帰郷
潮の匂いは変わらない。
甲板に立つアーサーは、遠くに見えるムー大陸の影を静かに見つめていた。
生まれた場所。
逃げ出した場所。
そして、名を刻まれた場所。
「……帰ってきたな」
トゥルムは何も言わない。ただ、並んで立つ。
歓迎はない。
歓声もない。
ただ、風だけが吹いていた。
「これから砂漠を三日。ムー大陸の王都まで馬車の旅だ」
港を降りればすぐ、乾いた風が頬を打つ。
「エリシオンーオリンポス経由と違って馬車があるのは有難い」
水を買い足し、食糧も余分に仕入れる。
トゥルムは代金を払って、思わず眉を寄せた。
「……高いですね」
商人は苦笑いを浮かべる。
「最近はどこも値上がりでしてね。困ったもんです」
「商業国家が値上がり? 何故?」
トゥルムが問い返す。
商人は少し周りを気にして、やや声を潜めた。
「砂漠でワームのスタンピードが起きましてね。隊商が何組もやられたとか。流通が滞ってるんです」
ワームのスタンピード?
自然発生にしては被害の規模が大きすぎる。
アーサーの胸に、わずかなざわめきが走る。
「……ただの災害か?」
答えは、風にさらわれた。
「ギルドに寄ろう」
「そうですね」
何かしらの依頼が出ているかも知れないとギルドの扉を開ければ、慌ただしく連絡を取り合う姿が。
「あの、すみません」
「えっ、あっ、、嘘っ」
最悪と小声で呟くと受付嬢はすぐに裏に引っ込んだ。
もはやお馴染みと言っても良いが、先ほどまで振り乱してと言っても良いくらいの見た目から、髪はとかれやや化粧直しをした姿で戻って来る。それも物凄い速さで。
「…登録番号」
「S級のトゥルム様ですね。すみません、少々立て込んでおりまして」
背後で「俺たちの時もそれくらいさぁ」と不満の声が上がるが、女性冒険者に「鏡見なさいよ」と一蹴される。少しだけ同情した。
「いえ。スタンピードの件ですか?」
「はい……お耳に入ってましたか……」
「スタンピードにしては規模が凄いような…」
「実は変異種が確認されまして」
受付嬢の声がわずかに低くなる。
「ワーム自体はE級指定です。単体なら新人でも狩れる程度ですが……」
一枚の地図がカウンターに広げられる。
赤い印が、砂漠の一点に重ねられていた。
「この個体だけが異常なんです。体長は推定10~15メートル級。通常種の十倍以上。魔力反応も桁違いで……」
「B級冒険者チームが三つ、先ほど王国討伐隊も壊滅したと連絡が…」
その言葉に、室内のざわめきが止む。
ワーム如きで王国軍が壊滅するはずがない。
だからこそ、重い案件。
「……王都へ向かう街道上か」
アーサーが地図を指でなぞる。
「はい。主要交易路です。このままでは物流は完全に止まります」
一瞬、アーサーの目が細くなる。
「放置は出来ないな」
それは冒険者としてではなく、“王になる者”の声音だった。
今は無自覚の一言ではあったが、少しだけトゥルムの心をざわつかせた。
彼は地図から視線を上げ、わずかに笑う。
「ま、ついでだ」
軽く言ったその一言に、逆に重みが宿る。
「私たちが行きます。詳細を」
「……本当に、よろしいのですか?」
トゥルムが肩を竦める。
「S級は伊達ではありません」
そして、静かに付け加えた。
「ただのワームなら、ね」
その最後の一言に、わずかな含みがあった。




