貧民街への潜入
書類を抱えたカルロスは、オーサ邸の廊下で、できれば会いたくない人物に呼び止められた。声をかけてきたのは、ミケントン領主代理である。
今頃エドワードとマシューは貧民街に潜入しているはず。嗅ぎ付けられたか、とカルロスはピリリと緊張した。緊張を気づかれぬように穏やかに頭を下げた。
ミケントンは背後に自身の副官を数名引連れている。複数の目がカルロスを観察しているのを感じた。
「エドワード王子の副官だな。えー、確か……」
「カルロス・オグ・パスカルと申します、ミケントン領主代理」
「おお、そうだった。そなたも今日は休暇のはずだったが」
「副官の仕事は多岐に渡りますので。今のうちにできる仕事は片付けておこうと」
「ほう、働き者だな」
ふくよかなミケントンは、腹を突き出して笑った。「会食の食事、肉ばっかで油がキツくてさあ」とエディがこぼしていたのを思い出した。飽食の結果の体型だろう。ソーセージのような太い指には、煌びやかな指輪がいくつもはまっていた。
「エドワード王子は、今日は何をして過ごされている?」
「恐らく護衛のマシューと、部屋でカードゲームでもしているのでしょう。私の顔を見ると仕事を思い出すようで、本日私は殿下の部屋へは出入り禁止です」
「これは、厳しいな。
しかし、一日ゲームでは暇を持て余そう。宵の始まりには、酒と美女を……」
「ご好意はありがたいのですが、殿下から夜伽は不要と仰せつかっております。ご遠慮頂くよう、お願いいたします」
もう何度も申し上げておりますが、とカルロスは言葉を飲み込む。何度言っても、何度でも、あらゆるジャンルの美女を送り込んで来るのだろう。釘を指した今日くらいは、さすがに控えるだろうが。
ミケントンは今日のエドワードの動向には気づいていないようである。人目を忍んでの行動は、さすがマシューの仕事だ。オーサ兵に気取られることなく抜け出したようだった。
何も知らないミケントンは、苦い笑いを浮かべた。
「そなたの主は見かけによらず、身持ちが固いな。巷の女どもをあれほど騒がせておいて」
「伴侶となられるお方が、素晴らしいお方ですから」
「エドワード王子は、ご婚約されたのだったな。マリ王国国王の王妹姫、ラヴィリア姫だったか。噂では聞いている。
それほどの美貌であられるのか」
「他に類を見ない、と申し上げておきましょうか」
「ほう…………それは、ぜひお会いしてみたいものだ」
好色そうな顔を歪めて笑い、ミケントンは副官たちを引き連れてその場を去っていった。
カルロスは穏やかな顔を崩さないように一礼して、廊下を歩き出した。
ミケントンとその取り巻きはいい。それ以外の高官を何人か思い出す。数人接触したが、手応えはなかった。だが、全てではない。
オーサ公爵領の幹部で、不満がある者を炙り出し、できれば懐柔する。圧政を敷く組織に、不満分子がいないとは思えない。忸怩たる思いで過ごしている高官もいるはずだ。
どこで接触を試みましょうか、とカルロスはオーサ邸と、隣接する領府役所の平面図を思い出していた。
◇ ◇ ◇
崩れかけた壁と歪んだ屋根の下で、野菜や乾物を売っているのは、小さいながらも商店だった。値引き交渉をしている買い物客の足元は、汚れた水たまりがいくつもできていた。肩にくい込んだズタ袋を懸命に運ぶ子どもの姿もある。その向かいの路地には、疲れきったように座り込んだ人影がいくつか見えた。
エドワードは微かに腐臭のする通りをマシューと歩いていた。エドワードはノーメイクの素顔で、簡素なシャツとズボン。マシューは金髪の前髪を上げウィッグを付け、着古したブラウスとスカート姿である。貧民街を歩くカップル、に見えなくもない。
したくもない女装のマシューは、とても機嫌が悪かった。
町の通りはそこかしこに放棄されたガラクタやゴミが落ちていた。廃棄物は片付けられることなく放置されているようだった。土を固めただけの道は荒れていて、埃が酷い。
カルロスが貧民街、と評した訳がわかった。全体的に疲れきって沈んだ町だった。衛生状態もよくないだろう。顔色の悪い人が多かった。
思っていた以上に荒んだ町の様子を目を向けながら、エドワードはまっすぐに歩いた。つい先程まで、貴族街の高級店のひしめく通りを眺めていた。通りを一つ超えただけでこの荒み方だ。
ここまでの貧富の落差は、どの町でも見たことがなかった。
ふいにエドワードの目の前を歩く男に、反対方向から男が近づいてきた。肩をぶつけるようにしてそのまま通り過ぎた。目の前の男は舌打ちして、通り過ぎた男をにらみつけ、そのまま歩いていく。
一瞬の犯行だった。
エドワードは隣を歩く、可愛い彼女を見下ろした。
「……マーちゃん、今の見た?」
「てめえ、その呼び名で呼んだら次は顎砕くからな」
「名前呼べないから、愛称にしろって、カルロ……Kが」
「俺もMでいいじゃねえか」
「五年前はマーちゃんだったからさあ」
「おら、今すぐ顎、寄越せ。粉々にしてやる」
「悪かったよ! それから、口調気をつけろよ」
マシューがぱっちりした翠の目を逸らして、了解と呟いた。心持ちガニ股も矯正された。変装は怪しまれたら終わりだ。そんなことは充分わかっている。
「今の、スリだったな」
「手練だね。常習的にやってる奴って、スラれたことすら気付かせないから」
「衛兵は何やってんだ?」
「貴族街に庶民を入れない、それだけの存在だろ」
「その指示はミケントンから出てんだろうな……色々と、腹立つな」
「あのハゲとは、仲良くなれそうもないね、E。
ほら、あそこだ」
先に来ているブレイカーと手下二名が、交差点の角にある酒場の表で酒を飲んでいた。エドワードを見つけて片手を上げている。
ブレイカー指定の、待ち合わせ場所である。店頭に椅子やテーブルなんてものはないので、彼らは木箱を適当に持ってきて座っていた。
三人は貧民街で浮くことも無く、どちらかというと馴染んで同化していた。さすが生粋のゴロツキだ。ブレイカーの頬の傷だけは目立つため、メイクで誤魔化していたが。
「待たせた」
「おお、やっと来たか。まあ、飲めよ」
「美味い?」
「その辺の泥水よりゃ、マシだ」
「そんなの、勧めんなよ……」
「原液はアホみたいに度数高いぞ。水で割ってるが、効率よく酔える。ほれ、景気づけだ」
ブレイカーに渡されたジョッキを、マシューが奪って飲んだ。護衛としては、毒見もしていない飲み物を、エドワードに飲ませる訳にはいかないからだ。
飲みっぷりのいい金髪の可愛い女に、店内の男たちの視線が集まっている。ひそひそ言葉を交わしては卑猥な笑いを浮かべているので、そういう話をしているに違いない。
この金髪翠目の可愛い女が男って知ったら、どんな反応するんだろうなあ。
周りの反応を面白がっているエドワードだ。
エドワードの視線を受けて、マシューの翠の目が嫌そうに歪んだ。可愛く口を尖らせたりして、とてもキュートな女の子である。
正体を知らない男は、間違いなく騙される。この場で一人にしたら、ただちに男たちが口説きにかかることだろう。
この金髪の可愛い女を口説く男は、気をつけた方がいい。手を出した途端、彼女は躊躇いなく股間を潰しにかかってくる。尋常じゃない脚力の蹴りは、死刑執行に近い。
ブレイカーが、度数が高いという酒をドバドバジョッキに注ぎながら、エドワードに尋ねた。
「どうよ、町の視察隊代表」
「……思ったより、酷いな」
「だな。汚ねえし治安も悪い。
オーサ侯爵領ってのは、裕福な領地のはずだったよな?」
「ああ」
「そうは見えんけど、な」
エドワードは王都で調べたオーサ領の詳細を脳裏に浮かべ、考え込む。
領土は農地が多く、小麦の生産量は国内でも有数である。水源も豊富でここ数年不作の話は聞いたことがない。
安定した小麦生産のおかげで、領民は飢えることがないのですよ、とミケントンも自慢げに話していたはずだが。
「領民が、痩せている」
「私兵団使って聞き込みしてきたぜ。農村地帯で食えなくなった農民が、職を求めて町に流れ込んでいるんだ」
「なんで食えなくなってんだよ。 不作なんて聞いてないぞ」
「毎年豊作さ。それを根こそぎかっ攫ってんのが、領主と領主代理」
エドワードは沈黙した。じっとブレイカーを見据えている。
ブレイカーは肩をすくめてエドワードを見返した。
「ここ数年、農村への税率がガンガン上がっているんだと。今や収穫の七割が税で持っていかれる」
「七割…………税率は通常、二割か三割だろう。それじゃ、農民は生活出来るわけない」
「その通り」
「農民たちは、なぜそんな馬鹿みたいに高い税を払うんだ」
「税の徴収に、兵隊を使ってるんだ。徴収専用の兵団があって」
「なんだそれ」
「抵抗すればボコボコだ。死なない程度に痛めつけられる」
エドワードのチョコレート色の瞳が強く光った。滅多に見られない表情に、ブレイカーは冷静に、となだめた。
「畑を家族に任せて出稼ぎに来ている農民が多い。だが、町での税率も上がっている。そのせいで店を畳む者も多いんだ。だから仕事が見つからんで、職にあぶれている。職人なんかもそうだ。食っていけないから離散する」
「……オーサ領は金属加工でも有名だ。王室にも納めているはず」
「金になる職人は、ミケントンが掴んでるんだよ。貴族街とは関係の無い職人が、次々と飢えている状況だ」
「職人がいなくなれば、あらゆる分野が立ち行かなくなるだろ」
「だから、庶民の生活が崩れ始めている。結果がこの貧民街だ」
エドワードは貴族街を思い出し、目の前の町に目をやった。疲れ果てた町が広がっていた。
エドワードは王族教育の一環で、カルロスから様々なことを教わっている。そのうちの一つが施政のしくみだ。
施政者は徴税をする。その税金で町を整え治水をし、災害に備え備蓄する。道路を作り流通を円滑にし、治安を守るために兵を整える。個人の資産ではできないことを、施政者が代表して金を集め、代わりに行う。
カルロスからは、そう教わった。
領主とは、そういう存在ではないのか。
税率を上げたオーサ公爵が、実際にしたことは何か。
そんなのはすぐに想像がつく。
サミュエル皇太子への賄賂だ。
ここ数年、サミュエル皇太子とオーサ公爵がベッタリと繋がっている印象は深かった。サミュエル皇太子が参加するイベント事には、必ずオーサ公爵の姿があったように思う。オーサ公爵領の税金は、サミュエル皇太子へ流れている。
オーサ公爵は領民を飢えさせて、その金で王族に取り入っているのだ。国政に深く潜り込むための布石を、領民から搾取することで叶えている。
明らかに越権だ。悪徳な領主のすることだ。そんな行為を……
公爵だからやっていいのか?
身分が高ければ、何やってもいいのか?
これは許されることなのか?
黙り込んだエドワードを、ブレイカーが凪いだ目で見て、ジョッキをあおった。
「どー思うよ、E」
「……あのハゲジジイたち、クソだな」
「んで、あのクソはEを使って、何をしでかそうとしてんだ」
「俺の弱みを握って傀儡にするか、実績をあげさせず無能の烙印を押すか」
「……そんな所だろうな」
エドワードはミケントンの脂ぎった顔を思い出した。ついでに王都にいるオーサ公爵の蔑みを含んだ愛想笑いも。
どちらも、ギラついた野心が隠れていない顔だった。
「そのどちらも狙ってるかな」
「ハニートラップが激しいらしいな」
「カルロスから聞いてる?」
「おう、聞いてるぜ。
お前が手を付けた女が妊娠すれば、王族の血が手に入る。お前の胤じゃなくてもそうだと言い張れるし、妊娠してなくてもした事にすれば、しばらくお前は駒として使える。
いい事ずくめだ」
「だからイヤなんだよ、王族の血ってさあ」
「……手、付けてないだろうな」
「そこまでボンクラに見えんの?」
「押しには弱そうに見える」
わかるわかると、ブレイカーの手下達も頷いた。エドワードは口をつぐむ。
確かに押しには弱いかもしれないが、ハニトラだと分かっていれば突っぱねることくらいできる。
いつまでも子供扱いするなと、ブレイカーに抗議しようとした時だ。
マシューがすっとエドワードの側に擦り寄り、身構えた。何かを察知した時の動作だ。パッチリした翠の目が、忙しなく辺りを観察していた。
この時点では、エドワードには何が起きているのか分からない。だが、マシューが反応したのなら何かある。
暫くして、「きゃあああああ!!!」という悲鳴が聞こえてきた。
きな臭くなっております。
反動で、何かにボケたり、誰かをキュン死させたりしたくなる。




