嵐の前
天智天皇10年9月 671年10月。
天智天皇が病に倒れました。
「今、何と仰せられました?」
「帝が…… 兄上が病に倒れられた。」
「病…に……。」
「今から伺う。そなたも用意せよ。」
「はい。」
急ぎ参内しました。
「帝……。」
「来てくれたか。大海人。」
「帝、鸕野も連れて来ております。」
「そうか。鸕野も……。」
「良くなられます。帝のお力は、この大和に欠けてはならないもので
ございます。」
「そう思ってくれるか…… 大海人。」
「勿論でございます。帝のお心、お力は太政大臣になられた大友皇子に
必要でございます。」
「うん。そうだな。大海人。大友のこと助けてやってくれ。」
「承知いたしました。」
「鸕野。」
「はい。」
「そなたも大海人と手を携えて、大友を助けて欲しい。」
「はい。承知いたしました。」
父が「頼む。」ばかりなのは、病気の間のことだけだろうか……と思いました。
退出し舘へ帰ってから、大海人皇子は鸕野讚良皇女の部屋を訪れて言いました。
「鸕野、まだ兄上は健在だ。」
「はい。」
「しかし、お身体が治らないと兄上ご自身が判断なさったら
私に『後事を頼む。』と仰せになるであろう。」
「はい。そのように思います。」
「その時、私は拝辞し剃髪して僧侶になる。」
「僧侶になられるのですか?」
「そうだ。僧侶になり吉野へ下る。」
「吉野へ……。」
「そなたも、他の妃も連れて行く。」
「妃も……。」
「その際は采配をするように……今から心積もりをしておくように。」
「はい。承知いたしました。」
「鸕野。」
「はい。」
「それとも、そなたは兄上の元へ行くか?」
「父上様の元へでございますか?」
「そうだ。行きたいのではないか?」
⦅……まさか…気づかれたのかしら? 雄鹿への私の想い……。⦆
「さぁ、如何でしょう?
皇子様は如何に思われますか?」
「さぁ…な……。そなたが父を取るか、夫を取るか…だ。」
⦅良かったぁ~~。気づいていないような気がする。⦆
「私は皇子様に必要な妃ではないように思いまする。
必要ではないなら父上様の元へ参りましょう。」
「馬鹿な……必要な妃ゆえ、吉野へ行く際の妃たちの采配を頼んだのだ。」
「皇子様が必要と思し召しならば、吉野へ参ります。」
「頼んだぞ。」
「はい。」
⦅僧侶になって吉野へ行く大海人皇子。
これは……何が起こるのかしら?
本当に日本史、ちゃんと勉強しておけば良かった…。
この後なのかしら…… 壬申の乱………。
……今日、傍に居なかった……舎人なのに…雄鹿は居なかった…。
それは何故? 何がこれから起きるの?
壬申の乱が起きたら……
大伯皇女と大津皇子は、どうなるの?
まだ、父の元に居るのだけれど……
大友皇子に嫁いだ十市皇女は…どうなるの?
………雄鹿は……雄鹿は……どうなるの?⦆
その後、10月になって天智天皇の容態は悪化し、重態になりました。
大海人皇子に天智天皇は「後を大海人に頼む。」と言いましたが、あの予定の通りに大海人皇子は拝辞し、皇太弟の位も辞して、剃髪し僧侶になって吉野へ下りました。
皇太子に立太子したのは大友皇子でした。
その時に、 大伯皇女と大津皇子も連れて行ったのです。
安堵しました。
大海人皇子は乱を起こすのだと分かりました。
⦅父上様、貴方様の願い通りに大友皇子が即位することは叶いませんよ。
貴方様が恐れていた大海人皇子様が、父上様、貴方様が愛された息子を……
戦で破ります。
弟皇子の大海人皇子様が大友皇子を乱によって死に至らしめます。
父上様の最愛の息子を失うのですよ。
どうして……
最初のまま、大海人皇子様に御位をお譲りなさいましたら
こんなことにはならなかったのですよ。
全ては父上様、貴方様が招かれたのですよ。
このために、一体どのくらいの人が命を落とされるのか……。
大友皇子を殺めるのは、父上様です。
そして、名も無い兵士の命をも奪うのも父上様です。
雄鹿……雄鹿……どうか無事でいて!
…… お願い! 無事で居てください。⦆
天智天皇10年12月3日 672年1月7日。
天智天皇が崩御しました。
崩御により、皇太子になっていた大友皇子が天皇になるまえに壬申の乱が起きたのです。




