第拾壹話 次男の心得
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天文二十二年七月一日(1553)
■相模國足柄下郡 小田原城 三田余四郎
今日、綾姫が今川氏真の元へ嫁ぐ為出立する。竹千代丸も母方の祖母寿桂尼に預けられる形を取った実質的な人質として、一緒に駿河府中へ旅立つ。
綾姫には、人質の身ながら何時も優しくしてもらって、本当の姉上の様に可愛がってもらったので、此からの歴史の流れが史実通りなら、桶狭間で今川義元が織田信長に討たれた後、武田信玄に駿府を攻められ、輿にも乗れずに歩いて懸川城まで行くはめになり、その後も小田原に引き取られるのだが、氏政が武田信玄と同盟するにあたって、夫婦共々追放される羽目にもなる。長生きはするけど、苦労の連続なので、送り出すのも何とも言えない気分だ。
助五郎は、この後二十歳前まで人質として過ごすことに為り、当時同じ人質だった松平竹千代、後の徳川家康と友達になるはずだ。そのせいか知らんが、竹千代丸は後に韮山城で籠城の時、徳川家康に降伏し、子孫は徳川幕藩体制でも河内狭山一万石の大名として明治維新まで続くんだよな。
人質としての自分では、普段の付き合いはいざ知らず、多くの重臣の中では、挨拶など一瞬しか出来ない状態で、しかも畏まった方式だ。
綾姫様にお祝いのご挨拶をする。
「綾姫様、ご婚礼おめでとう御座います」
「余四郎殿、ありがとう」
此で、挨拶が終わる。お世話になりながら、公式には此しか出来ないのが悲しいところ。
次は竹千代丸の所へ向かう。
竹千代丸は、実質的に人質という手前、目出度いという雰囲気では無かった。
「竹千代丸様」
「余四郎殿」
TPOを弁えている2人は普段と違い確りと敬称を付けて話しかける。
「この度は、御苦労様です」
「此も、当主の子の定めと思っております」
2人とも此れから家族とお別れするために、別棟へ移動するんだが、何故か自分も幻庵爺さんに連れられて、その場所へと行くはめになった。ここで始めて、幻庵爺さんが2人に送る物を用意して持っているようにと言ったことが理解できた。最初から自分も人数に入っていた訳だけど、家族の宴に部外者が参加して良いのかな?
部屋へ入ると、氏康殿、氏堯殿、新九郎殿、藤菊丸と幻庵爺さんの家族や北條綱成一家や奥方様や姫様方は歓迎の感じだが、松千代丸は、あからさまに何故人質風情がここに来ると言う目で見るし、乙千代丸は我関せずという感じだ。場違いなんだが、家族の別れに何故自分が入り込めるんでしょうか?
早速、松千代丸から口撃。
「なんだ!人質風情が何故ここに来る!」
「儂が呼んだんじゃが。綾は余四郎の事を弟のように可愛がっておるし、竹千代丸ともこの上なく仲がよい。それに左京殿もお許しに成られておる」
幻庵爺さんの言葉に松千代丸は自分を睨むと、フンと顔を背けた。
いやはや、松千代丸(氏政)にはトコトン嫌われているため、氏康殿の死後が危険だから、藤菊丸(氏照)の家臣になるのが一番安全かな。考えなきゃいけないな。
皆が集まると、綾姫様と竹千代丸が部屋に入ってきて、綾姫様は、自分が居るのを見て最初は驚いていたが、直ぐににこやかになって、笑顔で微笑んでくれた。竹千代丸は、目をキラキラさせながら見てくる。
順番に綾姫と竹千代丸に皆が話をし、贈り物を渡していく。新九郎殿が進物を渡し話している。
「綾、向こうへ行っても達者で暮らせよ。駿河は暖かいと聞くから大丈夫で有ろうが、風邪などひくでないぞ。それと初めての土地では水に気を付けるようにな。それと新婚とは言え気張りすぎるなよ」
オカンだオカンが居る。新九郎殿はオカン気質だ!それにエロ親父も入ってやがる!
その言葉を聞きながら、顔色一つ変えずに綾姫もにこやかに返している。
「兄上も、御達者でお暮らし下さいね。兄上も十二月には婚礼なのですから、女遊びも程々に為されませ。花婿が腎虚で倒れたとあっては北條の名折れですよ」
うわー凄い返しだ。流石兄妹だわ、阿吽の呼吸で突っ込んだ。新九郎殿だけじゃなく、殆どのみんなが苦笑いだ。
続いて竹千代丸へも激励していたんだが、次の松千代丸の時に事件が起こった。
松千代丸も進物を2人に渡して当たり障りのない話をしていたんだが、最後に爆弾を落としやがった。
「そうだ、姉上、竹千代丸、その進物に鎌倉の綱広に打たせた短刀が御座います」
「此ですね」
2人とも進物から短刀を出して見せる。
「左様、その短刀は、いざ今川と手切れになった時、それで姉上が上総介(今川氏真)の御首級を取って頂きたくお送りする物。竹千代丸もそれにて、今川治部大夫(今川義元)の御首級を奪うのだ。それが駄目であれば、寿桂尼(今川義元母)を人質とする様に致せ」
いきなりの言葉に、座が静まりかえる。
松千代丸は何を言ってるんだ。確かに斎藤道三は娘の帰蝶を織田信長に嫁に出すときに、隙あらば信長の頸を取れとか言ったそうだが、此が戦国か。
「松千代丸、何を、言うのですか」
「兄上、余りにも酷い言いわれよう」
2人の抗議も何処吹く風で松千代丸が更に畳みかける。
「所詮同盟など、一時的な物が常だ。治部大夫の祖母は早雲様の妹だが河東の乱では今川と激しくやり合ったではないか。姉上に対しても、いざという時の心構えを言ったがまで、その程度は覚悟して頂けねば為りませんぞ」
「判っているが、その言い様は無いでしょう」
「性格に御座いますれば。竹千代丸、お前は所詮五男、儂等と違い死んでも痛くも痒くもない存在よ。所詮人質は手切れになれば、見せしめに磔か、出陣前の血祭りにあげられるのが定め。そうなるなら、せめて治部大夫か上総介の命を絶てば、余り物のお前もお家の役に立つのだからな」
人質云々の件で自分の方を見ながら、嫌みったらしく磔や血祭りなどと嘲りやがった。自分をそうするって言っている訳だよな、この言い様は。
「兄上酷い」
竹千代丸が泣き出した、それに幼い妹たちも泣き出した。
ジッと松千代丸の話を聴いていた氏康殿が遂に怒りだした。
「松千代丸!目出度き席での今の言動許し難し。さっさと屋敷に帰れ」
そう言われた、松千代丸は頭を下げてから、部屋から出て行った。
座がしらけたが、幻庵爺さんが仕切り直した。
「よいよい、次は藤菊丸じゃ」
「はっ」
松千代丸の事件が尾を引いてはいるが、みんながそれを忘れるように話しまくる。
藤菊丸は心温まる話をし、座も和ませ、普段斜に構えている乙千代丸もここでは当たり障りのない話題で話を締めくくる。
そうして最後はご両親なので、幻庵一家の最後に自分の番が来た。自分も2人の門出を祝うために、色々用意した物を渡さなきゃ。
「綾姫様、おめでとう御座います」
綾姫様は花のような笑顔で、先ほどの事件も忘れたかのように、自分に挨拶を返してくれる。
「余四郎、ありがとう。嬉しいけど、余四郎の作るおやつが食べられなくなるのは残念ね」
茶目っ気たっぷりに、にこやかに返してくれる。
「それならば、綾姫様に此を」
そうして、持って来ていた各種レシピを載せた本を渡す。
「あら、此は?」
「餡蜜、蒲鉾、ほうとうなどの作り方や材料、食材の作り方を載せた本です」
「あら、余四郎の大事な秘密の本を私に下さって良いの?」
心配そうに見つめる綾姫様に、ついつい見とれてしまった。
「はい。綾姫様には、人質の身でありながら、実の姉のようにして頂きました。その恩返しには足りませんが、是非にお納め下さい」
綾姫がにこやかに見つめてくれた。
「余四郎、ありがとう。貴方のことは、松千代丸、藤菊丸、乙千代丸、竹千代丸達と同じく弟のように思っていましたよ。この本は大切にしますね。余四郎も此から達者に暮らすのですよ」
「はい、綾姫様。短い間でしたが、大変ありがとうございました。お幸せに」
「ええ、向こうで此を使って、上総介様に御馳走しますね」
綾姫様に別れを告げ、竹千代丸に向き合う。竹千代丸も先ほどの事件の余波はあるようだが、家族に励まされて幾分でも元気を取り戻している。
「竹千代丸様、今川へ行っても元気で」
「はい、余四郎殿もお元気で」
竹千代丸に、沢山の遊具を渡す。
「竹千代丸様、遊具です」
「ありがとうございます。新しい物がチラホラ有りますね」
竹千代丸は目をキラキラさせ始めた。ようやく先ほどの事件から抜け出せたようだ。
「竹千代丸様が退屈しないように、色々考えましたからね」
「楽しみです、私も姉上と同じ様に、余四郎殿のことを実の兄同然に思っていました。御達者で暮らして下さい」
「竹千代丸様も御達者で」
こうして挨拶が終わり、翌日、一万人という大行列により綾姫様の嫁入りは小田原城下を旅立っていった。
しかし、氏政は碌でもない奴だ!あれじゃ北條を滅ぼしたのも判るわ!!
天文二十二年七月二日
■相模國足柄下郡 箱根早雲寺近傍の山中
綾姫の一行が箱根越えをする中、早雲寺近傍の山中に一騎の騎馬が佇み、その一行を眺めていた。
「綾姉さん、竹千代丸よ、あんな事を言ってすまんな。・・・・・・・宗瑞公(早雲)、快翁活公(氏綱)、神仏よ願わくば、綾姉さん、竹千代丸が無事でありますように」
その騎馬は行列が消え去るまでジッと動かずに見つめていたが、人の気配に振り返ると其処にいたのは、同じく馬に乗った良く知る人物であった。
「兄上」
「やはりここだったか」
「何故ここに?」
「お前が敢えて、憎まれ役をしている事など、判らんはずが無いだろう」
「なるほど、兄上には隠し事は出来んな」
「憎まれ役も大概にしないと、お前が困るぞ」
「いや、俺が憎まれれば憎まれるほど、兄上への期待が高まるのだから、次男なんてそんな物だよ」
「お前、それでは、お前が余りにも不憫だ」
そう言われたが否定する様に手を振りながら。
「長男が健在である以上は、次男は万が一の予備でしかないからな。三男以降は養子に行くことがお家のためだが、次男は敢えて憎まれ役に徹するが万事良い。兄上の為ならば汚れ役は俺が引き受けるさ」
「お前はそれで満足なのか?」
「親父も叔父貴も爺様も騙しているんだから、素晴らしい演技力だろう。それで満足さ」
「お前な!」
「兄上、北條の次代は兄上の物だ。兄弟連中や左衛門大夫(北條綱成)も良いが、余四郎も逆境に耐えて良く育っている。流石は幻庵爺さんだよ。奴は麦と一緒で踏めば踏むほど育つぞ。それが楽しみだよ」
「お前の優秀さには期待しているんだが」
「いやいや、優れた兄に愚かな弟の方が良いだろう。反対じゃお家騒動の元だしな」
「俺は、お前の悪名が残ることが辛いんだが」
再度否定するように手を振りながら。
「悪名ならばどんと来いだ。楽しいじゃないか。いっそ元服後の通称は悪平次にでもするかな」
そして2人して顔を見つめ合いながら、笑い出した。
それを密かに見つめる影が4つ。
「やはりな」
「未だ未だ甘いですな」
「2人とも、ばれてないと思っているようじゃな」
「で、兄者どうする?」
「暫くは騙されてやろう」
「そうじゃな、折角の演技じゃ。楽しまねばだめじゃな」
そう言いながら、4人の姿はその場から消えていった。
氏政の心意気判って頂けたでしょうか?
ステレオタイプの悪役じゃないんです。




