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第15話:市場のひとときと、呪いの真相

第15話:市場のひとときと、呪いの真相

 御前試合まで、残された時間は、十日。

 それは、死刑執行の、宣告にも、等しかった。

 離れの、空気は、再び、張り詰めていたが、その、質は、以前とは、全く、違っていた。

 そこには、もはや、すれ違いや、拒絶は、ない。

 ただ、同じ、絶望的な、運命を、前にした、共犯者としての、静かな、連帯感が、あった。

 小夜は、変わった。彼女は、もう、ただ怯えるだけの人形ではなかった。「夫の役に立つ」。その一つの目的が、彼女の心の芯に、一本の鋼のような柱を通したのだ。

 彼女は、毎日、夜明けと共に、起き上がり、庭で、精神統一の、ための、修行を、始めた。一族に伝わる、古の呼吸法。それは過酷な修行だったが、彼女は、決して、諦めなかった。

 その、痛々しいほど、ひたむきな、姿を、才蔵は、ただ、黙って、見守っていた。自分にできることは、ただ、彼女が安心してその戦いに臨めるよう、外的な脅威の全てを取り除くこと。そして、必ず勝つための布石を打つことだけだった。


 その日、修行を終え、疲れ果てて、縁側で眠ってしまった小夜の寝顔を見ながら、才蔵は、一つの決意をした。

 彼は、自分の、上着を、そっと、彼女の、肩にかけてやると、書き置きを一つ残し、一人、離れを出た。

 向かった先は、町の市場だった。

 御前試合で、使う、ための、道具を、揃えるため。それが、表向きの、理由だった。

 だが、彼の、心の、奥底には、別の、目的があった。

 ――このまま、部屋に、二人で、閉じこもっていては、息が、詰まる。

 それは、彼女のためであり、そして、何よりも、自分自身のためでもあった。


 市場は、人の、熱気と、様々な、匂いで、満ち溢れていた。

 魚の、生臭い匂い、焼いた、団子の、香ばしい匂い、そして、行き交う、人々の、汗の匂い。

 才蔵は、目的の、店を、巡り、強力な、鬼除けの香や、特殊な、金属で、作られた細い針などを、手際よく、買い求めていく。

 買い物を終えた彼が、屋敷への帰路につこうとした、その時だった。

 彼の目に、一つの、露店が留まった。色とりどりの簪を売る店。

 彼は思わず足を止めた。そして、その中の一本の簪に目を奪われる。

 それは小さな白い山梔子の花をかたどった、簡素な木彫りの簪だった。派手さはない。だが、その清楚で凛とした佇まいが、どこか今の小夜の姿と重なって見えた。

 彼はほとんど無意識にその簪を手に取ると、懐にしまい込んだ。

 その自分の行動に、彼自身が一番驚いていた。これは任務に必要なものではない。ただの個人的な感情。その事実が彼の心をひどくかき乱した。


 夕暮れ時、彼は、再び、市場へと、足を運んだ。今度は、小夜を、連れて。

 「……なぜ、わたくしまで」

 戸惑う、小夜に、才蔵は「御前試合で、人前に、出る、訓練だ。この、喧騒に、慣れておけ」と、ぶっきらぼうに、告げた。

 初めて、足を踏み入れる、市場の、活気に、小夜は、目を、丸くしていた。行き交う、人々の、生き生きとした、表情、威勢のいい、呼び声、そして、色とりどりの、品物。その、全てが、彼女にとっては、新鮮だった。

 人混みの中で、彼女が、よろめいた、その時。

 才蔵が、さっと、その腕を、掴み、支えた。

 「……危ない。はぐれるぞ」

 そう言って、彼は、ごく、自然に、彼女の、手を、握った。

 ゴツゴツとした、大きな、傷だらけの手。だが、その、手のひらは、驚くほど、温かかった。その、温かさが、じんわりと、自分の、心にまで、伝わってくるようで、小夜の、頬が、さっと、朱に染まる。才蔵もまた、その、小さな、手の、感触に、ひどく、動揺していた。彼は、気まずさを、誤魔化すように、早口で言った。

 「……これは、任務だ。お前が、迷子になっては、困るからな」

 二人は、手を取り合ったまま、夕暮れの、市場を、歩いた。その姿は、傍から見れば、どこにでもいる、ごく、普通の、若い、夫婦のように、見えたかもしれない。


 屋敷に戻った後、才蔵は、懐から、あの、山梔子の簪を取り出した。

 そして、それを、小夜に、突き出す。

「……これを、お前に」

「……これは」

「……その、なんだ。今日の、訓練の、褒美だ。……お前の、黒い髪に、白い花は、似合うと、思っただけだ」

 しどろもどろの、言い訳。だが、その不器用な言葉が、何よりも彼の本心を伝えていた。

 小夜は、震える手で、その簪を受け取った。その胸は、今日、初めて感じた、たくさんの感情で、いっぱいだった。


 だが、才蔵の心は晴れなかった。

 彼は、市場へ行く、もう一つの目的を果たしていたからだ。

 それは幕府の地下書庫への潜入。鬼討ち衆の指揮官であった彼だけが知る秘密の通路を使い、彼はそこにある禁断の書物を盗み見ていたのだ。

 そこには、黄泉比良坂と彼を呪った大鬼に関する、おぞましい真実が記されていた。

 ――あの大鬼は、かつて神降ろしの、一族と血の、契約を結んでいた。

 ――その、魂は、半身であり、互いを、求め合っている。

 ――そして、鬼の、呪いを、完全に、解く、唯一の、方法は。

 ――神降ろしの、娘の、命を、生贄として、捧げること。

 幕府は全てを知っていたのだ。そして、自分と小夜をそのための駒として利用しようとしている。

 才蔵は、握りしめた、小夜の手の、温かさと、これから彼女を、導かねばならない、あまりにも、過酷な、現実とのギャップに、胸を引き裂かれそうになっていた。

 彼女の笑顔を守りたい。そう願ったばかりだというのに。

 その笑顔を、自分の手で、永遠に、奪わなければ、ならないかもしれない。

 その、どうしようもない、矛盾に、彼は、ただ、奥歯を、強く、噛みしめることしか、できなかった。

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