千歳先端拠点 2nm試作ステージ制御設計責任者
TSMC新竹ラインが“無音の無力化”を遂げた直後、
その余波を真っ先に浴びた日本国内の先端半導体企業「ラピダス(Rapidus)」において、
内部設計統括を務めていた主任エンジニア、
南条 浩平氏(当時48歳)の証言である。
南条氏は、千歳先端拠点の2nm試作ステージ制御設計・EUVシーケンスの責任者であり、
2027年3月〜5月の間に急激に高まった「TSMCの代替をせよ」という政治的・経済的圧力の直撃を受けた立場にあった。
この証言は、“戦争で何も破壊されていない場所”が、
なぜ最も内側から崩れかけたのかを記録する、重要な国内技術層の証言である。
PTF:
「南条さん、2027年3月のTSMC沈黙以後、
ラピダス内部の雰囲気はどう変わりましたか?」
南条 浩平(ラピダス設計統括エンジニア):
「一言でいえば──“沈黙していないことが、恐怖だった”。
あの日から、社内の会議は全て“なぜ我々は狙われなかったか”で始まった。
それは誇りでも安心でもない。“無視された”という、地鳴りのような疑念だった。
海外の取引先、特に欧州と米国のパートナーは、
“リスクヘッジの拠点”として我々にアクセスしてきた。
でもその裏には、こういう空気があった。
“TSMCの代わりになれるのか?”
“本当に、日本はまだ機能する国なのか?”」
PTF:
「その圧力は、具体的にどう現れたのでしょう?」
南条 浩平:
「2027年4月、政府系ファンドから突然、
“EUV試作ラインの稼働スケジュールを3ヶ月前倒しできないか”という通達が来た。
それは実質的に、“TSMCの代わりを今すぐ始めろ”という命令だった。
我々は即答した。“不可能です”。
なぜなら、“我々はまだ未完成のまま、戦争に巻き込まれていなかったから”。
つまり、“狙われた痛み”すら持っていなかった。」
「一部の若手技術者は、逆にこう囁き始めた。
“ここもいずれ来る。
今のうちに、コード構造を全部書き換えるべきじゃないか?”
つまり、“撃たれなかったことで、自分たちが危険である”と感じた。
TSMCを止めた”構文”が、我々の中にも紛れているのか、いつ起爆するか分からないという恐怖。」
PTF(補足):
「つまり、“何も起きていないこと”が、
最も強い内部崩壊を呼び込んでいたと?」
南条 浩平:
「その通りです。
我々は、“戦場にならなかったことで、構造不信の最前線に立った”。
技術的には、ラピダスは“何も起きていない”。
でも心理的には、“何も起きなかった理由を誰も説明できない”という空白に支配されていた。
私は設計者として、
“装置は動いていても、設計チームが自己疑念で停止していく感覚”を初めて味わいました。」
PTF(最後に):
「TSMCが沈黙したとき、ラピダスは撃たれなかった。
それをいま、どう受け止めていますか?」
南条 浩平:
「撃たれなかったのは、完成していなかったから。
けれど、“完成していないまま、代替の幻想だけを背負わされた”ことが、
技術的には最大のダメージだった。
私たちはあの日から、“作ること”の前に、
“疑われること”と“備えろと言われること”に時間を奪われ続けた。
沈黙が来なかった代償は、“設計の自信”そのものだった。」
この証言は、TSMCが止まったとき、ラピダスが「代わりにならなかった」のではなく、
「まだ始まってもいないのに、すでに責任だけが降ってきた」構造を明らかにしている。
それは、“沈黙の副作用”として生まれた、設計層の目に見えない断裂であった。




