コソコソばなしからの筋トレ
ドアが「ゴンッ、……ゴンッ」と叩かれた。
事前に打ち合わせていた符丁である。意味は「はよ、開けろ」である。
マシューがドアを開けると、立っていたのはカルロスである。亜麻色の髪の男は慣れたようにするりと部屋に入ってきた。ベッドに腰掛けたエドワードを見て、少し笑った。
「やっぱり来ていましたね、エディ」
「カルロスの部屋、マシューの隣だろ。窓のノック、聞こえた?」
「ついでにマシューの爆笑も」
「立派な屋敷のくせに、壁薄いな」
「またハニトラですか? 今度はどんな女性です?」
「巨乳の熟女」
「巨乳は女神の加護持ちです。目の保養ができましたね」
しれっとカルロスは頷いた。カルロスをハニートラップで堕とすのは簡単かもしれない。
明日苦情を申し上げておきます、と言いながら、カルロスはベッドの端に腰をかけた。せっかく三人そろったので、話をしようと思ったようだ。
声を少し抑えたのは、盗聴の可能性を考えてのことだ。
「マシュー、オーサ兵の様子はどうです?」
「練兵の様子?」
同じく声を落としたマシューが答えた。
マシューはエドワードの護衛のかたわら、ブレイカー私兵団と共にオーサ兵士の練兵や組織行動の演習にも参加している。作戦行動を円滑に回すためだ。
マシューは金色の頭を傾げて、思い出すように上を向いた。
「一般兵士は普段から訓練をしてるみたいで、問題ないよ。組織だった動きも標準的にできるし」
「そうですか。
他に気になったことはありますか?」
「……上級兵士が、ボンクラ」
マシューの言葉は飾らない分、的確だ。カルロスは、身分も年齢も差があるマシューの判断に、絶対の信頼を置いている。モッサリとした金髪の向こうで、マシューは常に情勢と状況を冷静に見ている。
エドワードの専属護衛として、これほどの的確な能力を持つ者はいない。
カルロスはマシューの言葉を復唱した。
「ボンクラ、ですか」
「うん。なんでこの演習が必要なのか、わかってるとは思えないもん。実戦部隊の部下から言われて、ただやってるだけ」
「上級兵士に限るのは、根拠はあります?」
「だってあいつら、団長の取り巻きだから。オーサ領兵団の団長って、オーサ公爵の甥っ子だろ。公爵の威光目当てに集まった蛾だから、群れることしか脳がない」
「その威光に満ちた団長はどうです?」
「権威振りかざしたい、空っぽな脳。エディの粗を探しては身内で盛り上がってる、おめでたいヤツ」
「……マシューって、こういう時限りなく毒舌だよな」
エドワードが呆れたようにマシューに目をやった。毒を吐いているマシュー自身は、ボンヤリして見える。全てのことをスルーしているような雰囲気だ。
おかげで、マシューが傍にいることに気づかず重要な機密をポロッと漏らす高官もいる。過去には、砦修復の命令が下る前に、マシューが情報を持ち帰ったこともある。
カルロスは頷いて、エドワードに目を向けた。
「エディの方はどうです?」
「んー。
……俺いらなくね? と毎日思ってるけど」
エドワードは、オーサ公爵領の実質の領主、ミケントン領主代理の顔を思い出した。オーサ公爵の弟で、顔やハゲ具合がそっくりな兄弟である。違いといえば、頭髪には白髪だけでなく茶色が残ってる、くらいであった。権威におもねる表情が瓜二つで、見ていてげんなりする。
ちなみにオーサ領兵団の団長は、ミケントン領主代理の、息子に当たる。
「ここに派遣されて二週間、ほぼ毎日ミケントンと会食して、オーサ領の自慢話を聞かされてる。ここ数年豊作続きで領民は安泰だの、王室御用達である工芸品は今年もまた評判がよくて、だの」
「エディ、あなたがここにいる理由について、ミケントン氏からは何も?」
「マフマクン領への面会要請は、まだ返答なしの一点張り。マフマクン領の領境への視察も、のらりくらり躱されてる」
「エディは毎日、食べてるだけですね」
「だな。メシ食ってるだけ」
「エディ、起立」
マシューが唐突にエドワードに命じた。言われるまま立ち上がるエドワードに、マシューはするするとよじ登った。肩車状態だ。
「わ、わ」とエドワードは声を上げているが、マシューは気にしない。小柄なマシューだが、その体は分厚い筋肉でできている。重い。
「マ、マシュー、重い……」
「エディ、その場でスクワット。俺がいいと言うまで」
「げっ!」
「鍛錬しないと、死ぬよ?」
「この体勢でスクワットは、無理じゃね?」
「死ぬよ」
マシューの言葉は絶対だ。本当に死にそうな目に合っているから、逆らえない。
エドワードは両肩に乗っかっているマシューの太ももを掴んで、渋々スクワットを始めた。
真面目に動き出したエドワードを見て、マシューは高い位置からカルロスに矛先を向けた。
「そっちは、どうよ?」
「表面上のやり取りはエディと大差ないですね。マフマクン伯が動かないことには何も動けない、と」
「ふーん」
「なので、ブレイカー私兵団とコソコソしてみました」
「なんだそれ。コソコソって」
「町に降りてみました。もちろん、許可なしです」
「あ、そういうこと」
「この屋敷と領兵の修練場があるあたりは、町の中心です。富裕層が闊歩する区域ですので、町は綺麗で物に溢れ、人々も着飾って歩いています。いわゆる高級店と見られるお店も多いですね。青い羽根の宝石ピアスも、よく見かけましたよ」
ぴたっ、とエドワードのスクワットが止まった。すかさずベシッと、マシューがシバいた。「うぉっ」と声を上げて、エドワードは再びスクワットを開始する。アイスシルバーの髪を持つ、美人の婚約者の顔が脳裏をよぎったのだろうが、動きを止めるな。
ベッドに腰をかけたカルロスが、プルプルのスクワットを続けるエドワードを見上げた。
「領民は裕福で町は栄えている。この町に住む者は皆幸福だ、などと、吹き込まれてきたんでしょう、エディ」
「これっ、きつい…………そうだよっ……」
「素晴らしく調った町でしたからね。
なのでさらに町を探索しましてね、とある大通りを横断しようとしてみたのですが」
「ふんふん」
「そこから先は貧民街でした」
エドワードのスクワットがピタリと止まった。マシューのシバキも入らなかった。
ミケントンの話と違う。
領民は皆、裕福で幸福だ。毎日そんな話ばかりだったのに。
「……貴族街と見比べて下町が貧相に見えたとか、ではないのか」
「下町は活気があるでしょう。屋台が出ていたり露天商が声を上げて呼び込みしていたり。買い物客でごった返していたり、子供たちが走り回っていたりと」
「俺たちが育った町は、そうだった」
「私の身なりで踏み込むのは危険と、ブレイカー私兵団に止められました。すぐさま追い剥ぎに会うと」
「……」
「大通り沿いに衛兵らしき人物がウロウロしてましたし。貧民を貴族街に入れないための措置ですね」
「……貧民街は、どんな様子だ」
「疲れきった様子の者が幾人か歩いていました。中には座り込んで身動き出来ない者も。衛兵の目を盗むようにしているのが、大半でした」
エドワードは沈黙していた。マシューは考え込んでいる。
見るからに羽振りのいいオーサ公爵と、ミケントン領主代理。
片や、下町の形を保てないほど疲弊した、貧民街の人々。
オーサ領はいったいどうなっている。
筋トレはまだ続く。




