防衛省・教範改訂委員会委員
次に記録するのは、2027年3月の金門島における「不可視制圧」作戦――いわゆる《戦わずして機能を奪う戦術》が現実化したことを受けて、日本防衛省が戦後に行った「教範改訂作業」の中核に関与していた、防衛省・運用企画局 教範改訂委員会 委員(当時陸将補)三島 孝臣氏(当時52歳)の証言である。
三島氏は、“ミサイルが飛ばないのに前線が崩れる”という事態が日本の島嶼部で起こりうることを前提に、2028年度版・島嶼防衛教範(非公表草案)において、「非交戦下におけるC2機能断絶対応マニュアル」および“沈黙を受信する訓練構造”を初めて体系化した責任者のひとりである。
この証言は、日本の安全保障体制が2027年の金門事件を単なる外電ニュースではなく、“教範に組み込む現実”として受け入れ、制度を再構築した過程を記録するものである。
PTF:
「三島氏、2027年の台海戦争における金門島の“不可視制圧”について、日本防衛省内では“教範改訂対象”とする判断が下されたと伺っています。まず、あの事件が防衛体制にどう影響を与えたのか教えてください。」
三島 孝臣(元・教範改訂委員):
「結論から言えば、金門で起きたのは“戦闘ではなく、指揮系統の破壊”です。従来の自衛隊教範は、“敵が侵攻してくる”ことを前提に構築されていました。だが金門では、“侵攻は起きなかったが、誰も命令を受け取れなかった”。つまり、“戦闘が起きていないのに組織が崩壊する”という領域に突入した。我々が最初に決めたのは、
“この現象は特殊事例ではない。将来的に本土にも起こりうる。”
それが2027年6月、教範見直し作業部会の全会一致による判断でした。」
PTF:
「では、教範のどの部分が実際に書き換えられたのですか?ミサイル攻撃や上陸作戦ではない、“沈黙への対処”とは何だったのでしょうか?」
三島 孝臣:
「我々は教範内に新項目《C2断絶状況下における分隊単位の判断権拡張》を導入しました。
これは、次の原則に基づいています:
一つ目、“指揮命令が停止された場合、自律判断へ切り替える基準時間=7分”
→ 金門では“命令が届かない”状態が平均8分継続していた
→ それ以上沈黙が続けば、隊員が“中央命令依存”を解除できる
二つ目、“沈黙は攻撃兆候の一形態である”
→ 通信断絶やセンサー静穏も、“先制行動許可トリガー”に該当する
三つ目、“敵が見えない場合、自分の行動が記録されるよう設計せよ”
→ “戦わずに見えない敵に敗北させられる”ことを防ぐため、部隊は記録ログを優先しつつ行動を取る
これは、自衛隊の歴史で初めて“敵が映らなくても対応を開始できる”という公式教義の導入でした。」
PTF:
「それはつまり、“撃たれてから動く”という原則から、“何も起きなくても動く”という逆転を意味しますね。隊員や現場指揮官からの反発はありませんでしたか?」
三島 孝臣:
「当然、ありました。とくに“誤認による先制行動”を恐れる声は大きかった。だが私は、こう言いました。“金門では、何もしなかったから崩れたのではない。何もできない状態にされたのに、“何も起きていない”と錯覚させられたから崩れたんです。”つまり我々は、“何も見えないこと”に対処する技術と制度を持っていなかった。だからこそ、“静寂を敵の兆候として定義する”という思考法を教範に盛り込んだ。これは、防衛ではなく“判断の防衛”です。」
この証言は、2027年の金門事件によって、自衛隊が“可視的侵攻”ではなく“不可視的無力化”に備えるよう変質したこと、そしてそれが教範という制度文書の中に静かに書き換えられたという、日本の防衛思想の転換点を記録する貴重な証言である。三島孝臣のような委員がいたからこそ、“見えない敵にも行動する自衛”という原則が、2028年以降の日本の防衛運用に根づき始めた。




