即位
皇后不在の短い時間に何を話し合っていたのか……。
それは席に着けば分かるのです。
「待たせました。………決まりましたか?」
「皇后様がいらっしゃらない間に決まることなど一つもございません。」
「そうですか……。」
「皇后様のお考えを今一度お聞かせ願えませんでしょうか。」
「私は、大津皇子の即位を願っております。それは変わりません。」
「………。」
「そなたらは、どうしても私に即位を…と……。」
「はい。先ほども申しましたように、今この時だからこそ
皇后様の御即位によって大和政権は揺るがないと確信しております。」
「それは、藤原不比等のこともあるのですね。」
「はい。」
「その時の不比等に担ぎ上げられた皇子は、私の子どもです。
それでも、私にと言うのですか?」
「勿論です。例え、草壁皇太子の御母堂であらせられましても
壬申の乱の時から天武天皇のお傍近くでご一緒にいらせられたのは
皇后様ただお一人でございます。
皇后様は天智天皇の皇女であらせられます。
その上、天武天皇の皇后であらせられるのです。
皇后様しか御位をお継ぎになれないと存じます。」
「高市、そなたは…… そなたの母が私であれば、そなたこそ相応しい!」
「皇后様…。」
「高市皇子でなければ大津皇子しかいないではありませんか。」
「それでも、そなたらは私にと言うのですか?」
「平にお願い申し上げます。」
「高市皇子、そなたは太政大臣。大津皇子、そなたは右大臣。
私が即位に当たっては、そなたら二人を側近とする。」
「御意にございます。」
「なお……御位に就くのは2年間とする。」
「皇后様…。」
「それ以上、就くことは無い。
皆の意見は聞かぬ。
私の後継は大津皇子とし、私の即位時に大津皇子を立太子する。
これは譲れないと心得よ。」
「はは―――っ。」
690年1月1日、鸕野讚良皇后は即位し持統天皇になりました。
同時に大津皇子が立太子し、皇太子になったのです。




