国連緊急人道支援局・都市衛生復旧担当者
次に記録するのは、2027年台海衝突終結直後、台湾における戦後人道復旧ミッション“UN-RHF-TW27(国連台灣緊急復旧枠組)”に参加し、台中市および台南市の都市衛生・給水インフラ復旧の現場責任者を務めた国連緊急人道支援局(OCHA-ERU)職員、マルセラ・ドゥラン(Marcela Durán)氏(当時41歳)の証言である。
彼女はエクアドル出身の公衆衛生エンジニアであり、複数の紛争後都市における水道・下水・感染症対応の現場指揮経験を持つ国連内でも数少ない技術系統括者であった。
この証言は、戦後の台湾都市部における“人間の生活環境”が、いかに崩壊し、いかに再建されたかの過程を明確に示している。
PTF:
「ドゥラン技術官、あなたは2027年4月〜7月にかけて台中・台南地域で、都市衛生とインフラ復旧を担当していた。
戦後、最も深刻だった被害と、それに対する最初の対応を教えてほしい。」
マルセラ・ドゥラン(国連緊急人道支援局/都市衛生技術官):
「台中に入ったのは2027年4月3日、戦闘が事実上終息してから16日後でした。
現地で私たちが直面したのは、“破壊”というより“静かな崩壊”でした。
インフラが爆撃で吹き飛ばされたのではなく、電力と通信が落ちたことで浄水システムが全停止し、
さらに下水処理場の沈殿槽が圧力損傷を起こして未処理排水が市街に逆流していた。
つまり、戦争が終わった頃にはすでに感染環境が都市全域に広がっていたのです。
最も深刻だったのは南区と東区にある2万世帯。トイレも水も使えず、住民の8割が脱水と皮膚病を併発していた。
しかし、最初の1週間で使える水道バルブは全域の14%にすぎず、復旧ではなく“点の給水”から始めるしかありませんでした。」
PTF(補足質問):
「インフラの物理的復旧は時間がかかるものだが、衛生危機に即時対応する中で、どのような工夫や国際連携が行われたのか?」
マルセラ・ドゥラン:
「台湾当局と連携して最初に導入したのは、UN-WASH緊急基準に基づく“移動型水処理カプセル”の展開でした。
これは1台で1日2,500人分の飲用水を浄化できる装置で、ポーランド製の移動型RO装置が実戦配備されたのは今回が初です。
また、日本から提供された可搬型下水ブロッキングユニット(MSDU-J02)を用いて、感染源を封じ込めながら封鎖区域を広げないよう制御しました。
これによって、約11万人が自宅避難を維持したまま生活再建を始めることが可能になりました。
ただ、もっとも困難だったのは“信頼の再構築”でした。
市民の多くが“誰を信用していいのか分からない”状況にあり、
国連スタッフの制服やバッジを見ても警戒を解かない高齢者や子どもが多かったのです。」
PTF(追加質問):
「あなた個人として、この任務はどのような意味を持っていたか?これまでの紛争地支援とは違う何かがあったのか?」
マルセラ・ドゥラン:
「台中で見たのは、“都市が人間の感情によって守られていた”という事実です。
下水が逆流し、電気が止まり、食料配給も届かない中で、地域住民が“通りごとに交代で井戸を掘っていた”。
ある地区では、高校生たちが“バクテリア検査係”として毎朝水を採取し、私たちとデータを照合してくれた。
私はこれまで、中東でもアフリカでも“制度が壊れた都市”を見てきました。
でも、台湾では“制度が壊れても、都市が諦めなかった”。
それは構造ではなく、集合的意思だった。その回復力に、私は本気で驚かされた。
だから私は、この任務を“修復”ではなく“同行”だと思っています。
人々が自分たちの都市を取り戻す旅路に、私たちは一時的に並走しただけなのだと。」
この証言は、2027年の台海衝突後、台湾の都市部が直面した“戦争より遅れてやってくる崩壊”――衛生・水・生活の層から都市が崩れていく過程と、そこに立ち向かった人々と国際支援の連携の実態を、明確に描いている。
ドゥラン氏の言葉が示すように、戦後の復興とはインフラの再建だけでなく、“生活の尊厳を再び人々の手に戻す”過程でもあった。