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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第六章 畿内動乱編
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第百三十五話 宇津討伐その一

お久しぶりです。とりあえず出来ましたので更新します。

永禄二(1559)年四月二日


■近江国滋賀郡比叡山 将軍御座所 細川藤孝


「なんじゃと、三好の輩に勅許だと!」

私が宇津右近大夫討伐の勅許が三好家に下されたことを伝えると公方様が怒り始めた。

「上様、宇津右近大夫殿は御供衆ですぞ」


大館左衛門佐(晴光)殿の話の後、進士美作守(晴舎)殿が険しい顔をして言う。


「そうでござります。丹波は管領(細川晴元)様の御領国にも関わらず守護代内藤家は三好の家臣如き輩に乗っ取られ、波多野殿も御供衆であるのにもかかわらず松永何某(長頼)により八上城は攻囲中にございます」


「うぬぬぬ、許さん許さんぞ。長慶の輩め三好の輩め、地獄へ落ちよ!」

「大樹、これは好機かもしれませんぞ」

父(三淵晴員)がそう言う。


「伊賀入道、好機とは?」

「はっ、宇津殿の北隣の川勝殿も幕臣、そして山を越えれば若狭と丹後にござる。そして丹後加佐郡は大樹の義弟の武田(伊豆守義元)様の所領にございます」

「うむ」


「そこで、伊豆守様に兵を率いていただき、川勝殿らを指揮下に置き後方より攻め込んでいただきましょう」

父の説明に公方様は目を輝かせなさった。

「伊賀入道、よう申した。さすれば左衛門佐(大館晴光)直ぐさま義弟(武田義元)に兵を挙げ三好の後背を討てと伝えよ」


「はっ」

左衛門佐殿が嬉々とした表情で退席していくが、果たして父の言う様にうまくいくであろうか。しかし十兵衛(明智光秀)が朝廷軍の実質的な指揮をしていることは、公方様には伝えぬ方がよいだろう。ますます激高しかねぬからな。




永禄二(1559)年四月二十五日


■丹波国桑田郡下宇津村 三田康秀


「チッ」

「如何しましたかな?」

俺が籠城している城を見ながらし舌打ちしていると松永弾正殿が話しかけてきた。


「いえね、奴らは何故に籠城するか考えていまして」

「まあ、あれが原因でしょうな」

俺の話に弾正殿が顔を顰めながら視線を向ける。


視線の先には磔になり烏に突っつかれている死体がある。

「はぁ」

またため息。


「全く余計な事をしてくださりましたな」

「全く余計な事を」

俺と弾正殿は二人で渋い顔で頷く。


死体の正体は禁裏御領所山国荘荘官である公文職の鳥居河内守だ。河内守は朝臣で禁裏御領所の荘官ながら、御領所を横領した宇津氏に迎合し横領を手伝っていた。


我々が宇津討伐のために山国荘へ侵攻した際に宇津右近大夫は籠城戦のつもりか迎撃しなかった。その結果、宇津が小野荘に拵えていた関所を難なく占領。そして宇津が朝廷から横領していた山国荘と小野荘を難なく奪還できた。


そりゃ宇津家の石高は多く見積もっても七万石程度の大名で動員力は平時であれば二千強、根こそぎ動員しても三千強程度にたいして、こちらの三好、浅井、北畠、北條の連合軍は二万を越えてるからな。


これだけで満足して、籠城中の宇津氏を放置しておいたら連合軍帰還後にまた御領所を横領すること間違いなしだ。だからこそ宇津右近大夫を降伏させる為に宇津氏の拠点へ進撃したんだよな。そして我らの陣の先に見えるのが宇津城だ。


宇津城は丹波国桑田郡宇津庄にあり、八幡神社の背後の山に築かれている城でそれなりに整った城だ。この城から二キロぐらい離れた所に宇津嶽山城うつたけやまじょうという城が有る。


宇津嶽山城は規模は小さいが宇津城よりも高い位置にある山頂に築かれた山城だ。元々は宇津嶽山城が本城だったらしいが、現在は宇津城の支城、詰めの城として使われている訳だ。我が家で言う勝沼城と辛垣山城の関係に近いかな。


しかし宇津城を攻めれば宇津嶽山城を何とかしなければならない。宇津嶽山城を放置すれば宇津城の攻撃中に後背を脅かされる事になりかねないし逆もしかりだ。やはりどちらを攻めるにしても宇津城と宇津嶽山城への抑えは要る。


そういえば、宇津氏はどうやら南北朝時代の土岐頼遠の子孫らしい、頼遠は、足利方として南朝との戦いで大活躍していた。それにおごったのか、康永のころ、笠懸の帰りに行き会った光厳上皇の牛車に対して、酒に酔った勢いに任せて『院と言うか。犬というか。犬ならば射ておけ』と罵って牛車を蹴倒す(矢を射たとも)という狼藉行為という足利尊氏、直義兄弟がどん引きの事件を起こして処刑された。


その末子と言われる十郎五郎は高雄の神護寺に匿われ、仙千代丸を名乗り僧として育った。その後、神護寺領有頭郷に土一揆が起こると、神護寺は仙千代丸を地頭として有頭郷に派遣、仙千代丸は一揆を鎮圧したがそのまんま居座り有頭郷を押領してしまった。


親が驕り高ぶりな不敬人なら子も匿い育ててくれた寺を裏切るという恩知らず。その末裔らしく禁裏御領横領は平気の平左ということだよな。上総の禁裏御領所横領を取り返して朝廷から絶賛された我が家の曾祖父様とは大違いだ。まあ、その御領所も再度横領されているんだけど。それは家のせいじゃない、全て千葉一族か里見一族か房総の諸勢力あたりの仕業だ!


そんな宇津氏は享禄元(1528)年に朝廷から勅命をうけた幕府管領細川晴元が宇津氏を説得したことで、山国荘からの貢納は正常に復したんだが、わずか七年後の天文四(1535)年頃に、今度は小野郷に関所を設け、山国庄、若狭から京へ上る海産物を掠奪するようになった。


まさに舌の根も乾かないうちに性懲りもなく山国御領所からの貢租を妨害し、北は弓削から南は細川、葛野郡小野にわたる地域において略奪を恣にし、広大な土地を押領するに至った。このことは『御湯殿上日記』や『後奈良院宸記』にも書かれている。以後、宇津氏は朝廷から再々の勅命を受けながら、それに従うことはなかった。


その宇津右近大夫頼重だが、ずっと頼重と言われていが、実名は長成らしい、まあそんな事はどうでもいいんだ。それより問題は、宇津長成が宇津城と宇津嶽山城に籠城している点だ、その数およそ四千ほど、動員数より多いが家臣だけじゃなく、地侍や農民町民も籠もっているぽい。


全くもって城攻めは面倒くさいし犠牲がでるから嫌なんだよ。ましてこちとらアルバイトで来ている様なもんだから、こんなところで兵を無駄死にさせたくない。

で、全ての原因があの磔死体な訳だ。


元々、北條、三好、北畠、浅井各家の共同の軍議では、『大軍を持って威圧し宇津右近大夫の心胆を寒からしめ、降伏させ山国荘、小野荘を返還させる』と決まったのに・・・・・・結果は『高度に柔軟性を持って臨機応変に戦う』状態になりましたよ、そうです御公家(今出川晴季)さんがやらかしましたよ・・・・・・Orz


事の発端は、山国荘へ軍勢が到着した際に、出迎えてきた荘司鳥居河内守を検非違使別当、今出川晴季様が『朝敵、裏切者』と怒って青侍に折檻させ、その後に青息吐息状態の河内守を引き連れて、宇津城近くまで来ると皆の反対を押し切って磔にして晒した。


その後、宇津右近大夫の使いが来てよくある言い訳しながら形通りに降伏の話をし始めたら『宇津は朝敵なれば、直ぐさま出頭せい。一族郎党全て磔じゃ』とけんもほろろに言い、磔死体を見せたわけで、その結果、降伏しても助からないと思った右近大夫は籠城を決めた訳だ。


こんちくしょうめ、余計な事をしやがってからに、殺すにしても騙して降伏後にサクッとやりゃ良いのに、馬鹿正直に磔なんぞ見せるからこうなるんじゃい、これから城攻めしなきゃならない我らは良い迷惑だ!


そんな状態を作ってくださった今出川晴季様は、磔死体が烏に啄まれるのを見て気分が悪くなったようで扇で顔を隠しながら『麻呂は疲れた故、後はその方らに任せる』と言って、山国荘にある光厳法皇が開基した常照皇寺じょうしょうこうじに帰り、お連れの御公家さん達とともに女呼んで宴会始めたようだ。


三万近い軍勢がいれば商人も来てるし御陣女郎や比丘尼も来ているから宴会は可能なんだよな、金も我らが出しているから余計にボンビー公家ははっちゃけてる。


ただでさえ、九條様と美鈴の問題とか、義兄弟になる十河殿と奥方とか、超弩級に面倒くさいことが起こっているのに、大言壮語で責任感のない公家は気楽で良いよな、机上の空論ばかりで、何処ぞの食器准将のようだよ。


美鈴は九條様が離さないので、ここには来ないで九條邸でお留守番だ。すげー助けてって顔していたけど千代女が『親孝行しなさいな』と置いてきてた。


そんなこんなで、弾正のおっさんと当てもない世間話中、しかし、以前は警戒してやばい人断定していたけど、付き合ってみたら三好長慶に実直に仕えるおっさんなんだ。いやー正にあの悪行の話は盛られた事が分かるな、風評被害と呟き危険危険。決めつけ○カみたいにはならないように気をつけよう。


「こうなったら仕方がないですな」

「誠に」

「どうですかな、ここは一つ茶会でもしますかな?」


茶の湯か、九十九茄子とか平蜘蛛の釜はあるのかな?

「面白いですな。孫次郎殿もヤキモキしている様ですから呼びましょう」

「それは、よい考え、若も大将を勤めるのは初めてですから何かと忙しいですから」


暫くして、孫次郎殿が来たけど、まだヤキモキというかイライラしているというか、余裕がない感じだ。

「弾正、この忙しいときに茶会とは遊びに来ているのではないぞ」

「まあまあ、孫次郎殿、敵は籠城中な上に別当殿は寺で宴席をしているのですから、少しは息抜きせねば心が疲れますよ」


「それはそうですが・・・・・・」

「それに、茶は心を落ち着け頭をスッキリさせます。今は一服して新たな策を考えましょう」

俺の話を納得したのか顔から厳がとれた。


弾正のおっさんが、茶の湯の準備をし始めた直後に、中年の武将が現れ膝をついた。

「若様、弾正様、不味い事態が発しました」

「何が起こった?」


「はっ、若狭の武田伊豆守(義元)が兵を上げ、北丹波の波多野勢、大槻佐渡守(時春)志賀政綱、高田治忠、川勝大膳亮(継氏)らを迎合し、こちらへ向かっております」

「何故今まで分からなかったか!」


突然の敵情に関する報告に孫次郎殿が大声で叱責するがいかんな、こう言うときは大将は慌てたりしては駄目なんだが、傍若無人とは言わないが慌てては兵達にも不安が伝播しかねないぞ。

「若様、まずは確りと報をうけなされ」


弾正のおっさんが宥めるが、中々落ち着かないな、ここは俺が何とかするしかないか。

「孫次郎殿、好機到来ではありませんか」

俺の言葉に孫次郎殿が目を見開き驚いた顔をする。


「長四郎殿、好機到来とは?」

よし少しは落ち着いたか。


「さすれば今、丹波は内藤備前守(松永長頼)殿が攻め込み波多野上総介(元秀)は既に青息吐息で八上城は落城寸前、赤井も黒井城を落とされ逼塞中、今まさに三好家が丹波統一に後一歩の状態、そこへ丹波の残存勢力と五月蠅い隣国若狭の守護が攻めてきたのですから、ここで返り討ちにしてしまえば、一々攻め滅ぼすより手間がかかりませんぞ」


俺の話に、孫次郎殿と弾正殿が目を輝かせていった。

「主膳、して敵の進路と兵数はいかようか?」

主膳と呼ばれた中年の男が説明し始める。


俺が離れようかと孫次郎殿と弾正殿に問いかけるが、『そのまま聞いてくれ』と言われた。

「はっ、武田伊豆守殿は、川勝大膳亮が居城の市場村にて軍勢を整えております。兵は八千ほどで鯖街道の神楽坂峠を越え佐々江へ向かっております」

「佐々江までとは、主膳、お主がいながら何故気がつかなかったのだ?」


「誠に申し訳ございませぬ、放った者達が村雲党に刈られた模様にて」

「村雲党、波多野の仕業か」

「弾正殿、村雲党とは?」


「長四郎殿は知らぬのが道理ですが、村雲党は、波多野配下の素破でしてな、当家も丹波にて幾度となく苦汁を飲まされているのですよ」


「なるほど、地場生じばえの者達ならばありとあらゆる間道も知り尽くしている訳ですな」

「誠に、何度煮え湯を飲まされたことか」

「して、佐々江とは?」


「はっ、佐々江はここより北へ2里半(10km)ほどの地でございます」

主膳の言葉に弾正殿が地図を広げさせる。そういえば、北條領では一里六町で600mだけど、畿内では三十六町で4kmほどなんだよな、間違えそうで怖い。


「ここか」

「はっ」

「佐々江峠を越えれば宇津へ、船越峠を越えれば宮ノ元を経て山国へか」


「嫌らしい位置にいるな」

やっと孫次郎殿も落ち着いた模様で話に入ってきた。

「若、ここは早急に北畠中納言様、北條殿、浅井殿、佐竹殿らと軍議せねばなりませんぞ」


「うむ弾正、直ぐに皆様にお集まり下さるように連絡を」

「はっ」

弾正のおっさんが、走り去って行く。


しかし、武田が来るとは、あっ、確か武田伊豆守は義輝の義兄弟か、つまりは義輝の仕業か、こうなると武田勢を完膚なく潰すしかないな。信玄坊主とは違うが同じ武田家だ、江戸の敵を長崎で討つじゃないが武田家と言うことでボコボコにしてやるぜ。



永禄二(1559)年四月十五日


■丹波国桑田郡山国荘  奈津


平井様(定武)奥方様の悲報を若様(高明)と姫様(小夜)にお伝えした後、暫く平井城でお勤めしていたが、頭領(三雲定持)から次の仕事だと命じられたため、宿下がりと称して里に帰ってきた。そこで今度は『丹波へ攻め込む朝廷軍の情報を得よ』と命じられたんだけど、ちょっと人使いが荒いんじゃないかな。


でも、探ると言っても、三好は堀川党が、北畠は伊賀が、北條は風魔と伊賀、そして何故か一部の甲賀が、にっくき浅井は鉢屋衆が彷徨いているから忍べないわ。どうすりゃ良いのよ。できれば平井様、奥方様の敵の浅井新九郎に一矢与えたいんだけど・・・・・・


仲間達と暫く山国荘や小野荘付近を探索していたんだけど、敵が多くてまともに探れない、私は物売りに化けでいるだけだからまだ大丈夫だけど、既に仲間も何人が刈られた様で危ない危ない。



永禄二(1559)年四月二十三日


■丹波国桑田郡山国荘  奈津


好機が来た、今朝仲間が作った朝取りの野菜を祖父役の者と検非違使別当が逗留している寺に売りに行ったら、偶然検非違使別当が現れると私の顔を見て『鄙には似つかわぬ娘よ、麻呂の世話をいたせ』と言われた。祖父役は『断ることもできない』と了承して明日から寺で別当の今出川晴季に仕える事になった。


これで、情報を取ることができるし、旨くいけば浅井新九郎に毒を盛ることもできるからもしれない。それとも別当をる事も考慮しなければ。別当が死ねば軍勢は崩壊するだろうから。毒なら得意中の得意だから。

ショック、明智光秀の話が、PCクラッシュで消えました。


再度思い出して書き直してます。

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― 新着の感想 ―
更新、お疲れ様です。 義輝が、「ぜ、全滅!?武田が全滅!?…」と、某コンスコンさんの様な呟きをする展開を期待しています。
昔から思っていたが 禁裏御料を押領してる宇津を討てば 将軍の武威も上がるのにと。 放置するどころか庇うとは罷免されたいらしい。
更新おつかれさまです。 打ち込んでいたデータが消えちまうとは何とも無念な…。
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