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5.失いたくないもの

嚙み痕で愛を語るシリーズと同じ世界観の作品です

ロベルトに相談したところで、結局答えは決まっている。


「フェリクス様」

 城に帰ると、ディートリンデが尋ねてきていた。

 美しい化粧をして、美しく髪を結いあげて、美しいドレスを着て、庭のテラスに座っている彼女は、いつも通り穏やかで、春の日差しのように暖かだ。

「しばらくお会いできなくて寂しかったですわ」

「ああ、そうだな」

 考えなければいけない事が山ほどある。 

 ディートリンデと一緒にいたくて、その事を考えているはずなのに、いつの間にか、彼女といるための世界の話を、アンリとばかりしている。アンリと考えている世界の話には、アンリは存在しないのに。

「……なぁ、ディートリンデ嬢。例えば婚約を破棄できたとして、その後、城に、アンリがいるのは嫌か?」

「嫌です」

 いつだって穏やかで、何かを聞いても波風を立てないような言葉選びをする彼女が、はっきりと嫌だと言った事に驚いて息を呑む。

「……何故だ。アンリは仕事が出来るし、この国にとって……」

「この国にとって良いだとか、良くないだとか、そんなことは関係ありませんわ。誰だって、元恋人がいたらいい気がしませんよ」

「…………俺と、アンリはべつに、恋人とかじゃ……」

「アンリ様は、そうですね、でも貴方は違うでしょう」

 そう言われて、何も反論ができない。思わず視線を落とした。

 アンリと、フェリクスの関係は、確かに恋人なんて甘い関係ではない。

 アンリはフェリクスの事を好きでは無かった。

 フェリクスが、アンリをどう想っているか、と言えば、それはとてもじゃないが人には言えないようなものだ。

 いつだってフェリクスが何をしても、何を言っても、アンリの心には響かなくて、いつからかそれが、無性に悔しかった。アンリが、ひとつも俺を好きじゃないと言うのなら、せめて一生残る傷をつけてやりたい。例えば、アンリがフェリクス以外の誰かを選んだとしても、それでもたまに思い出しすくらいの、ひどい傷跡くらいつけてやりたい。

 ずっと傷口が痛んで、じくじくと、彼を傷つけるものでありたい。

 そんなフェリクスの感情はきっと、恋ではない。

 こんな感情が、恋であってはならない。


 これはおぞましい、執着だ。


「……ところで、フェリクス様。私、早く結婚式の衣装を選びたいのですわ。今度一緒に見てくれませんか? 私、お気に入りのデザイナーがいて、是非その方にって、もう声もかけてますの」

「ディートリンデ嬢、今はそんな事を言ってる場合じゃない」

 婚約破棄の前に、どれだけのハードルがあると思っているのか。来年の即位に、挙式は間に合わないかもしれない。出来れば一緒に済ませてしまいたかったが、アンリと考えれば考えるほど、ハードルは多い。

 即位式と挙式を別にやるのであれば、またそれには相応の血税がかかる。

(……アンリが言う通り、アンリが王妃になるのであれば……)

「……フェリクス様、私、新婚旅行はウシュク=ベーハ帝国に行ってみたい」

「はぁ、あのな、あの国は鎖国しているから行けるわけがないだろう」

「あら、そうですか。でも行ったと言う方のお話を聞いた事が……」

「話をしているのは商人だろう。彼らは帝国の中でも、一握りの選ばれた商人で、帝国の機密を護る誓約をして、他国で商売をしている者たちだ」

「へぇ、難しい国もありますのね」

 あまりに政治情勢に疎いディートリンデに思わず、内心ため息が出てしまう。

 学生の頃はそれはそれが癒しで、それが心の安寧だったはずなのに、近頃はそれが妙にフェリクスを不安にさせて、焦燥感が募る。すでに王妃教育を受け終えている、アンリのようになって貰わなければいけないのに距離が遠すぎる。これから、ダンス、マナー、知識をつけて、王妃になるには、正直厳しいだろうと考えてしまう。


「フェリクス様」

 

 その時、突然、後ろからアンリの声が聞こえた。

 ディートリンデと話している時に、アンリが声を掛けてくるのは珍しかった。

 彼女といる時は話しかけないようにする、と言う約束だったのに。ディートリンデの機嫌が悪くなりそうな気配を察知して、それを咎めようと振り向いた瞬間、ドン、と言う音がして、アンリに抱きしめられた。

 それと同時に防護魔法が展開される。

 アンリは防護魔法の名手だ。美しい緋色の魔法陣は、アンリの魔法によって描かれたものだろう。続いて、ドン、ドン、ドンと大砲のような音がした。

「アンリ」

 フェリクスを抱きしめているはずのアンリが動かない。

 フェリクスを抱きしめる腕に力が無い。

「アンリ」

 何度呼びかけても聞き慣れたはずの声が、返ってこない。

 地面が大量の血で濡れていく。

 遠くで護衛が何かを叫んでいるのが聞こえてくる。

「…………アンリ?」

 ディートリンデの叫び声が辺りに響き渡った。

 


◇◇◇



 庭に忍び込んだ男は、地下牢に閉じ込められている。

 城のセキュリティは完璧だった。城内の者が、手引きをしたらしい。犯人の尋問と、城へ手引きした者の捜索が進められている。

 アンリは肩と、腹に銃弾を受けていた。アンリの作った障壁は、しっかりとフェリクスを護ったのだという。

「フェリクス」

「……ニコラス」

 ニコラス、と呼ばれた男は、勝手にフェリクスの寝室に入って来た。

 アンリの兄だ。あれからアンリは、銃弾を取り出す手術をして、それからずっと眠り続けている。熱が出て、下がっての繰り返しで、意識はまだ戻らない。心配でたまらなくて、いつ目が覚めてもいいように、アンリはフェリクスの寝室で寝かせていた。

「寝てないのか」

「……寝てられるかよ」

 アンリの怪我自体は手術で銃弾を取り出して、魔法で表面の怪我と内部の血管損傷を治されている。けれど体が受けたダメージだけは、すぐには回復しない。

 寝て治すしかないのだという。

 もう三日も眠り続けているアンリの顔色は、蒼褪めたままだ。

「治るって言われてるんだろ、お前が寝てても寝てなくても、アンリは目覚めないぞ」

「わかってる、うるさいな。俺がそうしたいんだから、いいんだよ」

 時折医師や看護師が入ってきて、様子を見ては部屋を出ていく。

 フェリクスだってずっと側にいて見守るだけはできないから、アンリの眠る側でずっと仕事を続けている。仕事に詰まるたびに、アンリが目覚めていれば相談ができるのにと思って、その度にため息が出る。

「そういえば、お前、婚約破棄の件はどうするんだ」

「……するわけないだろ」

「なるほど、勝手な男だな」

 今、捜索されている王太子殺害未遂の犯人を手引きしたのは、ディートリンデの父親だという説が濃厚だった。実際に城内に招いたのは、ディートリンデではないかということで、彼女も拘束されている。

 こうなった以上、フェリクスの伴侶は、アンリ以外はありえない。その事実に安堵してホッとしている自分がいる。

「…………けど、こうなって、アンリがそれで幸せかどうかわからない」

 アンリの頬をそっと撫でてやると、血の気の無い頬は少しひんやりとしている。

「なんで」

「………………………………………………だってアンリは、別に、俺を好きじゃない」

 まるで構って貰えなくて拗ねた子どものような事を言ってしまった。

 ニコラスも幼馴染みのようなものである。齢は十歳年上だが、それを感じさせないくらい、幼い頃は一緒にいた。いつだってアンリとフェリクスが喧嘩をしたり、遊んだりしているところにちょっかいを掛けてきては、二人が成長するのを見守ってくれていた。

「いや、アンリはお前のこと好きだろ」

「……そうやってニコラスは、適当なことばっかり……」

「適当じゃないって。見てればわかるだろ」

 見てればわかるだろ、と言われたって、アンリは笑わないし、フェリクスと一緒にいたって別に楽しそうではない。どこからどう見たらそう思うのか。

「……見ててもわからない」

「あー……まぁ、アレは、お前の為に感情を失ってるから、仕方ない」

 ニコラスの言葉の意味が分からなくて、怪訝な顔をして見上げてしまう。

「……何だ、それは」

「王妃に必要な資質ってやつ。例えお前が取り乱しても、お前が泣いても、笑ってても、冷静にその場の判断を下せるようにと教えられている」

「誰がそんな事を教えたんだ」

「両親だよ、お前の相手に相応しいようにって、笑っても泣いても、叩かれて躾けたらしい。俺はアンリがそうされてる間、他国に留学に行っててさ、帰ってきたらあの通り」

(なんだ、それは)

 そんな事はアンリから聞いていない。

 そうだ。幼い頃、婚約をしたばかりの頃は、アンリは良く笑っていた。良く笑って、良く泣いて、フェリクスが一つ年上だから、泣いているアンリの手を引いて家へ連れて帰った事もある。

 すっかり忘れていた。婚約をして、数年は幼いころに交流があったが、その後は、フェリクスが寄宿学校に入ったせいで、しばらく会わなかったのだ。

 物心がついて、再会したアンリは随分と様変わりしていた。

「……そんな話、俺は聞いてない」

「言わないだろ、アンリは」

 ベッドで眠りこんでいる姿を見る。すっかり血の気の失せた顔は、痛々しい。ずっとフェリクスの側で努力を重ねてきた相手だ。

「目が覚めたらよく見てやってよ。意外とわかりやすいぜ」

「…………」

 アンリが自分に興味がないことに腹が立って、わかりやすく自分に愛情を示す相手を好きだと言って、滑稽なことこの上ない。今、目の前で眠るアンリが、目を覚まさなかったらと思うと、心臓が引き裂かれそうだった。


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