第百二十六.五話 客来る
お久しぶりです。令和元年ギリギリ間に合いました。
前回の続きではなく、一寸前の話です。
だいたい百二十六話と百二十七話の間です。
永禄元(1558)年十月二十日
相模国西郡小田原久野屋敷 北條幻庵
「帰ったぞ」
「旦那様お帰りなさいませ」
儂が、城での勤めを終えて屋敷に帰ると、何時ものように下働きの珠が足洗の為の水を準備してくれていた。
「うむ、変わったことはなかったか?」
足を洗いながら何時もの如く留守中の事を聞く。
「旦那様に目通りしたい者が文を置いていきました」
ほう、普段は城に直接来る者が多い中、文を置いていくとは。
「文をか」
「お読みになりますか?」
「無論じゃ」
「既に毒などが仕込まれていないか調べ済みにございます」
「うむ」
流石は風魔よ、その辺は確りしておる。
長四郎が千代女殿を側室にしてくれたお蔭で、当家に甲賀衆が多く仕え、甲賀の秘伝たる薬と毒の見分け方を伝授してくれた。その為、珠だけで無く、多くの風魔衆が各家の下働きや台所役などで働いておる。
流石に玄人とは言え未だ未だ甲賀衆に奥向きを任せるわけにも行かぬが伝授は確りとなされた、故に毒殺などの心配から解放されたわけじゃ。
まあ、小太郎は以前から薬学には関心があった様だからこそ、僅かな時間でこれ程までの教育が出来た訳かもしれぬ。思わず思い出し笑いをしてしまいそうになったが、松田の小倅(松田憲秀)に灸を据えた様なことも有るしの。
さて、普通であれば、文など持ってくれば屋敷で待つものであるが、ん……なんと……これは……
「誰ぞ有る」
「殿、何かございましたか?」
「左源太、直ぐに常楽寺に行き、この文を持ってきた者を屋敷へ案内して参れ」
「捕り物でございますか?」
「違う、古い知り合いが都より尋ねて来たのだ」
「都と言いますと、殿が修行に行っていた頃ですか?」
「そうじゃ、もう四十年程も昔だ」
「早速、お迎えに行って参ります」
「うむ、丁重にな」
「はっ」
しかし、三上殿か、確か十代様(足利義稙)の近習をしていたが、会ったのは十代様が阿波へ逃れた翌年の大永二(1521)年、儂が三井寺へ修行に入山した直後であったか、確か暫くしてから突然三井寺へ現れ、貫首様に紹介されたのであったな。
彼の御仁とは非常に馬が合い、為になる話を沢山していただいたが、一年ほどしていきなり別れを告げられ、旅立たれて以来消息を聞かなかったが、はてさて四十年近く何処へ行っていたのか?
永禄元(1558)年十月二十日
相模国西郡小田原久野屋敷 北條幻庵
「菊堂丸殿、お久しぶりでござる」
左源太が案内してきた老人に懐かしい名前を呼ばれた。
「三上殿もお元気そうで」
年は取っているが、あの三上殿だった。
「いやいや、しぶとく生きておりました」
相変わらずのお方よ。三井寺で修行した小坊主の頃を思い出すわ。
その後、夕餉を食べながら止めどもなく雑談を続けた。
しかし、只単に旧交を温めに来たわけでは無かろうに、今まで何処にいたのかと尋ねたら、全国行脚していたと聞けたが……
「実は、幻庵殿に伝えねば成らぬ事がある」
今まで諸国漫遊を面白おかしく伝えてくれていた三上殿が、いきなり真面目な顔に成った。
「伝えねば成らぬ事とは?」
「うむ、幻庵殿も拙者が公方様にお仕えしていたことは知っておられよう」
「無論」
「しかし、それ以前は因幡守護山名家に仕えておりました」
「山名家に」
なんと初めて聞いた話だ。
「光明院様(山名豊治)にお仕えし妹君の阿茶局様が公方様(足利義稙)にお輿入れの際に公方様に仕えることとなりました」
「なんと、その様な事が……」
「公方様都落ちの際、阿茶局様はご懐妊中で有ったため、都郊外でお守りいたした次第」
「なんと、十代様にお子が、して阿茶局様とお子は如何為さったので?」
おおよそ判ってはいるが聞かねば成るまい、十代様にお子があれば、いずれかの事態で話題になっていたはず、それが無いと言う事は既にお子は亡くなられていると。
「阿茶局様は残念ながら、二年後に亡くなられました」
「左様ですか、それはお悔やみ申し上げます」
では、拙僧が修行していた時にはご健在だったと言うわけか。
「産後の肥立ちが宜しくなかったのですが頑張っておられました」
「お体を休めるために三井寺へ」
「左様」
「供養のあと旅立たれたと言うわけですか?」
「それも有りますが」
「それ以外にも?」
「左様、あのとき、公方様も亡くなられ、阿茶局様のご実家は既に死に体でして、お子を預けることも出来なかったからです」
落ち着け、お子と言ったか、その時点では生きていたと言うだけか?
「お子とは?」
「公方様のお子にございます」
「そのお子は今は何処に?」
「お子は生きておられます」
「しかし、公方様のお子で有れば、話題になるはずでは?」
「幻庵殿の懸念も確かですが、お子は女子でござった」
なるほど、女子で有れば継承権などに加われぬか。
「して、そのお方は今どちらに?」
「小田原に居られます」
「ここに?」
しかし、左源太の話では連れはいなかったはず、では何処に?
「左様、幻庵殿もよく知る人物の母親よ」
なんと、いったい誰じゃ?
「判らぬようよの、拙者は数ヶ月前まで青梅の勝沼で住職をしておってな、そこでは既に死んだことになっておる」
「青梅の勝沼。まさか、その様な事は」
落ち着け、この程度でうろたえてどうする。
「まさかよ、長四郎君の母上、藤乃様こそ十代様の忘れ形見」
「なんと、その様な事が……」
驚く儂に、三上殿は公方様の直筆の書状を差し出した。それに確かに、男児が生まれれば又太郎と女子が生まれれば藤乃と付けよと書いて有った。
「本来で有れば、墓まで持っていくつもりで有ったが、長四郎君が北條家と縁組みし評定衆となった上に似非公方(足利義輝)に太刀を突きつけられたと聞いて、隠し通さず、姫君(藤乃)にお伝えすべきと考えが変わった」
「それは?」
「危ういと感じた、出る杭は打たれるという事もある。重臣連中が排除にかかるかも知れん」
「確かに、一部の者からは好かれていないか」
「であろう、従って、姫君を邪険にし出した狒々爺(三田綱秀)の行為は渡りに船でな、儂は死んだことにして還俗したわけだ。そして寺男や寺女に身を変えていた一門やご本家(山名家)に仕えていた者達を連れてこの地へ移り住んだ」
風魔でも気づかなかったとは恐ろしい、小太郎からは何も聞いておらぬぞ。
その事を悟ったのか三上殿が笑い出した。
「幻庵殿、無理じゃよ。儂等は何もしていない、只単に勝沼から移住してきた者として暮らしているのだから」
なるほど、そういう事か、確かに只の民で有れば、そして胡乱な行動を取らなければ怪しまれないか。
「わかり申した。それで、これから如何なさるのですか?」
「それだが、姫君は『名乗り出る事はしたくない』と、『孫と共に穏やかに過ごしたい』と仰った。儂もそれを肯定するが、万が一の際には名乗りを上げると」
「それは?」
「長四郎君に危機が迫った時」
「母は強しですか」
「左様」
「しかしこの一件、拙僧だけは対処できません」
「判っております。左中将様(北條氏康)にもお伝えください」
「無論」
「姫君からでございますが、自らお目にかかってお話したいとのことです」
「わかり申した」
三上殿が帰り暫し経ったが、ユックリなどしておられん。さてさて、此は大変な事になった。まさか、長四郎が十代様の孫とは、氏康殿も驚くであろう。直ぐに向かわねばならん。
「誰ぞある。密かに城へ上がるぞ」
永禄元(1558)年十月二十四日
■相模国西郡小田原城 風魔小太郎
本日は評定の末席に座りながら評定衆の方々の表情や動きを監視している。これは幻庵様より直々に命じられた事で、この際の動きで秘事を伝える者達を決めるとの事、最初は拙者などでは無理であるとお断りした。
しかし御本城様にまで是非頼むと言われ引き受けることにした。何しろ事が事であるし、下手な者に知らせるわけにも行かないからだ。既に秘事を知らされる一人に選ばれた拙者としては何としてもやり遂げねば成らんと感じている。
参加している者は、御本城様(北條氏康)新九郎様(北條氏政)幻庵様(北條幻庵)十郎様(北條氏堯)の御一門、三家老衆様(松田尾張守憲秀、大道寺駿河守周勝、遠山丹波守綱景)五家老衆様(北條左衛門大夫綱成、北条常陸介綱高、富永左衛門尉直勝、笠原能登守康勝、多目周防守元忠)伊勢備中守様(貞辰)を筆頭にする評定衆の方々、安藤様(安藤良整)を筆頭とする奉行衆の面々、諸足軽衆の大藤式部少輔(秀信)殿、そして風魔小太郎改め風間出羽守だ。因みに三田様と平三郎様(北条氏照)は助五郎様をお迎えに駿豆境へ行かれている。
「と言うことで、助五郎は酷い目に遭いかけたそうじゃ」
御本城様が幻庵様から今川での助五郎様の扱いについて話を聞いておられる。
「そうか、助五郎はその様な目に遭っていたか」
「今川も少々やり過ぎな気がします」
「年増でとうに夜伽の時期を過ぎた女子を嫁にさせようとは、我ら北條を馬鹿するのも大概にしろと言いたいわ!」
「左様左様、我らを未だに今川の臣下とでも思っているのではないか」
「御本城様、ここは然るべき対応をせねば益々図に乗りますぞ」
「そうじゃそうじゃ、河東の乱の再開じゃ!」
「まあ、待て」
「幻庵様」
「確かに腹立たしくもあるが、助五郎殿も既に帰国の途に就いたのじゃ、ここ最近は長尾の動向が怪しい中で、態々今川と事を構えることは成らん」
うむ、騒々しいぐらいの評定の間が静まり返ったとは流石は幻庵様。
「確かに、長尾のことは気がかりですが、将軍様(征東大将軍恭仁親王)の開府、先の公方様(先代古河公方足利晴氏)との和解で上野では長野殿(長野業正)が御味方に付き、その縁から沼田の騒動も収まり越後国境の防備も進んでいるはずでは?」
「確かに、長野殿が味方に付いたのは大きい、それに沼田の跡目は源七郎殿(赤見綱泰(沼田顕泰庶次男))が継いだこともあり沼田も我らに靡いている」
「左様、それが大きい。何せ沼田は先々代 顕泰が管領方(上杉憲政)、庶長男の左衛門尉三郎殿(憲泰)と三男だが正嫡で沼田家当主となった弥七郎殿(朝憲)が当家方に成ったために、あろう事か子を次々誅した」
「うむ、あまりの惨たらしさに反吐が出る思いであった。しかし弥七郎の舅は厩橋の彦太郎殿(長野道賢)、その為に婿の敵と親族の長野殿と協力して沼田城を攻め落としたと聞いた時はスカッとしたものだ」
「スカッととは、長四郎殿の言葉が移りましたかな」
「ハハハハ、かも知れぬな、何せ家の孫九郎(大道寺政繁)と長四郎殿は断金の友ですからの」
「三国志ですな」
「で、どちらが孫伯符で周公瑾ですかな?」
「さてさて、伊達との戦いで見事な迂回戦を仕掛けた長四郎殿が孫伯符かも知れん」
「清水殿は伊達との戦いに参加しておられたが、それほどまでですか?」
「左様、今まで様々な戦いをしてきたが、長四郎殿の戦ぶりは驚きの連続であった」
清水殿はそう言いながら、三田様の戦ぶりを熱弁なさった。
「なるほど」
「確かに画期的だ」
「長尾対策にも十分に利用できますな」
「ただ、惜しむらくは煙硝や鉛の価格が問題かと」
安藤殿達は金がかかると言っている訳か。
その後暫くはその辺りの話で喧々諤々した。
「となると、孫九郎殿が周公瑾か」
「いやいや、家の馬鹿息子は周公瑾のような色男でないからの」
「ハハハハ、孫九郎殿が可哀想すぎるぞ」
「戦場で御陣女郎を買いに行く様なさまですからの」
「逆にそれは末頼もしい」
「ガハハハハ」
「色男ぶりなら長四郎殿こそであろうな」
「確かに、歩けば側室を連れて帰ってくるからの」
「左様、それでいて、妙様も不満に思われておられない」
「うむ、人徳か、すけこましか」
「さあどちらも良き漢であることだけは確かでしょうな」
「違いない」
三田様の話が出て顔を顰めるのは松田の小倅か、あからさますぎて誰でも判ってしまう。それにしても、大道寺様も笠原様も清水様も話の以て行きようが上手い、不満を持つ者をあぶり出すために芝居をするとは……
小倅の他には多目殿も渋い顔をしておられる。松田殿は判るが多目殿は三田様とは接点があまりないはずだが何故に?
「息子自慢はそれほどにしておくが良いぞ」
「幻庵様、今のは自慢というか、貶しているか、弄くっていると言うと思うのですが」
「まあ、良い事よ、偶には大笑いも必要であろう」
「さて、長野殿が敵方であれば、沼田の跡目は左衛門大夫(北條綱成)の次男の 孫次郎(北條康元)に継がせるつもりであったが、長野殿が後見として源七郎を守り立ててくれる事になった。これ程頼もしいことはないぞ」
本来であれば、沼田領を得ることで左衛門大夫様の権勢が増すはずであった。それが反故に成り不満があるはずだが、そう見せないことが黄八幡と言われる所以か。
「確かに、長野殿の側室は沼田の出、十分に口を出せる口実がありますからの」
「今は源七郎の息子七郎(七郎右衛門 昌泰)に十二女を嫁入りさせる様に交渉しているそうだ」
「流石は、上州の黄班(虎)殿ですな、確か子が男児四に女児十二でしたか?」
「盛んなりよの、尤も御本城様もお盛んじゃ」
「幻庵老とて、盛んではないか」
「いやはや、此は一本取られましたな」
「して、清水越は沼田の弥七郎がいるが、三国越を有する中山は斎藤越前(岩淵城主斎藤憲広)の勢力、しかしながら吾妻郡は最近、鎌原と羽尾の小競り合いで越前が羽尾に肩入れしたことで、劣勢になった鎌原が武田と誼を結ぼうとしているとの事じゃ」
「なんと、武田め、信州だけではなく上野にまで手を出そうとしてきたか!」
「新九郎様の手前、そう大きな声では言えぬが、やはり武田晴信は信用できん」
新九郎様も都へ行き大きく成長した模様だ。全く動揺などせずに確りと話を聞いておられる。
「尤も晴信も、多少は考えたか、配下の真田を通じて鎌原を支援してる様じゃ」
「こすっからい事を」
「御本城様、武田に厳重な抗議を行いませぬと嘗められますぞ」
「無駄じゃよ」
「幻庵様、無駄とは?」
「抗議したところで鎌原と真田は同じ滋野一族、更に言えば真田弾正忠(幸隆)が上野へ一時逃げた際に支援を行っている。つまりは恩返しと言われればどうにもならん」
「それにしても口惜しい」
「心配するでない、何れ武田と真田にはそれ相応の対処をするつもりだ」
「「「「「「はっ」」」」」」
「北では常陸は佐竹殿と盟を結んだ事により安泰じゃ、それに佐竹殿の伝手で下野の宇都宮も大人しくなった」
「こうなると北で長尾に靡きそうな者は、白井、総社、足利の長尾達か」
「特に白井の孫四郎(長尾憲景)が頻りと越後へ使いを出しているとのこと」
「孫四郎に関しては、黄班(長野業正)殿も気がついている様で苦言をしているとか」
「流石は黄班殿よ、味方にして良かったと常々思う」
「真よ、黄班殿の一睨みで西上野は纏まるのであるからの」
「となれば、三国越の隘路となる猿ヶ京に朝廷の御料所を置いたのは正解か」
「うむ、長尾景虎は形だけかも知れないが、帝や公方(足利義輝)の権威には弱いと聞くからな」
「さて、上辺だけの可能性もあるが」
「確かに、先だって三条家が越後の青苧の権利を帝へ献上したが、その運上を未だに朝廷へ献じておらぬ」
「主上もかなりご立腹とか」
「これで勤皇家とは片腹痛いわ」
「所詮は野盗がごとき食い詰め者の一団よ」
「左様、彼の地は冬は雪に埋もれて身動きが取れぬ故に雪の少ない坂東へ略奪に来るわけだからな」
「全く以て迷惑至極」
「民が塗炭の苦しみを得ぬように皆も確りと役目を行うように致せ」
「「「「「「はっ」」」」」」
親父の癌再発につけ、色々あって、介護中です。忙しくてまともに書けませんでした。
康秀を旅に出さして、事後の話し合いをするというわけです。
小太郎は翌日には三島へ行ってましたから、強行軍です。