第5話:不完全な神降ろし
第5話:不完全な神降ろし
肩を抉る灼熱の痛み。
そして、魂の芯まで蝕む呪いの冷気。
熱と冷たさという相反する感覚が、才蔵の意識を混沌の渦へと引きずり込んでいく。
膝をついた彼の目の前で、鬼たちが下卑た笑い声を上げながら、じりじりとその輪を狭めてきていた。
監視役の鬼討ち衆は、すでに退路を確保すべく、入り口の方で別の鬼の群れと交戦している。ここには援護は来ない。
もう、終わりか。
才蔵の脳裏に、その二文字が浮かんだ。
前世でもそうだった。幾度も死線を潜り抜けてきたが、最後の最後で仲間を守りきれず、自分だけが生き残った。そして今世でも、また同じ過ちを繰り返すのか。
せめて、この背後にいる女だけでも、逃がさなければ。
彼は残った最後の力を振り絞り、立ち上がろうとした。
だが、体は鉛のように重く、言うことを聞かない。
その、彼の背後で。
それまで、ただ人形のように立ち尽くしていた小夜が、動いた。
彼女はゆっくりと、震える両手を胸の前で組んだ。
そして、何かを呟き始める。
それは言葉ではなかった。歌でもない。もっと古く、そして根源的な、魂の響き。
彼女の唇から漏れ出したそのか細い音は、やがて洞窟の闇の中に、静かに、そして確かに広がっていった。
鬼たちの動きが止まった。
彼らは一斉に小夜の方を向いた。その濁った瞳には、恐怖と、そして畏怖の色が浮かんでいる。
何が起きている。
才蔵もまた、痛みに耐えながら背後を振り返った。
そして、彼は見た。
小夜の体から、淡い青白い光が放たれているのを。
それは松明の光とは違う。月光とも違う。もっと清浄で、そしてどこか悲しい光。
彼女の閉ざされていた瞳が、ゆっくりと開かれる。
その黒い瞳は、もはや虚無ではなかった。
そこには人間ではない、何か別の、圧倒的な存在の意思が宿っていた。
――神降ろし。
これが、そうなのか。
光は徐々にその輝きを増していく。
そして、その光の一部が、まるで慈しむように、才蔵の傷ついた体を包み込んだ。
その瞬間、彼の全身を貫いていた呪いの激痛が、すうっと潮が引くように和らいでいく。
体が軽い。動ける。
だが、その奇跡のような感覚は、一瞬で終わった。
「――かはっ……!」
小夜が突然、自らの胸をかきむしった。
そして、その小さな唇から、大量の鮮血を吐き出したのだ。
彼女の体から放たれていた光が、急速にその輝きを失っていく。彼女の瞳から神々しい光が消え、再び空っぽの黒い瞳が現れた。
彼女は、そのあまりにも強大な力を、そのか弱い器で、受け止めきれなかったのだ。
力が、暴走している。このままでは、彼女自身がその力に飲み込まれて消滅してしまう。
才蔵は歯を食いしばった。
動け。動け、俺の体。
彼は雄叫びを上げると、痛みを無視して立ち上がった。
そして、苦しむ鬼たちの群れの中へと突進していく。
狙うは一体。この群れのリーダー格である、ひときわ体の大きな鬼。
彼は折れた仕込み刃を逆手に持つと、その刃を鬼の心臓へと深く、深く突き立てた。
鬼が断末魔の悲鳴を上げる。
リーダーを失った鬼の群れは、統率を失い、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
静寂が戻る。
才蔵はふらつきながら、小夜の元へと歩み寄った。
彼女はすでに意識を失い、その白い着物を自らの血で真っ赤に染めていた。
その、あまりにも痛々しい姿。
才蔵は、彼女のこの力を、美しいとも、神々しいとも思わなかった。
ただひたすらに、不完全で、そして危ういと感じた。
まるで自らを燃やし尽くして輝く、儚い蛍火のように。
彼は何も言わずに、その小さな体を抱き上げた。
驚くほど、軽かった。その軽さが、なぜか彼の胸を締め付けた。
監視役の隊士たちが、呆然とこちらを見ている。
才蔵は彼らを一瞥すると、低い声で言った。
「……道を開けろ」
その声には、有無を言わせぬ、かつての指揮官としての覇気が宿っていた。
彼は腕の中の少女の命の温もりだけを確かめながら、闇の中を、一歩、また一歩と歩き出した。
二人の最初の戦いは、あまりにも大きな代償を残して、幕を閉じた。