エドワードという男
サクタは案内してくれる侍従について、リュタ城内を歩いていた。
まさか、国の事務官に抜擢されるとは思っていなかった。ランドレイク侯爵家の長男という身分柄、いつかは声が掛かるかもしれないと思ってはいたが、弱冠十八歳の若造がいきなり着任する場所ではない。
父親のランドレイク侯爵のコネと言えばその通りだが、父親はこの人事に関してはノータッチだという。
よくわからないが、エドワード国王のそばで働けることになる。先日、戴冠式と結婚式を同時開催という、異例なことをやってのけたばかりのエドワード国王だ。
サクタも末席ながら、結婚式に参列した。
純白のウエディングドレスを身に付けたラヴィリア姫は、とてつもなく綺麗だった。ほっそりとした身に纏う美しいドレスにより、自らが発光しているのではないかと疑うくらいに光り輝き、エドワード国王を愛おしげに見上げる顔は妖精が舞い降りたかと錯覚した。
エドワードとラヴィリアの誓いのキスを見ながら、サクタは終わった、と心の中で呟いていた。
自分の叶わぬ恋が、目の前で強制的に幕を降ろされたのだ。しかも、アイドル王子として女性に人気のあったエドワードは、国王の威厳を得て、迫力のある美しい王に変貌していた。
威厳のある美しい王と、妖精の化身ような王妃。
お似合いすぎて、反吐が出る。
サクタはその夜、暴飲暴食をしてフテ寝した。翌朝、胃がもたれただけだった。
サクタはセンラク港で、ラヴィリアの姿に惹かれ恋に落ちた。一緒に仕事をする内に、その聡明さと懸命さに心を打たれ、ドップリと惚れ込んだ。
ラヴィリアという人は、常に凛としてしなやかで強く、人を従わせる威厳があるように見える。だが、実は脆い部分がある。気付かれていないだけで、とてもか弱い人なのだ。
サクタはそれを、一度だけ支えたことがある。
ラヴィリアの脆さを知っているのは、サクタだけ。そう自分で思っている。
果たして新国王は、ラヴィリアの脆さを知っているのか。ちゃんと心のフォローはできているんだろうな。
機会があれば問いただしたいと、サクタは意気込んでやって来ていた。
「失礼いたします。新事務官の、サクタ・ヴァン・ランドレイク殿をお連れ致しました」
「入れ」
声がかかり、サクタは執務室に一歩踏み出す。十人ほどの事務官が忙しく立ち回っていた。奥には父親のランドレイク侯爵とマフマクン侯爵が向かいあわせで机についており、その奥の巨大なマホガニーの執務机に、チョコレート色の頭髪が見えた。
……積み上げられた、書類の向こうに。
「やっと来た! 待ってたー」
チョコレート色の頭が、書類の向こうから伸びあがって顔を向けた。結婚式で見た威厳のある国王は存在せず、下町で見かけるそこらへんの兄ちゃんのような男が破顔した。
…………誰?
ランドレイク侯爵がサクタのそばに寄り、耳打ちする。
「サクタ、エドワード陛下だ」
「……は? ええ?」
「ノーメイクの時はこんな感じだ」
「ノーメイク……メイク?
どういうこと?」
「私も初めはそう思った。
……ご挨拶を」
「ええと……偉大なる国王陛下に」
「国王への長ーい挨拶、省略! いらない、無駄!
会ったことあるし。
サクタ、こっち来て」
サクタは恐る恐るマホガニーの机に近付いた。「よろしくお願いします」と、短い挨拶はしておく。近づくと、書類の向こうの陛下の顔が見えた。
……やっぱり、冴えない顔の男だった。
「サクタは出納関係、読める人?」
「エディ、いきなりお金関係任せて大丈夫ですか?」
「だって、一番溜まってんじゃん」
マホガニーの机の隣に席を確保されていた亜麻色の髪の男が、ため息をつきながら書類を手にした。……山盛りの。
サクタは空いていた机に案内され、山盛りの書類を積み上げられた。穏やかそうな顔して、用意した仕事量はえげつない。
「部署毎に、週別月別でまとめあげて一枚に仕上げて下さい」
「は?」
「それをまとめたら次の現場の分。現場は合計二十三ありますので、二十三枚の書類を仕上げて持ってきてください」
「この量を、一枚? それを、二十三回……?」
「早く出せってせっつかれてるから、急いでねー」
国王陛下の、のんびりした声がする。先程ちらりと陛下の手元を見たが、決裁印を押すだけの仕事をしているのではない。見たことの無い額の出納のチェックをしていた。
どうやら彼は、数字のわかる国王らしい。
とにかくサクタは仕事を始める。分からないところは隣の事務官に聞く。
隣に座る事務官はふくよかで気は弱そうだが、とても丁寧な人だった。よい人材を押さえている、と上に立つ立場でサクタは思う。
それにしても。
サクタは書類の影に隠れて、すでに頭髪すら見えない国王に目を向けた。姿を隠すほどの書類の山、彼はあれに毎日追われているのか。
これでは、ラヴィリア姫の心のフォローどころではないな。あの人、自分のことでいっぱいいっぱいじゃん。
逆に、ラヴィリア姫が支えてあげなければいけないのか。あのか弱い女性が。
ああいう人がラヴィリア姫の夫なのか。
思ってたのと違う。全然違う。
こう、もっとスマートで美しく、余裕を持って何事も完璧にこなす隙のない貴公子のような……アイドル王子のような人だと、思い込んでいた。
ラヴィリア姫が不憫でならない。あんな余裕のない男に尽くさなければならないなんて。あの美しい人は、誰もが羨むような幸せを手に入れるべきなのに。
なんだろう。
アイドル王子にラヴィリアを取られたと思った時より、ずっと悔しい。平凡顔の冴えない男が、ラヴィリアの夫だなんて…………物凄く、悔しい。
もんもんとしながら、サクタは目の前の書類を捌き続ける。数字の間違いは致命的だが、やる事は単純なので集中できる。
ムカつく腹立つムカつく腹立つと、呪文のように唱えながら、黙々と仕事する。
「ラヴィリア王妃が参られました」
ノックと近衛兵の言葉に、執務室の空気が弛緩した。隣の事務官もすでにペンを置いていた。
重厚なドアから姿を見せたのは、爽やかな若草色のカジュアルドレス姿のラヴィリアだ。センラク港の頃に比べると豪勢な衣装だが、王妃という立場から考えると、かなり質素な出で立ちである。
手にはバスケットを持っていた。
「エディ、お茶の時間です」
「きゅーけー」
気の抜けた国王の言葉で、それぞれがバラバラに動き出した。御手洗に立つ者、机に突っ伏す者、茶を入れに来た侍女の手伝いを申し出る者、様々だ。
執務机の群れの脇に、やたらソファの多い応接テーブルが置かれていた。十人が座れるような配置で、幹部たちは適当にバラけて座っている。事務官も数名名前を呼ばれてソファ席に来た。サクタも呼ばれた。
サクタの名前に気づいたラヴィリアが、懐かしそうに目を輝かせてサクタの元に来た。数ヶ月ぶりの再会だった。
『あなたの心に永住希望! めろめろキッスであなたを虜に、センラクのミラクルボーイ、サクタでえす!』と決めポーズでバチコンウィンクしたいところだが、サクタは耐えた。初日からやってしまってはダメだ。
あと、父親が怖い。
「お久しぶりです、サクタ殿」
「ラヴィリア様……いえ、今や王妃様ですね。お久しぶりでございます」
「ラヴィリアで構いませんよ。
出仕は今日からでしたか」
「はい。過分なお声がけがありまして、図々しく参じました」
「過分だなんて。お仕事ができることが分かっていたから、お声がけしたんですよ」
「……え?」
「サクタを事務官に推薦したのは、ラヴィだよ」
エドワードが、二人がけのソファにストンと座りながら言った。それを見て、ラヴィリアが嬉しそうにエドワードの元へ向かう。いそいそと。
ラヴィリアはエドワードの隣を確保して、にっこりと微笑んだ。
「センラクの町の統治は理想的なものだと思いました。トラブルがあっても、崩れることの無い、きちんとした地盤が生きている」
「……そうでした、でしょうか」
「わたくしの目にはそう映りました。だから、実務に長けた人ならいますと、エディに伝えたのです」
「実際、飲み込み早そうで助かるよ。これからもよろしく。
……で、ラヴィ、今日のおやつ」
「エディ。今日こそ、これこれ!と言わせてみせますからね。リタさん直伝のチーズクッキーです」
「おおー、リベンジ三回目ー」
「へこたれませんね、ラヴィリア様」
「今回は完全再現ですから!」
お茶とお菓子が次々とテーブルに並べられていく。呆気に取られているサクタに、隣に座った事務官が囁いた。
「特に予定がなければ、十五時頃にラヴィリア王妃が手作りの菓子を持っていらっしゃいます。お茶の時間になりますので、必ず全員休憩となります」
「必ず、ですか」
「必ずです。ソファ席には限りがあるので、毎日事務官は入れ替わります。他の事務官も向こうに溜まりがありますので、お茶と菓子をいただいてます」
「……なんだか、緩いですね」
「私も当初はそう思っていましたが。
この時間でお互いのことが知れまして。大分やりやすくなりました」
お茶が行き渡り、各自で砂糖やミルクを入れたりしている。各々好き勝手にしているようだ。
事務官の方へ砂糖壺が二つ回ってきた。ちょっとふっくらめの事務官が、自分のお茶にちゃっちゃと砂糖を入れる。十二杯半である。
「お互いの好きや嫌いや、得意不得意が見えてきます。すると仕事の割り振りがしやすくなり、効率も上がります」
「……なるほど」
「今まで色々な場所で働いてきましたが、ここが一番働きやすいです」
仕事量は異常ですけど、と事務官は美味しそうに甘い紅茶に口をつけた。
目の前では茶菓子に手をつけた国王が、盛んに首を傾げていた。見た目は美味しそうなクッキーである。国王の様子を見ているラヴィリアは、不満気であった。
「……エディ、どうですの?」
「うーん、すごく味は近いんだけどさ……」
「だけど、なんですか」
「口の中の水分、全部持っていかれるんだけど」
「どうしてっ?!」
「俺も知りたい」
「本当だ。水分なしには食べられない」
「マフマクン侯爵?! あなたもですのっ?」
「王妃も食べてみてくださいよ」
「はい、あーん」
エドワードが口元に持っていったクッキーを、ラヴィリアがぱくんと口にした。何度か咀嚼して、黙って紅茶に手を伸ばした。
周囲が顔を逸らして喉の奥で笑いを噛み殺している。
遠慮なく笑っているのはエドワードだ。
「ほら、水分ないとキツイ」
「……なんでですの? リタさんの言う通りにしたのに!」
「味はほとんど同じだからさあ、水分量とかオイルの量とか?」
「だから、それをリタさんと一緒にしたんですよ! なのにどうしてこんなにパサパサ!」
「……そんなに怒んなよ」
「怒ってないです! 納得いかないだけです!
もう、なんでえ?」
ケタケタ笑いながら、エドワードはラヴィリアの頭をポンポンと叩いた。自然なやり取りが日常的で、サクタは自分の妹を思い出した。
兄妹間のやり取りに、近い気がした。
まだ何事か言い合っている二人を、サクタはそういうことかと違う視点で見た。出会って一年も経っていないというのに、昔からそうであったかのように馴染んでいる。
そうか、この二人は――
――家族になったんだ。
恋人同士のように気を張って寄り添うことはなく、それでも隣合えば嬉しいし、でも遠慮はする必要がなくて、それは信頼の証であって。
ラヴィリアは、その生い立ちから、家族の縁の薄い人だと思っていた。早くに両親を亡くし、奇妙な病を発症し、孤独に山奥で暮らししていたと聞く。そんな家族の愛情を知らない女性を、こんなに短期間で家族に仕上げるなんて。
これが、エドワード・オグ・ヴィヴィンという男の、包容力か。
本来殺伐とするであろうこの執務室の雰囲気も、エドワードという男が作り上げた世界なのだろう。人を受け入れる包容力と、人の内側に入り込む柔軟な適応力、それは生半可ななものではない。
どこかのほほんとした素顔のエドワードは、美貌の妻に次々と菓子を口に放り込まれて悶え苦しんでいた。こんなこと許す国王いるか?
これは、自分が適うような相手ではない。
サクタは早々に白旗を上げることにした。
茶請けのクッキーを一口食べて、侍女にお茶のお代わりを所望した。
サクタさん、お久しぶりっす!




