心の傷
あれから、警察の捜査が進みました。
家宅捜索の結果、確保された男性の自宅からは香澄を盗み撮られた写真が壁一面に貼られていたこと、手紙を書いた証拠である物も見つかりました。
手紙を書いた証拠とは、書いた手紙を写真に撮ってPCに残していたのです。
警察から聞いた時、香澄は吐き気を催しました。
急いでトイレに駆け込みました。
吐いても吐いても、吐き気が治まらなくて……自宅に来て説明してくれていた警察官に悪いと思いながらも身体は話を聞くことに対して拒否しているかのようでした。
母の声がします。
「香澄、無理なら、話はお父さんとお母さんが聞くから
あなたは部屋で休んでなさい。」
「うん。……そうさせて貰う。」
部屋でベッドに倒れ込みました。
休んでいて甦るのです。
あの日から何度も蘇って香澄を苦しめているあの恐怖。
掴まれた手首が……引っ張られた腕が……転んでしまいそうな身体が……。
あの日の恐怖を忘れられないのです。
忘れられないのに、あの恐怖を与えた男性が香澄を盗み撮り、手紙を書いていたこと……。
そして、それを壁に貼ったこと、手紙を写真に撮り残していること……。
その全てが怖いのです。
恐怖が何倍にも膨れ上がっています。
被害者の恐怖について、全く学ばなかったわけではありません。
しかし、学ぶことと体験することでは当たり前ですが、違うということを香澄は身をもって知ったのです。
この連れ去り未遂は事件として捜査されて裁判になるようです。
香澄は、その結果、どうなるのか分かりませんし、今はあの男性が出て来ないことだけを祈っています。
あの日以来、家から出ることが怖くて出来なくなりました。
情けないと思いつつも一歩玄関を出ることが難しいのです。
あの翌日、あの日、駅で別れた職場の人が謝罪に来られました。
上司と一緒に……。
「お母さんが来られるまで一緒に居なければならなかったのに
本当にごめんなさい。」
「いいえ、私が大丈夫です!って言ったんですから………。
それに、第一、誰も悪くないんです。
悪いのは、あの男性だけです!」
「ありがとう。 本当にありがとう。
ごめんなさい……ね。」
「もう、いいですって……。」
「香澄さん、来られるようになってからでいいからね。
あんなことがあったんだ。暫く怖いだろうからね。
ゆっくり、気持ちが落ち着いたら連絡ください。
職場の皆は元気になった香澄さんの笑顔を見たいと思ってるからね。
ゆっくりでいいんだよ。待ってるね。」
「ありがとうございます。」
暫くの間、休ませて貰うことになりました。
幼馴染の夫婦も、真帆と彼も……友達皆が入れ替わり来てくれました。
誰かが来てくれている間は、思い出さずに済んで楽に過ごせました。
恐怖が胸を閉める時に、ふと思い出すのです。
あの時の「田辺先輩」の姿を……。
⦅雄鹿だった。 雄鹿だったわ。
あの時の先輩の姿は、雄鹿だった。
でも、雄鹿じゃない………。
雄鹿は居ない……。 この世界には居ないのよ……。⦆




