第拾肆話 宿老は向こうからやってくる
他国の様子などを書きました。
天文二十四年一月一日(1555)
■武蔵國多西郡勝沼城 野口刑部少輔秀政
北條家に他國衆として仕えている三田家でも新年の宴が行われている。
「皆良く来てくれた。今年も良き年であるように」
三田弾正少弼綱秀の言葉に合わせて、列席していた一族郎党が挨拶を行う。
「殿、今年もよろしくお願いいたします」
「さあ、ささやかではあるが、皆も楽しんでくれ」
三方に乗せられた料理がそれぞれの前に運ばれると、各々が酒を注ぎながら舌鼓をうつ。
皆が皆新しい年を祝っていた中で一人、私のみがある事を考えながら参加していた。それは余四郎様の新しい考えに理解を持つ者の少なさを嘆いていた事と、昨年末に主君弾正少弼に相談された事だ。
『殿、お呼びと聞きましたが、如何されましたか?』
『うむ、刑部。儂は来年早々隠居し十五郎に家督を譲ろうと思う』
『そうでございますか』
『喜蔵と五郎太郎が何かにつけて十五郎に対抗心を見せておる。このままでは騒動になりかねん。只でさえ我が家は微妙な位置にあるのだから』
『確かに、管領様(上杉憲政)は越後で御座いますし、公方様(関東公方)のお家も騒動の最中。それに比べて北條は今川武田と盟約を結びました』
『そうよ、このままで行けば、間違いなく北條が勝つであろう。ここで家を割れば何処かしらに付け入られかねない、其処で隠居することにした』
『判りました』
『其処で、お前には余四郎の元へ行って貰いたい』
『殿、それは・・・・』
『お前が我が家の為にしている事も判るが、家中の反発が多すぎる。それに此処に居てもその才を活かせまい。余四郎は来年にも所領持ちになる』
『・・・どう言った事でしょうか?』
『儂が、遠いからと酒勾村三百八貫を返上したのも北條との話し合いの結果よ。それをそのまま余四郎に渡す事になっておる。そして、余四郎は氏政殿の馬廻りとして仕えることと成っている。此で何が有っても三田家は残る訳だ』
『殿、其処までお考えとは』
『其処で幼い余四郎のためにも宿老が要ろう。余四郎を良く知るお前ならばと思ってな。すまんが余四郎の元へ行ってくれぬか?』
余四郎様を余り物と言いながらも、その才気を惜しんだ結果の考えと思い、更に家中の軋轢を考えればと承諾する気になった。
『それに北條側からも、お前を余四郎の宿老にという話が来ているのだ』
田舎の一領主の家臣の動向まで把握しているとは、北條家の耳の良さに驚きであった。
暫し考えた末、承諾することにした。
『私が隠居し、余四郎様の元へ行くとして家督を嫡男金右衛門に継がせて頂けるのですね?』
『無論だ。金右衛門にはお前と同様、宿老として勤めて貰う』
『はっ。それならば、心置きなく隠居し余四郎様の元へ行くことが出来ます』
『頼んだぞ』
『御意』
『其処で新年の宴で隠居と十五郎の家督相続を伝えるが、お前にはその際の旗振りを頼みたい』
『お任せ下さい。この野口刑部少輔秀政一世一代の大演技見せて見せましょう』
『頼んだぞ』
その様な回想をしている最中、殿が皆に話し始める。
「皆に話したいことがある。儂ももう六十五じゃ、流石に年を取りすぎた。其処で、今日をもって儂は隠居し家督を十五郎に継がす事にした。皆良いな」
殿の有無を言わせない言葉に皆が文句を言えない状態だ。元々十五郎様はお優しき方なれば家中の不満も少なく、精々喜蔵様と五郎太郎様の側近が騒いでいるだけであればすんなり決まる。そして私の出番も来た訳だ。
「殿、未だ未だお若いのに隠居など」
「刑部、決めたことだ。口出し無用ぞ」
私が率先して隠居反対と十五郎様の家督相続を反対することで家中を纏まらす。
「しかし、十五郎様は未だ未だ未熟で御座いましょう」
「刑部、十五郎も既に三十じゃ。最早未熟と言えん」
「嫡男相続も宜しく御座いますが」
ここで、他の子供も居るではないかという感じで話しかける。
「それでは、お前が後見する余四郎にでも継がせよと言うのか!!」
「其処まで・・・・」
「ええい!一宿老が其処まで言うとは其処に直れ!」
殿が切れた振りをする。
「まあまあ、殿。刑部もお家のことを考えてのこと、お許しくだされ」
事情を知る、殿の従兄弟三田三河守綱房殿が素早く話に入ってくる。
「父上、私が不甲斐ないために、刑部もお家を考え諫言したのです。私が確りすれば良いだけですので、形部をお許しください」
同じく、事情を知る十五郎様も素早く話しかける。これで十五郎様の意志の強さが判って貰えたはずだ。
「うむ。三河と十五郎に言われては仕方ない。形部、差し出がましい言葉を許して使わすが、暫く出仕するに及ばず」
「御意」
ふう、此で心置きなく隠居できる。
天文二十四年一月十四日
■武蔵國多西郡勝沼城
三田家では、宿老野口刑部少輔秀政が隠居を願い出たことで憶測が流れていた。
「やはり、十五郎様の家督相続を反対したからだろうな」
「噂では、余四郎様に家督を譲るように願い出たとか」
「いやいや、単に痛風が辛いだけという話も」
「どれも出鱈目だ。単に居づらくなっただけだ」
等々、話が流れるが、殿からの命で隠居したため、それ以上の話があがることなく萎んでいった。
勝沼城の奥座敷では隠居の綱秀、三河守綱房、弾正少弼綱重が野口刑部少輔秀政と秀政嫡男金右衛門と話していた。
「秀政、すまんな」
「いえいえ、三田家の為、この程度のこと」
「私のためにすまんな」
「弾正様の御代を小田原で余四郎様と共に楽しみに致します」
「綱重殿、余四郎殿に笑われないようにせねば為らんな」
「叔父上」
「さて、綱重最初の仕事だ」
「はっ父上」
「さて、野口刑部少輔秀政、そちの隠居と嫡男金右衛門の家督相続を認める。それに伴い金右衛門には父との同じ刑部少輔の官途状と儂の偏諱を与える。此よりは野口刑部少輔重政と名乗り宿老として儂に仕えてくれ」
「御意」
「では、殿。私は明後日小田原へ向かいます」
「うむ、秀政。余四郎のこと宜しく頼むぞ」
「儂からも頼みますぞ」
「はっ」
「殿それと、余四郎様の産物を作って居た職人達が一緒に小田原へ行きたいと申しているのですが、如何致しましょうか?」
「ふむ、此処に居てもその販路も出来ぬか」
「父上、余四郎への餞別に移住を認めてやりましょう。嫌々居ても宝の持ち腐れになりますし」
「そうじゃな。秀政、共に向かいたいという職人達は連れて行くことを許す」
「はっ」
天文二十四年一月十六日
■武蔵國多西郡勝沼城
「そうか、刑部は小田原へ向かったか。此で邪魔者は居なくなったな」
「それに兄者は入間郡で二百貫か」
「そう言うお前も入間郡で百二十貫でないか」
「父上もあんな遠い場所を捨てて代わりに我々の為に新地を此ほど近い位置へ受けたのだからありがたい事よ」
「ほんに、小田原に近いとはいえ、遠すぎて何もできんからな」
「兄上も次男としての活躍を期待されている訳だな」
「確かに家督を継ぐことは出ないが、十五郎兄は子が未だに居ないと言う事が俺の二百貫の所領の意味だろう」
「つまり未だ未だ、相続の可能性が有る訳だ」
「それに、余四郎は形部と共に遙か小田原だ」
「それに内分所領とはいえ、このお陰で自分の兵を持てるからな」
「動きやすくなったな」
「兄者は誰を宿老にする?」
「やはり塚田又八は、はずせんな」
「兄者に取られたか」
「はは、早い者勝ちだ」
天文二十四年一月二十七日
■甲斐國古府中 躑躅ヶ崎館
躑躅ヶ崎館に、北條家に嫁いだ梅姫のお付きとして潜入した武田家の女透破からの情報が上がってきていた。
「伊豆に金脈が見つかったとは」
「御屋形様、いよいよ北條も金山を持つ訳ですか」
「そうなる。こうなると北條へ高く金を売りつけることも出来なく成る」
「では、その坑道を潰しますか?」
「いや、それは止めておこう。下手に当家の仕業と判れば、又ぞろ戦になるわ。今は北信への侵攻が大事だ」
「はっ」
「それより、笑えんな。氏康の三男坊主の夢枕に早雲が立って金山の位置を教えるとは」
「小田原中その噂で持ちきりで御座います」
「噂を流しているのは風魔であろうよ」
「そうなりますと」
「夢枕など、戯れ言よ。あんな伊勢氏崩れの早雲坊主如きが枕元に立って金山を教えるぐらいなら、由緒正しき清和源氏の名門武田家当主である儂の元へ義家公、義光公が現れない訳がないではないか」
「左様ですな」
「大方、よほど腕の良い山師が居るのであろう。その者を我が家に連れてくれば相当な産金を期待できよう」
「確かに、そうで御座いますな」
「勘助、恐らく北條は今後も伊豆での鉱山開発を進めるであろう。その中にいる山師を捜し出すのだ」
「はっ」
「しかし、氏康と比べて氏政という男は、噂通りのようだな」
「はっ、虚けとの噂御座いましたが、まさにその様で御座います」
「そうよ、此が死んだ氏時であれば些か不味かったが、良いときに死んでくれたわ」
「真、あれほどの幸運は御座いません」
「そうよな。氏政が当主に為れば、北條を旨く操れようぞ」
「氏政殿には是非此からも虚けのままで居て頂きたいですな」
「ハハハ、そうよな」
「それにしても、このほうとうと佃煮と言う物は旨いな」
「ほうとうは、体が芯から温まりますし、佃煮は保存性が良いようです」
「此は軍用食として非常に優れている」
「確かに」
「我が家でも早速採用する事にせよ」
「はっ」
天文二十四年一月
■越後國頸城郡 春日山城
長尾家でも新年の宴が行われ、当主長尾景虎が大酒を飲みながら考えて居た。
揚北衆も相変わらずだし、長尾家臣団と上杉家臣団の確執も未だ収まらん。更に上田の政景の事も有る。更に武田晴信か。一昨年小笠原、村上が潰えた今、越後の下腹を突かれるのは不味い。ここは高梨政頼に暫し頑張って貰わないと駄目だ。
そうなると、御上に頂いた私敵治罰の綸旨が効いてくる。晴信めお前の好きにはさせん!
しかし憲政殿をどうするか。頻りに関東出馬を薦めてくるが、足下も固まらん内から動く訳にも行かんし、それに今は未だ時期が悪い。しかしこの俺が関東管領か。親父が以前殺した関東管領上杉顕定の事も有るのに俺にとは、憲政殿はよほど伊勢が憎いらしい。我が子を助けて貰いながらも、あれだけの怒りだ。死んでいたらどうなっていたか。
しかし、管領職をアッサリ手に入れられるかどうかは未だ判らんな。いくら憲政殿が管領職を譲ると言っても関東管領職は都の公方様に任命権があるのだから、私称と言われるだけだ。継ぐならば、又都へ行き今度こそ公方様に会い任命されなければ為らんな。
それに憲政殿とて龍若丸の成長を見れば、我が子に管領職を継がせたいと思うかも知れん。それに正当な後継者が居る中で儂が継いで管領の家臣が納得するかが問題だ。今でさえ越後守護家家臣と長尾家家臣が啀みあっているのだから。何れにせよ暫し伊勢は様子見とするしか有るまい。
そのうえ猿千代の事もある。儂はあれが元服するまでの繋ぎ。そのせいで長尾家臣ですら儂派と猿千代派に別れている状態だ。余りに家臣共の確執が酷いならば、出家し隠居すると脅して見るのも手か。そうすれば家臣共も纏まるであろうし、慌てた憲政殿も泣き付いてくるはずだ。まあ暫し様子を見る事も肝心だがな。
天文二十四年一月
■駿河國府中 今川館
今川家でも新年の宴の後、早川殿と言われるようになった綾姫が、弟竹千代丸と遊び相手の三河岡崎城主松平広忠嫡男松平竹千代に餡蜜、心太、蕎麦など色々な物を作ってあげていた。
「竹千代丸殿、此は甘くて美味しいですね」
「此は餡蜜って言うんだ。寒天と餡を使った物だよ」
「ふむ。北條家はこんな凄い物を」
「いやいや。此は兄のような方が作ったんだよ」
「ふむ、その方は?」
「余四郎殿って言って、三田家からの人質なんだけどね。凄くいい人なんだ。あの碁反とかも余四郎殿の発明なんだよ」
「その方は凄い方なんですね」
「そうだよね」
「一度お会いしてみたいものです」




