第百三十話 待ち人来たる
筆が乗りましたので投稿します。
永禄元(1558)年十一月十日
相模国西郡小田原 三田屋敷 三田康秀
結局のところ助五郎に嫁が二人出来る可能性が大です。
先ずは唐橋貴子姫。彼女は事件後に爺様(唐橋有通)に事の次第を色々創作しながら報告、そして爺様が征東大将軍宮に婚約の話を報告、宮も大賛成して、氏康殿へ連絡、連絡受けた氏康殿は幻庵爺さんと話して決定したらしいぞ!
そして、最上義姫。お付きの氏家定直殿から聞いた話だが元々最上家とすれば義姫を北條家の誰かと縁づける構想があったようで取りあえず、雪解けまでは保留だが恐らく嫁いでくるだろうと。それに宮様が面白がったのか『義姫も娶れば良かろう』と言ったとか言わないとか。
助五郎、貴子姫、義姫は助五郎が振り回されている感じだが初々しくて見ていてホッコリするんだが……
満五郎と喜多さんは良い、誰が何と言おうと良いんだよ!
完全に尻にしかれても嫁(仮)がヤバかろうと、妄想癖を拗らせていようが幸せ????? かぁ?
今はみちのくが雪で閉ざされているから家族への連絡は来春雪解け後になるが、満五郎の屋敷に既に住んでいるんだよ。あの翌日に荷物持って転がり込んで来たんだよ。恐ろしい行動力、片倉家の喜多は化け物か!
そしてだ、やっていることは完全に夫婦だ。あんな満五郎でも三田家の重臣の一人で本来ならば婚姻は家と家の繋がりとして実家の許可がいるんだが、その辺はスルーだ。何故かって、良いんだよ既に主君たる義姫が快諾しているんだから。そして俺も嫁ズからの圧力と喜多さんから何も言えないオーラを見て許可出したさ。
満五郎の実家には俺が手紙をしたためたよ。要約すると『お宅の息子が嫁を取ることになりました』って感じだ。まあ、だからそういう事にしておけ、触るな危険だぞ、絶対だぞ!!!!!
永禄元(1558)年十二月二十日
相模国西郡小田原 小田原築港 三田康秀
「そろそろか?」
「そうだな」
「しかし、王傲が小田原へ来ると都からD(最高機密戦略暗号)で連絡があってから早三月、どこをほっつき歩いていたのやら?」
「確かに一度博多へ戻ってから来ると言っても、どんなに悪くても1月程度しかかからないからな」
「船が見えたぞー!」
沖を監視していた兵の声が響いた。
「やっと来たか」
「ヒイフウミヨと結構居るな」
「増えたみたいだな」
そうこうする間にジャンク船が大きくなりこちらが派遣した水先案内船に先導されながら港へと入港して来た。
「島津殿、一別以来です」
「王傲殿もお変わりないようで」
王傲と会った連中で池朝氏(北條綱重)と都在住で小田原在住では唯一の高官である島津の爺様(島津忠貞)に対応をしてもらっている。
「爺さん今の俺は毛烈だ」
「王傲とは名乗らないのかの?」
「王姓は王直を助け出したら名乗る」
随分と義理堅いみたいだ。海賊と言うよりはインテリ8○3っぽいな。
荒くれ者って感じじゃない。白い背広姿が似合いそうだ。
島津の爺さんが俺たちを紹介していく。
「こちらは、北條家御当主北條左京大夫様、三田権右馬頭様、松田六郎左衛門様です」
「拙者は北條氏政と申す」
「拙者は三田康秀と申す」
「拙者は松田康郷と申す」
「毛大人」
「大人などと呼ばれる程では」
「では、何と呼べば?」
「字を江龍にしたのでそう呼んでくれれば」
「江龍とは相応しい字だな」
「水滸伝の李俊の渾名混江龍から取った。と言っても知らないか」
「水滸伝か、差し詰め王大人は宋公明かな?」
「おっ、水滸伝を知っているのか?」
「多少はな」
暫く話していたら、大分慣れたのか地が出始めた。
そう言えば水滸伝が日本に輸入されたのは史実じゃ江戸時代になってからだわ。今は大多数の日本人は知らないだろうな。精々留学僧か商人ぐらいか?
しかし王大人じゃ某塾長の所みたいだな。
「しかし、三月もの間、何処へ行っていたのだ。博多へ行ったにしても時間がかかりすぎだが?」
「ああ、俺なりに親父を助けるために残党を集めに動いて、序でに松浦に意趣返しをしてきた」
すげー悪そうに言ってるが、意趣返しと言うことは海賊行為か。
「はぁ、つまりムカついたから残党集めから戻るついでに松浦の貿易船を頂いたと?」
「そうだ、親父殿が捕まる前はヘコヘコしてた連中が手のひら返してきたからな」
はぁ、こりゃとんだ奴がきたもんだ。
「それで、親父を救う算段だが」
「それなんだが、先ずはここを見てくれ」
そう言って造船所に案内した。
「おう、こりゃ凄い、明にもこんな造船設備はないぜ。それに、なんだあれは、帆も櫂も無いのに進む船だと、どんな絡繰りなんだ?」
「ああ、あれは我が軍の新兵器のひな形で機動船だよ」
「機動船? 凄い、凄いぞ。乗って良いか?」
「構わないが」
「ならば、乗るぞ」
「おお、早い早いぞ!」
乗った毛烈がもの凄く驚いている。あの船は蒸気船なんだが人の口に戸は立てられぬと言うぐらいで蒸気船と知られたら何かしらの危険がある可能性を考えて機動船と名付けた欺瞞作戦なんだよ。
詳しく言えばヘロン式機関を原型にした極々初期型反動タービン型の蒸気タービン搭載だが未だ未だ完成には程遠いんだよな。熱効率も悪いし推進力も低いうえに燃料と缶水の積載量の関係で航続距離も僅かなんだよ。
それでも、ここ一番には使えるから、現在改良型である実験船飛鳥が建造中だ。それ以上の大型蒸気タービン航洋船は今回の作戦には絶対に間に合わないな。蒸気タービンの蒸気漏れ対策としてサブゴムをシールに使っているが高温蒸気に晒される関係で劣化しないか実験中だ。
機関の方は水管式ボイラーを試作しているが、あれって圧力容器だから下手に圧力上げると爆発するしサブゴムが耐熱温度200度程なので400度ほどになる加熱式ではなく200度程度の飽和式としている。だから効率が悪いんだよな。シール材を考えなきゃ駄目だが現在のボイラー材料が銅板だから軟らかすぎて鋼鉄ボイラーの様に純銅のシール材を使えないんだよな。
推進方式は外輪式とスクリュー式を実験している、外輪式は簡単なんだが効率が悪い。スクリュー式は効率が良いが水漏れがなー。そこで最初は今無きニチモの30cm軍艦模型シリーズのスクリュー方式を真似た、つまりはグリースを入れた部屋の中を推進軸を通す方式だ。ただ水圧で水漏れがでたので、本当の船の様に軟らかい木材をパッキンにする方式を試しているが、推進軸の真円化が必須というジレンマがまた出た訳で迷走中。
色々やっているが、それだけじゃ無く先ずは造船材が足りない。何と言っても戦国時代は戦の度に放火や打ち壊しがあるし、製鉄や煮炊きなどでも炭や薪も必要で全国で絶賛木材不足であちこちが禿げ山だらけ、そのせいで水害も多発と。植林もされているが植林をするほど金がない連中の方が多いので全く需要に追いつかないのが現実でほとほと困る。植林に関して大谷休伯のような奇特な方がもっと増えないとだめだ。
戦国が終わった江戸初期でも木材不足は深刻で各地から集めてるし、奈良県橿原市の称念寺の解体修理では江戸初期の用材は細い用材しか無くてヘロヘロ状態、江戸後期の用材は立派な太材という感じ。まあぶっちゃけ大海軍を作るには造船材は国内産じゃ確実に足りなくなるから東南アジアから仕入れることになるな。実際朱印船とかは、アユタヤ、今のタイで建造された船を大量に輸入して利用したらしいからな。
取りあえず、今のところ北條家は伊豆や丹沢という木材の宝庫が北條早雲以来比較的戦火にさらされなかったという僥倖があったし実家の所領奥多摩は木材の宝庫だから買い込む事もOKだし。すでに親父と兄貴に連絡して買い込む算段はつけてある。実家も献上や徴収じゃない恒久的な取引契約するという話しでお茶に次ぐ現金収入が確定でウハウハらしい。
それでも今回の造船材は天城山と丹沢近郊から伐採された用材だ。何故なら木材は最低半年から一年は乾燥させないと、生木のままじゃ狂いが生じてどうしようもなくなる。その為に都へ行く前から切り出した材木を集積させていたのだから。
造船材としての種類は竜骨や船板として欅、樫、楠とかの堅材が良くて、それ以外は松、檜、杉なんかの軟材が使える。ただ昨今は大木が少なくて、竜骨も複合材として作成しなきゃならん。
「典厩さんよ、この船のデカいのは作れないのか?」
考えている間に飽きたのか毛烈が質問してきたか。
「今は無理だな」
「何故に?」
「話せば長くなるが、ぶっちゃければ時間が足りない。人が足りない。金が足りない。材料が足りないの足りないづくしだ」
「そうか? これだけ立派な施設であればいけるのでは?」
氏政よ! もう少し勉強してくれ。荒唐無稽なご都合主義的な小説じゃあるまいし。俺が船の湧き出す魔法の壺でも持っている訳じゃないし、大砲だってそう簡単に量産なんぞ出来ないさ。この時代の鋳造技術じゃ確りと注意深く作らないと鋳巣が入って爆散しかねん。
取りあえず、蒸気巡洋艦一番艦の艦名は天城となることが決まっている。命名の基準は史実の大日本帝国海軍と同様に天城山の木材を造船材にしたからなんだが、史実の初代巡洋艦天城は良いとして、二代目の巡洋戦艦天城は関東大震災で船台から転げ落ちて大破解体、三代目の空母天城は呉空襲で被弾横転という二代続けて縁起の悪さに一抹の不安がある。恐らく幸運値は一桁だろうな。因みに二代目天城の転がった姿を俺の爺さんは見ているんだよな。爺さん海軍所属だったから、その後一等巡洋艦古鷹へ配属されたんだよな。
まあ、それはさておき、天城の次は箱根か、丹沢か、はたまた榛名、赤城あたりかそれとも雲取あたりか。一応帆走巡航艦君島丸型が数隻使えるから兵の輸送は何とか出来るはず。それに毛烈が予想外の数の部下とジャンク船を連れ帰ってきたからな。
王直奪還作戦には、シュールストレミングとひまし油を使うのが一番だ。こちら側は体を慣らせばほぼ無傷だが、相手は阿鼻叫喚だから。言ってみれば、シュールストレミングと、ひまし油はC兵器だ。明の書物にトウガラシの燻した煙を毒ガスとして利用するとあったが、唐辛子ってこの時代の明に入っているのか?
まあ、毒ガスなら夾竹桃を燻した煙を吸えば死まっしぐらだが、流石に風向きしだいで諸刃の剣になるから使えない。あとはスパルタが使っていた亜硫酸ガス、これも硫黄を燃やすだけだから簡単だがこっちも危険。従ってシュールストレミングとひまし油が最良の兵器だな。
今回は俺も王直奪還作戦に参加する予定でいるが、日本名じゃ不味いので取りあえず俺の偽名を考えておいたぜ。楊文理とでもしようかな。それとロケット砲と木砲も使うか、火炎地獄となるかも知れないが、高度に柔軟性を持って臨機応変に戦おう。
永禄元(1558)年十二月二十五日
■相模国西郡小田原 練兵場 榊原小平太
「ウギャー!」
「助けてくれ!」
「死ぬー!」
「開かない!開かないぞ!開けてくれー!」
「出せ、出してくれ!」
「ウワー!!」
そろそろ寒くなる今日この頃、練兵場に作られたコンクリート作りの小屋から、悲鳴と共にオドロオドロシイ声と鉄扉を叩く音が聞こえてくる。その悲鳴と音を聞いていて流石の僕も恐ろしくて震えてくるし岩松丸も隣で青くなっている。
「うむー、やはり強烈すぎるか?」
「そりゃそうだ、俺でもあれに慣れるには一ヶ月かかったのだから」
「俺は未だに無理だ」
「素人じゃ無理か」
「と言うか、あれに慣れたお前達が変なだけだ」
「酷い言い様だ」
そう話しているのは、御本城様(氏政)と殿(康秀)と松田様(康郷)だ。
「しかし、あれに慣れぬと作戦に使えないからな」
「まあ、確かにあれならば効果覿面だろうけど……」
「俺は嫌だからな、あれの臭いで細に避けられた時は泣いたぞ」
「うちの細(葉)は平気でして」
「うちも我慢してくれているから」
「これから、雑賀衆だけじゃなく、江龍の部下にも訓練させなきゃならんかな」
「しかし、あいつ等、略奪とかは得意でも根性があまりないからな」
「そうなると、船の方の連中はうちの連中に任せて水先案内だけに使うか?」
松田様が顰めっ面で口をへの字にする。
「いくら異国と言っても町中で鉄炮ならいざ知らず大炮をぶっ放す訳にもいかないだろう」
「それは確かだが、どうせ倭寇の仕業と言われるんなら、派手にしても良いと思うのだけどな」
「杭州で市街戦かい? そりゃ剛毅なことだがな」
「まあ、倭寇の仕業と見せるには派手にしないと。それに町を丸焼きにするわけでもないから、民の犠牲も少ないだろう」
「なるべくなら民の迷惑には成らぬようにして貰いたいものだ」
「流石御本城様はお優しい」
岩松丸が目をきらきらしながら呟いてる。
「そりゃそうだが、恐らく向こうが王直の処刑をするとすりゃ公開処刑だろ。そうなると見物人が山ほどいるんじゃ無いか?」
「まあ、公開処刑なんかは庶民にしてみれば一種の娯楽だし、まあ相当な人数が集まるだろうね」
「どうせ地方役人なんぞ腐っているんだから、金で何とか出来るんじゃないか?」
「いや、ダメだね。金で転ぶような輩は信用できないさ。それでそいつが金だけ貰って『王直を逃がそうとしている連中がいる』と密告したら、こちらは待ち伏せされて一網打尽だ」
「確かに、そうなるか」
「基本、役人と利に聡い明人なんぞは信じること自体が無駄だ」
「そりゃ酷い」
「唐の地は昔っから不正の温床だからな、東漢の末期じゃ皇帝自らが金で官位を売っていたんだし」
「そりゃ、今の朝廷や幕府と同じじゃないか」
「まあ、生活するために官位を売るのと贅沢するために官位を売る違いはあるけどね」
「なるほどね」
「それに、人が多けりゃ多いほど大騒動になって逃げやすくなるし、王直妻子の奪還も可能になる」
「うむ。そうなるか」
三人が話しているあれとは、殿さまが製造したニシンの漬け物だ。あれは臭いを嗅いだだけで、死ぬかもしれない。実際あれが南蛮人の食べ物だと聞いたときは南蛮人はなんて物を食べるんだと恐ろしさに震えた。
「そういや、毛烈は何処に?」
「早々に逃げて海で水上訓練中だな」
「新造船の試験か」
「そうだ」
「君島丸の改良型だったな」
「改良と言ってもたいした改良じゃないがな」
これからどうなるのだろうか?
お詫び、貴子姫の家名が間違えてました。飛鳥井ではなく唐橋でした。飛鳥井は基綱君でした。
多忙につき、感想返しがほぼ無理です、全て目を通していますが、すみませんです。