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第6話:歪な粥

第6話:歪な粥

 屋敷に戻った才蔵は、小夜を離れの寝床にそっと横たえた。

 その顔は紙のように白く、呼吸もか細く途切れがちだ。時折、苦しげに眉をひそめ、うわ言のように何かを呟いている。

 才蔵は、彼女のそばに音もなく座り込んだ。

 幕府から遣わされた医師は、先ほど一通りの診察を終えると、ただ首を横に振り、こう言い残して去っていった。

「……常人であれば、とうに事切れている。あとは、この娘自身の生命力次第。我々には、もう施しようがございません」

 つまりは、見捨てられたということだ。

 才蔵の心の奥底で、冷たい怒りの炎が静かに燃え上がった。

 幕府にとって、小夜はやはりただの「道具」でしかなかったのだ。その性能を試し、使い物にならぬと判断した途端、こうしてあっさりと切り捨てる。

 そして、自分もまた同じ。

 このまま彼女が死ねば、任務は失敗。自分もまた無価値な駒として、打ち捨てられるだけだ。

 ――死なせるわけには、いかない。

 その思いは、任務のためという打算からか。

 それとも、自分の目の前で血を吐いて倒れた、このか弱い少女に対する、別の感情からか。

 今の才蔵には、その区別もつかなかった。

 ただ、彼は動いていた。


 彼はまず、自分の肩の傷を手当てした。

 着物を脱ぎ捨て、傷口を焼酎で消毒する。肉が焼けるような激痛に、奥歯を強く噛みしめた。そして手慣れた動きで布を巻き、止血する。これしきの傷は、彼にとって日常茶飯事だった。

 問題は、小夜だ。

 彼女は外傷ではない。その内側から、壊れかけている。

 才蔵は立ち上がると、台所へと向かった。

 医師が見放したのなら、自分にできることをするしかない。

 前世の記憶。

 特殊部隊員として、世界中の辺境でサバイバル術を叩き込まれた、あの頃の記憶が蘇る。

 彼は屋敷の庭の片隅に自生している薬草を数種類摘み取った。一つは滋養強壮に効く。一つは内腑の出血を抑える。そして、もう一つは精神を安定させる効果があった。

 それらの薬草を、石臼で丁寧にすり潰していく。

 そして、米櫃の底にわずかに残っていた古米と共に、土鍋で煮込み始めた。

 慣れない火加減に四苦八苦しながら、彼はただ無心で鍋をかき混ぜ続けた。

 彼が誰かのために食事を作ることなど、二つの人生を通して初めてのことだった。

 やがて出来上がったのは、粥と呼ぶにはあまりにも無残な代物だった。

 薬草の緑色がどろりと溶け出し、焦げ付いた米粒と混じり合って、まるで沼地の泥のよう。匂いも、薬草の苦い香りと焦げ臭さが混じり合い、食欲をそそるものとは到底言えなかった。

 才蔵は、その出来損ないの粥を前に、しばし途方に暮れた。

 こんなものを、病人に食わせていいものだろうか。

 むしろ、弱らせてしまうのではないか。

 彼は一度、その粥を捨てようとした。

 だが、その時、離れの部屋から、小夜の苦しげな呻き声が聞こえてきた。

 迷っている暇はない。

 才蔵は意を決すると、その歪な粥を椀によそい、彼女の元へと運んだ。

 彼にできることは、もうこれしかなかったのだから。


 彼はまだ意識の朦朧としている小夜の体を抱き起こした。

 その体のあまりの軽さに驚く。

 まるで羽毛のようだ。少しでも力を入れれば、壊れてしまいそうな儚さ。

 彼は木のスプーンで粥をすくうと、それを冷ましながら、ゆっくりと彼女の唇へと運んだ。

「……食え」

 低い声で命じる。

「これを食って、生きろ」

 それは任務のためでも何でもない。

 ただ、一人の人間に対する、切実な願いだった。

 小夜の唇がわずかに開かれる。

 そして、彼女はその緑色の液体を、こくり、と飲み込んだ。

 才蔵は、ただひたすらに、その作業を繰り返した。

 窓の外では、いつしか雨が上がっていた。

 そして雲の切れ間から一筋の月光が差し込み、眠る二人の姿を静かに照らし出していた。

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