天武天皇崩御
天武天皇15年(686年)5月24日。
天武天皇は病気になりました。仏教の効験によって快癒を願いましたが、効果はありませんでした。
7月15日に政治を皇后と皇太子に委ねました。
7月20日に元号を定めて朱鳥とし、併せて、宮殿の名前も「飛鳥浄御原宮」と命名しました。
「帝、仰せの通りに仏教の僧侶による祈祷をしております。」
「うぬ。」
「元号も改め、仰せの通りに宮の名前も〈飛鳥浄御原宮〉とし、
公示致しましてございまする。」
「……うぬ。」
「帝! お気を確かに!」
「…そなたが……鸕野讚良…そなたがいる…故
案じてはおらぬわ…。」
「帝…… 後を頼む。」
「はい。承知いたしました。」
「草壁…。」
「はい。」
「……頼んだぞ。」
「はい。」
「高市。」
「はい。ここに控えておりまする。」
「そなたを……帝には出来なんだ。」
「帝……。」
「そなたなら身を弁えられる。草壁を良く補佐せよ。」
「はい。努めまする。」
「大津。」
「はい。」
「そなたは……高市皇子と共に草壁を補佐いたし……
大和政権を確たるものに……。」
「はい。帝の仰せのままに…!」
「鸕野、頼んだぞ。そなただけが頼り…じゃ…。」
「はい。……帝、まだ早うございます。
まだまだ、成さぬことがありまする。」
「そうじゃ……な…。」
天武天皇15年(686年)10月1日。
壬申の乱を起こし大和政権の頂点に上り詰めた大海人皇子。
天皇になり律令制度を進めましたが、完成を見ることなく、この日、崩御しました。
父・天智天皇の崩御の時、そして夫・天武天皇の崩御の今……涙が全くでないと思っていました。
出ないと思っていた涙が頬を伝わりました。
⦅それなりに夫婦だったのかしら?!
でも、涙は今日で終わりよ。
これからは……耳を澄まして、目を見開いて……
何かを起こそうとする者を見つけたら断罪に処する。
そのために……舎人からの報告だけではなく……
私自身もしっかり見定めないと………。⦆




