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三田一族の意地を見よ  作者: 三田弾正
第六章 畿内動乱編
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第百三十二話  海賊退治?

大変お待たせしました久々の更新です。

永禄元(1558)年十二月二日


■山城国愛宕郡平安京


「ほほほほ、今年は坂東の宮殿や北條からの献上品が楽しみであらしゃいますの」

「ほんまであらしゃいますの、鎌倉殿(征東大将軍)が下向なさって坂東の御料所からの運上もくるでおじゃるからの」

「当家もだいぶ楽になるであらしゃいますから」


「ほんまであらしゃいますね、宮殿と北條殿々や」

「あと、権右馬頭(康秀)もやね」

「さすがは弾正忠(三田氏宗、康秀の曽祖父)の曾孫よの」


「まこと、弾正忠は上総国畔蒜荘かずさくにあびるしょうの横領を止めさせましたからの」

「そして曾孫は多くの運上を北條に提案したのやからおじゃるし」

「そういえば、太閤殿下(九条稙通)が『娘が生きておれば典厩に嫁がせるものを』とおっしゃっておるであらしゃいますの」


「それに、今回は右近衛大将(久我 通堅)殿が下向して多くの運上を持ち帰ってくるそうですからの」

「太閤殿下(近衞稙家)も甥御に手柄を立てさせたいみたいですの」

「まあ、関白殿下(近衛前嗣)は北條より長尾に期待しているらしいですけの」


「長尾は三条はんがお上に献上した運上を横領してはるやないか」

「ほんまですな、横領する長尾と運上を確りしてくらはる北條に三田なら」

「北條に三田や」


「それに、宮さんもおられる」

「そやそや、関白殿下が意固地になってるだけや」


「後幾日で、来るのやら」

「楽しみですの」

「ほんまですの」


永禄元(1558)年十二月三日


■志摩国菅島沖


「ヒャハー、酒だ酒だ!」

「干し椎茸もあるぞ!」

「おい!金もタンマリあるぞ」


「貴様ら何をするんだ、これは都へ贈る品だぞ」

「うるせい!」

「こんなやつ海に捨てちまえ!」


「うわー!!」

海賊たちが文句を言った公家の従者を海に投げ込む。

「麻呂を、麻呂をどうするつもりじゃ」


「この白塗りをどうする?」

従者が落とされて青くなる公家を海賊が取り囲む。

「ひいい」


「面倒くせいや、こいつも捨てちまえ」

「やめておじゃれ」

「じゃれじゃれ、馬鹿かこいつ」


「へへへ」

「ほらよ」

「うあっっ」


海賊に抱えられた公家が投げ捨てられ海に落ちる。

「助けておじゃれ、麻呂は泳げないのじゃ」

「きゃははは」


「大儲けだ、行くぞ」

「へい」

船を襲った海賊たちは、抵抗した者たちを殺すか海に捨てて勢いよくねぐらへ帰って行った。


その少し後、偶然近くを通りかかり事態を知った伊勢の向井水軍が溺者を助けたため、人的被害は少なかったが、公家の右近衛大将久我通堅は引き上げられたときには既に虫の息であり、懸命の手当が行われたが死去した。


2日後、早馬が都へ駆け込み、右近衛大将久我通堅卿が志摩の海賊に殺害され、朝廷、幕府、五山などに送る品々と運上がすべて奪われたとの報告があり、御所、比叡山に籠城中の将軍、南禅寺、五山、本願寺などに激震が走った。




永禄二(1559)年一月三日


■相模国西郡小田原城下


新年早々色々あるわけだ。まあ別に大晦日に除夜の鐘を突きにいくわけじゃないし、紅白もないし、笑う24時間もないしな。んで新年は挨拶回りして初夢も見る間も無く三日になったと。


満五郎(藤橋秀基)&喜多さんは、喜多さんの家族には大雪で米沢まで連絡できないと言うことで、主君である義姫と俺の許可で事実婚として一緒に暮らし始めた。あいつら、新婚家庭で『えへへ』『うはは』とかラブラブらしい。


まあ、新婚家庭ですから仕方が無い。

家も同じ感じだから人のことはいえないが・・・・・・

今年後半はベビーラッシュが起こりそうな気が・・・・・・


そんな感じで、まったりする暇も無い中、小田原へ正月の挨拶に親父や長兄の代わりに次男の喜蔵兄がやってきた。

「久しぶりだな長四郎」


「お久しぶりです喜蔵兄上」

「いやー、最近は長四郎の残してくれた茶畑のお蔭で銭が増えて親父も喜んでいるぞ」

よほど懐が温かいのか兄貴はニコニコのえびす顔だよ。


「それは重畳ですね」

「ああ、あれの栽培や、塩水選も教えて貰っておるから、この冬は領民から餓死者も出ずに正月の餅も食べられると領民も大いに喜んでいるしの」


「それは良かったです。御本城様に許可を受けた甲斐がありました」

「うむ、うむ」


あれとは椎茸栽培だな。椎茸が売れすぎなのと贈答に大人気なので生産が追いつかなかったので御本城様(北條氏康)に頼んで発案者である俺の実家だけならと許可受けて一昨年から栽培しはじめていたんだよな。それに種籾の塩水選や苗代での発芽で米も豊作だ。


それで年貢も運上もウハウハなのだよ。まあ、親父や兄貴達はその金を広く領民に還付したから、餓死者もいなかったから凄く良いことであるよ。意外に親父、いや十五郎兄上だよな、親父は新しい側室にべったりらしいし。


「いや、あれはいい物だな、家が贈答とかに使ったら出場所を疑われるから使えないが、お前が出来た物を全て高値で買ってくれるから、年貢を軽減しても全然苦しくないし、領民も親父や兄貴、それに最近は俺が領内を回って色々動いているから、モテモテでな」


兄上の顔がにやけているんだが、色々な接待受けているんだろうな。

「それは良いですね。領民が喜んでいるなら家は安泰ですね」

「そうだろう、そうだろう、金や物があるのは良いことだぞ、領民も子を流すとかする事も無くなったって喜んでいるし牛馬も増えてる。それにだ、あの三つ叉鍬や千歯扱きとかで増産ができるし手もあいたからか、余った時を副業で儲ける者も増えてきたからな」


へー、意外に兄上は出来るのか?

まあ、儲かったからって自分の贅沢に使っている訳じゃないらしいから、次期領主としても及第点だね。

この辺は、風魔や昵懇にしている河原衆や山の民とかからの情報だよ。一応情報漏洩が心配だから椎茸栽培は彼らに任せる形にしているから。これは、北條家から椎茸栽培のノウハウと許可の交換条件として認めさせたものだ。


その為に、河原衆や山の民に俺が感謝されているわけ、ガキの頃からの付き合いもあるから余計に情報が集まるわけだ。まあ、親父や兄貴には内緒になってるけどね。



永禄二(1559)年一月十五日


■相模国西郡小田原


大変だー、大変だー、姉さん事件です!

どこぞのホテルのOPみたいだけどな・・・・・・

なんと伊勢湾で海賊が出たんだ!!


正月行事が一段落した頃に都からの緊急連絡があったわけだ。

しかも、内容がすごい、海賊に襲われた船は征東大将軍様と北條家から帝や公方五山やら諸々のお方達への贈り物を満載していたんだ。


内容は銭や名産なんかだけど、それを使って朝廷としては戦国時代になった為に資金不足で長いこと行っていなかった正月行事である小朝拝、元日節会とかをする予定だったのに、その予定の品々を略奪されたらしいぞ。


しかも今回は、超々珍しく、あんだけコケにされた? いやコケにしまくった将軍家にも、まあ剣豪将軍も寒い山で野宿は寒いでしょう、ひもじいでしょう、可哀想にせいぜい正月ぐらいは豪勢に宴会してくださいと色々と送ってあげたのにねー、それに南禅寺、五山やらにも干し椎茸とか正月に必要でしょうと送ったのに、全て九鬼さんに略奪されたってさ。


いやー、何でも菊の御紋賞を掲げた船に通行料、警護料かを払えっていちゃもんつけて、輸送の代表者として都から特別に下向して貰った右近衛大将久我通堅卿が高飛車に断ったら、激高したらしく。久我通堅卿は寒い伊勢湾に投げ落とされて凍死したらしいわ。


いやー、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、アーメン・・・・・・

そのせいで、一時は準備していた小朝拝、元日節会が中止の憂き目になることになりそうで帝の面目丸つぶれ。その上現役の右近衞大将が殺されてだから、帝の顔に泥を塗ったと、帝をはじめ多くの公家たちが激おこ!


特に息子を殺された久我晴通卿や叔父の近衛稙家、従兄弟の近衛前嗣も激高したらしいぞ。

近衞前嗣だと冷静だとおもったけど、まあ謙信の越山にも同行したらしいから、アグレッシブな存在なのかもな。


応仁の乱で丸焼けになって再建し始めた南禅寺や五山も激おこで『仏敵を倒せ!』とからしいし。

「海賊許さんぞ!」

「勅許で海賊退治じゃ!」


その結果、伊勢国司北畠権中納言(具教)殿に志摩の海賊退治が命じられたってさ。

帝の勅許なもので、北畠の剣豪殿(具教)、更に最近自信を持った嫡男の右近大夫将監(具政)殿も超弩級に張り切って、寒い冬だが早速全軍動員して小浜とかの海賊衆も動員して攻め込んだってさ。


その結果、波切の海賊、九鬼家は壊滅状態になって散り散りに逃げ去ったらしい。

史実じゃ永禄三年だったっけに俺強ーをやり過ぎて、志摩のほかの海賊たちが北畠家の支援で攻めて追放したんだけど、まあ一年ぐらいは誤差だよね。


九鬼君、君はやり過ぎたんだよ。南禅寺や五山まで敵に回したので、史実じゃ逃げ込んだ朝熊山金剛證寺にも逃げ込めなかったようだしな。あそこ南禅寺の末寺だから、自分の親分の上がり奪った海賊じゃあ、いくらアジールでもノーサンキューだよ。


いやー、どこへ行ったのかね?

あーあ、前に北條がスカウトしたときに小田原へ来ていれば良かったのにね。

あ、九鬼さん、今更小田原へ来ても、北條家では、朝敵はノーサンキューですから、来たら捕縛して都へ送ってあげますから、大人しく頸をくださいね、三尺高い台の上へ招待してあげますね。


なんだって、お前は朝敵である平将門公の子孫だろうって?

いや、何を仰る。将門公は敵対していた源なにがしに塡められただけですから、楠木正成殿とかと同じ扱いですし、坂東の為に立ち上がった将門公や、後醍醐天皇に忠誠を捧げた楠公とかと一緒にしないでください。


それに今の家は曽祖父(三田氏宗)様のおかげで朝廷の功臣ですよ。

曾祖父様、ありがとうございます。無茶くちゃ感謝しております。

こんどお墓に大々的にお供えとお花をあげますね。


さてさて九鬼君、あなた方は海賊でしょう。私利私欲で菊の御紋にケンカ売ったし、右近衞大将を殺したんですから正真正銘の犯罪者ですよ。いやーこれから大変だね。

なんでも将軍も怒ったらしいぞ、事の次第を報告した明智光秀に物投げて額に当たったらしい。


うーん、光秀って主君を怒らせるジョブとか持っているのか?

それとも運が悪いのか?

あるいは、主君のストレスのはけ口、サンドバックになりやすいとか?

このままでいけば、光秀が将軍に対して本能寺したりして、まあそれならそれで面白いな。

この辺の情報は細川藤孝から朝氏殿が聞いたらしい。


そういや、久我通堅って、数年後に正親町天皇の奥さんの目々典侍と不倫して処罰食らうんだったな、目々典侍と駆け落ちしたとかなんとか、そういえば、竹若丸くんの叔母様だったっけ?

そういえば、竹若丸くんは、朽木家から出されて叔父さんの尭慧の元で坊さんになるらしいよ。


因みに小朝拝、元日節会は急遽、北條家の堺駐在所、本願寺、池家とかからの緊急資金援助と物資供給で出来たらしいから、北條家、本願寺、池家とかの株があがったそうだ。

いやー、誰がどうしたんだろうね。九鬼君は行方不明だし。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これからの歴史が気になります [気になる点] >右近衛大将(久我 通堅)はん 官職通称の後に 「殿」じゃなくて「はん」って呼んだりするのでしょうか?(無知)
[一言] 更新ありがとうございます。次回も楽しみにしてます。
[良い点] 最新話、投稿お疲れ様です! [一言] 九鬼は所詮、海賊ですから多少のヒャッハーはあり得ましょうが相手と手段は選ばなきゃ海のモズクにされても文句言えませんわ。 そして討伐したのは北畠父子、で…
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