第拾伍話 新たなる企み、幻庵爺さんもどん引き
悪巧みが止まらない。
天文二十四年一月二十五日(1555)
■相模國足柄下郡 小田原城下
青梅を出た野口秀政一行の内訳は、野口秀政、妻お冴、三男金四郎、長女お吉、次女お光、その他家臣達と下男下女で二十人、職人達は十家族五十二名であった。
既に北條家には連絡を付けているが、余四郎を驚かそうという事で到着を知らせないようにされていた。無論余四郎の所領拝領は知っていたのであるが、婿入りまでは知らされて居ない状態で有った。
「ふう。やっと着いたが、思った以上に開けた町だ」
「そうですね、勝沼が田舎の小城のようですわね」
「さて、儂は氏康様に呼ばれているから行ってくるぞ」
「はい。お気お付けて」
「うむ、お前達は暫しここで寛いでいるがよい」
「はい」
小田原城の門番に来訪を伝えると直ぐさま城内にある屋敷へと通された。
其処で待つこともなく、直ぐに北條氏堯が現れた。
「野口刑部少輔、よう来てくれた」
「はっ、氏堯様にはご機嫌麗しく」
「ハハハ、堅い挨拶は無用だ」
「はっ」
「直ぐに御本城様もおいでになる」
「はっ」
その様なやりとりの後、北條氏康が現れる。
「野口刑部少輔、よく来てくれた」
「左京大夫様にはご機嫌麗しく」
「うむ」
その後は氏堯が話を取り仕切る。
「刑部を呼んだのは他でもない、余四郎殿の元服と所領授与、そして嫁取りの事だ」
嫁取りだけ勿体ぶって後から伝えた所が、氏堯の茶目っ気と言うところである。
嫁取りと聞いた瞬間、刑部は驚いた。
「余四郎様に嫁をと言われますか?」
「そうだ。この度余四郎殿の当家への貢献を鑑み、御本城様御三女妙姫との婚姻を致す仕儀と相成った」
氏堯の言葉に益々驚く刑部。それに氏康自身が話し始める。
「刑部、余四郎は我が北條にとってかけがえ(掛け替え)のない者に成りつつある。強いて言えば左衛門大夫に匹敵するぐらいのな、其処で我が娘妙を娶らす事にした」
流石に氏康自身からそう伝えられた以上本当だと判り、更に余四郎様が其処まで買われているとは、と喜びが湧いてきていた。
「はは、主君弾正少弼も喜びまする」
「其処で、余四郎には新地三百八貫を当面与えるが、来年早々の元服と婚儀の際に引き出物として更に所領を与えるつもりだ。刑部は余四郎の筆頭宿老として仕えるようにせよ」
「御意」
「御本城様より、野口刑部少輔秀政に、相模西郡桑原郷、成田郷にて百貫を与える」
「ありがたき幸せ」
「刑部、頼むぞ」
「御意」
「さて、屋敷に案内させよう。余四郎殿に会いたいのは山々であろうが、明日に致せ。まずは皆の旅の疲れを癒してから会うようにせよ」
「はっ」
天文二十四年一月二十五日
■相模國足柄下郡 小田原城下
そんな事とは露知らず、結婚により北條一門に強制編入と言う事実にショックを受けながらも、やっとの事で復活した余四郎は、死亡フラグを叩き折るために動き出していた。
「幻庵様、ご相談が」
「なんじゃ改まって、普段のようにせんか。それでは気持ちが悪いわい」
「それじゃ。幻庵爺様が諜報部門の総責任者であることは、風魔小太郎殿とのやり合いで判りました」
幻庵は眼を細めて眼光が鋭くなる。
「それが何か有るのか?」
「はい、現在の諜報ですが、連歌師や僧侶などを使っての事でしょうが、それ以外の方法はしていないのでしょうか?無論風魔は居るでしょうが、色々話を風の噂で聞きました故」
「うむ、普通であれば教えぬ所じゃが、お主ならば気づくであろうから言っておくが、風魔は焼き働きや戦闘行為には向いておるが、諜報に関しては些か心許ない状態じゃ。それがどうかしたのか?」
「はい。風魔が心許ないのであれば、別の者を使うのも一興かと思いまして」
「他の透破を雇うというのか。伊賀者が動くと言うが、それは風魔の手前難しいぞ」
縄張り上絶対無理だと幻庵はそう諭す。
「いえ、伊賀者や他の透破を雇うのではなく、風魔一族として新たに育てるのです」
「しかし、そう簡単に透破の一族は増えんぞ」
「いえ、戦闘などを重点にするのではなく、情報収集を重点とさせるのです」
「うむ、それならば、僧侶や連歌師で事足りるので無いか?」
「確かにそうかも知れませんが、世の中誰でもその点に関しては気がついておりましょう。流れの僧侶では中々中心部まで入り込むことも難しいと思います」
幻庵は余四郎の言葉を正鵠を得ていると考えた。
「では如何する?」
「はい。この世界には怪しまれずに行き来できる人々もおります」
「ふむ、してどの様な者達を考えておる?」
幻庵も興味津々で聞いてくる。
「はい。歩き巫女を利用しようかと思います」
「歩き巫女じゃと、確かに彼女たちは全国を渡り歩いている。しかも戦場へ来ても何の不思議もないか」
「そうです。巫女とはいえ実際には売春もする存在もおりますので、各地を歩いてその地方の情報の収集や、戦場へ行き抱かれながらの情報収集など、さらには見目麗しい者達は大名や有力家臣の妾になり情報の中枢まで入り込むことも可能です」
幻庵にしてみればそう言う事があったかとの思いであったが、手放しで賛成する訳にも行かない危惧があった。
「確かに歩き巫女なれば、それが可能であろうが、風魔一族の数が限られていて、それほど歩き巫女に成るべき人材は居ないぞ。その辺をどうするのじゃ?」
「はい、その辺も考えて有ります。今は乱世です。巷には孤児や捨て子などが山ほど居ります。それらを集めて幼い頃より教育(洗脳)を行い完璧な人材を育て上げればいいのです。確かに時間はかかりますが、よそ者の透破を雇い裏切られるよりは、遙かにマシかと思います」
余四郎の言葉に思わず絶句する幻庵。齢六十を超え、北條家情報部門の長として長年生きてきた自分も未だ未だ未熟だと感じた。そして余四郎こそ自分の跡を継ぐべき人材だと言う事を完全に確信したのである。その為更に教育が厳しくなるのはこの後の話だが、余四郎自身の死亡フラグ折りが更なる苦労を背負わせる結果になるのは、不幸を呼ぶ体質なのか?それとも態々危ない方へ飛び込みたくなる性格なのか?どうなのかは神のみぞ知る状態と言えよう。
「確かにそうじゃ。僧侶などの男では警戒されるが、おなごであればさほど警戒されない。盲点であった。しかし余四郎もとても元服前の小童とは思えんな」
そう言う幻庵を見ながら、悪戯がばれた子供のように余四郎が答える。
「良い教師(幻庵)様が居ますからね」
「ハハハ、言うわ」
余四郎が提案した歩き巫女であるが、史実では武田信玄が望月千代女に命じて組織化したもので有るが、その始めは、永禄四年(1561)に起きた第四次川中島の戦いで千代女の夫望月盛時が討ち死にした為に未亡人に成った事が原因の一つと成っている。
また千代女は甲賀流忍者を構成する甲賀五十三家の筆頭で上忍の家柄出身であり、彼女の忍術の腕を買った武田信玄が、彼女に命じて組織させたのが歩き巫女であるから、この時点ではその影すら無い状態である。つまりは後出しジャンケン状態だが、先にやった者勝ちなのは何処の世界でも常識である。
「うむ、此は左京殿や小太郎とも相談しなければ成らんが、儂としては進めたいの」
「はい」
「その顔は未だ未だ話があるようじゃな」
「幻庵爺様には敵いません」
「フフフ。良いわ、聞こう」
「はい、他には酒匂川の治水、農政に関する事、新たな産物の作成、経済に関すること、飢饉対策に対する事、兵に関する事、そして外交に関する事などです」
「これは、流石に多いの」
「北條一門に連なる以上は、やれることをやりたいのです」
「そうか」
この辺が、出し惜しみする事が嫌な性格が出ているが、考え様によっては完成後にお払い箱に成りかねない危険もあるのだが、前世の平和惚けが未だ残っているのが厄介かも知れない。まあ幻庵も氏康も氏政も排除なんぞ更々考えていないから、良いのであるが。主君が武田信玄で有れば、ほぼ間違いなく粛正の対象に成ったであろう。
「治水についてですが、この図をご覧ください」
そう見せた図面には連続する堤ではなく隙間を開けて上流側の堤防が下流側堤防の堤外(河川側)に入れ込んでいる堤防があった。あらかじめ間に切れ目をいれた不連続の堤防が主。不連続点においては、不連続部周辺の堤内(生活・営農区域)側は、遊水池と書いてある。
「うむ、此では、洪水の時水が侵入するのではないか?」
「はい、此は霞堤と言いまして、態と隙間を空け、その堤内側は予め浸水を予想されている遊水地として、洪水時の増水による堤への一方的負荷を軽減し、決壊の危険性を少なくさせる物です」
「うむー」
「更に、洪水の水には上流の肥沃な土砂が入っています。それを海に流さずに有効的に土地の肥沃化に利用できます」
「しかし、大量の水が来た際にはどうする?」
「それならば、霞部に真竹を密に植栽し水害防備林を作り、洪水時には土砂を竹林内に沈殿させ、水だけを流して被害を軽減させれば宜しいかと」
「なるほど、竹ならば根を張り強いからな」
「更に元々、遊水地に浸水させる目的があるので、堤は高く無くても良く。堤に切れ目がある為、増水した川の水をそこから堤後背の遊水地へ逃がせます。その後、水位が下がれば、逆にその切れ目から速やかに排水が行われます。他には、上流の氾濫を下流の霞堤で吸収することが出来切ることで、被害軽減に有用なのと、平時において周辺田畑や排水路の排水が容易に行える事です」
余四郎の博識に大いに驚く幻庵。
「うむ、此は実験してみるのが良いか。余四郎の所領である酒勾村は丁度良い位置じゃ。お家の資金で実験してみると良い」
「はい。ありがたいです」
「よいよい。此で成功すれば、関東各地で河川に霞堤を築き洪水から護る事も出来るからな」
この霞堤も武田信玄のパクリであるが、信玄が霞堤を作り出したのが弘治年間(1555~1557)と言われているので、此も先取りである。
農政に関しては、新規植物の栽培等であったが、新しい物としては煙草の栽培を試験的に始めるという物もあった。秦野と言えば煙草という前世の知識が有った事は確かで有る。それに伴い煙草を堺などへ輸出する事も示された。
「煙草だけではなく、真珠の養殖が出来ることが判りました」
「なんと!」
「この唐から来た文昌雑録の一部にあったのですが、この近海にも住む阿古屋貝という貝の肉に他の貝より削りだした玉を植え込むと、それに貝の裏側の光る部分と同じ部分を巻き付けていくそうです。そして数年で立派な真珠に成るようです」
「それが真ならば、凄まじい資金に成る」
「実験してみたいのです」
「判った。何処で行うか?」
「なんでも、この本には阿古屋貝は透明度の高い内湾で育てるのが良いとあります」
「判った、それに適した湾を探そう。恐らくは伊豆が良いであろう」
「お願いします」
そして経済に関しては、非常に画期的な事案と成った。
「経済ですが、現在銭が不足がちです。何故なら我が国は遙か過去に貨幣を発行して以来全て大陸からの輸入に頼ってきたからです」
「確かにそうじゃ。それに鐚銭も多くて困っておる」
「其処で、鐚銭2枚~4枚が精銭1枚と交換されている事を利用します。まず銅地金を輸入または各地の鉱山から集め、小田原辺りに銭座を作ります。其処で永楽通寶を北條家自ら製造します。それにより質の良い永楽通寶を発行し、鐚銭と精銭を交換して、鐚銭を回収後鋳潰して再利用します。そうすれば、鐚銭の数が減り精銭の数が増えていきます。製作には腕の良い飾り職人や鋳造職人を雇えばいい訳ですから、それに仕える徒弟として孤児を使えばさらに良い結果になります」
「なるほど、それは良いかも知れない。さすれば、貨幣不足も鐚銭問題も解決しそうじゃ」
この新規鋳造だが、茨城県で大規模な永楽通寶の鋳造施設が発掘されたことを覚えていたからこそ考えついたのである。
「それと金山開発で、武田を筆頭に我が家の山師を捜すと思います」
「儂も、同じ意見じゃ、晴信が夢枕の話を信じるとは到底思えん」
「其処で、偽の山師に風魔に成って貰いましょう」
「それは良い考えじゃ。名前は何と致す」
「そうですね、大久保長安とかはどうでしょうか?」
「なぜその名前じゃ?」
「何となくです。鉱山とは大きな窪地を作る、そして長く安泰にいて欲しい物ですから」
「ハハハ、トンチか。それは良い、左京殿と話して決めよう」
「はい」
飢饉対策では、元々行い始めていた義倉に次いで兵糧丸の作成と備蓄を提案し、幻庵も金山発見で資金的な余裕が出来たため、氏康殿も反対しないと太鼓判を押した。
「幻庵爺様、さっきの歩き巫女ですが」
「なにか思い出したか?」
「いえ、歩き巫女はおなごですが、世に捨て子や孤児はおなごだけではありません」
「ふむ、男児をどうするかと言う事か」
「はい、男児もほっておけば、厄介です」
「ならばどうする。男では巫女になれんぞ」
「其処で、北條家の予算で孤児や捨て子を育てる場所を作ります」
「なんと、その様な無駄はできんぞ」
「いえ、無駄にはさせません。これは極めて悪辣ですが、宜しいでしょうか?」
「最早、腹は括ったわ」
「では、幼い頃より北條家への恩義を教え込み(洗脳)読み書き算術を教え込みます。優秀な者は文官として、力のある者は武官として取り立てます。更にどちらにも成らない者は、兵とします」
「なんと、それは」
「はい、極めて悪辣な人非人的なやり方ですが、天竺より先のオスマンという国にはイェニチェリとか言う精鋭の常備兵が居るそうです」
「そのイェなんとかが、同じ様にしていると言う訳か」
「はい、大秦より来た書物にその様な事が書いてありました」
「うむー、確かに、凄いことだ」
「それに、足軽共は勝ち戦ならいざ知らず、負ければ蜘蛛の子を散らす様に消え去りますが、彼等は最後まで踏みとどまって戦闘をするそうです。それに足軽のように略奪三昧な行動を取りません」
「うむ、足軽共の規律の無さは儂も頭が痛いが」
「其処で、十年以上はかかりますが、歩き巫女と、常備兵を対にして行えばと思いました」
「なるほど、此も左京殿と相談してみようぞ」
「はい、最後に外交ですが」
「それはさほど差し迫った事は無かろう?」
「いえ、何れ絶対来るであろう、帝の崩御についてです」
「帝か」
「はい、今の帝の財政は後柏原帝崩御の際に大喪の礼が資金不足で長々と延期され、今上帝も即位に十年も掛かるという体たらくです」
「確かにそうじゃな。幕府政所執事の伊勢家も金がないとぼやいて居るわ」
「伊勢家と言えば、早雲様のご一族ですね」
「そうじゃ。早雲様は伊勢家の分家備中伊勢家の出身だが、若き頃足利義尚公にお仕えしていてな。その後今川へ下向したのじゃよ」
「なるほど、長尾などよりよほど家格は上ですね」
「そうよ。同じ平氏でも彼方は坂東平氏、此方は伊勢平氏じゃ嫡流は此方よ」
「なるほど」
「さて、それで帝のことじゃが」
「はい、今上帝も既に五十を超えておりましょう」
「確かに」
「そうなれば、不敬ですが何時お隠れに成っても可笑しくないかと」
「ハハハ、さすれば、儂も同じじゃがな」
「幻庵爺様は百まで生きる気がします」
「ハハハハ」
「その際、当家の金山や経済により溜め込んだ資金で一気に大喪の礼、即位式、更に皇居の新築と、百年近く行われていない伊勢神宮の式年遷宮資金を寄進するのです」
「それは、凄い資金に成るぞ。どの程度の価値がある?」
「今公方様と言えども、逃げ回る時代です。今有る権力としては帝を利用した方が遙かに良いかと、それに・・・・・・・・・・・・・・」
幻庵は余四郎の話しに驚いたが、よく考えれば確かにそれを行えば、長尾や上杉憲政と言えども関東出馬を躊躇するのではないかと思った。
「余四郎、此は恐ろしき考えよ。共に左京殿にも伝えるぞ。付いて参れ」
「はい」
この後、氏康、氏堯、幻庵、余四郎による四者面談状態での話し合いで、北條家の行く末が決まることに成った。尚、氏政には、梅姫の関係で暫くは隠されることに成った。
この時より、より一層幻庵は京都への繁ぎを頻繁にする事に成る。
又、素早く都へ向かう為の水軍の強化が話し合われた結果として、後の世に有名となるある人物が、史実と違い北條家へと招聘されることになるが、それは数年後のこととなる。




