台北駐在の米軍契約技術者
次に記録するのは、2027年台海衝突における“非公表脱出支援作戦(Silent Egress)”の保護対象となり、沖縄・嘉手納基地へ移送された元米軍民間協力者、リア・トンプソン(仮名・当時34歳)の証言である。
彼女はかつて台北市内に拠点を置く米国防関連ロジスティクス企業「Cynex Global Supply」の現地統括マネージャーであり、開戦前から米軍・在台防衛線への物資供給・搬送ルート構築を担っていた非戦闘民間要員であった。
“RAVEN-4”によって救出された42名のうちの1人であり、生還者としては極めて貴重な、作戦の“内側からの視点”を提供している。
PTF:
「リア、あなたは“Silent Egress”によって台北から救出され、嘉手納基地を経て米本土に戻ったと記録されている。 作戦の最中、あなた自身はどのような状況に置かれていたのか?」
リア・トンプソン(元・米軍民間協力者):
「正直に言えば、“あれが実行されたこと”自体が今でも信じられないほどです。
3月19日、私たちはすでに社屋の地下に避難していて、通信は遮断され、移動も不可能な状況でした。
夜21時過ぎ、“Crows arrive at midnight(カラスは真夜中に飛ぶ)”という一文が届きました。
それが救出信号だとわかった瞬間、私は“この国を二度と歩けない”ことを悟りました。
その夜、隊員は無言で現れました。何も名乗らず、指示も最小限。 だが彼らの目は、“我々が記録される存在ではない”ことを物語っていました。」
PTF(補足質問):
「救出の過程で、あなたは何を見て、何を感じたのか?
特に、市街地の混乱や現地市民との関わりに関して、印象に残っていることがあれば教えてほしい。」
リア・トンプソン:
「台北市内はすでに崩れていました。ですが“爆撃”ではない、“情報の崩壊”です。
誰も信用していない。誰も声を上げない。でも目の奥は叫んでいる――そんな都市でした。
私たちは下水道を通って、旧捷運(MRT)の廃線部分から移動しました。
途中、一度だけ地上に出た。そこに、若い台湾人女性がいました。
彼女は、私たちを見てこう言ったんです。
“あんたたちは帰れるんでしょ?いいわね。”
その一言が、ずっと耳から離れない。
我々は防弾ベストを着て、秘密の通路で、安全圏に向かった。
でも彼女は――そのまま、そこに残っていた。」
PTF(追加質問):
「嘉手納基地に到着したとき、あなたは何を思ったのか?
また、後に振り返って“Silent Egress”という作戦をどう捉えているのか?」
リア・トンプソン:
「沖縄の空気を吸ったとき、“生き延びた”という感覚すらなかった。
感じたのは“切り離された”ということ。
42人が救われた。だが、私たちは同時にあらゆる関係性を断ち切られた。
二度と“戻る側”ではなくなった。連絡先も遮断され、経歴も消された。
あれは命の救出と同時に、社会的“死亡証明”でもあったんです。
作戦は成功だった。でも、“生き残った”というより――
“消された後に、別の人生を始めさせられた”
――そう感じています。」
この証言は、非戦闘員として戦争の影にいた者が、
“国家の裁量で生かされる側”へと転換される瞬間の実態を示している。
“Silent Egress”のような作戦が意味するのは、
地政学的秩序の崩壊が、人の存在価値そのものを一時的に「記録不可」にする冷酷な運用論理である。
リアのような人物が、その後も政治的沈黙を強いられることになったのは――
単に国家の秘密保持のためではなく、“救出されたはずの者たち”が持つ、不都合な“記憶”の再浮上を恐れたためである。




