第百二十七話 縁は繋がる?
大変お待たせいたしました。実に半年以上たってしまいました。
死んでるとか言われておりましたが、生きておりました。
今年もよろしくお願いします。
永禄元(1558)年十月二十三日
■相模国西郡小田原
「ここが、小田原か、喜多よ、もの凄く栄えておるの」
「はい、これほどとは米沢が片田舎に感じてしまいます」
「姫、我らは物見遊山に来たのでは無いのですから、きょろきょろなさらぬように」
「少しぐらいは良いではないか、山形と比べるも烏滸がましいほど賑やかなのじゃから」
「姫、先ずは征東大将軍様(恭仁親王)と北條左中将様(北條氏康)に、ご挨拶せねばなりませんぞ」
「判っておるわ。我が最上がみちのくで栄えるも衰退するもこの一戦にありじゃ!」
「姫、本当に判っておられますか?」
「無論じゃ」
義姫が無い胸を目一杯はって自慢げに『エッヘン』と言った。
それを聞いて、氏家定直は渋い顔をしたが、お付きの喜多はニコニコと微笑んでいた。
永禄元(1558)年十月二十三日
■相模国西郡小田原 氏家定直
姫様にも困ったものだ、しかし御言葉が核心を突いているのは間違いはないか、それにしても山形を発ってから各所を巡ってここまで来たが、小田原に匹敵するような町は皆無であったな。
伊達の米沢、芦名の黒川、畠山の二本松、二階堂の須賀川、結城の白河、下野に入り宇都宮の宇都宮、関東公方様の古河など巡ってきたものの、権勢の割には町は栄えておらん。坂東一の川湊である簗田の関宿、そして坂東一の海湊の江戸などは確かに栄えてはいるが、小田原には敵わないであろう。ましてや我が殿の山形などと比べるも烏滸がましいほどだ。以前、都へ行った者や唐橋様に聞いた京の都に匹敵するような町と言えるかも知れぬ。
それに、北條家の治世は聞いていたものより遙かに優れているのであろう。山形から白河の関を越えるまでは民の姿はやせ細り表情は暗く見ていて憂鬱な気分になったが、坂東に入り少しずつ野山の雪が薄くなるにつれ民の目も生きがいを得ているかのように見えてきた。
そして、北條家の支配下に入ると、町には生き生きとした民が嫌々では無く、喜んで普請場で一生懸命働き汗を流していた。驚くことに普請は全て食事が出て給金まで支給されていると言うでは無いか。聞けば北條家では以前は当家と同じように日数を決めて賦役を行っていたが、先年より全ての賦役を廃止し農閑期における農民の生活を補助するための政策と称して給金と食事を出すことに決めたそうだ。
此には流石の拙者も驚きを隠せなかった。なぜなら給金と食事を出すなどすれば、どれ程の蓄えを費やすか判らないのだから。我が家で同じ事をすれば財政破綻することは間違いないであろう。しかも戦に金がかかる故にとうてい真似など出来ぬ。尤もこの様な話を若君(最上義光)が聞けば民を重んじるお方故、率先して真似しようとするであろうが、先立つものが無いと説得するしかあるまい。
それにしても、この北條家の支配下の街道のなんたる立派なことか。江戸より小田原まで主要道は六間(10.8m)の広さで作られており、路面は細かい石で確りと固められ、左右には排水のための溝まで作られている。更に沿道には葉を茂らせる木々が並木として植えられて日差しや風を防いでくれる。
そして五里(3.27km)ごとに目印の大塚が築かれ二十里(13km)ごとに休憩所なる茶店が置かれ、四十里(26km)ごとに宿場が設けられている。しかもその宿場は銭さえ出せば確りとした食事がでるそうだ。此は驚く事だ、普通の宿は食事など出ずに自ら用意せねばならぬのにだ。
それだけでは無く、我らが一番驚いたのは酒匂川に架けられた橋であろう。初めて見る灰色の石で作られた長さ一里(654m)幅十間(18m)の大橋、拙者も姫様も暫く言葉が出なかった。あれほどの大橋を作るとは。聞けば今後、馬入川(相模川)六郷川(多摩川)浅草川(隅田川)利根川(旧中川、荒川放水路付近)太井川(江戸川)などにも同じような橋を架けるらしい。江戸でその話を聞いたときはホラの類いだと思ったが、酒匂川の橋を見てからは北條家はやり遂げそうな気がするようになった。
他に我らは使者故に各地の城に宿泊したが、旅の途中で知り合った商人によれば、道が良くなった上に、街道沿いを北條家直轄の巡邏隊なる兵が巡回し治安を守っているそうだ。その為に今では女子供でも安心して旅が出来るそうだ。我らも彼らが不逞の輩を取り締まる姿を見たが、驚くほどに機敏な動きで歴戦の強者のようにも見えた。
更に彼らの具足も得物も出羽では足軽大将が身に纏うような見事のものであった。『北條家は足軽にまであれほどの具足を与えているのか、それとも自腹か?』と、案内の者に聞いたが『あれはお貸し具足です』と言われた。確かに具足の胴には北條家の三つ鱗紋が描かれていた。儂としたことが見事な動きに目を取られて失念してしまったか、年は取りたくないものよ。
しかし、この町の見事な繁栄、道道の素晴らしさ、何をとっても北條家が坂東でも、いや日の本でも一二を争う大名だと言えよう。此は心して当家と北條家との音信と繋がりを確りとしなければならぬ。奥州の様に血と地縁で雁字搦めでは何れ身動き取れなくなるであろう。その際に征東大将軍様と北條殿との強い絆があれば当家の興廃に誉れがあるであろう。
姫様は唐橋殿と談笑しておられる。
「しかし、御爺殿は出家しておったのか?」
「ほっほっほ、儂の様な貧乏公家では次男以下は厄介者での、家におっても穀潰しどころか食う物すら手に入らぬ」
「唐橋家と言えば、菅原家の嫡流と伺いましたが?」
「喜多よ、応仁の大乱以来、多くの公家は荘園が横領されて食うや食わずよ」
「御爺殿も苦労したのか?」
「うむ、父の唐橋在数が北野の長者になる前に九条政基・尚経に殺害されて、残った兄の在名が後を継いだのだが、齢十五であったがために、長者は他家の物になってしまい没落よ。その為に他の兄弟を育てられず、三歳だった次男の兄は橘氏に養子に行けたが、三男であった儂は養子に行く口も無く寺へ入ったわけじゃ」
「苦労したのじゃな」
「いやいや。寺へ入ったが、その後に同じような境遇の尼と懇ろになっての。子が出来た」
「なんと」
「面白かろう?」
「面白いというか、複雑じゃな」
「姫はこう言う話も平気であろう?」
「確かにそうじゃ、みちのくの家の複雑さを知れば御爺殿も驚くことじゃ」
「ほっほっほほ」
「で、子は元気なのか?」
「儂と同じで坊主になっておったが、親王殿下の将軍宣下で儂と同じく還俗して今は親王殿下に仕えておる」
「それは良かったのじゃ」
「そのうえ、孫も一緒に来られたからの」
「孫もいるのか?」
「うむ、男と女が一人づつの、男はまだ生まれたばかりだが、女は姫と同年じゃ。尤も孫娘は、どこぞの武家にでも嫁に出して持参金を貰おうと考えて実家が引き取っておったがの」
「そうか御爺殿の孫娘殿と会うのが楽しみじゃ」
姫様、小田原での楽しみが出来て良かったですの。それにしてももう少し大人しくして頂ければ、引く手数多でしょうに・・・・・・
永禄元(1558)年十月二十三日
■相模国西郡小田原 唐橋有通
この義姫は不思議な子よ。
齢十一ながら諸事に通じ、年寄りとの話も退屈すること無く聞き、疑問があれば質問してくる。更に派手なことだけで無く民の暮らしや作柄などまで聞いてくるとは、まるで本願寺の姫(舜)や望月の姫(千代女)の様では無いか。まるで成人の娘と話しているかの如く、ついつい十一の娘に聞かせぬ事まで喋ってしまうわ。これは、麒麟児か鳳雛かも知れぬ。末が楽しみじゃ。
永禄元(1558)年十月三十日
相模国西郡小田原 北條助五郎
やっと帰ってきた!
そういえば、帰ってくる途中に最上やら阿曽沼とか相馬とかの使者が父上や将軍様に会いに来て、小田原に逗留しているけど、僕は帰国したばかりで、堅苦しい今川での生活からやっと解放されたんだから、暫くはゆったりするんだ!
「さてさて、父上、兄上の目を盗んで平三郎と町へいくぞー!」
「助五郎、ちょい待て」
「大叔父上(幻庵)義兄上(康秀)」
不味い。大叔父上と義兄上に見つかった。
「さてさてで何だって?」
「いえ、気のせいでは?」
「そうか、儂の気のせいか」
「はい」
「気のせいか・・・・・・な訳無いだろうが!」
やっぱり聞かれてた!
「羽目を外すは構わんが、一言言ってから出かけるのが普通であろうが」
「全くだ、助五郎が只の侍の子であれば平気だが北條左中将様の第五子なのだから、それ相応の用意か変装が必要だろうが、だいたい俺や新九郎(氏政)、平三郎(氏照)は奥州や羽州の使者との折衝や連日の宴で大変なのに、遊びに行くとは羨ましい」
あっ、ボソッと本音が出た!
「まあ、長四郎よ仕方有るまい、雷神の申し子が居ないと宴が盛り上がらないのだからの」
「風評被害が凄すぎるのですよ。だいたい指先一つで雷落とせるって、天神様じゃ無いんですから」
「まあ、それほど衝撃が大きかった訳じゃ」
「はぁ」
大叔父上が義兄上をからかっている間に逃げよう。
「これ、まだ話は終わっておらん」
「て言うか、話の腰を折っているのは大叔父上ですよ」
「これは一本取られたの」
「確かに」
「まあ、良いわ。まあ久々の小田原じゃ、暫くは緩りとするが良いぞ。ただし出かけるのであれば、供を連れて行くのじゃぞ」
「はい南条平三郎(元高)を連れて行きます」
「若様、南条殿なら先ほど町へ出ていかれましたが」
「は?」
「美鈴か、どうかしたか?」
「いえいえ、あまりにも若様がお可哀想でしたのでつい」
いきなり現れた美鈴殿は甲賀の忍びで義兄上の側室でもあるんだが、いろんな意味、そう色々な意味で凄い人なんだよな。てっ、ていうか、平三郎酷いぞ!
「平三郎め、自分が羽目を外しておるか。さて供がいなければ外出は駄目じゃの」
「えー、大叔父上、後生ですからお願いします」
大叔父上と義兄上が考えているんだよな。ウンウン唸ってる。
暫くして、義兄上が大叔父上に囁いて大叔父上が頷いた。
「助五郎、長四郎が供を貸してくれるとのこと、感謝するのじゃ」
流石義兄上だ、感謝します。
「はい、義兄上ありがとうございます」
「まあ、羽目を外しすぎないようにな」
「はい」
「美鈴、悪いが兵庫達を呼んできてくれ」
「判りました」
それから、美鈴さんが義兄上の家臣の四人を呼んできてくれた。
加治兵庫介(秀成)藤橋満五郎(秀基)森太郎兵衛(勝貞)野口金四郎殿達だ。
みんな義兄上が頼りにしている侍で太郎兵衛以外は義兄上の勝沼以来の家臣で、太郎兵衛は尾張出身だが、実直でお目付役としては恰好の人らしい。
あと、年齢が近いと言うことで義兄上の小姓の榊原於亀も一緒に行くことになった。
こうして五人と他に風魔も数人付いてくれると決まり町へ遊びに出たんだ。
永禄元(1558)年十月三十日
相模国西郡小田原 片倉喜多
征東大将軍様、北條左中将様との会談も無事に終わって、姫様も氏家様も大役を果たしたとほっと為さっております。私はその間に好奇心旺盛な姫様が欲しがるお土産や見物する場所の選定を行っております。しかし、この観光案内書と言う書は便利ですね。小田原周辺の名所旧跡や名物を懇切丁寧に教えてくれるのですから。
まあ、そのせいで姫様が『ここに行きたい、あそこで食べたい』などと年相応の我が儘をおっしゃるのですが、可愛い事です。仕えて間もない私ですが姫様は年齢以上に早熟で世をよく見ていられるお方、恐らく男児であれば一角の武将に育ったでしょうに、尤も今の姫様の愛らしさは素晴らしいのですけど、早熟すぎて元々から付いていた侍女に不気味がられたり恐れられるとは可愛そうな姫様です。私が目一杯おかわいがり致しますからね。
で、姫様、お友達になられた唐橋貴子様と街へ繰り出したいと言うことですか?
貴子様は唐橋様の御孫様で年は十一と姫と同じ年、それに書が好きとの事で、会って直ぐに意気投合して一緒に過ごしております。
「義ちゃん、やっぱり源氏はヘタレだよ」
「貴ちゃん、源氏物語って紫式部の欲望がダダ漏れだよね」
「うん、言えてる言えてる」
「枕草子も似たような物語だし」
「やはり、時代はとりかえばやだよ。男装女子と女装男子なんて最高!」
「言えてる!」
聞かなかったことにしましょう。
それにしても唐橋様とのお話から、想像していましたがここまでとは・・・・・・
『そうか御爺殿の孫娘殿と会うのが楽しみじゃ』
『ほっほっほ、自慢できるような孫では有りませんがな』
『謙遜を言うの』
『いやいや、元々尼にするつもりが、実家に引き取られていきなり公家の姫になったために戸惑っておったのか、日がな一日、枕草子や源氏物語を読んでいるだけでな』
『いやいや、妾と同年代で枕草子や源氏物語などを読するとは驚きなのじゃ』
『まあ、都に居た頃は貧乏暮らしで碌に書に触れることが出来なかったからか、此方へ来て誰でも借りられる図書館なるものに遭遇して文の道に目覚めたようでしてな』
『それでも、凄いことでございます』
『そうよ、妾も父上や兄上の書籍を勝手に借りて読んでおるが、中々に難しい言葉ばかりよ』
『まあ、貴子の場合、読むだけでは無く自ら書を書き始めておるのじゃが・・・・・・』
『凄いでは無いか』
ここまでは、誰が聞いても良いお話だったんですけど・・・・・・
『御爺殿、如何したのじゃ?』
『書と言っても最近は“とりかえばや”の様な怪しげな書を書いているらしくての』
『とりかえばやとは?』
『まあ、何というか、すみれの話が多いと言うか、何というか、男装姉姫と女装弟が御所へ上がると言う話での』
『なるほど、なるほど』
これで、姫様が更に興味をもたれて、今ではこのような仕儀に。
「喜多、準備万端じゃ、早速出かけるぞ!」
「そうだそうだ!」
氏家様と唐橋様には許可を頂き、数人のそっと見守る護衛を付けて頂きましたので、出かけることにしましょう。
見たことも無い灰色の石=ローマンコンクリート
小石で固めた道=マカダム舗装
足軽大将の着るような鎧=目立つので巡邏隊には丁度良い大鎧のような派手な鎧。
康秀自身は迷彩柄の外套着ている状態ですので。
今夜は雪ですね。明日の朝の凍結には気をつけましょう。