第10話:すれ違う二人
第10話:すれ違う二人
桔梗の来訪以来、離れの空気は、再び、最初の頃の、氷のような冷たさに戻ってしまった。
小夜は、完全に、心を閉ざし、才蔵を避けるようになった。その瞳は、再び、光を失い、ただの、ガラス玉のように、虚空を見つめている。
そのあからさまな拒絶の態度に、才蔵は、日に日に、苛立ちを募らせていった。
あの、粥を分け合った夜に生まれた、ささやかな温もりは、幻だったのか。
いや、そもそも、自分は、何を、期待していたのだ。
『これは任務だ』
才蔵は、心の中で、何度も、その言葉を、反芻した。
『彼女は、ただの、駒だ。任務を、遂行するための、道具に過ぎない。道具に、私情を、挟むなど、愚の骨頂』
そう、自分に、言い聞かせれば、聞かせるほど、彼の心もまた、頑なになっていった。
だが、その、冷徹な、思考とは、裏腹に、彼の、脳裏には、どうしても、彼女の、あの、はにかんだような、笑顔が、ちらついて、離れないのだ。
その、矛盾した、感情が、彼の、心を、じりじりと、焦がしていた。
そんな、最悪の、状況の中、幕府からの、次なる、指令が、下った。
中級の、瘴穴の、調査。
それは、前回よりも、さらに、危険度の高い任務だった。
才蔵は、嫌な、予感がした。この、連携の、取れていない、状況で、臨むのは、自殺行為に、等しい。
だが、断ることは、できない。
彼は、小夜に、ただ一言、「行くぞ」とだけ、告げた。
小夜は、無言で、頷いた。
瘴穴の中は、湿った土と、腐敗の匂いに満ちていた。
前回とは、比べ物にならないほど、瘴気が、濃い。鬼もまた、より強力だった。
才蔵は、冷静に、状況を、分析し、的確な、指示を出す。
「……小夜。右手の岩陰に三体潜んでいる。お前の力で、動きを封じろ」
だが、小夜の、反応は、鈍かった。彼女の祈りは弱々しく、放たれる光も頼りない。
(集中しろ。お前の、感情など、どうでもいい。ただ、駒としての、役割を果たせ!)
才蔵は、心の中で、叫んだ。だが、その、無慈悲な、言葉は、ブーメランのように、彼自身の、胸に、突き刺さる。
祈りが、弱まっているのは、彼女の、心が、揺れているからだ。そして、その心を、揺らしたのは、自分自身ではないか。
その、一瞬の、思考の、乱れが、命取りとなった。
一体の鬼が、小夜の、祈りの、網を、すり抜け、才蔵へと、襲いかかってきた。
「――ちっ!」
才蔵は、舌打ちを、すると、自ら、その鬼の前に、立ちはだかる。呪いの激痛に耐えながら、杖の仕込み刃で、鬼の攻撃を受け流した。
だが、その隙に、別の、一体が、小夜へと、迫る。
その瞬間、才蔵の体が、ほとんど、反射的に、動いていた。
――任務の、駒が、壊される。
そう、彼の、理性が、叫ぶ。
――小夜が、殺される。
だが、彼の、本能は、全く、別の、言葉を、叫んでいた。
彼は、小夜の前に、飛び出し、その、背中で、鬼の、鋭い、爪を、受け止めた。
ブシュッ、と、肉が裂ける、生々しい音。
彼の背中に、三本の深い傷跡が刻まれ、鮮血が噴き出した。
「……ぐっ……!」
才蔵は、苦痛に、顔を歪め、その場に、膝をつく。
「……なぜ」
小夜の、震える声が響いた。
「……なぜ、私を、庇ったり……」
才蔵は、荒い息の中で、吐き捨てるように言った。
「……勘違いするな……。お前は、重要な、任務の、駒だ。ここで、失うわけには、いかん……それだけだ……」
その言葉が、嘘であることは、誰の目にも、明らかだった。
だが、その不器用な嘘は、刃となって、小夜の心を、深く、深く、切り裂いた。
自分のせいだ。自分が心を閉ざしたせいで、彼を危険な目に遭わせた。そして、彼はそんな自分を命懸けで守ってくれた。
後悔と罪悪感が、濁流のように、彼女の心を、押し流していく。
小夜は、ただ、立ち尽くすことしか、できなかった。