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慕情  作者: yukko
令和
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記憶のピースを埋めるために④

香澄は智樹に何度も「雄鹿。」と言いながら、涙でいっぱいになって智樹の胸に顔を埋めていました。

智樹は香澄の顔を上げて、涙をそっと拭っています。


「泣かないで……。」


優しく智樹が言った言葉は香澄の涙を誘いました。


「僕は…… 君が…幸せでいてほしい……それだけだよ。」

「雄鹿でしょう! 雄鹿だったんでしょう。

 私が鸕野讚良皇女だった、あの飛鳥で……

 傍に居てくれた雄鹿だったんでしょう!」

「どうして、雄鹿に拘るの?……君は今を生きてるんだよ。」

「…………好き………好き…でした。

 雄鹿のことが、私は……好きでした……だから……忘れられないんです。」

「………そんな……うそ……だろ……。」

「初めて会った時、お父上様の舎人で…… 初めて会った時、似てるって思った

 んです。………先輩に……。」

「……僕………に?」

「はい。その時の、鸕野讚良皇女にとっての前世の記憶が3つ残ってました。

 1つは、宝塚歌劇の舞台のこと、もう1つが前世の名前が香澄だということ、

 最後の1つが………先輩のこと、です。」

「……僕のこと?」

「はい。……… 私の、飛鳥での私の前世の記憶です。前の令和の私の記憶です。

 その記憶では、私は…私の……その……初…恋…の…人は、先輩なんです。」


香澄は顔が真っ赤になっていることを自覚しました。


「えっ? 僕? えっ? じゃあ………前の令和の記憶…… 残ってたんだ。」


智樹の呟きを聞く余裕が全くなかった香澄は言葉を紡ぎました。


「初めは先輩に似てるから、会いたくて……… でも、会えなくて………

 立場も……その……違うし………、私は夫が居たし………。

 でも、あの飛鳥で……好きだったんです。雄鹿のこと……。

 今の令和でも…… 忘れられなかったんです。

 助けて貰った時、先輩の後姿が……雄鹿に見えました。」

「今の令和の君が好きなのは………兄さんだろう。」

「えっ?」

「正樹さん……だろう。」

「あ………正樹さんが……雄鹿の……雄鹿ではないかと思ったこと、あります。」

「……そっか……飛鳥での君の記憶を大切にしてるんだね。」

「はい。」

「それを大切なままで……今を、もっと大切にして、ね。」

「…あ……はい。」

「飛鳥の記憶を大切にして、それから、今……これからは、その記憶に引っ張られ

 ないようにね。」

「あの……どういう意味ですか?」

「今、君は僕を雄鹿だと…。」

「はい。間違っていませんよね。」

「雄鹿が好きだったから、僕のことが気になるんでしょう?」

「それは…………。」

「それじゃ駄目だと思うんだけど、他の人のことを排除するでしょう。

 その記憶のせいで!」

「先輩、私……… そうかもしれません……けど………。」

「これから出逢う人たちを、記憶に左右されないように見て!

 きっと、君を幸せにしてくれる人が居るよ。」

「先輩………。」

「これは、僕自身にも言えることなんだけどね。

 前世の記憶が影響して、今の人との出逢いや関りを無意識に排除してしまって

 いるのではないか?って思うんだ。

 僕自身もこれから先は、今を大切にしようと思ってるんだ。」

「先輩………。」

「僕は……君が言う通りに飛鳥に居たよ。」

「やっぱり!」

「君の護衛などをしていた舎人の……雄鹿だった。」

「あぁ……………。」

「でもね、その記憶を僕は捨てるつもりだよ。」

「先輩………。」

「この今を大切にしようと思ってる。君も……出来れば、そうして欲しい。」

「先輩……。」

「さぁ、帰ろうか。」

「…………はい。……先輩。」

「うん?」

「私、忘れないと思います。……ううん、忘れられないと思います。」

「……それは、飛鳥の記憶……?」

「はい。いつの日か、薄れていくかもしれません。いつかは分かりませんし、

 そんな日は来ないかもしれません。でも、それは今じゃないです。」

「うん。……そうだね。」

「私が雄鹿に想いを寄せることは……許してください。叶わない想いなのです。

 叶わない想いなのですから…… 先輩に迷惑を掛けません。絶対に……。」

「……香澄ちゃん……。」

「今日は本当にありがとうございました。これ、さっきのお店のお代です。」

「いいよ。」

「いいえ、お返しします。」

「そう……貰っておくね。」

「はい。ありがとうございました。」


部屋を智樹が出ようとした時に、香澄は「さようなら。」と言いました。

香澄は笑顔を見せていましたが、一生懸命に笑顔を見せていたのです。

「香澄ちゃん、家まで送るよ。」と智樹が言った時、香澄は泣きそうな顔になって、「大丈夫です。」と答えました。

智樹は「じゃあ、気を付けて帰ってね。」ということしか出来ませんでした。

ドアを閉めて、カラオケ店を出た後に、智樹に様々な想いが去来しました。


⦅雄鹿を知ってた……。雄鹿に想いを寄せてくれてた………。知らなかった。

 でも、香澄ちゃんが想いを寄せてくれていたのは、僕じゃない。雄鹿だ。

 今は……兄さんに想いを寄せている………僕の出番は無いんだ。最初から……

 この今の僕は……ただの先輩なんだ……。

 香澄……、前の令和の香澄は、僕を愛してくれていた。それを覚えてくれてた

 だけで……良かったんだ。良かったと思わないといけないんだ。

 幸せになってくれ。僕はそれだけを祈ってる………。⦆

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