雄鹿
雄鹿が舎人として仕えてくれると分かった瞬間、雄鹿の挨拶も岡宮天皇の話も分からなくなるほど動揺してしまいました。
どんな話をしたのか、動揺を隠せたのか……分かりませんでした。
ただ、顔色は随分悪くなっていましたので、常に顔を扇で隠していました。
顔色の変化があっても気づかれなかったでしょう。
顔色は本当に悪くなっていて、誰にも見せたくない酷い状態でした。
どこかが悪いということくらいしか分かりません。
急に常に傍に居るのが雄鹿になったのです。
動揺しても仕方ないのだと思いたかったのです。
雄鹿が言いました。
「お顔色が優れないご様子でございますが……。」
「案じてくれて、ありがとう。
心配はいりません。大したことではありませんからね。」
「私は大切な妻を亡くしました。」
「えっ?……………… そ…うなんです…ね。」
「はい。 ですので、大切なお方を亡くされた上皇様のお気持ちは分かります。」
「ありがとう。」
「草壁皇子が逝去されてから、お顔色が優れないままに過ごされておられます。
上皇様、どうか お辛いお気持ちを吐き出してください。
吐き出されないままにお過ごしになられますと、御身体に触ります。
何卒お気持ちを晒して頂きますよう、お願い申し上げます。」
「………雄鹿………。大丈夫です。案じて貰えたこと嬉しく思います。」
「上皇様……。」
立ち上がると足元が定かではありませんでした。
「倒れる!」と思った瞬間、雄鹿が支えてくれました。
扇で顔を隠せていたのかが気になっていました。
そのまま雄鹿に支えられて、女孺と共に隣の部屋に行き布団の上で横になりました。
「ありがとう。」
「どうか、ゆっくりお休みください。」
「草壁………。」
一人になると口から「草壁…。」と失った子の名前が出てきます。
名前が出てきたら涙を止められなくなります。
気持ちを吐き出すなどと考えたこともないのです。
そういう日々を生きて来たのでした。
父が中大兄皇子であった頃、妃の父親を粛清しました。
あの時、父の気持ちは…どうだったのだろうか!?
ほんの少しでも母の気持ちを慮ることはなかったのだろうか?
ぼんやりと両親への想いを馳せていた時に、雄鹿に声を掛けられました。
「阿閇皇女様がお会いになりたい由、如何なされますか?」
「阿閇が………。会います。そのように伝えてください。」
「はっ。」
草壁の妃……阿閇皇女が来るというので、急ぎ支度をし待たせている部屋へ行きました。




