第17話:覚悟の告白
第17話:覚悟の告白
才蔵が離れに戻ったのは、東の空が白み始める頃だった。
夜の冷気をその身にまとった彼の姿は、まるで闇から生まれ出た影のようだった。
部屋の中で彼を待っていたのは小夜だった。彼女は一睡もせず、ただひたすらに彼の帰りを待っていたのだ。その小さな手に、山梔子の簪を固く握りしめながら。
「……おかえりなさいませ」
小夜の声は震えていた。心配と安堵が入り混じった声だった。
才蔵は何も言わなかった。ただ彼女の前に歩み寄ると、その小さな体の前にどかりと腰を下ろした。
そして、彼は話し始めた。これまで誰にも語ることのなかった、全てを。
自分を呪った大鬼の正体。その魂が神降ろしの一族と分かちがたく結びついていること。そして幕府がその事実を知りながら、自分たちを「生贄」として利用しようとしていること。御前試合は、そのための儀式に過ぎないこと。さらに、桔梗の婚約者がその儀式を乗っ取り、二人を完全に破滅させようとしていること。
彼は淡々と事実だけを語った。そこには何の感情も込められていなかった。だが、その無機質な言葉の一つ一つが、あまりにも重く、そして絶望的だった。
話が終わった時、部屋は静寂に包まれた。
小夜は顔を俯かせ、何も言わなかった。その華奢な肩が微かに震えている。
無理もない。彼女はまだ年端もいかぬ少女なのだ。こんな過酷な運命を突きつけられて、平静でいられるはずがない。
才蔵は続けた。その声はどこまでも穏やかだった。
「……だから小夜。お前はもう戦う必要はない」
彼は懐から小さな包みを取り出した。
「これは眠り薬だ。御前試合の前夜、これを飲め。試合が終わるまでお前は目覚めない。そうすれば、お前は儀式に利用されることはない」
「……では、あなたは」
小夜がか細い声で尋ねた。
「あなたは、どうするのですか」
「俺は行く」
才蔵はきっぱりと言った。
「黄泉比良坂へ、一人で行く。そして、あの鬼とけりをつける。……それが俺の最後の仕事だ」
それは自殺行為に等しかった。小夜の力がなければ、彼が鬼に勝てる見込みはない。彼は死ぬ覚悟を決めているのだ。自分一人を生かすために。
「……なぜ」
小夜の瞳から涙がこぼれた。
「なぜそこまでして、私を……」
「……お前の笑顔を守りたいと思った」
才蔵はぽつりと呟いた。
「柄にもなく、な。……だからこれは俺の我儘だ。お前は何も気に病む必要はない。全てを忘れて生きろ。お前にはその権利がある」
彼はそう言うと立ち上がろうとした。
その彼の着物の袖を、小夜が強く掴んだ。
「……嫌です」
彼女はかぶりを振った。その顔は涙でぐしゃぐしゃだったが、その瞳には強い光が宿っていた。
「嫌です。そんな結末、絶対に認めません」
彼女は立ち上がると、才蔵の前に立ちはだかった。
「あなたは言いました。俺の我儘だと。ならば私にも、我儘を言う権利があるはずです」
彼女は涙を拭うと、彼を真っ直ぐに見つめ返した。
そして彼女は微笑んだ。それはこれまで見せたどんな笑顔よりも美しく、そして力強い笑顔だった。
「――あなたの隣にいたいのです。死ぬ時も、生きる時も。それが今の私の、たった一つの我儘です」
その言葉と笑顔の前に、才蔵の築き上げてきた全ての理屈も覚悟も、音を立てて崩れ去った。
彼はただ呆然と彼女を見つめていた。
ああ、そうか。俺は、この笑顔が見たかったのだ。この笑顔を守るためなら、自分の命など惜しくはないと、思っていた。
だが、違った。
この笑顔と、共に生きたい。
彼は初めて、心の底からそう願っている自分に気づいた。
彼はゆっくりと、彼女の小さな体を抱きしめた。
「……分かった」
その声は震えていた。
「……ならば、共に行こう。どこまでも」
二人の覚悟は一つになった。
それは絶望の淵で生まれた、ささやかな、しかし何よりも強い希望の光だった。
御前試合、そして黄泉比良坂へ。
二人の最後の戦いが始まろうとしていた。




