『王族接触拒絶症』の崩壊
老婆がずずっと茶をすすった。すすった直後に、茶を入れたカリンに不審な目を向けている。色はついているけど味がねえぞと、目が訴えている。老婆の視線を受けて、カリンはあらぬ方向へ顔を逸らした。
「魔法、という詳しくない分野でしたので、老師をお呼びして話を伺ったのですが」
カルロスも茶を一口飲んで、カリンに目を向けた。これはお茶ですかお湯ですか、と目が訴えている。
カリンは、人間てそこまで首曲がるんだ、くらい首を曲げた。
「ラヴィリア姫が毎日処方されていた薬は、さきほど説明のあった、付与魔術の補助の役目だけではなく、完成された術式の一部であるようなのです」
「完成された、術式」
「一定期間確実に薬を摂取し続け、薬の馴染んだ体に強い付与魔術をかけると、術者なしでも魔法が発動する、という術式です。
つまり、カナメがいなくても、『王族接触拒絶症』が発症するようになる、ということですね」
「それって……先日のあの時。カナメが亡くなっているのにわたくしが発症したのって」
「術が完成した可能性がある、と」
ラヴィリアの顔から血の気が引いた。
自分は『王族接触拒絶症』ではなかった。『王族接触拒絶症』の症状が、魔法によって引き起こされた体調不良であり、体質ではないと分かった。
そう認識した途端に、魔法の完成でそれが定着してしまったと知った。『王族接触拒絶症』から逃れることはできなかった。
キンと耳鳴りがして、時間が停止した気がした。
本当に本当に、もう二度と、エドワードに近づけない。触れられないのだ。
記憶の中の優しいエドワードを思い出す。
「手をつなぎたい」と言ってくれたエドワードと、もう手をつなげない。ごつごつしたあの手に触れられない。
さらさらのチョコレート色の髪を撫でられない。
柔らかく抱きしめられることはない。
エドワードのあの素朴な笑顔を、間近で見ることができない。
思ったよりも柔らかい、あの唇に口付けできない。
目に映る全てのものから、色が失われた。
くらりと目の前が暗くなる。
……終わった。
もうどうにもならないんだ。ラヴィリアから一番大切なものが、完全に失われてしまった。もう二度と、エドワードと共に生きる未来は訪れない。ただ一人で、生きるしかない。
全ての力を失わせるような虚無感が、津波のように押し寄せた。
…………もう、生きている意味が無い…………
気を失いかけたラヴィリアの二の腕を、強く掴む者がいた。遠慮のない力がラヴィリアを正気付かせた。
老婆だ。
老婆は浅黒い顔をラヴィリアに寄せて、怒鳴りつけた。
「しっかりせんか、まだ話は終わっておらんぞ!」
「……!」
「術の発動には、五年かかる。五年間毎日欠かさず、薬を摂取する必要がある」
「毎日……」
「薬を飲み始めたのはいつか、覚えているか?」
「……誕生日です。十三歳の。
カナメが、十三歳になられたからには、将来に向けて美しくなるための努力を始めないと、と言って」
「姫さん、いくつだ」
「……十七歳です。誕生日まで、あと二ヶ月ほど」
老婆はラヴィリアの腕をさすった。見えていない目でラヴィリアに笑いかけた。腕をさする力の強さがとても現実的だった。
「術は完成しておらん! あれは本当に繊細な術なんじゃ!
あんたの侍女は、おそらく王妃に魔法を完成させたフリをしてみせた。あんたの逃げ場を作っておいた」
「……?」
「術をかけ始めた日付を偽って、魔法の最終発動をかけてやれば、王妃の目はごまかせる。
王妃はラヴィリア姫に、『王族接触拒絶症』を定着させたと思い込むだろう」
「……それでは」
「よかったな、姫さん!
付与魔術師は『王族接触拒絶症』を定着させることに失敗した。ざまあねえな、王妃」
老婆はラヴィリアをバシバシと叩いた。
叩かれた痛みで、ラヴィリアは今が現実なのだと確信した。色を失った世界が鮮やかに色づき始めたのを感じていた。
わたくしは、『王族接触拒絶症』の患者ではない。
わたくしは、王族と接触してもなんの症状も出ない、ただの娘。
約五年、ラヴィリアを苦しめた病は、幻だったかのように消えてなくなった。信じられないくらいあっという間に。
ラヴィリアは恐る恐る老婆に尋ねた。疑問は残っていた。
「カナメが亡くなった直後に、わたくしは『王族接触拒絶症』は発症しました。本当に、魔法は定着していないのでしょうか」
「最終発動の余波で反応したんだろう。かなり強い魔法だ。
しかも五年近くあの薬を飲み続けてんだ。術は完成しなかったにせよ、薬はかなり体に馴染んでいるはず」
「……!」
「似たような魔法に触れたら反応が出るかもしれん。時間をかけて体から薬を抜いていく治療をしていった方がいい」
「……お恥ずかしい話をしていいでしょうか」
「ん?」
ラヴィリアは少し頬を染めて俯いた。
自分の怠惰を告白するのは、とても恥ずかしかった。
「……カナメの用意する薬湯は、その、とても微妙な味でして」
「おう、だろうな」
「カナメは、飲みきるのを必ず確認していました。でも、いつもカナメがいたわけではありません」
「……お?」
「飲んでおいてくださいね、とカナメが席を外した時は、窓の外にそっと流したり、植木の養分にしてみたり……」
「おお」
「オーサ領に来てからは、バタバタしていたのもありまして。レシピは知ってましたけど、作成するほどの気力は湧かずに」
「ふふ……ラヴィリア姫、もしや」
ラヴィリアは失敗した時のエドワードを思い出していた。ズルしたりサボったり、エドワードは度々カルロスに怒られていた。その時、カルロスに対してどうしていたかな。
頭をかきながら、照れくさそうな顔を作って舌を出した。ラヴィリアのレアな仕草に、カルロスは内心吹き出していた。
「ここしばらく、薬湯は飲んでいません。
それどころか、五年間毎日薬を摂取する、という条件は、わたくしの怠惰な習性により、だいぶ前から崩壊していた、とか?」
「「「 グッジョブ! 」」」
その場にいた全員の声がハモった。
ラヴィリアは体に残った薬の成分を抜く治療法を、老婆から具体的に聞いた。時間は必要だが、確実に無くす方法を伝授される。
クカの実を毎日摂取すること。
自分の魔力を上げることで、余計な魔法の成分が排出されるのだそうな。おいしい治療法に、ラヴィリアは決意する。
ソーラが作ってくれた、白パンにジャムをたっぷりぶっかけた、クカジャムパンを毎朝食べる。毎朝だ。
もう、最高だ。
ところで、とカルロスは老婆に声をかけた。
「あなたはなぜ、そこまで魔法に詳しいのでしょう。魔法の深い知識は一般の平民では得られないはず」
「……」
「この国の魔法使いは貴重です。十歳の時に国民全員が魔力判定を行います。
魔力判定で一定の魔力が認められれば、必ず魔法学校へ入学が決まり、専門知識を身につけます。ですから、野良の魔法使いなどこの国にはいないはず」
「そうかね」
「あなたの存在はこの国では異質なのです。ご説明をいただけますか?」
老婆はカルロスを濁った目で見やり、鼻を鳴らした。ふてぶてしい態度は一貫して変わらない老婆である。
「そう聞かれて、本当のことをほいほい話すと思うのかい」
「あなたの身の安全は保証します。
私達は、あなたの技術と知識が欲しい。あなた自身が、貴重な存在であることを理解しています」
「ほお」
「今からどこか他所へ向かうより、多額の報酬が得られる、と思っていただいて良いかと」
「打算ありきってこったな。分かりやすいねえ」
「その方が、あなたは信用してくれるでしょう?」
老婆は声を上げて笑った。カルロスの言葉に深く頷いて見せた。
「確かにね。あんたのような、穏やかな顔しながらしれっと嘘をつきそうな男、綺麗事並べられた方が信用ならないわな。金払うからこっちにつけ、の方が、よほど信用できる」
「嘘も真実も、使いこなせなければ宮廷内でうまく泳げませんから」
「随分汚ねえ水ん中にいるみてえだね。
……いいだろう、エドワード王子はいい男だし。あんたらにつくよ」
今後も王子の身体まさぐらせてもらうからね、と老婆はぐひひと気持ち悪く笑った。ラヴィリアは引いた目で老婆を見ている。
エドワードの治療にかこつけて、老婆はいつも何をしているのだろう。
「要は、わしの素性が知りてえって、ことだろ」
「そうなりますね」
「怪しいだろうよ、わしみてえなババアは。
……わしは子供の頃、親たちに連れられて山を超えてこの国にきた。密入国者よ」
「密入国者……!」
「元はマリ王国に住んでおった。マリ王国の中でも特殊な民族でな。厳しい山奥で暮らすうちに独自の魔法が発展し、それを使って生き延びてきた民族よ」
「……『山の民』、ですね」
ラヴィリアは静かに告げた。
老婆が見えない目を見開いてラヴィリアを見た。ラヴィリアは老婆に向けて小さく笑う。
「オババ様にはお伝えしていませんでしたか。わたくしは、マリ王国から参りました。
マリ王国の王妹姫です」
「……ああ、そういうことか」
「マリ王国では数十年前前、国の人間は漏れなくマリ王国に所属する、という法律が制定されました。それに反発したのが一部の『山の民』です。『山の民』は山に所属するのであって国に所属するものでは無い、と国に対して反発し、多くは殺されたと聞いていています」
「姫さん、詳しいな」
「わたくしの猟師の師匠のルートは、元『山の民』でした。ルートから話を聞きました。彼は国に所属する道を選んだ、民のうちの一人です。
魔法にも造詣が深かったのですが、わたくしは魔力が弱いため、その技を引き継ぐことはできませんでした」
「……そういうこって、わしゃもともと『山の民』じゃ。マリ王国から逃げて、スファルト王国の山奥で暮らし始めた一族の一人じゃ。
まあ、一族とは縁を切って、町に住んだ放蕩者じゃがの」
バーサンの素性、一般公開!




