サボリの王子様
ラヴィリアは護衛のカリンと共に、手作りの焼き菓子を持って貴賓室に向かおうとしていた。その途中で出会っのはカルロスである。
ラヴィリアの手にあるマドレーヌは、センラク港でのお茶会でよく作っていたお菓子であった。日持ちもするし、材料が安価で済む。
スイーツも好きに作っていいと言ったのは、優しげに変化したカルロスである。エドワードに対しての容赦なさは相変わらず見ているので、優しげ、であって優しくないことはしっかりと理解しているラヴィリアだ。
カルロスは回復したエドワードに、容赦なく溜まった仕事を押し付けていた。まだ右足は完治していないが、書類を捌くのに足は関係ないですからと、穏やかに微笑みながら書類を積み上げている。
エドワードは昼食のための時間は取れているが、その他の休憩はないようだった。かたわらで侍女の仕事をしていたラヴィリアは全て見ていた。
時々頭がショートしたエドワードの動きが止まると、カルロスの平手が容赦なく、すぱこーんとエドワードの後頭部を叩く。王子に対する遠慮とか忖度とか、一切ない。
せめてエドワードにお茶の時間くらい取ってもらおうと、ここ最近焼き菓子を用意し始めたのだ。カルロスといえど、ラヴィリアの要請を無下に断ることはしない。ものすごーく黒い穏やかさで、渋々休憩を受け入れてくれた。いや、受け入れさせたと言える。
そして、ラヴィリア手作りの菓子を頬ばるエドワードはとてもいい顔をする。ラヴィリアの目には、はねとめはらいしっかりめの『至福』という太文字が、エドワードの向こうに見える気がしていた。
「ラヴィリア姫、ちょうどよかった。ご報告したい事があります」
「なんでしょう。小麦粉と砂糖を使いすぎとかの苦情は受け付けませんよ? もう作っちゃいましたからね?」
ラヴィリアはカゴに入ったマドレーヌをカルロスの視界から塞ぐように手で覆った。出来上がったお菓子に罪は無いと言いたい。
カルロスは苦笑した。金銭感覚がエドワード
小屋にいた頃と変わらないラヴィリアが、単純に可笑しかった。
「スイーツ作りはご自由にしていただいて構いませんよ。私もあとでいただきます」
「マシューに見つかるとあっという間に全部なくなりますから、お早めに。
これから貴賓室ですか?」
「いえ。本日家内が王都より到着しますので、急遽半休をいただきました。執務は午後からになりますね」
「奥様が! ようやくですね」
「本当です。手配を頼んだブレイカー私兵団に、対応が遅いとケツを叩きまくってようやくですよ」
「ケツを……」
「失礼。何度も催促をして、ようやくです」
別にカルロスの内面が真っ黒だということは分かってるので、言い直さなくてもいいのに。と思ったラヴィリアだが、にっこりと優雅に笑って誤魔化した。体面は重要だ。
「よかったですね」
「ええ。
ただ、先程伝令が入りましたので、ラヴィリア姫にご報告をしなければと思っておりました」
「ちょうどよかったですね。なんでしょう」
「カナメの行方なのですが」
ラヴィリアの顔がすっと真顔になった。
カナメは、ラヴィリアがマリ王国から連れてきた、腹心の侍女である。センラク港で別れてから、行方が分からないのだ。
ラヴィリアはセンラクでブラッドをけしかけて、空を飛んでオーサ領までやって来た。そのラヴィリアを追ってカナメは王都まで辿り着いたようなのだが、それから足取りが掴めていない。ブレイカー私兵団が行方を追っているが、未だに消息は不明だ。
「カナメは、見つかったのですか」
「見つかったか、という問いには、否です。
ですが、王都での足取りがようやく掴めたところで」
「カナメはどこにいたのですか」
「リンク商会の建物に入っていくのを見た、という証言が取れました」
「リンク商会……マリ王国とスファルト王国との貿易を担っている商会、でしたかしら」
「よく勉強していらっしゃる。
その通り、マリ王国との貿易メインに運営している商会です。カナメがラヴィリア姫を追うために、母国と繋がりの深い商会に頼るのは自然なことに思えますが」
「そうですよね。ではその商会に問い合わせてみれば……」
「リンク商会によれば、カナメはリンク商会には来ていないそうです」
ラヴィリアは無言でカルロスに目を向けた。アイスブルーの瞳に言いたいことが、目一杯乗っていた。気持ちは痛いほど分かるが、カルロスにもラヴィリアの疑問に答えられるだけの情報は無い。
「リンク商会へカナメが入っていくのを見たという人物が、エディの王都の住まいから最も近いパン屋の倅でして」
「カナメも買いに行ってました……」
「黒パンばっかり買っていく侍女がリンク商会に入って行った、という証言が取れたわけです。特徴を確認して、まず間違いはないかと」
「でもリンク商会は、カナメは来ていない、と言っているのですよね」
「そうです。今後も探りを入れていきますが……心配ですよね」
カルロスの言葉に、ラヴィリアは口を引き結んで視線を落とした。心配だけど、打つ手がない、といのが現状だ。
センラクの町で待っていてくれたらよかったのに。と思っても、そう指示しなかったのはラヴィリア自身だ。カナメとしては、行き先が分かっているのだから、追いかけるしかないと思ったのだろう。ラヴィリアの行き先、エドワードのいる場所だ。
しっかり者のカナメのことだから、信じて待つしかない。貴人の傍に仕える者の慣わしとして、簡単な護身術は身につけている。マリ王国の紋章付きの、身分証もある。酷い目になどあっていないと、信じることしか出来なかった。
暗くなりかけたラヴィリアに、カルロスは穏やかに微笑みかけた。待つしかない身としては、少しでも心を健やかに保つよう工夫して過ごすしかないのだ。
「エディは貴賓室で、私が与えた宿題に追われているはずですよ。行ってあげてください」
「……えげつない量の宿題出してないでしょうね、カルロス」
「いえいえ。午前いっぱい机に齧り付いていれば馬鹿でもこなせる量ですよ。ラヴィリア姫がいるとエディの作業ペースが心持ち上がりますので、手がすくかもしれません」
「本当でしょうか……行ってみます」
「行ってらっしゃいませ」
穏やかなカルロスの絶対なる虚言を背に、ラヴィリアはカリンを伴って貴賓室へ向かった。
「……いません」
「いませんね」
カリンと仲良く貴賓室を覗きながら、ラヴィリアは眉を寄せた。
貴賓室はうずたかく積み上げられた書類をそのままに、もぬけの殻だった。
カリンがそう言えばと、ラヴィリアに目を向けた。短かった髪は少し伸びて、もうそれほど少年のようには見えなくなったカリンである。紅茶色の目がぱちぱちと瞬いた。
「最近、兵士の訓練の一環として、剣術のトーナメント戦が行われているのですが」
「トーナメント戦?」
「各部隊でランダムで組んだ相手と試合をさせて、勝った者同士を戦わせていって、最強を決める試合方式ですね」
「なるほど。最強決定戦ですか。兵士の皆さん、盛り上がりそうですね」
「そうなんです。今日は各部隊の上位三人を集めた総試合が行われるんです。
手練同士の戦いですから試合も見応えありますし、各部隊の応援も盛り上がってまして。兵士の間ではお祭り騒ぎになっています。ここにいる兵士の中のナンバーワンが決まるので」
「そうでしょうね。話を聞くと、わたくしもそわそわしてしまいます」
「ですよね。
ということは……エドワード王子はその現場にいるのではないかと」
あ、とラヴィリアはカリンを見返した。カリンは苦笑いをして演習場の方向に目をやった。
「カルロス様が不在で、兵士のイベントがあって、しかも今日が優勝決定戦です」
「ああ……」
「護衛のマシュー隊長は、煽りこそすれ、止めはしないですよね。なんなら二人でノリノリで観戦に行きますね」
「カルロスから大量の宿題が出てるはずなのに」
「エドワード王子は、「わかった」と素直そうに返事しておきながら、完全に放ったらかしにして後で盛大に怒られる、とかやりがちですよね」
「言われてみると、そうかも。
……カリン、エディのことよく分かってるわね」
「あ、あはははは」
カリンは乾いた笑い声をあげた。
自分がエドワード王子を好きだった、とか。好きだからこそずっと目で追っていたから。エドワード王子が実はそんなに真面目ではなく、ちょこちょこサボってることを知っている。
なんてことは、ラヴィリアに気取られてはならない。
カリンはラヴィリアに出会って、エドワードへの想いを完全に封じた。
適うわけがない、と思わされたからだ。
ラヴィリアの清楚で可憐で気品のある容貌、王族としての気高い立ち居振る舞い、そしてエドワードに向ける一途な恋情。
何一つ敵わなかった。
そしてエドワードがラヴィリアに向ける柔らかい視線を見た。エドワードが他の誰にもそんな目を向けるのを見たことがない。
かつて、ラヴィリアの髪を身に付けていたいと相談を受けた時の、アイスシルバーの髪を見つめていたあの時の目だ。
ラヴィリア姫のことが本当に好きなんだ、とそれだけで強く気付かされた。あの視線が自分に向くことは絶対にない。
そう思ったら、かなりふっ切れた。まだ時々胸がジクジクとすることはあるが、傷の治りかけなどそんなものである。たくさん剣の稽古をしてきたカリンは、ちゃんと知っていた。もうすぐ、治る。
「ラヴィリア姫、私たちも試合を見学にいきますか?」
「……いいのでしょうか。わたくしが姿を見せると、兵士の皆さんがなんだかザワザワするのです」
「……ここでもラヴィリア姫天使信仰が、生まれかかってますからね。
でも、いい場所あります。少し遠目になりますけど、試合自体は見られる場所」
「まあ、さすがカリン。ではわたくしたちも、見学に参加しましょうか」
「わしも行くぞい」
いつの間にやら二人の傍に怪しい老婆がいた。
治癒魔法士の老婆である。
エドワードの足の治療に来ていたらしい。
反射的にラヴィリアの前に出たカリンが、「バアさん!」と叫ぶ。同時にラヴィリアも声を上げた。「おばば様!」
皺深い顔をにやりと歪めて、老婆は喉の奥で笑った。ラヴィリアの「おばば様」呼びが、いたく気に入っていた。
おばば様!格好は相変わらず汚い。