壬申の乱
天智天皇が崩御した時に大海人皇子と家族、そして舎人と女孺とともに吉野に移り住んでいました。
崩御後、近江大津宮において大友皇子が朝廷を主宰して後継に立ちました。
翌年、天武天皇元年 672年 6月22日に、大海人皇子は挙兵を決意して美濃に使者を派遣し、2日後に自らもわずかな供を従えて後を追いました。
美濃の豪族が挙兵しました。
大海人皇子は不破道を封鎖して近江朝廷と東国の連絡を遮断し、兵を興す使者を東山(信濃など)と東海(尾張など)に遣わしました。
壬申の乱が始まったのです。
大友皇子・近江大津宮側では混乱が生じました。
大海人皇子に寝返る者が出たのです。
大海人皇子は東国から数万の軍勢を不破に集結せさ、近江と倭の二方面に送り出し、近江方面の軍が琵琶湖東岸を進んでたびたび敵を破りました。
7月23日。
大友皇子は敗北し首を吊って命を絶ちました。享年24歳でした。
妃であった十市皇女は、子どもを授かっていました。その子どもの名は、葛野王です。
敗戦後、十市皇女と葛野王は大海人皇子により保護されました。
「鸕野、戻ったぞ!」
「ご無事のご帰還、おめでとうございます。」
「うぬ。大友皇子の自害を確かめた。」
「十市皇女と葛野王はご無事でしょうか?」
「無事だった。連れ帰った故、そなたに任せる。」
「はい。承知しました。心を込めてお世話いたします。」
「頼む。」
「皇子様、十市皇女を見つけられたのはどなたでしょうか?」
「高市皇子だ。」
「まぁ……左様でございましたか。高市皇子が……。」
「十市皇女の無事を聞いて、私はやっと安堵できた。」
「左様でございましょう。……他には……。」
「ない。」
「分かりました。どうぞお疲れをお癒し下さい。」
「うぬ。」
⦅壬申の乱を止めたいと思ったけど、そんな方法は見つからなかった。
何も見つからなかった。⦆
⦅十市皇女が無事だったこと、本当に良かった。
高市皇子も無事だった。十市皇女を見つけられたのは……
高市皇子の愛かしら……。
でも妻が居る高市皇子は十市皇女を妻に迎えられないわね。
十市皇女の気持ちも分からないし……。
大友皇子のことを慕っていたかもしれないし……。⦆
⦅雄鹿……雄鹿……は生きているの?
父上様が崩御されてからの……貴方の行方が分からないの……。
壬申の乱に巻き込まれていなければ……生きているわ。きっと…。
生きていて! 雄鹿!!……… どうか生きていて!!⦆
数多の命を奪い、大海人皇子が天皇に即位するのは、壬申の乱から1年後です。
女孺=後宮に於いて、掃除や照明を灯すなどの雑用に従事した下級女官。




