高市皇子
持統天皇が即位し2年後に天皇の御位を大津皇子に譲位しました。
退位した持統天皇は、太上天皇(上皇)になりました。
日本で最初の太上天皇です。
大津皇子が天皇に即位し、岡宮天皇になりました。
高市皇子は太政大臣として岡宮天皇と二人で政務を執っていました。
岡宮天皇は子に恵まれず、皇后になった山辺皇女との間にも、石川郎女との間にも子は産まれませんでした。
岡宮天皇は草壁皇子の息子を立太子させて皇太子にしました。
皇太子の名前は軽皇子です。
高市皇子は実直な政務を執ってくれました。
信頼する高市皇子が病魔に倒れたと聞いた時、「何故、私より若い高市皇子が倒れたの!」と誰にもぶつけられない憤りを感じました。
⦅高市皇子は十市皇女に想いを寄せていた。
叶えてあげることは出来なかった。
想いを寄せていた十市皇女が678年5月3日に亡くなった後、
高市皇子は想いがいっぱい詰められた歌を詠んでいた。
熱烈な挽歌を………。⦆
急報を得て、急ぎ高市皇子の舘へ向かいました。
「高市皇子、起きてはなりません。
そのままで………。」
「上皇様……、ご心配をおかけして誠に申し訳ございません。」
「高市皇子……そなたが居なければ立ち行かないのですよ。
しっかり身体を治して戻って来てください。」
「はい。」
「そなたが居ないと、私が困るのですよ。
大津は、何かと私を表に出そうとするのです。
そなたが居れば私はゆっくり過ごせます。」
「申し訳ございません。」
「そなたが頼りです。」
「有難きお言葉にございまする。」
「大津は軽皇子を皇太子にしたまでは良かったのです。
それが、もう譲位すると言って聞かないのですよ。
そなたが居てくれれば……譲位しても安堵できます。」
「勿体ないお言葉にございまする。」
「高市皇子、そなた……… ゆっくり休みなさい。」
「仰せのままに……。」
「高市皇子、待っていますよ。」
「有難き幸せにございまする。」
「疲れたのではないか!? 早う床に就き休んでください。」
「わざわざのお越しでございますのに、このような姿で……
誠に申し訳なく思っております。」
「気に掛ける必要は無い。私が己が想いのままに参っただけ…。
では、また宮殿で会いましょう。」
「はい。」
高市皇子の病は芳しくなく、高市皇子が逝ってしまうような不安を感じました。
高市皇子が病を得て不安な日々を送っていました。
そんな中、今まで支えてくれていた舎人の唐津までも病を得たと聞いたのです。
急ぎ、唐津の元へ行きました。
「上皇様に於かれましては」
「良い! 挨拶など不要ぞ。」
「上皇様……。」
「唐津。どうしたのです。」
「上皇様の御懸念には及びません。
既に私の代わりになる者はおります。」
「そんなことを言っているのではない! そなたを失いたくないのです。
そなたは私がまだ父上様の元に居る頃から舎人をしてくれて……
ずっと守ってくれていました。
まだ鸕野讚良皇女であった頃より……。」
「そうでございました。」
「しっかり治して戻って来てください。」
「最早、無理でございます。」
「そのような……。」
「上皇様、己の命が尽きる時を分かるのです。
最早、生き長らえることは叶いません。」
「唐津……。」
「大変なことが起きました。
その度に見事でございました。」
「唐津……。」
「藤原不比等を粛清なさいましたこと、間違ってはおられません。
天智天皇様、天武天皇様も粛清をなさいました。
正さねばならない時はございます。
何卒、お心安らかになさいますようお願い申し上げます。」
「唐津……。」
「鸕野讚良皇女様にお仕えできましたこと……
唐津は楽しゅうございました。幸せでございました。」
「唐津……。」
「私の後任は岡宮天皇様にお願いをいたしております。」
「唐津、後任などと言わないでおくれ………。」
「既に岡宮天皇様より許しを得ており、後任の人事は決まっております。
何卒ご安堵なさいますよう……。」
「唐津………。ありがとう。」
「勿体ないお言葉にございます。」
舎人の唐津は鸕野讚良皇女より5歳年上でした。
この面会が最後でした。
唐津は鸕野讚良皇女を守る舎人としての人生を全うして、この世を去りました。
696年7月10日。
高市皇子逝去。
持統天皇と岡宮天皇を太政大臣として支えて来た天武天皇の第一皇子・高市皇子が静かにその人生の幕を閉じたのです。
享年、42歳でした。
岡宮天皇というのは、草壁皇子の諡号です。
諡号=帝王などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名前で、諡の訓読みは「おくりな」。




