エドワード王子んち
ようやくタイトルの伏線回収。
スファルト王国の王城であるリュタ城へ到着したラヴィリアは、ひとまず一室を与えられ一息ついた。
そこは賓客の控え室の一つであろう。スファルト王国の装飾はマリ王国に比べて原色使いの多い派手めの物が多かった。茶器一つにしても随分と濃い色合いで植物が書き込まれていたりする。分厚い絨毯もカーテンも基本的に構想は変わらないので部屋のどこを見てもコッテリとした装飾に覆われていた。おかげで目が疲れる気がするラヴィリアであった。
エドワード王子先導で城下を通過してきたわけだが、城下の騒ぎは凄まじいものだった。わあっと圧力を感じるほどの爆音が馬車を進めるほどに強くなっていく。女性からの黄色い声援だ。常に黄色い声がラヴィリアたち一行を包み込み、馬車内の会話も困難なほどであった。ラヴィリアはエドワード王子のスファルト王国での熱狂ぶりを実感した。
「エドワード王子!」「エドワード王子様、かっこいい~」「王子様こっち向いてえ!」「きゃあああ、こっち見たー!!」「あたしと目が合ったわ!」などの声が、ずっとずっとずぅっっっと続くのだ。
カナメが馬車の窓を指して「開けてご覧になりますか?」などと尋ねてきたが、ラヴィリアは無言で首を振った。とても怖くて窓なんか開けられない。
ラヴィリアがエドワード王子の元へ、輿入れのためにマリ王国からやって来たことくらい、国民も分かっているはず。
山奥のメス猿がエドワード王子の嫁になるなんて!という反感が生まれているだろうことは想像に難くない。女が女に対しての批評はとても厳しいと覚悟している。今ラヴィリアが顔を見せるだけでいらない反感を買いそうだ。
「あんなブサイクが王子の嫁なの」「いかにも田舎者ね。ドレスもダサいし」「田舎モンがエドワード王子と不釣り合いなのよ」「ていうか明らかに幼児体型じゃない?」「エドワード王子可哀想」などという、具体的な国民の感想なんて聞きたくない。
実際のラヴィリアは、はかなく華奢で透明感のある稀に見る美少女なのであるが、本人は気づいていなかった。言ってくれる人がカナメしかいなかった上に、ラヴィリア自身が自分の容姿に無関心であるがゆえだろう。
国民の悪感情を浴びるかと思うとラヴィリアはストレスで胃が痛くなってきた。王族接触拒絶症くらいキツイ。一刻も早く城内に入ることをひたすら願って、ただ馬車の中でじっと縮まっていた。
控えの間で待機すること暫く。ラヴィリアは謁見の間に呼び出された。慌ただしく正装に着替えラヴィリアは広間に赴いた。
さっそく王族とのご対面だ。王族接触拒絶症がどの程度抑えられるかが問題だ。
しかし、スファルト王国の国王とはかなり遠い場所からちょっと言葉を交わしただけで謁見は終了してしまった。病など発症する間もないほどあっさりとしたものだった。
助かったと胸を撫で下ろしていると、国の偉そうな人物が挨拶に訪れた。外務大臣と名乗ったので紛れもなく偉い人である。ラヴィリアの滞在先がリュタ城ではなくエドワード王子の邸宅になるという。
結婚する前から同居するのっ? と思ったが、スファルト王国ではそういうものなのかもしれない。ラヴィリアにいやだ、と言える拒否権はなかった。
ラヴィリアはほとんど休憩することなくエドワード王子宅へと移動していた。馬車内はラヴィリアとカナメ、それにご褒美をねだるブラッドの三人だ。ブラッドの馬もどきは勝手について来るという。
ラヴィリアの膝にはご満悦な顔をしたブラッドの頭が載っていた。ご満悦過ぎて黒い角が出かかっている。ラヴィリアは先ほど強めに角を押し込んでやった。ブラッドから「きゃん、いたーい」と歓声が上がったので、今度は本気ではたいてやった。やっぱり喜ばれたが。
「ラヴィリア様、病の方は発症せずに済んでよろしかったですね」
「そうね。常にあれくらい離れての謁見でしたらいいのだけど」
「それにしてもかなりあっさりとした謁見でしたよね」
「そうなの。本当に形だけ」
「何か理由があるのでしょうか」
「ブラッド、何かご存知ではないの?」
ブラッドはラヴィリアのアイスシルバーの長い髪を箒のように束ねて自分の顔を払っている。何が楽しいのだろう。
「あの城の中で王以外のほとんどが、一番貶めたいのはアイドル王子」
「エドワード王子?」
「そ。なんせ王国民の人気が凄いだろ? 鼻についてしょうがねえんだわ。だから今回の結婚もロクな嫁ももらえない可哀想な奴にしたかったわけ」
「……小国の田舎娘あてがって、このあたりで我慢しとけ、みたいな?」
「そんなとこ。ラヴィが思ったより美少女で完璧に挨拶できる真っ当な王族してたから、高官たちどよめいてたぜ」
たしかに謁見中、なんだかザワザワしているような気はした。ラヴィリアはバカにされているのかと思っていた。
ブラッドはラヴィリアの髪を掴んでくんくん嗅いでいる。ラヴィリアは気持ち悪くてブラッドの手を取った。が、逆に手を捉えられてブラッドに笑顔で頬擦りされた。余計に気持ち悪くなった。
「スファルト王国としてはわたくしを借金の担保と人質として確保出来ていればいいのよね」
「そうですね。それどころかラヴィリア様に何かあれば、マリ王国はパルカ王国と手を組んでスファルト王国に攻め込む口実ができます」
「我がマリ王国がスファルト王国へ攻め込むの?パルカ王国と手を組むなんて、お兄様するかしら」
「口実ができればするでしょう。スファルト王国はマリ王国にはない肥沃な国土を持っていますし」
「麦畑、いいわよねえ」
スファルト王国に入ってから馬車に揺られて広大な麦畑を見てきた。マリ王国は山ばかりで耕作地が少ない。売るほど小麦を持っているスファルト王国は正直羨ましいのだ。
「ですから、わたくしを貶めたい輩はエドワード王子を貶めたい方々で、私の命を取りたいということではないのですね」
「ラヴィリア様の身の保証はされていると考えてよいでしょう」
「わかりました。微妙な気分ですけど」
馬車を走らせること三十分ばかり。
王都の郊外にエドワード王子の屋敷はあった。街の喧騒から随分離れた立地なので、とても閑静なところだった。広大な敷地はどこからどこまでが王子のものなのかわからない。森のような木々が生い茂っていて、山奥での暮らしが長かったラヴィリアにとっては馴染みやすい環境と言えるだろう。
簡素な門からしばらく馬車を走らせ、到着した先はかなり立派な邸宅であった。見た限りでは三階建てか、部分によっては四階建ての建物だろうか。白い壁に青緑の屋根を持つ大きなお屋敷である。
到着したものの、いくら待っても案内が来なかった。そもそも人の気配がない。
訝しんでいたラヴィリアを見かねて御者が屋敷を確認しに行ったが、やはり誰もいないらしい。
おかしい……。
しかし荷馬車は早めに返さないといけない。ラヴィリアの花嫁道具も大量にある。
仕方なく屋敷のエントランスに荷物を運び込むことにした。がらんとしたエントランスは装飾品など何も無く、ただのぽっかりとした空間だった。この使用された感のなさはなんであろう。その広いエントランスがラヴィリアの荷物で山積みになった。
荷物の搬入が終わっても相変わらず全く人気がなかった。仕方なくマリ王国から連れてきた荷馬車の御者たちを労って送り出した。
バタバタと作業をしていたにも関わらず屋敷から誰も出てこないのはどういうことだろう。使用人くらい顔を出してもおかしくないのに。隣国の王妹が訪ねてきて誰も挨拶に現れない、というのも不敬にあたるのだが。
「カナメ、どういうことでしょう」
「どういうことでございましょうか」
「ラヴィ、屋敷内見て回ってくるか?」
「お願いするわ、ブラッド。
わたくしは外の方を見てきます」
「何かあったらすぐ呼べ」
ブラッドはそのまま壁に向かって歩き出した。すっとその姿が飲み込まれる。ブラッドには壁など意味をなさない。そのまま屋敷内を見て回るのだろう。
ラヴィリアはカナメを連れて庭に出てみた。
庭と言っても広く取った石畳の向こうは見渡す限り森である。植生の違いかラヴィリアには見慣れない木や雑草もあるが、全体的には見慣れた景色である。ただ勘違いしてはいけないのはここがスファルト王国第二王子エドワード王子の邸宅内であって、大自然への入り口ではないということだ。
ラヴィリアは改めて森を眺めた。人を立ち入れないような鬱蒼とした森ではあるが、見方を変えれば人でなければ入り込める道があるということで。
「カナメ、参りましょう」
「ラヴィリア様、どちらに向かわれるのですか!」
「けもの道が数本ありますわ。あの右から二本目など、背の高い獣が通ったような道ですわね」
「……私には道などどこにも見えないのですけど」
「カナメの仕事は屋敷の中のこと中心にお願いしてましたものね。猟師のルートじい様について森に入ったのはわたくしとブラッドですから。森に目が慣れていないのね」
「え……ただの森じゃないですか。
猟師のルートはラヴィリア様に何を教えていたのですか?」
「人の生き方ですわ。
さあ行きましょう。ドレスが傷んでしまうのは申し訳ないのですが」
ラヴィリアは迷いもなく、カナメから見たら混沌として鬱蒼とした森の中に突入して行った。ドレスの広がったドレープはキュッと纏めた。いつの間にか手には太めの木の枝のような物を持っていて右に左に邪魔な枝葉を払いながら進んでいく。猟師に道案内を頼んでいるような錯覚を覚えるカナメである。ラヴィリアに猟師の師匠・ルートの影が重なった。ルートはモッサリとした爺さんなためラヴィリアとは似ても似つかないが。
カナメが恐る恐る森をふみ分けて進むのに対し、ラヴィリアは慣れた手つきと足さばきでずんずん進む。途中目印としてドレスの一部を切り裂いた布を枝に結んでいる。カナメから声にならない悲鳴が聞こえたが。
しばらく進むと少し開けた空間に到達した。少し先に木造の掘っ建て小屋がある。ペンキなども塗られていない、木の板を打ち付けて作ったような簡素な建物だ。物置かと思われたがそれよりは少し大きい。さらに木の桶やら竿のようなもの、括られたロープなど生活感に溢れたものが見受けられた。
ラヴィリアはカナメと目を見交わせて、そろーりと小屋に近づいた。中から幾人かの男の声が聞こえてきた。男たちは白熱した議論を展開……というよりはただ喧嘩しているようだった。ぎゃあぎゃあと絶え間なく声がしていた。
「……どーすんだ、エディ。ホントに姫さん来ちまうんだろ?」
「来ますよ。本物のガチ姫が来ますよ。ねえ、エディ」
「無理だって!
お前らも見ただろ。あんな華奢な触ったら折れそうな深窓の姫さんだぞ。あんな人の生活支えるの、俺には無理だって!」
「わかってんなら、なんとかして断ってこいよお」
「できるんならやってる! もう完全に決定事項で動いてんだもん」
「簡単に嵌められてるエディに問題ありですね。責任取れるんでしょうね?」
……とても騒がしい。
ラヴィリアは入口(ドアは閉まってもいないが)からそっと中を覗き込んでみた。
三人の男が粗末なテーブルで額を集めていた。が、ラヴィリアの気配を感じてか振り返った。
ラヴィリアは二人見覚えがある。一人はエドワード王子専属護衛の小柄な金髪騎士、もう一人は文官服を着た穏やかそうな王子の副官だ。エドワード王子と初対面の時に背後に控えていた人達である。
もう一人は見覚えのない。いや、どこかで見たことはある、ような。
「……あのう。マリ王国のラヴィリアと申します。エドワード王子を訪ねてきたんですけど」
状況が状況なので、ラヴィリアは思わず王族であることを忘れて、田舎町の商店を覗きに行く風情で話しかけてしまった。猟師のルート爺さんに教わった庶民のコミュニケーション方法である。
粗末な小屋にいた三人の男たちは固まった。石化したピシッという音が聞こえた気がした。
ラヴィリアはマズかったかなと思いはしたものの、エドワード王子を見つけなければ話が進まない。せっかく側近二人は見つけたのだから居場所を聞き出さないと。
「……………」
「えーと。エドワード王子は、どちらにいらっしゃるかご存じですか?」
エドワード王子の護衛騎士と副官は、すっと人差し指をもう一人の男に向けた。
洗いざらしの生成のシャツに使い古した黒ズボンを身につけ首にタオルを引っ掛けたチョコレート色の髪の男。建築現場の休憩中に現場監督の視線をさけて飯かっくらってそうな普通の兄ちゃんだ。ラヴィリアは現場の兄ちゃんに目をやり、側近二人に目を転じた。側近たちはやっぱり下っ端っぽい兄ちゃんを指さしている。
ラヴィリアは悟った。悟ってしまった。
ものすごく気まずそうな現場の兄ちゃんは、チョコレート色の頭をぺこっと下げた。
「……エドワードです。さっきぶり」
背後でドサッととカナメの倒れる音が聞こえた。