犠牲と作戦
その日、センラク港は戒厳令が敷かれていた。領主サクタの名で出されたものである。住人は完全なる外出禁止、港近くの住人は高台に避難するように、という徹底ぶりだった。
船を出すのはケビンの父と、他数名の漁師。最新型の船は魔力装置があるため、次に大きい船が選ばれた。頑丈な帆船である。
嫌味のように青く晴れ渡った空に、大きな帆布が白く映えていた。
準備を整えたケビンの父に、サクタが近寄って何事かを話している。がっちりと握手を交わしているのが見えた。領主として、作戦の責任者として、激励の言葉を伝えたのだろう。
何せ、この任務は命懸けだ。成功するか否かは、やってみなければ分からない、本番一発勝負だ。
歩き出したケビンの父の前に、ケビン本人と弟、そして身重の奥様が見送りに現れた。ケビンの父は子供たちをそれぞれ抱き上げ、最後に奥様を長く抱きしめていた。ケビンは父を見上げて、声を上げずに泣いていた。何度も拳で涙を拭っている。
周りでは他の漁師たちも、同様に家族との挨拶を交わしていた。
お別れじゃないんだから。
ラヴィリアは緩みそうになる涙腺を引き締めた。家族じゃない自分が、ここで泣く訳には行かない。作戦の立案者で、命懸けの任務を押し付けた人間が、涙を流す資格なんかない。ラヴィリアはこっそりと歯を食いしばって感傷に耐えた。
後ろを向いて涙を拭ってるレイモンドは、あとで叱っておこうと心に決めた。
ケビンの父は、最後にラヴィリアの元に訪れた。ここで、ラヴィリアの重大な任務が待っていた。作戦の要にもなる、重要任務である。
椅子に座ったラヴィリアの背中に黒い布が掛けられた。アイスシルバーの長い髪が下ろされ、黒い布の上できらきらと流れた。
カナメが青白い顔をして、ハサミを手にして立っていた。緊張感が滲み出ている。
「姫様、本当にいいのか」
ケビンの父が痛ましそうにラヴィリアを見下ろしている。これから死ぬかもしれない任務に向かうよりも、より辛そうな顔をしている。
ラヴィリアは明るく見えるように笑顔を作った。
「何度も言ってるじゃないですか。別に命を取られる訳じゃなくて、髪を切るだけです」
「だが……そんな美しい髪を、餌として使うことになるなんて」
「髪はすぐに伸びますし。洗髪は楽になりますし」
「だが」
「わたくしの髪でこの町の未来が買えるなら、安いものでしょう」
シーリザード撃退作戦の、概要はこうだ。
シーリザードの好物である、魔力を帯びた『餌』を用意する。シーリザードに船で接近し、海溝近くまでおびき寄せ、魔力を帯びた餌を与える。船は素早く移動し離脱する。シーリザードが海溝近くで酔っ払い、白く変化すれば、海の主がこれを喰らいにくるだろう。
これが、ラヴィリアとサクタ、ケビンの父が立てた作戦だ。
最も重要な魔力を帯びた『餌』、であるが。
サクタは手当り次第魔鉱石を買い漁ってきた。すぐに手に入るような代物では無いので、用意できたのは三十キロ弱だ。これを丈夫な網で包んだ。
さらに美味しい餌にするために選ばれたのが、ラヴィリアの髪だった。
これはブラッドの助言によるものだ。
「極上の魔力なら、ここにある」
と、ラヴィリアのアイスシルバーの髪に目を向けた。
「そもそもラヴィの魔力は、魔族が好む匂いがする。我を虜にしたほどの匂いだ。極上中の極上だ。
そして髪には魔力が宿る。魔物を釣る餌としては間違いないが、もったいない」
特に切りたての髪の匂いは極上だ、とブラッドは言い切った。そう言えば、ラヴィリアは髪を整えるために時々カナメに切らせていたが、髪を切った直後の床でブラッドが寝そべっているのを何度か目撃したことがある。ぐふぐふ笑いながらゴロゴロしていたので、気持ち悪くて放置していた。匂いに酔っていたらしい。
なので、出航するギリギリを狙って、髪を切ることにしたのだ。
カナメはラヴィリアの前に立ち、一礼した。悲痛な表情は断罪を受けた咎人のようだった。
「カナメ、お願いします」
「……このようなことをお命じになるなんて、お恨み申し上げます」
「カナメだからお願いできるんですよ」
「信頼に恥じぬよう、慎重にやらせていただきます」
「手早くね」
カナメのハサミが、アイスシルバーの髪に入っていった。シャキンと鳴る度にラヴィリアの頭が軽くなっていく。ラヴィリアはじっと前を向き続けた。
長い髪はひと房毎に糸で縛り、細かい目の網に入れていく。これを魔鉱石の入った網に結わえ付けた。整えるために切られた細かい髪は背中の黒い布の上に落とし、纏めて袋に入れられた。撒き餌のように海に撒いて、酔いを促すつもりだ。
肩までの長さに切りそろえられたアイスシルバーの髪を風に揺らして、ラヴィリアはケビンの父を見送った。
◇ ◇ ◇
海辺は危険、ということなので、ラヴィリアはランドレイク家の最上階の、最も海の見渡せる部屋にいた。サクタ、オーメイ、レイモンド、カナメと共に、じっと海を見つめていた。
ラヴィリアの目では、サクタの父が操る船の姿はすぐに見えなくなってしまった。
無言のまま海を見続けて、どれほど経ったことだろう。
白い細長いものがくねるように空を舞った。海面に落ちては舞い上がり、また落ちてはくねくねと身悶えするように舞う。
それを何度か繰り返した時に、海面から浅黒い手が飛び出した。人の手のようだった。にゅっと飛び出した手は白く長い何かを掴むと、出てきた速さで引っ込んだ。
目の錯覚のような瞬間だった。
それっきり、白い何かが空を舞うことはなかった。
長い髪をバッサリと切る、潔いラヴィちゃん、なのですが……




