始めています。一里塚作って。けど六個ほど出来ました。本来ならば小田原城大手門から国府津まで一里半ぐらいしか無いので一個しかできないのだが、戦國時代の一里が六町しか無いので、起点と終点を除いた六ヶ所に塚を築いた訳だ。その他に日差しとか風を防ぐために松並木を作る様に黒松を植えてますよ。


本当なら、ローマのように石造りの街道とか、コンクリート舗装とかしたいんですけど、未だコンクリート作るだけの準備が終わってない。何れは九州三池で露天掘り出来る石炭を博多商人に掘らせて持ってこさせるつもり。それに計画中の玉川用水が出来れば、石灰石も江戸湊経由で持ってこられるから、何処か適当な場所にセメント工場を建てねば成らないな。セメントなら、ローマ帝国でも作っていたからなんとかなる。


酒匂川の霞堤は、城下の下板橋の石工青木家の協力で石積み開始。資金は金銭出納の御蔵奉行安藤良整殿から出して貰って建設工事中で来年には完成予定。一応実験なので、範囲は刑部の所領桑原郷から成田郷を抜けて、飯泉郷、鴨宮郷、酒勾郷という感じで一里半ぐらい(約6km)。同時に小田原方にも半里ぐらい(約2km)ほどが築かれる事に成っている。


更に銭座に関しては、職人奉行須藤盛永殿が職人を集めてきた。何と言っても鋳物師が必要だからと、鍋釜を鋳造していた山田家から職人を出させたらしい。まあ良いけど、鋳物=鍋釜じゃないんだが。それから試鋳を開始したが、最初は酷い状態で、何度か俺が指導とかして、やっと半年ほどで完全な永楽通寶が完成。直径は標準的な一文銭の大きさ(二十四ミリ)、重さ一匁(3.75グラム)で、ほぼ五円玉と同じ。品位は銅九十%錫十%という高品質ですよ。


発行後、小田原城下に作った公営両替所で鐚銭と交換開始したら、皆が並ぶ並ぶ、あっという間に北條領内に通用し始めたそうです。その銭座からも運上金が入るんですが、半分は孤児院運営資金に廻してますよ。残りは領内の新規産物や動物の飼育代へ行ってます。


それで、捨て子、孤児、間引く予定の赤子などを引き取る組織も寺社に託けて幻庵爺さんと風魔小太郎が組織を立ち上げました。女児は、箱根権現の元宮の巫女として育てる様に見せて実は風魔谷での忍び修行もあるという次第。男児の素質の有る子は忍びの修行させるそうだ。


他の男児は、箱根山中の仙石原の合宿で戦闘訓練と知識吸収させてますけど、幼い内は皆、石垣山に作った孤児院で生活させ、時々小田原まで出てきてます。何故石垣山にしたかというと、猿(秀吉)に対する嫌がらせですよ、孤児院を壊して城建てたって事になれば、後世に人で無しってなるじゃないか。


てか、小田原征伐が起こらないようにすれば良いんだけど、予想とは何時も最悪を考えて置かないと駄目だからね。楽観論では大日本帝国陸海軍の様に成りかねん。小物時代の猿をれば良いんだろうが、れるか判らないから、そんな博打に期待は出来ないだろ。


真珠の養殖は中々出来ませんよ。これ自体、有る海賊を釣るための餌みたいなもんだし。『英虞湾で半真珠を作れば儲かりますよ』って言う勧誘文句かな。


金山も万事OKだし、後奈良天皇の崩御が史実なら1557年9月だから、あと二年、それまでには資金の調達も終わるから、京都へ行ってスカウトする人材のリストアップを始めよう。彼処の刀鍛冶と、落ちぶれた元城主と、暴れん坊も欲しいが、追い出されるのが1567年だから十二年も後か。繋ぎだけでもしておくか、しかしこの二年は忙しくなるぞ。

正○丸ですが、材料があの時代に作れる事が判りましたので、制作しました。


ブナの乾留で木クレオソートが出来るそうです。

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