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第4話:最初の死線

第4話:最初の死線

 偽りの祝言から、十日が過ぎた。

 離れの、淀んだ空気にも、才蔵は、すでに慣れていた。彼は、幕府から届けられる、過去の瘴穴に関する、膨大な資料に、ただ、目を通すだけの日々を送っていた。黄泉比良坂。その、最難関とされる、瘴穴の、情報を、少しでも、集めておく。それが、今の、彼にできる、唯一の、ことだった。

 その日、一人の、使者が、離れを、訪れた。

「――大老様より、御達しである」

 使者は、才蔵と、そして、その隣で、置物のように座っている、小夜を、一瞥すると、感情の、ない声で、告げた。

「お二方には、本日、北の、山中に出現した、小規模な、瘴穴の、調査に、赴いていただく。これは、お二人の、連携を、試す、実地試験である、とのこと」

 ついに、来たか。

 才蔵は、静かに、息を、吐いた。

 これは、試験、などではない。

 幕府は、焦れているのだ。時任家の、娘という、駒を、手に入れたは、いいが、その、性能が、分からず、持て余している。だから、まずは、手頃な、戦場で、その、力を、試させようと、いうわけだ。

 そして、もし、使い物に、ならなければ。

 あるいは、この、小規模な、瘴穴で、二人まとめて、鬼の、餌食となっても、幕府にとっては、好都合。厄介払いが、できるのだから。

 その、冷徹な、計算が、手に取るように、分かった。

「……承知した」

 才蔵は、短く、答えると、立ち上がった。

 そして、部屋の隅に、立てかけてあった、一本の、杖を、手にする。それは、頑丈な、樫の木で、作られた、何の変哲もない、ただの、杖。だが、その、中には、仕込み刃が、隠されている。今の、彼が、唯一、持つことを、許された、武器だった。

 彼は、小夜の方を、見た。

 彼女は、まだ、座ったまま、その、大きな、黒い瞳で、虚空を、見つめている。

「……行くぞ」

 才蔵が、声をかけると、彼女の、肩が、びくりと、震えた。

 そして、彼女は、壊れた、絡繰り人形のように、ぎこちなく、立ち上がった。

 その、顔には、何の、表情も、浮かんでいなかったが、その、きつく、握りしめられた、拳の、白さが、彼女の、内心の、恐怖を、物語っていた。


 北の山中は、冷たい、雨に、煙っていた。

 瘴穴の、入り口は、巨大な、岩の、裂け目だった。中からは、瘴気が、陽炎のように、立ち上り、周囲の、木々を、どす黒く、変色させている。

 同行したのは、監視役の、鬼討ち衆、数名。彼らは、才蔵と、小夜を、信用していない。ただ、遠巻きに、侮蔑と、好奇の、視線を、向けてくるだけだ。

 才蔵は、そんな、視線を、意にも介さず、瘴穴の、中へと、足を踏み入れた。

 中は、洞窟になっていた。壁には、鬼の、ものらしき、鋭い、爪痕が、無数に、刻まれている。

 早速、闇の、奥から、数体の、鬼が、姿を、現した。

 小鬼。最も、下級の、鬼だが、その、動きは、素早く、そして、狡猾だ。

 監視役の、隊士たちが、一斉に、刀を、抜いた。

「待て」

 才蔵の、低い声が、響いた。

「ここは、俺がやる」

 隊士たちが、訝しげな、顔をする。

 呪われ、剣も、握れぬ、この男が、一体、何を、するというのか。

 才蔵は、構わず、前に、出た。

 そして、懐から、数個の、小さな、鉄の、塊を、取り出す。撒菱まきびしだ。

 彼は、それを、鬼たちの、進路を、予測し、絶妙な、位置に、ばら撒いた。

 突進してきた、鬼たちが、撒菱を、踏みつけ、バランスを、崩す。

 その、一瞬の、隙。

 才蔵の、腕が、しなった。

 彼の、手から、放たれた、数本の、鉄釘が、正確に、鬼たちの、眼球を、貫いた。

 悲鳴を上げ、視界を、奪われた、鬼たち。

 そこへ、才蔵は、もう一度、懐から、取り出した、陶器の、小瓶を、投げつける。

 小瓶は、鬼たちの、足元で、砕け、中から、粘度の、高い、油が、飛散した。

 そして、才蔵が、火打石を、擦る。

 小さな、火花が、油に、引火し、一瞬で、炎の、壁が、燃え上がった。

 鬼たちは、阿鼻叫喚の、地獄の中、黒い、炭と、なって、崩れ落ちていく。

 一連の、動きは、まるで、流れる、水のようだった。

 剣を、使わずして、数体の、鬼を、一方的に、屠ってしまった。

 隊士たちは、言葉を、失っていた。

 これが、かつて、「鬼神」と、呼ばれた、男の、本当の、力。

 前世の、戦闘技術と、この世界の、道具を、組み合わせた、彼の、独自の、戦術。

 だが、才蔵の、表情は、険しいままだった。

 まだ、奥に、いる。

 それも、相当な、数が。


 洞窟の、奥は、広大な、空間に、なっていた。

 そして、そこには、数十体もの、小鬼が、群れを、なしていた。

 想定外の、数。

 これは、罠だ。

 幕府は、最初から、この、状況を、予測していたのだ。そして、自分たちを、ここで、始末するつもりだったのだ。

 才蔵は、奥歯を、噛みしめた。

 鬼たちが、一斉に、こちらへ、向かってくる。

 もはや、小細工は、通用しない。

 才蔵は、小夜の、前に、立ちはだかった。

 そして、杖に、仕込まれた、刃を、引き抜く。

 呪いの、激痛が、全身を、貫いた。

「……ぐっ!」

 意識が、遠のきそうになる。

 だが、彼は、歯を、食いしばり、耐えた。

 ここで、倒れるわけには、いかない。

 少なくとも、この、背後にいる、女だけは、死なせるわけには……

 その時だった。

 鬼の、鋭い、爪が、彼の、肩を、深く、深く、抉った。

 肉が、裂け、骨が、軋む、感触。

 才蔵の、体から、力が、抜けていく。

 彼は、その場に、膝から、崩れ落ちた。

 もう、終わりか。

 彼の、視界が、闇に、閉ざされようとした、その、瞬間。

 背後から、温かい、光が、彼を、包み込んだ。

 それは、小夜の、光だった。

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