空のお散歩してみたい
ラヴィリアはランドレイク家の客室で、カナメにことの次第を話していた。手元にはカナメ特製の薬湯がある。微妙な味のそれを舐めながらエドワードのことを思う。
さすがにナプルの戦いが、具体的にどのようになっているかまでは伝わってきていない。距離の遠さがヤキモキさせる。もしエドワードのいるオーサ領まで行くとしたら、馬車で何日かかるのだろう。
ラヴィリアが行ったとしても、足手まといなだけなのだが。どうしても気持ちが逸る。
ラヴィリア様、とカナメはたしなめるように言った。
「じっとしているべきです。戦のことは、殿方にお任せするしかないのですから」
「わかっています」
「今にも飛び出していきそうな気配がしていますよ。ラヴィリア様が向かわれても、エドワード王子はお困りになるだけですからね」
「わかってます、ってば」
「マリ王国でも、何かが起きているようなのです。今は様子を見るべき時ですわ」
「マリ王国で? どういうこと、カナメ」
「詳細は伝わってこないのですが……」
カナメはラヴィリアの飲み終えた薬湯のカップを下げた。カナメは必ず飲みきったかを確認する。不味くて残していた時期があったからだ。この味に慣れるまで、新たなる味覚の修行をしている気分だった。
「どうやら、スファルト王国への借金は、返済が終わりそうなのです」
「……そんなこと、急にできるの? 結構な額だったんじゃない?」
「詳細が書かれていないので、私にもわからないのですが」
カナメの元にはマリ王国から定期的に書簡で連絡が入ってくる。ラヴィリアは必要な情報だけカナメから聞かされていた。
「……新しく金山でも見つかったのかしら」
「だといいですね。マリ王国はそれほど裕福な国ではありませんし」
「そうよねえ」
王宮を比べてみて思ったものだ。スファルト王国は全てにお金がかかっているなと。
装飾の凝り方とか、人の使い方とか。そもそも王宮の大きさなども。マリ王国は小さくても清廉なのだと心を慰めていたが、あからさまに使える金額が違うのだと思わされた。
そう思ってからのエドワード小屋との出会いは、それはそれで現実を突きつけられたのだが。
「ラヴィ、ちと聞きたいのだが」
唐突に壁から声がした。
壁に飾られている鹿の頭の剥製の真下に、ブラッドの生首が生えていた。新しい登場の仕方にカナメが三歩ほど後ずさった。
鹿首の下の生首。気持ちは分かる。
ブラッドは生首のままラヴィリアを見つめた。
「ラヴィ、ラヴィの魔力の一部を、誰かに渡してなかったか?」
「わたくしの魔力?」
ラヴィリアはアイスブルーの目を瞬かせた。ラヴィリアの魔力を誰かに渡す。確かに身に覚えがある。
……魔力を含んだ髪なら、大切な人の元へ。
「エディに髪を切って渡しました。それの事?」
「なるほどな。どうりで離れたところでラヴィの気配を感じるわけだ」
「それがどうしました?」
「ラヴィの魔力が今にも燃えそうだ。ラヴィの髪が燃え尽きようとしている」
「…………それって、エディが、燃え尽きるような、そういう目に遭っているということ……?」
ラヴィリアは現在のエドワードの状況を頭に浮かべた。エドワードはオーサ領内にいる。しかもエドワードは、ナプルの町で戦いの真最中。
ラヴィリアの顔からさっと血の気が引いた。エドワードが炎に巻かれて苦しむ様子が頭に浮かび、慌てて取り消す。
そんなわけがないと思いつつ、エドワードなら肌身離さずラヴィリアの髪を持っていそうだと思う。そういう人なんだという確信だけは揺るがなかった。
ラヴィリアはブラッドの生首に走り寄り、その顔を両手で掴んだ。生首はラヴィリアに触れられて、いやらしい顔でにやーりと笑った。チロチロと赤い舌が見えていた。
「ブラッド! わたくしを……」
エディの所に連れて行って! と言いかけて、ラヴィリアは口をつぐんだ。真っ正直にそんな言葉をぶつければ、ブラッドは楽しげに「やだよーん」と返してくるはず。
この悪魔は楽しければいいのだ。ラヴィリアを困らせるのだって、至上の喜びにしてしまう。「困り顔のラヴィたまらん、うずく」とか言って、ぐねぐね体を波打たせるだろう。
ラヴィリアは高速で頭を回転させた。
焦ってもまともな考えは浮かばない。
わたくしは、今すぐエディの元へ行きたいの。
ラヴィリアはブラッドと顔を両手で挟み込んだ。せっかくの美形がぎゅっと潰された。
「ブラッド。わたくし、あなたとお遊びをしたいのです」
「んお?」
「わたくし、空を散歩してみたかったのです。ブラッドは飛べますでしょう。とても羨ましくて」
「おお」
「ねえ、ブラッド。わたくしを抱き上げたまま、空を飛んでみませんか?」
「おおおお」
「目標地点は、わたくしの魔力のある所まで、です!」
「やる!」
ブラッドは壁からぬるりと侵入してきた。すでにラヴィリアに触れたい手が、うずうずとわしゃわしゃしている。
カナメが悲鳴のような声をあげた。
「ラヴィリア様、危険です! そんな恐ろしいこと……!」
「ブラッドは、わたくしを落とすようなことはしませんわ」
「だとしても! 悪魔に命を預けるような真似はいけません!」
「わたくしが死んだら、悲しむのはブラッドですわ。二度とわたくしの魔力が食べられなくなりますから」
「うむ。そんなもったいないこと、我はせん。ラヴィの寿命が尽きるまで、常においしくちょっとずつ」
「何にせよダメです! やめてくださいませ!」
ラヴィリアはカナメの言葉を全て受け流して、窓を全開に開けた。肩までのアイスシルバーの髪が風に揺れた。
カナメは息を飲んだ。振り返ったラヴィリアは、今までに見たことがないほど生気に満ちて美しかった。
「だって、エディに会いたいんだもの」
「行くぜ、ラヴィ」
ブラッドがひょいとラヴィリアを抱えあげた。背中と膝の下に手を入れた、いわゆるお姫様抱っこだ。
ブラッドの背中から大きなコウモリのような羽が生え、捻れた黒い角が伸びた。目は爛々と赤く輝いている。本来の悪魔の姿に、カナメはたじろいだ。
どこからどう見ても、禍々しい悪魔でしかなかった。
「空を飛ぶとなるとな、本来の姿じゃないとさすがにキツイ」
「この姿は久しぶりですね、ブラッド」
「惚れたか、ラヴィ。ちゅーしてくれてもいいのだが」
「さっさと行きなさい」
くくくと笑いを漏らして、ブラッドは窓から飛び立った。
カナメの目の前で、ラヴィリアは悪魔に攫われた。
陸路ではなく空路であれば、目的地まですぐ着くじゃない?




