エドワード捕獲大作戦
軍部の中には糧食班と呼ばれる班がある。その中には、戦時下において兵士たちに食事を作成し、提供する調理兵が含まれる。
その調理兵を指揮して大鍋をかき混ぜているのは、アイスシルバーの髪を一つにまとめ、三角巾にエプロンを身に付けたラヴィリアであった。
場所は演習場脇の広場、軍の教練棟の脇に立つ大きな木の前である。
兵士たちの話題は、新国王とラヴィリアのことで持ち切りだった。
なんと兵士たちに、ラヴィリア特製の豆のスープと、串焼きが振る舞われるというのだ。日々命をかけて国を守ってくれている兵士たちにせめてものお礼を、という姫君からの提案だという。
この豆のスープは、エドワード国王が不遇時代に、ラヴィリア姫が精魂込めて作った思い出の逸品なのだという。報われない日々を二人で乗り切り、輝かしい未来に向けて希望を誓い合い、共に食したスープである。ひたすらに重ねた努力と、平和に繋がる果てしない夢を胸に、下積みを重ねた二人が今の地位にある。それを噛み締めて味わって欲しい。
……と、宰相補佐から通達があった。
その通達文を読んだラヴィリアは、紙をくしゃくしゃにして捨てた。
カルロス、話を盛りすぎである。
あの時は、仕掛けた罠にかかった野うさぎと、たまたま持っていた豆と採取した香草で、その場のご飯をしのいだだけなのである。輝かしい未来なんて、これっぽっちも念頭になかったものである。
そんなことを知らない兵士たちは。
「国王陛下の下積み時代の食事が味わえるだなんて」
「しかも、ラヴィリア姫の手作りだ。本物が作る本物だ」
「アイドル王子と持て囃されていたが、陛下にそんな不遇の時代があったとは!」
「国民は何も知らされていなかった……」
「その苦難を乗り越えて、今の国王陛下があるのだ。なんという不屈の精神、なんという鋼の魂」
「そしてお二人の愛の絆」
「陛下にあやかる為にも、ぜひそのスープを味わってみなければっ」
などと、わいわいしながら兵士たちは列を成しているのである。
マシューは背後に気を配りながら、串焼きを焼くコンロの傍に陣取っていた。初めてラヴィリアの手料理を食べた時は野うさぎの串焼きだったが、今回は鶏である。うさぎ肉の数が確保できなかったのだろう。
まあ鶏の方が好きだし、とマシューは焼けたそばから串焼きを奪っては頬張っていた。香草の効いた鶏の串焼きは、エドワード小屋で食べたあの味にとても近い。
「マシュー団長、そんな勢いで食べられますと、兵士たちの分が……」
「知らねえ」
「肉の食えない男たちの恨みがましい視線が、こちらに刺さってくるのですが」
「気にしてない」
「少しは気にしてくださいよ……」
「カリン、これ生だ」
「ええっ! 表面は焦げてるのに!」
「お前、部署替えしてもらえ。なんで焼き場に回されたの」
三角巾にエプロン姿のカリンが、両手に串を持ったまま驚愕の表情をたたえている。カリンが手に持った肉の串を、調理兵が奪って焼き始めた。食中毒でも起こされたらたまらない。
マシューは何十本目かの串にかぶりついて、気配を探っていた。味変用に、豆でできた辛い発酵調味料を調理兵につけて焼いてもらった。辛くて香ばしくてうまい。持参して正解だ。
しばらくすると、背後の木がしなるような音がした。がさりと葉のこすれる音もする。
マシューの超人的な察知能力でなければ気付かないだろう。実際にその微かな音に気づいた者はいない。
ぴん、がしゅっ、と掛かった音と共に、「きゃあ!」という声がした。これも僅かな声で、誰も気づいていない。
マシューは食べ終わった串を放り投げて、モグモグしながら背後の大木に近づいた。ラヴィリア手製の罠が発動したことを確認する。
獲物が網にかかって、じたばたしていた。
マシューは大鍋の脇で高貴な笑みを浮かべながら、兵士たちにスープを渡しているラヴィリアに近付いた。緊張しながらも兵士たちはデレデレである。
マシューに気付いたラヴィリアが振り返ると、当たり前のようにマシューはスープを受け取った。ふうふうしながらスープを飲み、背後の大木を親指で示して見せた。
「エディ、確保」
◇ ◇ ◇
エドワードは正座していた。
膝が付きそうな距離で、目の前にはラヴィリアが姿勢よく正座してる。
エドワードの私室である。つまり、国王の私室。
歴代のスファルト国王が使用していた部屋であった。重厚な木製の家具と煌びやかな壁紙と天井絵。複雑な形をしたシャンデリア。
精緻な刺繍のソファの下には分厚い絨毯も敷かれていた。
さすがに国王の私室。国の威信をかけて用意された、高級なインテリアの数々が取り揃えられていた。
ただし、使われた気配は全く無い。
きちんと整頓された家具は、一ミリも動かされることなくただ鎮座していた。
壁際にある巨大な天蓋付きベッドだけは使っているようだ。天蓋のカーテンは、すべて下ろされ中が見えないようになっている。カーテンのほんの隙間から、重ねられた本と安物の灯りの魔道具がチラ見えしていた。
ラヴィリアは察した。
本当にエドワードの部屋と呼ばれるのは、あのベッドの中だけだ。
自室に戻ったエドワードは、ベッドの中に閉じこもって、高級すぎるイロイロを見ないように過ごしているに違いない。慣れない高級品に囲まれてそれを気にせず使用できるような、そういう図太さをエドワードは身につけていない。
国王付きの侍女たちは、ものすごく気を使ってベッドメイクをしていると思われる。本心では、本なら机で読めよベッドに持ち込むなよなんだこの安物の魔道具、とか思っているに違いない。
マシューに捕らえられ自室に投げ込まれたエドワードは、部屋の真ん中で正座した。
どうしていいか分からなかったのである。
すぐにラヴィリアがやって来て、エドワードの真ん前にきちんと正座した。膝と膝がくっつきそうな距離ではあるが。
『王族接触拒絶症』……!
エドワードはそう思いかけて、何度もカルロスからもう発症しないんだと、いい含められていたことに気づいた。
あれは付与魔術の魔法効果で、『王族接触拒絶症』という病は存在しないのだと。付与魔術師であったカナメは亡くなり、ラヴィリアが飲まされていた薬の効果も消え、ラヴィリアが体調を崩す要因は無くなったのだと。
それでも、自分が触れたラヴィリアの頬がみるみる赤く発疹していく様は、エドワードの脳に恐怖として刷り込まれた。もうラヴィリアには二度と触れないと、強い戒めとして刻み込んだ。
だから、ただただ、ラヴィリアが怖かった。
愛おしいのに、近づくのが怖くてたまらない。
離れたい、逃げたい、でもずっと見ていたい。
エドワードの中で、ラヴィリアはそういう存在になっていた。
「……わたくしのこと避けていたのに、どうして先程は様子を見に来たのですか?」
ラヴィリアが恐る恐る話しかけてきた。
三角巾とエプロンは外し、簡易なワンピース姿である。空色のワンピースは上品で、ラヴィリアにとても似合っていると思った。
「……兵士たちが騒いでたから。しかも思い出の豆のスープだって言ってて」
「そうですね。カルロスがとんでもない煽り文句で宣伝しましたので」
「小屋で生活してた頃、よく食卓に上ってたスープ。白い豆入ってるやつ、あれめっちゃ美味い」
「エディ、お好きですよね」
「串焼きもなつかしい。ラヴィは香草使いが上手いんだ。カナメが、かな」
「カナメから教わりました。お肉によって香草の種類を変えるのです。臭みではなく香りに変えるのですよと」
「……俺、あれ以来食ってない」
エドワードは床を見ながら話している。チョコレート色の瞳は、ラヴィリアに向かない。
「オーサ領で作ってくれたお菓子も、すごい好きなんだけど。オーサ領では、ラヴィはお菓子しか作っていないだろ。
ラヴィの料理は、自分で狩った獲物を自分で捌いて、一から作るところが真骨頂だから」
「今日のスープも、骨からダシが取れていないので、ちょっと物足りないんですよねえ」
「そこ。俺の思い出の豆のスープはこんな所で食えるはずないと思って。
でも兵士たちは、あのスープがあったからこそ陛下は下積み時代を乗り切ったとか、ラヴィリア姫の惜しみない愛のスープとか、天下を獲る唯一のスープとか、願いを叶える魔法のスープだって」
「噂が暴走」
「……武器倉庫に潜んで兵士たちの会話聞いているうちに、どうしても鍋の中身を見たくなって。屋根伝いに木に登って覗こうとしたら、罠が仕掛けてあった」
「あれは、イノシシ用の罠ですね」
「やっぱりラヴィの罠だった! そうじゃないかと思ったけど!」
「捕らえました」
ラヴィリアはエドワードの肩に手をかけて、膝立ちで近づいた。ビクリとエドワードの肩が震えた。緊張で硬直している。喉仏がごくりと動くのが見えた。
ラヴィリアは、そっとエドワードの唇に口付けた。久しぶりの口付けはドキドキして震えてしまいそうだった。
でも、しっかりエディに伝えないと。
ここでちゃんと伝えないと。
不安も懸念も、きれいに払拭する。
実践して、確認する。
やっぱり好きっていうのも、確認する。
大丈夫。
『王族接触拒絶症』は、もう存在しない。
チョコレート色の瞳がラヴィリアに向いた。見開かれた瞳は、徐々に歓喜の色に染まる。泣きそうになる前にラヴィリアは笑った。エドワードの笑顔が好きなら、自分も笑わなくちゃいけないと思った。
だからエディ、笑って。
エドワードはラヴィリアを抱きしめた。あまりに強い力で、息が詰まる。
『王族接触拒絶症』は、崩壊したのだ。
エドワードがラヴィリアに触れても、拒絶反応は起こらない。触れることを躊躇う必要が無い。
ラヴィリアは確信した。見えないけど、分かる。エドワードは今、あの素朴な笑顔でラヴィリアを抱きしめている。
嬉しい。
エドワードがこんなに近くにいる。
何の心配もなく抱きしめ合える。
嬉しい。とても、嬉しい。
ラヴィリアはエドワードの背中に手を回しながら、大好きな婚約者に囁いた。
「エディ、『来ないで』なんて言って、ごめんなさい」
「ラヴィ、君から逃げ回って、ごめんなさい」
二人は顔を見合わせた。
アイスブルーの目と、チョコレート色の目が向き合った。同時に二人は吹き出した。
声を上げて笑って、抱き合って、キスをした。何度も繰り返し、口付けた。
嬉しくて愛しくて、止めることが難しかった。
やっと戻ってこれたんだ。
そして、やっとここから始まるんだと、二人は確信した。
やっと、『王族接触拒絶症』完全払拭ですわー。




