初恋からの失恋
今回はカリン視点ですね。
「マシュー殿、あの、本当にいいのですか?」
「いいよー。ほっとけばそのうち動き出すから」
「ですが、この方、王子様なんですよ? 王子ともあろう人が、こんな状態で」
「エディはこんなん、割とあるよ」
「割とあっちゃだめでしょうよ……」
「こいつ、今すぐ動かした方がめんどくさいから。だから放ったらかしが良策」
「……普通なら王族に対する不敬罪で、牢獄行きですよ」
「普通じゃないから、大丈夫ー」
マシューの気のない返答を受けて、カリンは丸くなったまま動かない物体を前に途方に暮れていた。貴賓室のソファで、膝を抱えた状態でうつ伏せているエドワードがいた。
権力を笠に着る、というやり慣れないことをして、メンタルがダダ下がっているエドワードである。今なら幼児の「おにいちゃん、かっこわるーい」の一言で、人格が崩壊するかもしれない。
カリンは現在、少年兵の格好でエドワードの近習を務めていた。正確には侍従はフリで、カルロスとの顔合わせが必要だったのである。さらにマフマクン伯領についての情報と、エドワード側の情報を交換する必要もあった。
マフマクン伯爵へは、先日合流したカリンの仲間経由で、事情を説明済みである。
カリンの怪我の経過は順調で、わずかに傷口に痺れがあるのと、体に怠さが残っている程度である。それも徐々に薄れていくはずだと、治癒魔法士の老婆が言っていた。ひたすらに怪しい老婆だったが、自分で言っていた通り腕は確かだった。
カリンの体調がよいのならばということで、エドワードの近習をしてはどうか、とカルロスが持ちかけてきた。使えるものは容赦なく使うという、彼のポリシーに基づいた判断だ。
近習として、昨日はエドワードの荷造りを手伝わされた。カリンを信用してくれているのはありがたいが、下着まで詰めさせられたのはどうかと思っている。
それにしても、とカリンはひょろ長い体を小さくまとめたエドワードを見た。
この人が、さきほどまで王族の権力でもって職権乱用をかまし、場を凍りつかせていた同じ人物なのか。
ノーメイクのエドワードから、マシューの手によりキラキラアイドル王子への変貌を遂げた時も驚いたが、オーサ領府高官を前にして堂々たる権力の行使にも驚かされた。
ノーメイクのエドワードは、気が弱そうで押しに弱そうな、人畜無害を人の形にしたような人物である。カリンは素のエドワードから出会っていただけに、先程の強気なエドワードは別人としか思えない。
実は、強気で物事を進める姿がちょっと、いやかなり格好良く見えていた。強引に相手の意見をねじ伏せ自分を押し通したエドワード王子は、アイドル顔に凄みが加わり、惹き付けられて目が離せなかった。
初めて異性をカッコイイ、素敵な人だと思ったのだが。
カリンは目の前の、膝を抱えて丸まった人物を見た。
うん、誰だこれ。
エドワードの側近たちも十分どうかしているとは思う。
落ち込んで小さくなった自分たちの主そっちのけで、次の段階の話を進めていた。
マフマクン領への移動手段、編成の規模、予定日数から必要物資の輸送手段など細々したことがどんどん決められていく。マシュー、カルロス、ブレイカーの3人である。
意見の食い違いもなくスムーズに大体のことが決められたのか、それぞれに動き出そうとしているところだった。
「カリン、この場をお願いしてもよろしいですか」
カルロスが穏やかそうな顔で声をかけてきた。
エドワード王子の副官は、ソファで丸まったエドワードに「短時間で復活しなさい。でないと、行軍編成業務を丸投げしますからね」と穏やかに脅していた。この人はきっと穏やかな人ではないと、カリンは思った。
腰の剣を外して隣のベッドルームへ入っていくマシューを見ながら、カルロスは言った。
「私とマシューは事務方を抑えてきます。マシューが事務所で軽く剣を鳴らすだけで、みんな素直に従ってくれると思うのです」
「……脅しじゃないですか」
「ちゃんと事前に手回しもしてますよ。反ミケントン派は懐柔済みなので、大半の『ことなかれ』を黙らせるだけです」
「それはちゃんとした、脅しです」
「まあまあ。でも早く終わりますよ。
ブレイカーもすぐに動くんですよね」
「悪いな。こっちもやることがあってよ」
ブレイカーが顎を撫でながら貴賓室を出ていった。出会った時には見当たらなかったが、頬に大きな傷がある。カリンは苦手だが、自分の姉が好みそうな、艶っぽい色気のある男だった。
カルロスもすぐにマシューを伴って部屋を出ていった。マシューはこれみよがしな、派手で大きな剣を腰に下げていた。おそらくエドワード王子の私物を勝手に借りている。威圧するには分かりやすい剣だ。
日常の延長のような、落ち着いて手馴れた様子の彼らであった。
こんな事態が今までも何度かあったんだな、とカリンはなんとなく思った。
急遽軍を動かすとか、政変後の事務方の把握とか、反対勢力を実力で黙らせようとか、何度もやれば慣れたもの……
…………いやいやいやいや。
カリンは慌てて否定した。
こんな事態そうそう無いって。あってたまるか。
すでに、オーサ領領主代理を更迭するという、大きなニュースになることをしでかしているというのに。
今彼らがやろうとしていることを端的に言うと――
――ゴリ押しで人んちの実権奪って実力者軟禁してから、隣んちへカチコミに行く――
平たく言うとエドワード王子はそういうことをしている。
ものすごく厄介で手に負えない、ただの無頼漢のやることである。絶対に周囲から浮きまくり目立ちまくり、白い目で見られるタイプの行動だ。とてもお友達にはしたくないタイプで……
……ああ、そうか。
だからこんなに小さくなっているのか。
カリンは、丸まった細長い背中を見下ろした。
この人はものすごく普通で、ものすごく真っ当なんだ。
第二王子などという立場がなければ、誰かを蹴落としたり断罪したりなどできない人だ。
今丸くなって守っているのは、エドワードという人の大事な『普通の人』の部分だ。『普通の人』が、無理をしすぎて痛くてたまらないんだ。
だってこの人はすごく、優しい人だから……
ビクン、と唐突にエドワードが起き上がった。カリンも突然のことに驚いて胸を押さえた。胸の熱さはきっと驚いたせいだ。
ぼんやりとしているエドワードは、マシューの特殊メイクのおかげで、アイドル王子が物憂げにしているように見える。決してぼやっとしているのではなく、気怠いのだ。と思わせるように見せている。メイクの力はすごい。
エドワードは瞬きを何度か繰り返し、ふいにカリンに目を向けた。カリンを認識すると、そのままソファの端にまで後ずさる。口の中でブツブツと何事かを唱えだした。
「……ラヴィ以外ノ女ノ子トハ、決シテ話シマセン……」
「?」
「話シテマセン………………あんまり話してない。つもりです、はい」
「エドワード王子、どうされました」
「……一瞬、寝てた。夢ですげえ怒られてた」
「嫌な夢でしたね」
「嫌じゃない。会えたし」
エドワードが腕を上げて伸びをした。背中がバキバキ鳴っている。ずっと丸まっていたのだ。関節も悲鳴くらい上げる。
カリンは改めてエドワードを観察した。
チョコレート色の髪と目を持つ、キラキラ王子様だ。今は素の状態だが、人目に触れる時に降臨する『なりきり王子』はオーラが違う。
先程オーサ領高官が集う会議室へ突入したエドワード王子は、凄まじいカリスマ性とオーラを放っていた。主役でしかありえない圧倒的な存在感だ。
演技なのだとしたら、とんでもない才能である。ノーメイクのエドワード王子と比べると、ギャップがすごい。
「どうかした?」
エドワードの問いに、カリンは自分が失礼なくらいまじまじと、エドワードを凝視していたことに気づいた。エドワードは不思議そうにカリンを見つめている。
妙に鼓動が早くなった気がして、カリンはエドワードから目を逸らした。「なんでもないです」と早口で答える。
少し失礼な言い方かと思ったが、エドワードは全く気にしていないようだった。「そっか」と言って立ち上がり、執務デスクの引き出しを開けて何かを探し始めた。
その寛容さにカリンの胸が締まった。
キュンと鳴った気がして、慌てた。
降臨した王子を見た時も鳴っていた。
今まで生きてきて、胸が鳴ったと思ったことは、一度も無い。
カリンは今まで、異性を意識したことがなかった。幼い頃から剣術をたしなみ、なまじ才能があったものだから、同世代で自分より強い男に出会ったことがなかった。
そのせいか、そのまま恋を知らずに生きてきた。周りの女友達に恋人ができ、そろそろ結婚すると聞かされても、焦ることもなかった。
自分はずっと独身で、剣の力を生かせる仕事に就ければいいと思っていた。幸い騎士の資格試験には合格し、マフマクン伯爵家の警護という職を得たのだが。
胸の高鳴りは、自分が女であることを思い起こさせた。エドワードの姿を目で追えば、それだけで胸が高鳴る。
ああ、好きってこういうことかも。
自覚をすれば意識がそこに集中してしまう。
下町の宿で見た、エドワードの多くの傷で刻まれた背中。命を狙われ続けて壮絶な体験をしてきたに違いない。今だって無理をして、悪役まがいのことをしている。
それなのに、優しい。死にそうなカリンの手を握ってずっと言葉をかけてくれた。王族なのに失礼な物言いも気にしない。
おおらかで優しい、素敵な王子様。
そう、エドワードは王子様なのだ。
身分が違いすぎる。好きになれるような人ではない。
巷の女の子たちのように、「きゃあ、エドワード王子!」と応援するくらいの気持ちでいないと。
カリンは自分の気持ちに、蓋をしようと決めた。
カリンの自問など全く察していないエドワードが、引き出しから探し物を見つけてカリンの元へやって来た。手の中の小さな包みを握りしめて、困ってるんだ、と分かりやすい顔をしている。それがなんだか可愛く見えるのは、恐らく病だ。
「カリン、ちょっと相談があって」
「な、なんでしょう」
「マフマクン領へ向かったりとかあるし。俺、これから移動が多くなると思うんだよね」
「そうでしょうね」
「だからさ。なくさないように、これを身に付ける手段を考えたいんだけど」
エドワードが手にしているのは小さな布包みだった。エドワードが布を解いて中身を確認した。
ちゃんとそこにあると、安心した笑顔が柔らかくて、少し驚く。見たことの無い顔だった。
エドワードの手には、ひとつに束ねられた、アイスシルバーの長い髪があった。
「これは……」
「ん。婚約者の髪。お守りにもらったんだ」
「………………」
「絶対失くしたくないから、身に付けるようにしたいんだけど。
俺の手荷物って、大抵誰かが運んでくれるじゃん?ポケットに入れておくと、俺落とすじゃん? 服に縫い付けると、洗濯したらどっかいきそうじゃん?
失くしちゃう可能性が高くて、頭を抱えたたんだ。
俺のうっかりは致命的になりそうだから、ずっと持っていたいんだけど」
「………………」
「ずっと一緒にって、意外と難しいんだよね」
難しそうな顔と裏腹に、エドワードの声はいつもより甘い。
とても綺麗な長い髪だった。
絶対にとんでもなく綺麗な人だ、と髪を見ただけで思ってしまった。アイスシルバーの長い髪の女性など、見たことがない。
きっと妖精みたいな人なのだろう。エドワード王子を虜にしてしまうほどの。
胸が、チクリと痛かった。
カリンは寝起きのエドワードの言葉を耳にしていた。「ラヴィ以外ノ女ノ子トハ……」
……ラヴィは、婚約者の名前だ。
嫌な夢を見ましたね、とカリンがなだめた時も、「会えたし」と返してきた。夢で婚約者に会えたから、嫌な夢ではない、と。
……すごく、好きなんじゃないですか。
胸が強烈に締め付けられた。
これはきゅんじゃない。
痛いのだ。
これは嫉妬だ、と自覚した。そんな資格なんてないのに、胸だけは正直で痛い。
エドワードの気持ちは完全に婚約者に向いていて、自分の好きだけがここにある。行き場をなくした『好き』が自分を攻撃してくる。
稽古で木刀が当たった時よりも、ジクジクと胸が痛かった。
「カリン?
もしかして俺、相当面倒な事相談した?
もしくは、くだらない事相談してくんな、とか思ってる?」
「いいえ! ……いいえ」
黙り込んだカリンを見て、戸惑ったようにエドワードが声をかけてくる。
カリンは慌てて笑顔を取り繕った。
初恋からの失恋が、あまりにも短すぎだ。
これなら、恋だなど思わなければよかった。
ただ臣下として仕えるだけなら、どんなに楽でやり甲斐があったことか。
カリンは気持ちが漏れないように、精一杯の平常心でエドワードに答えた。
「小さな巾着を作って、革紐を通しましょう。常に首に下げておけます。髪は油紙にくるんでおくのがいいかと思います」
「おおっ、すげえ。そんな手があったか。
でも、巾着って、どうやって作んの?」
「私が明日までに作ります」
「さすが女子! 頼りになる!」
「裁縫はあまり上手ではないので。期待しないで下さいね」
「無理。最大級に期待する」
イタズラっ子のように笑うエドワードが、眩しくて愛しかった。
やっぱり、好きだ。
エドワード王子が、好き。
見ていることしかできないけど。
失恋したって好きは止められないんだ、とカリンは苦くて甘い思いを味わった。
きな臭いことが続いたので、乙女気分を混ぜようと。




