筋トレからの潜入計画
マシューの許しを得て、エドワードはスクワットを終えた。短時間できっちり汗をかいた。太ももの筋肉はプルプルだ。
気になるのは、オーサ公爵領の貧民街のことだった。どんな町にも貧富の差はあるだろうが、平民が普通に暮らせる下町がなく、貴族街と貧民街しかないとはどういうことだ。
「……カルロス、貧民街についてもっと調べられるだろうか」
「時間をかければ、なんとでも。ですが、効率が悪い」
「ブレイカー私兵団の人員を割いて貧民街に潜り込ませるしかないもんな。大人数使うと普段の演習に支障が出るし、オーサ領兵団に不審がられるかもしれない」
「そうなんです。ですから、ここはですね」
カルロスがちょいちょいと手招きした。何事かとエドワードとマシューが頭を寄せる
「エディとマシュー、ブレイカーともう一人くらいつけて、直接貧民街へ視察に行ったらどうですか?」
「ほー」
「……だと思った」
「明日、休暇を申請しましょう。我々はオーサ領に来てから働き詰めですから」
「エディはメシ食って美女から誘惑されてるだけだけどな」
「望んでやってんじゃねえぞ?」
エドワードがチラリと睨むと、マシューはヘラっと笑った。他人事ゆえに、エドワードの状況を見て楽しんでいる。
そんなマシューに、カルロスは宣言した。マシューの望まない形で。
「もちろん、コソコソ作戦で向かいます」
「えー」
「何それ、かっこ悪い」
「うるさいです。
ミケントン領主代理が、貧民街に簡単に立ち入らせてくれるとは思えませんからね。
作戦は、以前もやった、あの変装で」
「あれな」
「げっ」
エドワードは普通に頷いたが、マシューがカルロスを勢いよく振り返った。カルロスはまるで気にしていない。むしろ、成功率が高いと確信している作戦だった。
「五年ほど前、辺境の魔獣討伐の時ですね。町の自警団の様子を探るために、変装して町に潜り込みました。国から派遣されたボンクラ王子エディに従う気のなかった彼らを、実力で取り込みましたよね」
「カルロスくん、ボンクラ王子は余計です」
「そこで自警団の信頼を得て、討伐は達成しました」
「やったなあ、そんなこと」
のんびり返答しているエドワードとは裏腹に、焦り顔なのはマシューだ。
「カルロス、アレは五年前のことだ。俺、もう二十歳超えたんだぞ、無理に決まってんだろ」
「エディはノーメイクで平民スタイル。あれはバレる要素が全くない、完璧な変装です。町の風景の一部です」
「褒められてる気がしない」
「そして、マシューは髪を上げて町娘風で潜入。まず、男には見えませんし、バレません」
「絶対、無理…………んんん!!!」
大声をあげそうなマシューの口を手で塞いだのはエドワード。マシューのもっさりとした金色の前髪を手のひらで持ち上げたのはカルロスだ。
慣れたコンビである。
カルロスがマシューの顔を覗き込んで、穏やかに笑みを浮かべた。
「相変わらず、ぱっちりお目目の可愛いお顔で」
「『金髪の小悪魔』が、前髪上げたらこんな顔してるとは、誰も思わないよな」
「身長は五年前からさほど変わってませんし、女装、いけますよね」
「ちょーっと足太くて、ちょーっと肩分厚いけどな」
「そういうの好みな男もいますし」
「だとよ、マシュー」
ぱっちりとした翠の目を歪めて、マシューはエドワードとカルロスを交互に睨んだ。『金髪の小悪魔』として他国からも恐れられている男の顔とは思えない、髪を上げれば愛らしい、乙女顔のマシューであった。
わめかないと判断されて口が解放されたマシューは、完全に不貞腐れている。
「……五年前より、三センチでかくなったんだからな。町娘としては大柄だからな」
「まだまだ可愛らしく見えますよ。
ちなみにエディは、五年前からどのくらい伸びましたっけ?」
「十六センチ伸びた。成長痛が辛かった」
「ひょろ長く成長しましたねえ」
「エディ、腕立て! 今すぐ!」
「マシュー、当たるな。身長はしょうがない……ああっお前っ、背中乗るな、重いっ!」
「腹立つくらいでかくなりやがって、エデイ。ムカつく」
十年前はマシューの方が僅かに大きかったのだ。それが徐々に引き離されていく身長差。エドワードを見上げて焦っていた気持ちは分かるまい。
腕立てするエドワードの背中に乗って、マシューはカルロスを睨みつけた。
「……どうせブレイカー使って、もう動いてんだろ」
「正解。ブレイカーの方は早々に貧民街に出入りしてましたね。
その辺りの平民男女の服一式と、マシュー用のつけ毛を用意してもらってます」
「んで、カルロスは行かないんだ」
「私は変装しても、貴族ってバレやすいみたいです」
ブレイカーに止められました、なんででしょうね。と穏やかに首を傾げているカルロスは、品が良すぎるのだ。
礼典での差配を担当することもあるカルロスの実家は、貴族教育が徹底していたらしい。王城に上がったばかりのエドワードに、王族としての教育を施したのはカルロスだ。
カルロスは真面目な顔でマシューに向き合った。
「実際のところ、『金髪の小悪魔』は知れ渡りすぎて目立つんですよ。マシューだって、あの金髪だよ、とか影で言われていることに気づいているでしょう」
「…………まあ。
手合わせ願いたいとか、うるせーし」
「マシューをそのままの姿で隠密行動に向かわせられません。かと言って、エディの護衛は絶対ですから」
「わかってる」
「私も、無為に過ごすつもりはありません。ブレイカーも何かしら動き始めているようですよ」
「あのおっさんは、見かけ通りやる男だからなあ」
「敵じゃなくて、本当によかったです」
「……っぁあ、もうだめだっ……」
「腕が死んじゃうぅぅ」とエドワードが潰れた。マシューを乗せての腕立て伏せは限界を迎えた。主君として仰がれるべき男は、今や汗だくで床にへばり付いていた。
見慣れたチョコレート色の髪が顔にベッタリ張り付いているエドワードを見て、さすがに湯浴みくらいさせてやるかと、マシューはタライと湯をもらいに部屋を出ることにした。
こうやってエドワードの世話をするのは慣れたものだ。幼い頃からずっと過ごしてきた、弟の世話をするようなものである。
護衛騎士の仕事ではないが、そこは特にこだわりの無いマシューであった。
負荷をかけての筋トレである。
エディ、できればお風呂に入れてあげたい。




